終章 叶わなくても、願っていい。
その日、人類は死という概念を克服した。
「マジか」
光り輝く発光の美少年と化した弟が、〈力有る魔女〉を腕に抱きながら、悲壮感の『ひ』の字もない様子でイチャコラを繰り広げつつお空に浮かぶ様を見て、まあそうなるだろうなという予想はしていたシュルナイゼ。
けれど、さすがにこの世の物とは思えぬおぞましい絶叫が大気を震わせた時は思わず自らの死を幻視してちょっぴりチビったし、なんならレオリウスなんかは実際ぽっくりと逝ってしまって臨死体験を味わったりしていたらしい。
ただ、今この空間において、死という概念は存在しない。
なにせ、あの弟が目に見えない悍ましき何かを天を貫くような光の柱と共にブッ飛ばして以降、胸に大穴を開けて死んでいたはずの人々でさえ俄かに生気を取り戻し、それから間もなく、これまたお空で光り輝く弟の手によって全ての人々の肉体の損傷は完全修復されていた。
全てが終わった後に起こったのは、謎の血の池の中で何故か眠りこけていた村人達による、素っ頓狂な悲鳴の大合唱。
そして、大好きなお母ちゃんと、奇跡の――本当に奇跡としか言いようがない再会を果たした少女の、人目を憚らない絶叫めいた感激の嗚咽。
目が覚めたらなぜか血だまりに沈んでた上、なぜか目の前に愛娘がいてしかも滅茶苦茶泣かれてしまったお母ちゃん氏は、しばし目を白黒させながらわけもわからず娘の背中を擦って慰めていたが、いつまで経っても泣き止む気配の無い娘にブチ切れて必殺のニンジンブレードを取り出した。
「まったく、うっさい子だねぇ!! 『お友達』の前で恥ずかしいたらありゃせんわ!! これでも食らってお黙りぃ!!!」
「ぐぼぉええっ!!!?」
極太のニンジンに口内を侵されてしまったリコッタは、わりとシャレにならない感じで喉を詰まらせ、レティシアとオーウェンに必死こいて『うんとこしょ、どっこいしょ』とニンジンブレードを引っこ抜いてもらって事なきを得た。
そんな心温まるというか逆に肝の冷える一幕も挟みつつ、なんだかんだでチーム・レティシアのみんなでリコッタの家にお呼ばれし、お父ちゃん氏やおじいちゃん氏やおばあちゃん氏やリコッタの兄弟姉妹、果ては様子を見に来た村人達やら噂を聞きつけた追加の村人達やらがわらわらと集まり始め、リコッタ家を中心にして村人全員が集まり、狭い家の中を飛び出してお外でお祭りのようなどんちゃん騒ぎを繰り広げるに至った。
「マジか」
満天の星空の下。そこかしこに焚かれた篝火に照らされる、あれよあれよと瞬く間に開催されるに至った謎のカーニバル。
串焼き片手に踊り狂う村人達を、手近な切り株に座って眺めていたシュルナイゼは、彼らに無理矢理持たされた激ウマな郷土料理スープをずずずと啜って一息ついてから、その言葉を再び呆然と呟いた。
マジか。いや、マジか。一体何がどうなって、公爵家次期当主たる自分は荒ぶる農民達の渦中でのほほんと郷土料理を啜っているのか。最初からきちんと起きていたし目も開けていたはずなのに、荒唐無稽な夢を見ているかのようにまるで意味が分からなかった。
早々に波に乗って村人達と一緒に踊ってる底抜けに楽しそうな満面の笑みのリコッタと、そんな彼女に手を取られてダンスパートナーの男役を努めさせられてる苦笑いの伯爵家令嬢オーウェン、そして肉体を持て余した熟女達にズタボロになりながら引き回されてる死にかけの侯爵家嫡男レオリウス。
どんどこどんどこどんどこどん、どんどこどんどこどんどこどん、と民族楽器っぽい謎の太鼓まで打ち鳴らされ、篝火に照らされた人々の影が狂ったように乱舞する中、混沌渦巻く光景を前に何度でもシュルナイゼは呟いた。
「マジか」
「貴男、それしか言えませんの……?」
公爵家嫡男の語彙力及び脳味噌の出来を疑う超失礼な大聖女・レティシアが、スープ片手に楚々と歩み寄ってきて、そのままシュルナイゼの隣へと腰を下ろした。
湯気の上るスープから、スプーンでとろとろのニンジンを掬い、それをぱくっと豪快に一口で食べて、はふはふと美味しそうに白い息を吐いて笑み零れるレティシア。
その様を同じ切り株に腰かけながら間近から眺めていたシュルナイゼは、なんだか得も言われぬ居心地の悪さを覚えて、祭りの風景に視線を向けながら何の気無しな風を装って溜息を吐く。
「……死者の蘇生、か。…………まあ、あのゼノだしな。そういうこともあるか」
「んく、はふ、はふっ。……だから、何度も言ったでしょう? おとうと様は、神なのです、と」
「………………そーな」
今日ばかりはレティシアの言葉に憎まれ口を返すこともできず、シュルナイゼは投げやりに同意しながら、自分も激ウマスープをはふはふと貪る。
ひとつの切り株に仲良く腰かけて、同じ料理を食べて「美味いなこれ」「ですわね」と言葉少なに感想を言い合いながら、目線を合わせることなく小さく微笑む二人。
実に婚約者同士に相応しい甘いひとときであったが、残念ながら二人の想い人は今隣りに座っている彼や彼女ではなかった。
「あいつ、どこ行ったんだろな。ある意味このバカ騒ぎの元凶のくせに、責任も取らず顔も出さんとは不届きな」
「普通にさっさと学園に帰られたのでしょうね。深淵様も一緒でしたから、あまり遅い時間になると女の子は不安になるだろうなと気を遣ったに違いありません」
「…………あいつ、ほんとブレねぇな……。あ、そういやイルマちゃんは? 花見に一緒に来たはず……なんだよな?」
「大方、独断行動をわたくしに怒られるのが嫌でトンズラこいたのでしょう。無論、それでもわたくしが呼べば即座に来るとは思いますが……、まあ、今回の件はあの子を蔑ろにしたわたくしに非がありますからね。少しだけ、自由な時間を許そうと思います」
「…………それで、もし万が一、イルマちゃんにゼノが取られても、お前はそれでいいのか?」
「………………」
シュルナイゼの静かな問いかけに、レティシアは特に反応を示さず、スープの残りを飲み干して小さく喉を鳴らした。
空になった器をそっと膝に置き、ぼんやりと祭りの風景を眺めるレティシア。
その姿がなんだかとても儚いように思えて、シュルナイゼは――。
「…………………………」
自分もまた、何も言わずに、彼女と同じ風景を眺めることを選択した。
なんだか急に考えることがめんどくさくなってしまったシュルナイゼは、今はただ、レティシアの横に座り、楽し気な仲間達を見ながら、平和な時間を静かに噛み締める。
言うべきことは、何も無い。言えることも、何も無い。
ただ、最後に一つだけ。シュルナイゼは、自らの望みをぽつりと呟いた。
「みんなで、幸せになれたらいいな」
「………………そう、ですわね」
何か、救われたような面持ちで、小さく首肯を返すレティシア。
そんな彼女を横目に見て、シュルナイゼもまた、何か救われたような気がした。




