二話後 堕ちる所に闇は有り
「と言っても、もちろん直接見たわけではないですよ? ただの状況証拠です。我にだって、姉と慕うひとのおせっせの真っ最中に突撃しない程度の分別はあるのですよ」
「…………お、おお、おおおお、な、なんでいなんでい、驚かせやがって……。どーせそんなこったろーと思ったぜ。いや俺は最初っからわかってたけどね?
いくら兄様じゃねぇや、婚約者くんがガキの頃から普通にカノジョいっぱいいておせっせも普通にヤってたからって、婚約者のお姉ちゃんさんにまで、まさか、そんな……」
「……むしろ、そんなケダモノが婚約関係という大義名分を得ておきながらいつまでも自制すると考える方が無理があるのでは?
週休を翌日に控えた夜に、儚げな面持ちで婚約者くんの部屋へ旅立ったお姉ちゃんは、『今夜は彼と過ごすから、イルマにもしばらく自由な時間をあげますわ』と我を体よく厄介払いしました」
「……………………。い、いいいいや、まだだッ!! まだ結論を急ぐのは早計というもの……! 大体、あの二人って普段は悪友関係みたいな感じで、全然そんな色っぽい素振りは―――――――あー………、やっべ、心当たり超あるわ……」
「えっ」
思い出されるのは、つい先日お二人に廊下でばったりお逢いした時のこと。
なんかお似合いのカップルというか落ち着きのある夫婦みたいな兄様と義姉様から、やけに父親目線や母親目線みたいな神妙で生暖かい思い遣りを向けられて、思わず目が点になった記憶がある。
あれって、もしかして――。
「――――――お姉ちゃんさん、もしかしたら、既に妊娠してるかもしんない……」
「―――――――――――――――」
絶句とはまさにこのことか。
お姉ちゃんさんが婚約者くんとおせっせしてると確信し、その説を理屈と状況証拠によって後押ししてすらいたイルマちゃん。
けれど彼女自身が言ったように、直接目撃したわけではないのだから、もしかしたらまだヤってないかも……みたいな甘い考えがあったのかもしれない。
そこにきて、妊娠してるかもはちょっと一足飛びすぎてパンチ力有り過ぎたか。でも正直、俺はむしろ兄様と義姉様のおかしな態度の理由に答えを得られて心底納得した。
「そっか……、そういうことだったのか……。…………あー、なんだろ。めでたいことなのに、なんつーか……、…………寂しいなぁ、ちくしょう」
思わずイルマちゃんを抱く腕に力を込め、彼女の体温によって、俄に隙間風に晒された心をじんわりと温める。
べつに、とうとうヤっちゃった報告や、その末の妊娠報告とかしてもらえなかったからって、それで拗ねたりしてるわけじゃない。そんなデリケートな話は、いくら弟や義弟だからって、いちいち報告するようなものでもないだろうし。
そうじゃ、なくてさ。……なんか、身近だったはずの人達が、何の前触れもなくいきなり俺の理解の及ばない全く遠い所に行ってしまって……、ちょっと、次顔合わせたらいつも通りに振る舞える自信ない。
婚約とか。おせっせとか。妊娠とか。その先に既にありありと浮かんでいる、元気そうな赤ちゃんや、けんかが絶えないながらも賑やかで楽しそうで、幸せそうな家庭とか。
そういう、俺からしたら奇跡にしか思えない、この世にあるのかもわからないってしか思えないものを、俺と同じ空気吸って同じ風景を見ていたはずの人達が、実際に手に入れてしまう様を目の当たりにしてしまうと――。
――俺って、今までの人生、いったい何やってたんだろうなって。そう思って、虚しくなる。
それに、ここだけの話、俺の初恋の女性って義姉様なんすよ。
当たり前じゃん。あんなあけっぴろげに俺のこと崇拝するレベルで溺愛してくれて、いつでもどこでも『おとうと様っ♪』って嬉しそうに駆け寄って来て構ってくれる、愉快で優しくて、美人で可愛くて、そんな最高のお姉さんだよ?
これで惚れないわけがない。――ただまあ、俺が、良いな、好きだなって思う女性は、御多分に漏れず既に売約済みってのがこの世の常識でして。
そのお相手が、俺のことを産まれたときから構ってくれてて、俺のめんどくさい性格もねじ曲がった思想も理解してくれる、あの優しくておおらかで中も外もイケメンなシュルナイゼ兄様だっていうなら、まあ、俺も納得できるっていうか、納得するしかないというか、そもそも俺なんてお呼びじゃありませんでしたよねって。
呼ばれてもいないのに勝手に義姉様に懸想して、それでいざ兄様と実際に結ばれたからって勝手に裏切られたような気分になるとか、俺ほんと何なんだろ。お前誰だよ、ストーカーかよ、この勘違い野郎め。
「あー、なんだろ………。俺も涙止まんねぇわ」
ぽろぽろと。先程のイルマちゃんと同じように、俺の涙腺からもぽろぽろと水滴が溢れる。
俺の頬を伝り落ちていったそれは、頬擦り中のイルマちゃんのほっぺたへも伝わり――、そこで、イルマちゃんが新たに零し始めていた聖水のおかわりと合流する。
「………おにーちゃん……」
「………ん……、俺、今、ちょっとだけ傲慢なこと言っていい?」
「………うん。……言って?」
「…………この部屋に来た時、きみが泣いていた理由。それと、今きみが泣いている理由。……俺も、ちょっとだけ、わかる気がする」
「……………それ、傲慢です?」
「死ぬほど傲慢です」
百年モノの童貞をこじらせている、カノジョもいたことなければろくに女友達さえいなかった、ひねくれねじくれ陰キャ野郎の俺が、イルマちゃんのようなかわいくて愉快でお姉ちゃん思いで俺なんかの相手もしてくれる優しい子の乙女心を推し量るなど、無礼千万笑止千万、片腹痛くて盲腸炎。
即刻拷問にかけてからの打ち首からの晒し首ですら生ぬるい、七度生まれ変わっても贖いきれない赦されざるべき大罪である。
「……おにーちゃんって、ほんと、拗らせてるよね……。崇拝は理解から最も遠い、とか言っておいて、自分が無暗に女の子崇めすぎじゃん……」
「うるさいやい。いいだろ別に、信仰の自由くらい赦してくれよ。女の子は、砂糖とミルクと卵とめいっぱいの愛で出来た、ふわふわで繊細で儚くて尊いものなのだっ!!」
「でもこないだ、そんな尊い存在である『女の子』をゴミ見るような目で自殺に追いやってましたよね、お兄ちゃん? 我ってば、ちゃーんと知っちゃってますよ?」
「あれは女の子じゃない。バカにしてんのか」
「………………そういう、闇深き極端な割り切り方、とってもとっても我好みだなって、心の底からそう思います。
――愛してますよ、我のおにいちゃん」
そう言って、くすくすと楽しそうに笑う、いと闇深き黒髪の乙女。
俺の胴体がみしりと軋むほどにきつく締め上げてきた彼女の姿に、まるで獲物を捉えんとする蜘蛛の化生のようだと益体のないことを考えながら、俺はその拘束に抗うことなく、さっきまでよりちょっとだけ強めに抱擁を返した。
それに戸惑って腕の力を緩めてキョドるあたり、この娘も案外まだまだ『闇』が足りていないのかも知れない……。
相変わらず勘違いがぐるぐる渦を巻いてるけど、本質的な部分では案外いいとこ突いてしまっているのでなんとも言えぬ……。




