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?話 行き過ぎた愛は憎しみさえも通り越す

 ――本国を『出奔』した大聖女が身を寄せし、大国アースベルム、その王都。


 忌々しい愚妹の網を掻い潜って彼の地へと放っていた《傀儡》の一体が、予想通りの光景を映像として送って来たのを最期に、これもまた予想通り即座に愚妹に見つかってあっさりと真っ二つに引き裂かれた。


 それと同時に、前触れなくピッと赤い線が走り、手の中で真っ二つに裂けた呪符。勢い余って術者の手をも傷つけ、深紅の雫を流させたその罪深き用済みの紙切れは、そのまま少女の掌から滑るように舞い落ちて、暗闇に沈む部屋の床へと新たな層を生み出す。



 その床は、夥しい呪符の残骸と、そこに沁み込んだ彼女の血で遍く満たされていた。



 送信機たる傀儡一体につき、対となる受信側の呪符が一枚。

 一対一組となるその《呪具》は、距離の縛り無く彼方と此方を繋ぐ映像送受信器。であると同時に、呪符という入力装置を通して、傀儡という人の形をした肉塊をある程度自由に遠隔操作することが可能という、中々に使い勝手の良い間諜御用達ツールであった。


 ただ、こんな便利な道具にも欠点はある。


 ひとつは、事実上、この世でこの呪具を扱えるのも生産できるのも、既にこの世で『彼女』ただひとりしかいないということ。

 だがこれは、彼女の切り札の一枚としてのアドバンテージに繋がるので、そもそも欠点足り得ない。


 だから、問題は二つ目、及び三つ目。《傀儡》が、愚妹の小指一本どころか、下手をするとその配下の【羽】にさえ破られるほど脆弱な戦闘能力しか持たないこと。そしてそのくせ、生産・運用のためのコストが異様に高いということだ。


『人型の肉塊』の入手については、ちょっと街を歩けばそこかしこに腐るほど溢れ返っているので極めて容易。

 だが問題は、それをきちんと傀儡へと仕立て上げるための儀式が煩雑であることと、対となる呪符の作成に必要な術者の血液が有限であること、そしてこの一対一組の呪具の複数同時運用は『彼女』の力を以てしても相当に神経を擦り減らすものであるということだ。


 畢竟、生の人間である【羽】を普通に使うか、もしくは洗脳なり恫喝なりしてしまったほうが、手駒としての使い勝手は遥かに良いだろう。


 だが、それをしたのではあの愚妹の二番煎じにしかならない。情報戦に精通している愚妹を出し抜くためには、この呪具でしか実現し得ない『遠方とのリアルタイムの情報通信・及び遠隔干渉』という特性は絶対に手放せないものだった。


 それに、この呪具の特性に別の呪具を重ねることで、距離に縛られず特定の呪詛を送り込むといった応用的な使い方も、運用コストが桁違いに跳ね上がることを度外視すれば一応は可能。

 たとえ愚妹を筆頭に多種多様な勢力に何十体何百体と屠られようとも、日々ちまちまと傀儡を生産しては大陸各地にこそこそと派遣し続けているのは、来たるべき時に大金を突っ込んで勝負に出るためのいわば布石であった。


 使わずに済むなら、それでいい。あくまで、来たるべき時が来てしまった場合の、万が一の備え。



 そして、今。彼女は傀儡の耳目を通して、確かに万に一つの転機を目の当たりにした。して、しまったのだ。



「……『彼』は、とうとう他所の手に渡ったか」


 王立学園の前で、これ見よがしに『彼』との友好をアピールしていた臨時総帥エルエスタは、やがて彼と〈深淵〉を連れてどこかへと立ち去った。

 覗けた――というか覗かせてもらえたのはそこまでだが、機関が彼の取り込みを無事成功させたと判断するにはここまでで十分すぎる材料だろう。なにせ、天下の魔女機関のトップ様が直々にお出迎えに来るという有り得ないVIP待遇を受け、一緒にご飯を食べて談笑なんか愉しんじゃった挙句、彼は確かに自らの足でエルエスタに付いて行ったのだ。


 その様をわざわざ見せつけてきた機関や、窃視を許した愚妹の意図は、痛いほどにわかる。


 ――機関の紐付きとなった『彼』からは、諦めて手を引け、と。そういうことだろう。


「べつに、私が彼に直接ちょっかいをかけたいわけでは無いのだがな……。そう言ったところで、どうせ信じてはくれないのだろう。義妹も、それに機関も」


 なんともやるせない気持ちを噛み締めながら、少女は苦笑いを浮かべて溜息を吐いた。


 そう。べつに彼女自身は、『彼』を直接どうこうしようというつもりはない。自分が援助を行っている魔力至上主義者共を彼の肝いりの土地の近くに潜伏させていたのも、その事に『魔女機関の内部抗争』というガワを着せて大聖女や義妹に不干渉を選択させようとしたことも、全てはあくまで皆に内緒でこっそりと外堀を埋めるためのブラフのようなものだ。



 いずれ、レティシアが『彼』を手に入れるための、交渉材料のひとつとするために。



 彼に対してお優しいレティシアや、レティシアに従順な愚妹らは、彼のみならずその周囲を暗に脅して従わせるようなやり方は絶対に選べないだろう。だから、その汚れ役を自分が引き受ける。そのつもりで万が一に備えて打った布石のひとつだったのだが、それが物の見事に裏目に出た格好だ。


 おかげで、愚妹からは謀反を疑われて殺害予告を受け、実際呪詛返しによって、ストックに限りのある貴重な命をひとつ支払わされてしまった。

 それに、目くらましの隠れ蓑に使われ、のみならず場合によっては彼への脅迫行為に加担させられていたはず魔女機関も、きっと今後は今までのように相互不干渉とはいかなくなるだろう。


 とはいえ。どうせ愚妹とは元々反りが合わない仲だから、いずれは殺し合っていた。


 ――それに、魔女機関との暗黙の相互不干渉などというものも、既に機関の側から破られているも同然の状態だ。


 だから、愚妹にしろ機関にしろ、殺したいほど憎まれたところでべつに構わないと言えば構わない。向こうが何かしてくるなら当然迎え撃つが、そうでないなら特段こちらから何かを仕掛けることもない。






 だが。レティシアだけは、もうダメだ。






「神にも等しき力を持つ『彼』を、つがいとして迎え入れる。それはとても素晴らしいことで、大聖女レティシアに相応しい相手であり、相応しい願いだ。だからこそ、私は快く送り出したのだぞ?」


 ああ、それなのに。


 ただただ彼の全てを手に入れることだけを求めて、遥か彼方のアースベルム王国へと飛んでいったはずのレティシアは、もう一年以上も彼を遠くから見守るばかりで、全く関係進展の気配を見せやしない。


 それだけなら、まだいい。

 だが、聖天八翼の長たる大聖女レティシアともあろうものが、たかがイチ王国の爵位も持たない貴族子弟共なんかを子飼いにして、お山の大将を気取りだし。

 かと思えば、今度は爵位も無ければ異能すら持たない名実共に無能者連中を友などと呼び始め、まるで本当に対等な友人同士であるかのような態度と年相応の笑顔を見せ。

 極めつけには、『彼』に近付くための道具でしかなかったくだらない男に入れあげて、あまつさえ、ついには共に一夜を過ごしてしまう始末。


 そんなくだらないあれこれにうつつを抜かしているうちに、ついには『彼』を横から来たぽっと出の女共にさらっと掻っ攫われ、しかもその致命的すぎる失態に肝心のレティシアは未だに気付いてすらいないときている。



 ああ、もうダメだ。



 大聖女レティシアよ。貴女はもう、私の知る貴女ではないのだな。


 ならばもう、余計なことは何も語るまい。


「……すまないな、皆。私はもう、これ以上堕ちていく主人を見たくはない」


 自らが唯一仲間と認める八翼の面々の顔を――当然、そこにはあの愚妹ですらも含まれる――思い浮かべながら、少女は自らの顔にそっと片手を当てた。


 まるで、見えない仮面を被るようなその仕草。


 それを鍵として、彼女の全身を覆う包帯の下で幾つかの印が発光し、意味有る言葉を成したそれがひとつの《呪》となって現世にその結果を顕現させる。


 そうして少女は、自分本来のものとは色も長さも異なる涼し気な氷色に輝く髪をなびかせながら、顔も、声も、体格までをも自分ではない『誰か』のものへと変化させて。


「―――本当に、すまない」


 もう二度と取り返すことのできない過去の自分へ。そして、そんな自分と共に、激しくも楽しかったかつての乱世を駆け抜けてくれた同胞たちへ。


 捨てたくなかったはずの全てにどこまでも簡潔に別れを告げた彼女は、切り捨てるべきたった一人の女の姿だけを傍の姿見に映して、《呪具》たるその鏡へと水面へ沈むようにして一歩足を踏み入れた。


 さあ、行こう。






『大聖女レティシア』を騙るまがいものに、私のこの手で誅罰を下すのだ――。

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