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七話 恋愛肉体言語戦

〈紅蓮の魔女〉グリムリンデ。


 本来既に魔女機関の根拠地を離れて新たな任務に就いているはずの彼女だったが、件の前代未聞の『男の魔女』が、グリムリンデ最大の宿敵である〈晴嵐の魔女〉ナーヴェと真っ向切ってドンパチやるとあっては、これを見逃す手は無い。


 最初は酔いつぶれたエルエスタを言葉巧みにだまくらかして『ナーヴェがやりすぎた時に割り込むために』という大義名分を盾にしてこの場に立つ権利をゲットしたグリムリンデだが、そんなのが建前でしかないことなど、素面に戻ったエルエスタにはとうにお見通しだろう。

 それでも今日に至るまで許可を撤回されなかったことから、なんだかんだで長年に渡ってナーヴェに煮え湯を飲まされてきた同士であるエルエスタも、グリムリンデの策略にちょっとは期待していたのかもしれない。と、いざ事が始まる直前まではなんとなくそんなことを思っていた。



 今回のグリムリンデの本当の目的は、能力値が未知数な男の魔女との戦闘で多少なりとも疲弊したナーヴェに、自らが追い打ちの連戦を仕掛けることにあった。



 或いは、戦況次第では男の魔女に加担して二対一でナーヴェに挑むというのでも悪くない。卑怯などとは言ってくれるな。それを言うなら、ナーヴェという存在そのものが既に卑怯の代名詞である。三百年間全戦圧勝とか、お前は一体どこの世界の覇王様なのだ。

 ゆえに、そんな無敵の覇王様にもし史上初めて土をつけることができたなら、たとえそれが純粋な実力ではなく数的優位や姦計によって無理矢理捥ぎ取った勝利だとしても、胸を張って勝ち名乗りを上げられる。そう断言できる自信がグリムリンデにはあった。


 だが、いざドンパチが始まるとなった前の段階で、グリムリンデはエルエスタの行動にちょっとした引っかかりを覚えた。



 ――ゼノ何某を、無策でナーヴェの前に放置していく? バカな、速攻で惨殺されるぞ。



 グリムリンデのように自らちょっかいをかけて半ば自業自得で返り討ちに遭うのではなく、今回のナーヴェは自らの明確な意思を以て、愛娘にちょっかいをかけている悪い虫ことゼノ何某を確実に殺しに来ている。

 はっきり言って、いつものグリムリンデとの『じゃれ合い』とは危険度が段違いだ。言ってしまえば、今回のこれはただの公開処刑であり、ゼノ何某の惨たらしい死は既に確定事項である。


 それなのに、エルエスタはゼノ何某の命の心配などまるでしている様子が無い。

 あの小細工大好きエルエスタが、一切何の縛りも課さずに、飢えた獣であるナーヴェの前に哀れなゼノ何某を無防備に放置していき、あまつさえそのことに何の疑問も抱いていないだと?


 それは、どう考えてもおかしいだろう。


 ゼノ何某は、既にお前の手駒になったのだろう? なのになぜ、みすみすそれを喪失させるような真似をする。


 よもや臨時とはいえ総帥という大役すらこなしみせているお前が、『ナーヴェだって最後の一線は超えないだろうから、適度にストレス発散させればそれでいいや。約束通り彼を連れて来たとこまでで私の仕事は終わりだし、あとは知ーらないっと』などという、甘く無責任な考えで全てを投げ出すわけでもあるまい?


 ……ない、よな? うん、きっとそれはない。流石にそれはない。ないない。


 ならば――、お前は、まさかこう言いたいのか?




『ゼノ何某には、ナーヴェすら余裕で圧倒する程の力があり、手加減をして殺さずに終わらせてくれる』。




 ……あり得ない、と。ただただ純粋にグリムリンデはそう思った。だから次に思ったのは、単純な戦闘以外の面で、ゼノ何某がナーヴェに敗北を認めさせるという可能性だ。


 なるほど、これは有り得る。策を練るのが好きなエルエスタと、やけに自信満々な態度のゼノ何某の姿からして、最もありそうな線だ。というか、ナーヴェに勝とうとするならそもそもこの手しか存在していない。


 なるほどなるほど、そういうことか。まったくもう、あまりびっくりさせないでほしいものだ。


 あくまで戦闘で優劣を決したいと考えているグリムリンデにとってはあまり参考にならないかもしれないが、畑は違えど勝利は勝利。

 はてさて、それでは如何なる策で勝利を捥ぎ取ろうというのか、高みの見物といかせてもらおうか――。


 と、そんな風に考えながら、エルエスタやゼノ何某を言葉や視線でおちょくって遊びつつ、呑気に構えていたグリムリンデ。



 だが、そんな彼女の余裕の態度は、自分のジョークが発端となってゼノ何某の首が宙を舞った時点で、即座に泡沫の如く消え去った。



◆◇◆◇◆



(――何が起きている……?)


 一瞬、ほんの一瞬だけ、グリムリンデは自分のせいで斬首されてしまったゼノ何某に対して申し訳ない思いを抱いた。


 だが、それは本当に一瞬だ。〈力有る魔女〉であるグリムリンデは、同様の肩書きを持つ者達の例に漏れず、基本的に自分達より劣った生き物である『男』という存在にそれほど関心や執着心が無い。


 男の魔女? ああ、珍しいね。でも、所詮男でしょう?


 そんな風に侮る気持ちが大半だった。飲みの席でナーヴェからゼノ何某について話を聞いている時も、偶然出逢った珍しい猿の目撃談を聞いているような気分であり、話のネタとしては面白かったがそれ以上の興味が引かれるほどのものではない。


 珍しい猿が、自分のせいで死んじゃった。あちゃあ、やっちゃった。でもべつに殺したの自分じゃないし、じゃあまあいっか!


 ゼノ何某がデュラハンとなってからグリムリンデがこの結論に至るまで、正味十秒もかかっていない。



 そしてその十秒の間に、デュラハンはなぜか無傷の壮健な姿を取り戻し、当然みたいな顔で追撃を仕掛けてくるナーヴェに対し、当然みたいな顔で迎撃を選択していた。



 まずこの時点で意味がわからない。いやゼノ何某、お前なんでまだ生きてる。そしてナーヴェは何故そのことに一切驚いていない。そしてゼノ何某も何故驚かれていないことを当然の如く受け止めている。

 お前らはあれか、もしかして人間の首ってよく宙を舞うものだと思ってたりするのか? それは一体どこの地獄の常識だ? 

 それにしたって、お互い眉ひとつ動かさないというのは一体どういう了見か。


 そしてその後も意味の分からない光景は続く。


「ハ」


 と疾風となって突進したナーヴェが笑うことなく鼻息を漏らせば、ゼノ何某の片腕が前触れなく跡形も無く吹き飛び。


「チ」


 とゼノ何某が無表情に舌を鳴らせば、次の瞬間にはゼノ何某の腕が元通りに治っており、あまつさえその腕で水平に鋭く孤を描いたと思ったら、踏み込むナーヴェの足元を三日月形の盛大な地割れが飲み込んで。


「お」


 とナーヴェがうっかりっぽい声を漏らせば、何も無い中空を踏みしめた彼女の足から大気すら歪むほどの激震が走ってゼノ何某へ衝撃の奔流となって襲い掛かり。


「む」


 とゼノ何某がちょっと不満そうな声を漏らせば、彼の五体を吹き飛ばさんと荒れ狂っていた見えざる暴威が何の痕跡も残さず綺麗さっぱり跡形も無く霧散する。


 ちょっと未知の言語と未知の術が飛び交いすぎていて、既にグリムリンデの脳味噌は現実の理解を拒み始めていた。


 そんな彼女の苦悩を他所に、やはり人外共は謎の言語で地獄のようなコミュニケーションを交わし、意味のわからない終末世界の様相を展開し続ける。


「【晴嵐】」


 何のタメもフリも無く唐突に自らの切り札を切ったナーヴェは、小さな山なら瞬時に消し飛ばす程の圧力を秘めた極大のかまいたちをゼノ何某に向かって解き放ち、回避不能絶命不可避の必殺技として早々に決着を――


「え、それって魔女界隈ではわりと一般的な技だったりするの……?」


 ――つけられず、何やら引きつった笑みを浮かべてるゼノ何某に、片手のひと薙ぎでまたも跡形も無く掻き消された。


 いやお前、今の【晴嵐】だぞ。三百年不敗を誇る当世最強の力有る魔女、〈晴嵐の魔女〉ナーヴェの代名詞たる絶対暴力の権能だぞ。なんでそんな虫払うような仕草で当然みたいに打ち消してんの?


「――ふん」


 流石にちょっと面白くなさそうに鼻を鳴らしたナーヴェは、けれどさしてショックを受けた様子もなく、とんとんと軽くステップを踏みながら左右に身体を振りつつ両の拳を構える。


 拳闘士スタイル? いや、お前そんなの今まで一度だって見せたことないだろう。なんだそのマジっぽい空気は。


「じゃあ、こっちも」


 そんな気の抜ける台詞と共に再び片手を振ったゼノ何某は、その手に身の丈以上の長大な槍を握って――いやお前今それどっから出した。二人とも、頼むから何の説明も無しにいきなり見たことの無い変なの出すのやめてくれ。


 そんな祈りが通じたわけでもないだろうが、ナーヴェが片眉をちょっと上げて意外そうにしながら久方ぶりに人の言葉を話す。


「真龍の角を使った斧槍とは、また随分大層な物を持ってるじゃないか。なるほど、それなら〈力有る魔女〉とだって真正面から殺り合えるだろうね。……それがあんたの切り札ってわけかい?」


「俺の手札は、だいたい全部切り札だ。そしてその他はほとんど奥の手」


「…………まさか、数あるそれらが全部、力有る魔女すら殺せる代物だってんじゃないだろうね?」


「力有る魔女かどうか知らんが、この間ポルコッタで会ったそこそこ厄介そうな魔女っぽいイカレ女は、切り札一枚切った直後に俺がそこに居るだけで勝手に自害した」


「―――――――――」


 斧槍を適当にその場で振り回して使い心地を確かめながら、世間話のように何の気なしに彼の口から語られたその内容。


 グリムリンデは、彼の言う『そこそこ厄介そうな魔女』というのに心当たりがあった。ナーヴェも、その魔女については『自分が取りこぼした雑魚』として多少は記憶に引っかかるものがあったのだろう。


 不意に視線を送って来たナーヴェに催促されて、グリムリンデは戦慄に震える喉を無理矢理動かして解説した。


「…………それは、魔女機関当代総帥の技術によって生み出された、人工的な〈力有る魔女〉だ。……素性に難有りとはいえ、能力的には天然の力有る魔女と遜色無い」


「嘘だね」


「嘘だな」


「えっ」


 異口同音に否定されて思わずびくっとしちゃうグリムリンデに、ナーヴェとゼノ何某はさっきまで殺し合ってたのが嘘のような和やかな空気で語りかけてくる。


「あんな尻尾撒いて逃げ出すしかできない雑魚が、私らと同じ力有る魔女? 無い無い、無いって。精々が、よくて普通の魔女クラスってとこだよ」


「いや、それにすら俺は異議を唱えたいね。何気に俺、魔女って人達を実は結構気に入ってたりするからさ。あのド腐れと俺の好きな魔女さん達を同列に語らないで欲しい」


「はぁん?? 魔女が好きだなんて、そりゃまた随分と偏屈な趣味だね。じゃあ、たった今散々あんたとやり合ってた私のことも好きだってのかい? もしそうなら、あんた相当頭沸いてるよ」


「見た目はわりと好きだ。……中身は……、………まあ、エルエスタから、魔女の『業』とやらを聞いた後だからな。魔力袋云々言い出すわけじゃないなら、まあ許容範囲だ」


「………………は???? 見た目、好きなのかい??? …………はぁん?? ……………ふーん……? …………許容範囲、ねぇ……。…………ふぅん……」


 俄かに髪の毛の先とかちょっと弄り出して満更でもない感じを醸し出すナーヴェに、グリムリンデは心底戦慄して顔色を青ざめさせた。あまりにも有り得ないおぞましき光景を見せつけられてしまって、盛大なる脚の震えが留まる所を知らない。


 そんなグリムリンデとは逆にちょっと顔を赤らめたゼノ何某は、こほんと咳払いをして大袈裟に斧槍を両手で構え直した。


「で、どうすんだ。続き、やんのか? お?」


「………………しらけた。やめる」


「…………お、おう。そうか」


 いともあっさりと矛を収めてしまったナーヴェに拍子抜けした様子で、宣言を受けたゼノ何某も自らのエモノを一振りして何処かへと消失させる。


 なんだかちらちらとゼノ何某を見て顔を赤くしてるナーヴェと、そんな態度を取られて若干気まずそうに頬をぽりぽりと掻いているゼノ何某。

 そんな二人の様子を見て、グリムリンデは思わず盛大に天を仰いだ。


 なるほど。エルエスタよ、これがお前の考えた勝利の方程式なのか。よもやこんな手で来るとは、流石に想像だにしていなかった。


 これはいわゆる、アレだろう。






 ――惚れた方が、負け。という、いわゆるそういう奴だな?

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