四話前 人生わりとイリュージョン
門の真横で飲み物食い物広げて腰据えて雑談にふけるってわけにもいかんから、ひとまず出入り口からそこそこ距離を取り、鉄柵の根本である良い感じの石段に二人並んで腰を下ろす。
勿論、女の子の尊いお尻様を硬い石にそのまま触れさせることなどしない。といっても流石に座布団やクッションなんて持ち歩いてないから、俺のお手性外套をくるくる丸めて、今まさに腰を下ろそうとしていた少女のお尻の下にシュバッと突っ込んだ。
ぽふり、と予期していなかったであろう感触に受け止められて、びっくりしたようにその正体を確かめる彼女。
「…………えっ、……えっ?? え、今、これ……」
「気にするな。それは天地開闢の時代からずっとそこにあった」
「……え、えぇぇ、いやいや、そんなわけ」
「あったのだ。年上のお兄さんの言うことには素直に頷いておきなさい、名も無き少女よ」
「………………。あなたより、私の方が年上なんですけど……」
実は年下だったお兄さんにぶつぶつ文句を言いながらも、少女は渋々っぽく「まあ、ありがとね」と言っておそるおそる座り直し、しばらくお尻をもぞもぞさせて丁度いい感じに落ち着かせた。
見た目的にわりと淫靡だったもぞもぞタイムを終わらせて、軽くはふりと息を吐きながらこちらを振り返った彼女の視線の先には、俺と彼女の間にすっかり準備万端整えられたお紅茶入りカップとお菓子盛り合わせ小皿の姿。
仕事の出来すぎる男のあまりの早業に、またびっくり仰天――といきかけた少女だが、見開きかけた眼を逆にすーっと細めながら胡乱な目つきで俺を眺めてきた。
「………どーせこれも、天地開闢の時代からここに有ったんでしょ? 私、ちゃーんとわかってますからね、ふふん」
「いや、普通に俺が丹精込めて準備したんだけど? 俺の真心を無かったことにしないでほしいですね、まったくもうこの子ったら」
「ほんとキミって気分屋さんだよね!? 初対面の女の子にまでそのスタンスなことにびっくりだよ!!」
ああ、やっぱり事前に俺のことは調べてあるっぽいな。まあ見た目からして隠密少女だもんな。未だに認識阻害ローブをフードまでがっちり着込んだまんまだし、やや小柄な体格と幼さの残る声で勝手に年下認定したけど実際は年上らしいし、中々謎の多いミステリアスな子である。
ていうかいつになったらローブ脱いでくれるんだろ。まばらに道行く人々が、ひとりでお茶の準備始めてひとりでおしゃべりしてる俺を見てめっちゃギョッと二度見してくんだけど。
まあ別にいいんだけどさ……と諦めの溜息を吐きかけたその瞬間、少女の纏う雰囲気ががらりと変わった。
べつに態度が豹変したとかいう話じゃなく、今まで砂のように掴みどころのなかった存在感が一気に凝固したような感じ。丁度前を通りがかったおっさんが『少女の方を』ギョッと見てあわや転びかけたことからして、認識阻害効果を一部解いてくれたらしい。
あくまで、一部。まだ素顔も正体も明かしてくれる気はないようだが、少なくとも、俺が頭のおかしい人に思われることを不憫だと感じてくれる程度には、俺に対して好意的であるらしい。
「……ありがとな」
「………なんのことか、さっぱりわからないんですけど?」
「もちろん、さっきのいやらしいお尻ダンスへの心からのお礼ですけど???」
「……………………。あー、うん。これはあれだね。真面目に取り合ったらばかを見るタイプのやつだね。こう見えて私も海千山千の猛者ですからね、キミみたいなとぼけたオトコをするーっとスルーするのなんてお手の物なのさ。おわかり?」
「え、おかわり?」
「おわかりっ!!」
まだ口すらつけられていない彼女のカップにポットから紅茶をどぼどぼ追加投入してたら、おもっくそ怒られてしまった。全然スルーできてないじゃん、どこが海千山千の猛者なの……。
表面張力でギリギリ決壊を免れてるカップを前に「うわぁ、ちょっとこれどうすんの……」とわりかし本気で途方に暮れてる彼女を尻目に、俺は自分の紅茶をぐびぐび飲みつつバタークッキーをばりぼり齧る。
「んーで、結局きみは魔女機関からの使者なり密偵なりってことでいいんだよな? まさかの別口とかだったなら、今のうちに自己申告しといてもらった方が手間が省けるんだけど」
「しれっと本題に入らないでよ。それよりこの紅茶どうにかして」
「そんなん、普通に水属性魔術かなんかストローみたいにして飲めば? こう、ちゅるちゅるっと」
「うん、ごめんね? まずそんな使い方をする魔術師なんて聞いたことないし、そもそも魔術はそこまで緻密に操作できるものではありません。自分ができるからって他の人も簡単に出来ると思い込む、それってとっても悪い癖だからきちんと直しなさいナーヴェ」
誰がナーヴェやねん。でも言わんとしてることはすっげぇわかるというか、この子もあの婆さんに相当苦労させられてるんだろうなぁ……。
冗談で言った様子もなく自然にその名前が出て来て、しかも呼び捨てってことは、この子は魔女機関の中でも思いの外偉い地位にいるのかも知れない。
まあ、だからって流石に臨時総帥様本人ってことはないだろうけど。でも、もしかしたらその秘書の一人、ぐらいな可能性はある。なにせ『遺失秘跡』のまごうことなき使い手だ、ただの下っ端と考えるよりはそっちの方がよっぽど説得力有る。
これは思いの外ガチめな面談の可能性が出て来たな……。ならここは、こっちも前もって準備してきた『本気』を出させてもらおうか!!
「悪かったな。じゃあお茶とお菓子はやめて、ここらで軽くご飯にするとしよう」
「ねえ、それはいったい何が『じゃあ』なの? なんで紅茶どうにかしてっつってんのにご飯に話が飛ぶの?」
「腹減ったから。あ、もしかしてもう朝飯食った?」
「……それは、まあ、まだだけ――あっ」
まだ、の言葉が出て来た時点で仕事の早い俺の神業が発動し、紅茶とお菓子が消えたと思ったらその場に『がちゃん!』とうっかり大きめの音を出しながら石製コンロと土鍋が出現、その横には煮られるのを心待ちにしている新鮮お肉と鍋野菜の山がザルの上に乗っかって満を持してのご登場。
今度こそ素直に目を白黒させちゃってる少女に、俺は二つのポットを軽く掲げて見せながら問う。
「俺オススメの斬新醤油風味と、昔懐かし魚介ダシの利いてるあっさり塩味だったらどっちが好き? あとは一応、初見の人には勧めてない味噌風味もあるけど」
「……………え、……魚介……?」
「オッケー、魚介な」
ただ単に展開についてこれなくてうっかり知ってる単語を反芻しただけっぽい少女だけど、仕事の早い俺はさっさと醤油風味スープしまって鍋に肉と野菜ブチ込んでから塩ベース魚介スープをどばどば注いでコンロに魔術の火を入れた。
肉先に焼くとか火の通りにくいものから順にとか、そんな悠長なことは考えない。今の俺に必要なのは、味よりも速度と勢い。少女が我に返る前に一口でも食わせることに成功すれば、あとはなんだかんだで普通に食ってくれるだろう。だって美味いし。
コンロのみならず両手や鍋の内部からも火をごわああああっと放出し、わりとあちこち焦げちゃったけどそれが逆に香ばしい匂いへと昇華されている、超絶神速で完成せし即席本格鍋料理。
いきなり始まったイリュージョン及び大道芸に通行人がめちゃくそビビってるけど、わざわざ話しかけてくる様子もないのでべつにいや。
ただ、眼前の少女まで完全に言葉を失っちゃってるので、俺はさっさと具材とスープを小さな器に取り分けて彼女へと差し出した。
「はいよ、いっちょ上がり! 熱いから、ちゃんとふーふーして食べなさいね?」
「………………えっ、え、えぇぇぇぇ――」
「ちゃんとふーふーして食べなさいね??」
「…………え、や、あの」
「ちゃんとふーふーして食べなさいね???」
「……………………い、いただきマス……」
うんうん、やっぱり無限ループって怖いよね。よくわかるよ、その気持ち。
恐怖と勢いに負けてミニミニ鍋料理を受け取ってしまった少女は、俺の顔色をちろっと伺うと、添えられていたスプーンを親指で押さえながら器を少し傾けて『ずずっ』と熱々スープを啜――れなかった。
「熱っづっ!!!?」
「いや熱いて言うたやん。大体、目の前で散々ファイヤーが踊り狂って鍋がこぽこぽ煮立たせられるの見てたやん。なんで直飲みしてんの」
「いきなりすぎて、目で見た光景が頭に入ってこなかったんだよ!! これ私悪くないよね!?」
「いやでも、俺、ちゃんとふーふーしなさいって何回も言ったし……」
「そっ………れは……、そう、です、けどっ!! でも言い方ってものがあるでしょう!!? あんな冗談みたいな注意で、いったい何が伝わるっていうの!?」
んー……それを言われると、確かに悪ふざけした俺にも責任が有る気がする。もっとちゃんと注意しとけばよかったなぁ。
……やっぱ、人間付き合い上手くないクズが下手におどけたりするもんじゃないな。
真っ当に誠意を込めて言葉を贈ったって自分の気持ちを上手く伝えられないような奴が、女の子に手料理振る舞えるからって、何をはしゃいで悪ノリとかしてんだろ。
しかもそれで自分がスベって恥かくとかならまだしも、女の子に火傷負わせるとか、もう最悪すぎる。
身の程をわきまえろっつーのな。
「……うん、ごめんね。……治癒は必要? 俺、使えるけど」
「………………べつに、そこまでじゃないから、いらない……」
「…………ほんと、ごめんな」
すっかり心が冷えてしまった俺につられてか、目に見えてヒートアップしていたはずの少女が感情のボルテージを煮えきらないくらいの温度まで下げて気まずげに顔を逸らす。
そっぽ向いたまま、手にしていた取皿の表面に今度こそふーふーと息を吹きかけた少女は、音を立てず静かに具沢山熱々魚介スープを啜った。
「――――――あ、美味しい…………」
「そっか。なら、良かった」
思わずといった感じで感嘆の言葉を漏らした彼女に、俺はなんとか表情を取り繕って微笑んでみせた。一回気分が沈むと復帰に時間がかかるので、ある程度持ち直すまではとりあえず頑張って笑顔でゴリ押ししよう。
「じゃあ、俺もぼちぼち食うとすっかな」
「……………ねえ」
「ん? どしたー」
自分の分を小皿によそいつつ問いかける俺を見て、少女はしばしもごもごとなんとも言えない感じで口ごもり、やがて諦めたように「なんでもない」と力無く呟いてあったかお野菜をスプーンでもぐもぐ。
さっきは美味しいと言ってくれたのに、全然美味しそうに食ってくれない彼女。その理由になんとなく見当がついてる俺は、心底申し訳なく思いながらもやっぱり笑うしかなかった。
――まったく。女の子っていうのは、どうしてこうも人の心を見透かすのが上手いんだか。
「…………ねえ」
「お、今度こそどした?」
「………………な、なんでもない」
「いやマジでなんやねん……。用が無いなら俺ももう食うぞ?」
「用は、あるけど、ちょっと、どのタイミングで切り出せばいいのか、わかんなくて……」
もぐもぐもごもご言い淀み目線ふらふら彷徨わせてる彼女を見て、俺は即座にピンと来た。
今まで俺の奇行になんだかんだ付き合ってくれてた彼女だけど、なんのことはない、言い出しにくい本題から逃げてただけか。
それを悟って、ちょっと――いや、結構な大ダメージを心に負った俺は、もう笑顔を取り繕うこともやめて真顔で単刀直入に告げる。
「さ、さっきは逆ギレしてごめ」
「俺を殺処分するって話についてだな?」
「………………………そ、そうですが!!? ええ全くその通りですけれど何か文句あんのか、おぉん!!!?」
なにか致命的なすれ違いが生じた気がしたが、こんなに物の見事にキレてらっしゃる彼女がまさか些細な逆ギレを謝るなんてありえないので、きっとさっき一瞬聞こえた台詞は幻聴なのだろうなぁと思いました。
いや確実にバッチリ聞いちゃったんですけど……いやどうすんのこれ……。




