終章機関 世界さんご臨終のお知らせ
辺りが良い感じに見渡せそうな、小高い山のてっぺんに位置する、独特な大樹の上。
久々に『歯ごたえのある相手』と戦えたことで気分が高揚し、珍しくちょっとしたサービス精神なんかを発揮しちゃって取り零しのザコ魔女を追いかけているうちに、偶然孫娘の残り香を嗅ぎつけてこの場所へふらふらと引き寄せられたナーヴェ。
もはやザコのことなど忘れてただただ孫娘の姿だけを求め、舳先で針路を確認する船長のごとく適当な枝の上に洒脱に立ち、手で庇を作ってあたりをぐるりと見渡していた彼女だが――、探し求めていたものをビカビカと光り輝く自己主張の激しい空飛ぶわっぱの腕の中に見つけてしまい、全身がびしりと硬直。
頭が真っ白になりながら、うっかり事の最後まで見届けてしまった彼女は、自分のお株を奪うほどにあまりにも堂々と行われすぎた『反則行為』に思わず呆れの笑いを洩らした。
「………………カカッ」
笑うしかない。
魔女の眼でしかと目撃し、無意識で《風》を使って反則小僧と孫娘の会話を拾ってまでいたナーヴェは、孫娘とわっぱが一体何をしようとして、どんな存在と対峙し、どんな理由でどんな結末に至ったのか、その悉くを熟知していた。
――死者蘇生。そのあまりに人間離れした奇跡の御業を願い、実行可能な手段で実現してみせようとした孫娘のことは、まあいい。
なぜなら、その行為が孫娘にとっては奇跡でもなんでもことを、他ならぬナーヴェは『身を以て』知っているから。
だから、問題はその他だ。というか、あの反則小僧の存在が徹頭徹尾あまりにもツッコミ所がありすぎて、最早呆れて掠れた笑いを漏らすことしかできない。
おまけか最後っ屁みたいに空中から【完全治癒の大奇跡】を惜しげもなく辺り一面にバラ撒いていった所までをも、余さず見届けて。暫しの後に、やたらと光り過ぎだった少年が消え、ようやく夜の世界が訪れる。
本来静寂が尊ばれるべきその空間。そこに、大勢の人の混乱しきった声が俄かに満ちていくのを風によって聞きながら、ナーヴェは笑みから余計な引き攣りを取り除き、全てを諒解して脱力した笑顔となりながら深々と溜息を吐いた。
「…………ああ、そうかい。そういうことかい。あんたの力ってのは、元々そういうものだったのか……。やっぱ、どこまで行っても『反則小僧』だよ、あんたは」
「…………おい、晴嵐」
「あァん? なんだい、ミノムシ。いつあたしが発言を許可したよ?」
「みのっ――!? わっ、私の名はグリムリンデだっ!!! いつも散々名乗ってるだろうがっ!!」
「あーはいはい、そういやそうだったかねぇ。歳を取ると物忘れが激しくなっていけないよ、まったく嫌だねぇ。クハハハハハ……!!」
「都合の良い時だけ年寄りぶるな……ッ!! さっきまで散々『ヒャッハァァァァァアアアアアア!!!!』とか年甲斐もなくはしゃぎながら、人のことを嬲ってくれた癖」
「年甲斐もなくとはなんだい!!! 人を老人扱いしてんじゃないよ小娘がッッッ!!!!」
「えぇぇぇぇ…………」
ナーヴェの隣で簀巻きにされて、上下逆さまに枝からぶーらぶーら吊るされてる《紅蓮の魔女》グリムリンデは、あまりにフリーダムすぎるナーヴェに言葉を失ってどこぞの深淵のように力の無い悲鳴を漏らすことしかできない。
もう何度も繰り返された、この理不尽すぎるやり取り。これは何も、数刻前にグリムリンデがナーヴェに無駄な火攻めを決行した時に始まったものではない。
お互い魔女機関所属の〈力有る魔女〉として顔を合わせる機会はそこそこ有り、その度に、師からもらった名と力に誇りを持つグリムリンデと、そんな誇りを耳クソほじりながら土足で蹴散らすナーヴェは事あるごとに衝突してきた。
二人とも、見た目は二十代前半。なれど、この一方的すぎる力関係はもうかれこれ五十年以上は続いている。
もう何度この天災女に煮え湯を飲まされたかわからないグリムリンデは、その度に毎回こいつはこういうものだと思って諦めようと決意を新たにするのだが、それでもやはり名すら未だに覚えられてないとなると黙っていられないし、今回の襲撃事件のような『嫌がらせのチャンス』が巡ってくると便乗せずにはいられない。
魔女機関所属、〈紅蓮の魔女〉グリムリンデ。
今回の作戦においては、魔女機関内部の反抗勢力として過激派に協力し、事実、自らの【権能】まで掛け値なしの全力全開で発動させて、ナーヴェを灰燼に帰すべく全霊を以て死闘を繰り広げた女。
――そして。この後は『魔女機関に捕らえられながらも、隙を突いて脱出し、偶然入手した極秘情報を手土産に再び魔女機関の敵対勢力に加担する』ことになっている、エルエスタお抱えの二重間諜。それがグリムリンデだった。
ただし、グリムリンデとしては別に間諜をやっているつもりはないし、総帥とはいえ臨時代行に過ぎないエルエスタのお抱えなんぞになったつもりもない。小細工が好きなエルエスタの案に乗っかって、普通にナーヴェに嫌がらせをし、あわよくば殺そうとしているだけである。
自分にナーヴェは殺せない。もし殺せたら、それは『ナーヴェではない』。
そんな歪すぎる信頼を胸に、今日も明日も明後日も、グリムリンデは全力でナーヴェに凶刃を向け続けるのだ。
ただし、今日の所は一応の決着がついてしまっている。なので、敗者たるグリムリンデと、ようやくストレスが発散出来たナーヴェは、どちらかが暴発することもなく普通に世間話に興じる。
「ほんで、何か用かい、ミノムシ? 遊んでくれた礼だ、ちょっとは発言権をやるよ。ただし年寄り扱いしたら即殺す」
「…………グリムリンデだ。………まったく、お前は本当にわかっているのか? 今、〈深淵〉と共にいたあの見知らぬ〈力有る魔女〉が何をやったのか、理解できないお前ではないだろうに」
「魔『女』ではないんだけどねぇ……。まあ、アンタの言いたいことはわかるよ。ありゃあれだね、死者の蘇生だね。あたしの逃がした雑魚がハシャいだせいでおっ死んじまった村人達を、あたしの可愛いアリアとあの汚らわしいビチグソ野郎が生き返らせてくれたんだろ。
自分がビチグソのくせに、あたしの尻拭いをしようとはまったく忌々しい……」
「そんなことはどうでもいい。びちぐそ呼びも、『死者蘇生』もだ」
「はぁぁん?? じゃあ何が問題だってんだい???」
煽るような超ムカつく顔で訊ねてくるナーヴェに思わずイラっとしながらも、グリムリンデは努めて平静を装って言葉をつづけた。
「……魔術も異能も使わずに、『空を自在に飛び』、『致死級の傷すら癒す』。全く別の系統に属するであろう【権能】が、これだけで既に二つだ。その時点でまず有り得ない」
「本人は、【権能】じゃなくて普通に《魔術》だと思ってんだろ。なんせ、昔あたしがそう教えちまったからねぇ」
「…………は? お前が?」
ナーヴェに保護されているはずの〈深淵〉と一緒にいた時点で、面識がある可能性については考えていたグリムリンデだが、流石に師弟の関係にあるとまでは思わず声を上擦らせる。
ものを、教わる? この、魔術の理論はおろか一般常識もろくに知らないくせして、生まれ持った才能と拳のふたつだけを武器に物理法則へ喧嘩を売り、ついには世界の方に泣きながら膝を折らせたという理不尽の権化に、教えを乞う???
「なるほど、バケモノか」
「ま、そうなるわなぁ。いくら『魔術なんてのはなぁ、理屈なんか知らんでも魔力をしこたま込めればなんとかなんだよ!!』って言われたからって、まさか魔女でも異能者でもない上にまだ五歳かそこらでしかないガキが、町が消し飛ぶほどの魔力を凝縮させてみせた挙句に、【異能】や【権能】レベルの超常現象を何種類もぽんぽん発動させるとか……」
「いや、そっちではなく……。いやそっちもだが」
五歳。五歳の時点で、町を消し飛ばすほどの魔力量を持ち、しかしそれを暴発させることなく緻密に制御してみせ、言わば準権能とでも呼ぶべき常人に有り得べからざる能力を複数発現してみせる。
――なるほど、やはりバケモノか。
「…………ん? いや待て、『魔女でもない』? いや、それはおかしいだろう」
一瞬得心しかけたグリムリンデだが、ナーヴェの放ったその一文によって納得しかけていた理屈の前提に足払いがかまされてしまい、自らの結論に待ったをかける。
五歳かそこらの時点で複数の準権能級の力を使いこなしてみせる、そんなバケモノみたいな『魔女』。
であるならば、それからもすくすくとありえない成長を遂げ、ついには先ほど目の当たりにしたあの『ありえない現象』すらをも引き起こすことが可能になったのだろうと、あまり認めたくはないが、一応の筋は通る。
だが。そもそも、【魔女】ではないだと? しかし、先ほどのあれは紛れもなく――
「ああ、ありゃ間違いなく【権能】だね。理論に基づく魔術でもなけりゃ、一転特化の才による異能でもないし、準権能なんて似て非なる紛い物でもない。
あたしら魔女の中でも、更にほんの一握りの〈力有る魔女〉にのみ許された、隔絶した魔力によって世界の法則すらブチ壊す絶対の力。存在自体が『それ』になりつつあるあたしやあんたが、まさか見間違えるはずもない」
「………………だが、先ほどのあの子は、魔女ではないのだろう?」
「ああ、違うね。魔力や現象だけを見てたら到底そうは思えないけど、あんただってきちんと目が付いてたんならわかるはずだよ。――あいつは、正真正銘の『男』だ」
「――――――――馬鹿な」
ありえない。荒唐無稽だ。そう言って即座に切って捨てて然るべき戯言だったが、けれどナーヴェの妄想染みたその言葉によって、ようやくグリムリンデは現実を見ることができた。
ああ、確かにあれは男だった。女顔ですらない、むしろ男の中でも上等なツラした男っぽい男だった。普通に下半身で物を考えてそうで、迸る異性愛のままに腕の中の少女に向かって下卑た笑みすら向けていた。
魔眼にすら近しい機能を誇る自らの【眼】で見たのだ。その上、自分以上の能力を誇り、自分以上に件の人物を詳しく知るナーヴェがこうも当然のように断言するのであれば、あの時、あの現象を引き起こしてみせたあいつは、『彼女』ではなく『彼』と呼ぶべき存在なのだろう。
だが、それはやはり、ありえない。
グリムリンデが個人的にあまり男という生物に良い思いを抱いておらず、過小評価しているから――というわけではなく。
そもそも男では、身体の構造や魂の性質上、【権能】を発現できるだけの器や魔力を獲得できないのだ。
それは、たとえ世界の理すら捻じ曲げる〈力有る魔女〉であっても、或いは力有る魔女だからこそ、この世で唯一絶対不変の常識に他ならない。
――だって。男には、魔力という『子』を、宿し、貯え、育む機能を持つ臓器である、『子宮』が物理的に存在しない。
そして同時に、生命を宿し育むという魂の性質、つまりは魔術的な意味における『母性』すらをもそもそも有していない。
畢竟。自分の肉体や魂が元々持っていた量以上の魔力を蓄えられない『男』という存在は、魔術や魔力の面においてどう足掻いても『女』には遠く及ばないのだ。
まして、数十人、数百人分の女の魔力量を内包する【魔女】になんて天地がひっくり返っても勝てるわけもないし、千や万、もしかしたらそれ以上の女の魔力量に相当する〈力有る魔女〉に比肩するなど、全宇宙が崩壊したって有り得ない。
それは、この世の誰にも破ることができない、絶対のルール。力有る魔女達に散々脅しつけられてきて色々なものを蹂躙されてきた世界さんが、自分を保つために最後の最後まで唯一守り通して来た命綱なのだ。
宇宙の法則が乱れる、なんてものじゃない。そんなのは、
「【破戒】、だとさ」
不意に。ぽつりと呟いたナーヴェは、遠い、遥か遠い何処かを眺めるように目を細める。
視線の向けられた先は、何も無い中空。そこにあったはずのこの世ならざる穴も、この世ならざる者も、等しく全ては無に帰して、それを成した者さえも今は既にそこにはいない。
その空間に、星の輝き以外の強烈な光を幻視しながら、ナーヴェは噛み締めるように続けた。
「なるほど、言われてみれば納得さね。空を飛ぶ、致命傷を治す、そしてこの世の『真理』でさえも、言葉ひとつでいとも容易く消し飛ばす。……世界を世界たらしめるために必要なはずの、ルールや法則といった全ての『戒め』は、あいつの前ではあっけなく壊される運命でしかない」
それは、力有る魔女とは似て非なる存在だ。
力有る魔女は、あくまでも自らの唯一無二の信念を頑固に貫き通した『結果』として、世界の法則に干渉する。
最終的に引き起こされる超常現象は、ナーヴェなら【晴嵐】、グリムリンデなら【紅蓮】など、基本的に一人につき一種類のみ。
その一種類の主張を突き詰めたからこそ、世界の法則に干渉し得るだけの力を持ち、その果ての応用としてついでに少しばかり小器用な使い方ができるといった代物だ。
だが。あの【破戒】という権能は、必要な結果を得るための『過程』として世界の法則に干渉する。
あの男が空を自由に飛びたいなと思えば重力が捻じ曲げられ、痛そうな傷を治したいなと思えば魔術や権能でも不可能な死者の傷の治癒を可能にし、横恋慕野郎をブッ飛ばしたいなと思ったら相手が如何なる次元の如何なる存在でも物理世界に引きずり下ろされ拳で殴られ消し飛ばされる。
ちなみに、今回消し飛ばされたのは、『黄泉の門』や『死出の守り人』といった、概念、或いは真理と呼ばれる代物だ。
それらは、本来姿形を持たず、目に見えないどころか五感はおろかいかなる手段によっても感じ取ることのできない、どこにでも在ってどこにも無い存在である。
肌で確かに体感できる重力や、眼でしかと視認できる怪我とはわけが違う。本来、如何に何物をも拳で殴れる破戒の権能であっても、相手が雲や霞の如しではいくら殴ろうと意味を成さなかっただろう。
――だが。今回それらの偏在せし概念や真理は、〈深淵の魔女〉アルアリアが権能によって観測することにより、今そこに在ることが確定されてしまった。
確定されて、しまったのだ。
そこに確かに在るというのであれば、あの男に殴れないモノは無い。
「………なるほど。つまりは、深淵と組めば世界さんもフルボッコというわけか。世界さん、儚い一生だったな、かわいそうに」
「………まあ、そういうことさね。精々世界さんの安らかな冥福でも祈って、一緒に一杯やるかい? エスタとの約束もすっぽかしちまったまんまだしねぇ、ちょうどいい」
「………………あの男についても、もう少し聞きたいしな。素直にお呼ばれするとしよう。それに、お前とは違って、エルエスタには世話になっていることだし」
散々世界さんを虐め倒した二人が、同じ結論に至って仲良く呑みの相談を交わす。ちなみに飲み会が決定した二人の頭の中からは、ダシに使われた世界さんのことなど秒で消し飛んでいた。




