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六話後 喜劇はいつだって彼と共に在る

「―――――――――え」


 体重数十キロは有るはずの老若男女達が、人種や性別の別無く木の葉のように方々へと景気良く吹き飛び、苦悶の声の代わりに硬い音と瑞々しい音を同時に奏でながら壁に張り付き、地に落ちる。


 中にはそのまま壁を突き破って何処かへ消えてしまったり、爆心地から離れた人垣の方へ砲弾のように吹っ飛んで行ったきり見えなくなってしまった者もいたが、少なくともその場で視認できる『被害者』の全ては、絶命ないしそれに近しい瀕死の重傷を負っていた。



 ――騒然としていたはずの街が、より大きな爆音によって強制的に鎮圧されたかのように、打って変わって無音のみが支配する空間と成り果てる。



 ……それから、数十秒が経過した頃。


 呆然と立ち尽くすことしかできなかった人の群れの中で、じり、と誰かが後ずさりした。


 舗装された石畳を靴底が擦る、些細な、あまりにも些細すぎる音。


 それを合図として――、その場の誰も彼もが、遠方の方で俄かに騒然とし始めた声に気付き、その『呑気に騒いでいられる安全な場所』を目指して、爆発するように一斉に駆け出した。



『―――――――――――――』



 声なき絶叫とけたたましい靴音を地が割れんばかりに響かせながら、ただただ生存本能に衝き動かされた獣達が、我先にと他者を蹴り落とし全速力で逃げ去っていく。


 その過程でまた幾つかの無駄な重傷者が生まれたが、その者達もまた自らの生存のみを目指して、無事な四肢も無事ではない四肢も駆使しながら這うようにしてここではない何処かへと消えて行った。



 事が発生してから、わずか数十秒。

 たったそれだけで、鬱陶しいほどの人の群れで溢れ返っていたはずのその場所で、未だ二本の足で立てているのはレティシアただ一人となってしまった。


 下手に死体を見慣れているせいで初動が遅れたレティシアは、そのままどこか傍観者のような気分で逃げ惑う人々を見送ってしまい、酩酊にも似たふわふわとした気分で辺りの惨状を見渡す。



 ――ああ、懐かしい。



 ハラワタを盛大にぶちまけて転がる肉塊も、半端に中身やガワを失って這いつくばっている半死人も、まだ息の有る者達が色とりどりに奏でる苦悶と怨嗟も。


 その場に満ちる惨状の何もかも全てが、レティシアのよく知る戦場の光景を連想させ、郷愁にも似た甘く切ない気持ちを彼女の胸中に溢れ返らせる。


 ああ。――ここは今、戦場なのか。


 ならば、大聖女レティシアの成すべきことは、既に魂の核にまで刷り込まれている。


 当然それは、負傷者の治療をして回ることでもなければ、非業の死を遂げた者達への鎮魂の歌を贈ることでもない。それらはあくまで次や次の次といった後の段階での話であり、今真っ先に成すべきことではない。


 血で血を贖う大聖女。そう畏れられ、蔑まれもする彼女が戦場で真っ先に成すべきことは、いつだって――。




「遅い」




 致命的すぎる対応の遅れを淡々と指摘され、レティシアはその失態を取り戻すべく弾かれたように振り返った。


 その右手に、【癒しの奇跡】の反転異能――【自壊の奇跡】を宿し、壊れゆく自らの手の表皮ごと敵を薙ぎ払うようにして振り抜いて、けれどそこに居たはずの何者かを捉えることも出来ず、虚しく自らの血液を微かに撒き散らすだけに終わる。


「…………チッ」


 忌々し気に舌打ちしたレティシアは、すぐさま自らの手に癒しを施し、きちんと動くことを確かめながら周囲を油断なく伺う。



 次は、確実に殺す。


 

 姿無き謎の敵対者の存在により、直前の爆発がただの事故ではないことが確定となった。今この王都で、それもこの大聖女レティシアがいる場を狙ってピンポイントに爆破するとなれば、狙いは確実にレティシアの首か身柄のいずれかだろう。


 だが、今レティシアの周囲には、【聖天八翼】の中でも諜報・暗殺を得意とする〈智天〉のイルマが潜伏して、陰に日向にあらゆる面での警護の網を張り巡らせているはず。

 そんな彼女の目と護りを掻い潜って白昼堂々の襲撃を成功させるなど、同じ【八翼】クラスの実力者でもなければ不可能なはず――。


「―――――――ああ、そういうこと」


 先程までの隠密ぶった動きから一転、何の気負いも無く目の前に現れたその少女を見て、レティシアは思わず肩の力が抜けてしまった。


 なんのことはない。前々からイルマが懸念していた事や、目の前の『彼女』が幾度となく口にしていたことが、今この時現実のものになったという、ただそれだけのことだった。


 どうして、とは問うまい。なにせ、ほんの少し前に自分の薄情さと尻軽さを嘆いたばかりだ。身に覚えがありすぎて、むしろ今までよく見逃してくれたものだと感謝さえ湧いてくる。


 だからレティシアは、うっすらと笑みすら浮かべて、眼前の少女に優しく語りかけた。


「……貴女がその姿でこの地に現れたということは、わたくしはもう貴女のご主人様失格ということでいいのかしら? ねえ、オルレイア」



 ――【聖天八翼】第一位、〈熾天〉のオルレイア。


 数十年前、レティシアが立つ前の腐敗しきった教会内部において。この世を脅かす魔王としての君臨と、同時に教会所属の聖女に討たれるべき敵役としての役割を望まれ、この世に存在する全ての確認・未確認の《呪》の一切合切を詰め込まれて誕生した怪物少女・オルレイア。


 人生の大半を暗い牢獄の中で実験体として過ごした彼女は、聖戦の折に形振り構わぬレティシアによって脱獄させられ、そのまま第一の仲間として引き立てられることとった。


 八翼の位階は、実力順ではなく、レティシアの配下になった順番である。だからイルマは永遠の二位で、オルレイアはいつだって不動の一位である。


 イルマはそのことを苦々しく思い、逆にオルレイアは誇らしく思ってくれていた――はず、なのだが。



「第一位の肩書きだけでは、とうとう飽き足りなくなりましたか?」


「……そんな物に、もう価値など無い」


 そう語るオルレイアの、今は能面のように表情の浮かばない顔の、その造形は。真っ向から対峙するレティシアと、『全くの瓜二つ』であった。


 顔のみならず、姿形、背格好、声に至るまで全くの同一。その上、服装までレティシアと同じく王立学園の制服を纏っているのだから徹底している。


 万を超す多種多様な《呪術》に精通し、単騎であらゆる不測の事態への対処が可能であり、当然のように自らの姿形を意のままに変える術も心得ていたオルレイアは、現在レティシアの影武者として本国に控えているはずだった。


 そんな彼女が、レティシアの命に背き、レティシアへの擬態をより完璧なものとした状態で、レティシアの逗留するこのアースベルム王国へとやって来た。


 その意味する所は、決まっている。


「『大聖女』、レティシア=ミリスティア。その名、その顔、その肩書き。貴方の持つ業の全てに至るまで、私が謹んで引き継がせてもらおう。

 ――可能ならば、紛い物となった貴方には、潔く自害にてこの世を去って頂きたい」


「え、嫌ですわ」


 真新しいナイフを差し出しながら神妙な面持ちで嘆願してくるオルレイアに、レティシアはにべもなくぴしゃりと言い返し、ナイフもぺしりと叩き落とす。


 からんからんと乾いた音を立てて石畳を滑っていく、銀色の輝きを見送って。しばしの硬直から脱したオルレイアは、また新たなナイフを取り出して性懲りも無く差し出して来ながら口を開いた。


「……時に、あの愚妹が今何処に居るか、ご存知ですか?」


「さあ? 昨晩、暫しの暇は与えましたが、あの子のことですからね。きっと今もどこかでわたくし達のやり取りを眺めているのでは?」


「さて、それはどうでしょうか。残念ながら、今回の『簒奪』には私も本腰を入れていましてね。今この王都中のそこかしこで、ちょっとした騒ぎが起きているのですよ。もしかしたら、愚妹はそちらにかかりきりになっているかも知れません」


「…………中々騒ぎが収まらないと思ったら、そういうことでしたの」


 冷静に納得の首肯を返してみせたレティシアだが、内心では少しばかり――否、かなりの焦燥感を抱いていた。


 悠長に長話に興じてはいるが、これは好き好んでそうしているわけではない。単にイルマかその手の者が駆けつけてくれるのを願っての時間稼ぎだ。


 レティシアは、長らく前線を離れていたことによる明確な衰えを肌身で痛感していた。

 爆破に対する初動の緩慢さ、死体を見ただけで同様する心の脆弱さ、反転異能と戦闘勘の錆び付き。かつて大聖女と呼ばれていた頃の自分は見る影も無く、呼吸するように死体を生み出していくオルレイアとの覚悟と実力の差は明確。


 まだ息の有ったはずの者達でさえ、いつの間にか会話の片手間ですっかり絶命させられている。それをいつやったのか、そしてどのようにやったのかさえ、今のレティシアには皆目見当が付かない。


 これは見限られるのも無理は無いな、と納得と共に自嘲の笑みを零してしまうレティシアだったが、オルレイアが引っ込めたナイフの代わりに繰り出してきたセリフは、レティシアの想像の斜め上を行くものだった。





「ゼノディアス様は、魔女機関の手に渡りました」





「ごめんなさい。今、なんて?」


 急に特大の耳垢が詰まってしまったレティシアは、あら嫌だわ、と小指で下品にお耳をほじほじしてすっきりしてから、微笑みと共に訊き返した。


 しかしオルレイアの言葉は変わらない。むしろより最悪になっていた。


「やはり、愚妹から何も聞かされてはいないのですね。……先日の死者蘇生の一件で魔女機関に目をつけられたゼノディアス様は、本日、事前の要請を受けて魔女機関へと訪問予定でした。加えて、〈深淵〉も同伴です」


「待ってなにそれ聞いてない」


「だから、聞かされていなかったのでしょう。なにせ、ゼノディアス様の出立に先駆け、臨時総帥たるエルエスタが直々に迎えに来るという本腰の入れようですからね。今の腑抜けた貴女が何をどうしたところで、既に太刀打ちできる状況ではありませんでした。

 ……まあ、その状況を作り出したのも、おそらくは愚妹の策なのでしょうがね」


「待ってなにそれもっと聞いてない、待って、お願い待って、臨時総帥とかちょっと意味わかんないから待って、大体なんでイルマがそんなこと――」


「ゼノディアス様を、私の余計なちょっかいから護るためでしょう。なにせ私は、ゼノディアス様を脅して貴方のつがいにするために、彼のお気に入りの村の周囲に息のかかった者を潜伏させていた前科がありますからね。流石に過剰過ぎるとはいえ、愚妹の危惧も対応もある意味当然のものと言えます。

 私の打った下手な策が暴発して、結果的にポルコッタ村が一度は全滅にまで至ったことを考えると、私にはもはや弁解の余地すら有りません」


「一気に重要な情報をいっぱい寄越さないでくださいっ!!! わたくしがそんなに頭が良くないの、貴女ならよっく知ってるでしょう!!!?」


 とうとう頭がパンクしてキレ散らかしなら地団駄踏み始めたレティシアに、オルレイアは一瞬ふっと微笑みを浮かべかけて――しかしすぐさま無表情を取り戻し、厳かに告げた。


「貴方は、有象無象の俗物に入れ込むあまり、ゼノディアス様を手に入れるという大聖女としての役割を放棄した。

 ――ずっと願い続けていたたったひとつの想いさえ捨て去って、そこらのゴミに純潔まで捧げてしまうほどに落ちぶれ切った貴方に、私はもう付いて行くことはできない」


「えっ待って純潔捧げてない、わたくしまだ処女……」


「…………………………そ、そうですか」


 見苦しい言い訳というわけでもなく心底心外とばかりに目を見開いているレティシアの様子から、オルレイアは自らの勘違いを理解してちょっと気まずげに目を反らした。



 ――純潔を捧げてないなら、まあ、まだセーフ……か?



 懐かしい主の依然と変わらぬ愛らしい姿に触れて、ついついそんな思いに囚われ始めたオルレイアだが、なにぶんもう盛大に策を物理的大爆発させてしまっている身である。後に引くには流石に少々遅すぎる。


 なにせ、無関係な王都の民を、もう数十人、下手したら数百人と殺してしまっている。

 そしてその他にも、王都各地でレティシアを誑かした有象無象に向けて《強化傀儡》を差し向けてしまっており、レティシアが友と呼び笑い合っていたはずの者達は、その悉くが既に爆破解体されて見るも無残な姿に変わり果てているはず。


 ――もう引けない。もしここで引いてしまったら、今回の襲撃に際してかけた多大なコストの全てが丸ごと無駄に終わり、その上『敬愛する主人』から笑顔を奪ったという消せない事実と、逆賊としての凄惨な死が待ち受けるのみ。


 無理だ。もう何をどう足掻いても無理だ。





 ――ここから何をどうやったって、またレティシアの元に帰れる策など思いつかない――!!





「……………………」


「オルレイア? ……どう、しましたの?」


 絶体絶命の窮地に立たされているのに、いつかと変わらず、まるで慈しむような目で、希代の化け物にして紛うことなき逆賊たる自分を見つめてくるレティシア。


 オルレイアは、自らの敗北を悟った。


 ――ああ。レティシア様は、まだ私をそのような目で見つめてくださるのか……。


「…………所用が出来たので帰ります」


「え」


「レティシア様。どうか貴方が、いつまでも壮健でありますよう。あと、いつか私のような逆賊がまた八翼の中から生まれないとも限りません。それだけにはくれぐれもお気をつけください。それが、私が遺せる最期の忠告です」


「え、ちょっ」


「では、私はこれで。帰りがけにちょっと愚妹の顔でも見て来て、あわよくばさっくり殺されて全ての罪を贖ってこようと思います」


「え、えええぇぇぇぇぇ…………」


 やると決めたらスッキリ爽快。まるで既に禊を終えたかのようにすっかり身も心も軽くなったオルレイアは、颯爽と身を翻して、この王都のどこかで暗躍しているであろう勤勉なる愚妹の元へ飛び立とうとして――、足首を何者かに掴まれべちゃっと地に落ちた。





「…………やれやれ。ほんと、やれやれですよちくしょーめ……。まさかあれだけ殺る気に満ちて命削ってたあなたが、そこまでヘタレだとは思いませんでしたよ、姉様……!!

 せっかく決死の覚悟で迎え撃とうとしていた我の迸るシリアス熱、いったいどうしてくれるんですか!!!」





 オルレイアの足元に落ちる、不自然なまでに黒い影。


 オルレイアがこの王都に現れてからというもの、ずっとそこに身を潜めて来たるべき時に備えていた〈智天〉のイルマは、自らの予想の遥か斜め上をゆく成り行きに血涙を流しながら、オルレイアの足首を潰れんばかりに握り締めてずるりと影から這い上がって来た。



◆◇◆◇◆



 さて。ここから先は、単なる喜劇の一幕に成り下がりし、王都襲撃編の愉快な後始末のお時間である。


 しかしそれが始まるより先に、もうひとつの喜劇が月面世界を舞台にしてどこまでも盛大に繰り広げられていたことを、けっして忘れてはならない。

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