十八話 力有る言葉
「はわ、はわわわ、はわわわわ、はわわわわわわ……!!?」
声にならないかすれ切った悲鳴をひとしきり上げ終わったアリアちゃんは、もう赤ちゃんコアラのように俺の首にひっしと抱きついて、遠ざかりゆく大地を見下ろしてはわはわ言うだけのおもしろい生き物になっていた。
うーん。女の子を初めてお姫様抱っこできたことと合わせて、熱烈すぎる抱擁は正直とっても嬉しいんだけど、俺の為にと駆け付けてくれた彼女に怖い思いをさせといて一人で喜ぶってのはやっぱ違うよな。
それに実は今わりと魔術制御に意識の大半を割かれてたりするので、できれば首締めをもうちょっと手加減してほしい。息苦しいとか痛いとかじゃなくて、アリアちゃんの柔らかさと甘い体臭で脳味噌がトロトロ蕩けちゃいそうだから。
「あー、この女マジ犯してぇ……。孕ませたい……。このぬくもりと柔らかさと香りを全て俺のにしてぇ……」
「はわッッッ!!?!?」
ん? おや、アリアちゃんがいきなり固まっておとなしくなったぞ。おおよしよし、これで魔術に集中できる。やっぱりアリアちゃんはとっても良い子だなぁ。
ところで俺今なんか口走ったっけ? 脳味噌アヘりすぎてて一瞬意識飛んでたわ。女の子ってくそヤベェな……なにこのかわいすぎる生き物……。存在の全てがオスの欲望をダイレクトに刺激しすぎて、胸がきゅんきゅん疼いてたまらん……。
「あぁぁ〜〜〜、しゅきぃ……。大好き、アリアちゃん……」
「……………………はわぁ……」
天にも登るような心地に満たされながら物理的な高度を徐々に上げてたら、アリアちゃんが気を失ったようにかくりと脱力してしまった。おや、もしや高山病かな? あれって三十メートル程度でなるものなの?
でも、うん。三十メートルって、思いの外高ぇな……。
辺りが暗い上に俺の周囲が発光してるせいで、夜間にハイビームくらった時みたいに視界が潰れてるからさして恐怖を感じずにいられるけど、たぶん真っ昼間にこの高さから下見たら普通に超玉ヒュンだと思う。
てか、この高さから落ちたら普通に死ねるな……。アリアちゃんにはなるべく下を意識させないようにしとこう。
「アリア、起きろ。ほら、起きろ。そろそろ予定高度だぞ。『穴』ってどこにあるの?」
ゲートの予想ポイントよりちょい下あたりから上を見上げながら、アリアちゃんの身体を軽く揺すって覚醒を促す。
程なくして「はわっ!?」と小さく全身を跳ねさせたアリアちゃんは、きょろきょろと周囲を見渡して状況を確認すると、口の端から垂れかけてたヨダレをじゅるっと啜り、その跡を手の甲でごしごしと拭い――、そこで俺と目が合って動きを止める。
「……………み、見た?」
「美味しそうなヨダレのこと? それとも、とってもとってもかわいい寝顔?」
「…………へんたい、ばか、すけべぇ……!」
胸元でお手々を意味もなくもじもじさせながら、すっかり俯いてしまって消え入りそうな声で恥ずかしそうに罵ってくる彼女。
……うむ。…………もうこれこのままお持ち帰りして良くね? これもう俺のこと絶対好きでしょ。お付き合い申し込んだら絶対OK貰えるって。
「ほ、ほらほら、ぜのせんぱい、あそこ、あそこに、穴あるよ! ほら、穴っ、あそこ!」
「アソコの穴じゃねぇや、え、どこだって?」
「…………今ぜのせんぱい、わりとさいてーなこと言わなかった?」
「おんやぁ? まさかアリアちゃんったら、自らそこを深堀りしにいくつもりなのかなぁ〜??」
「………ひぃ」
強気な笑顔で失言を誤魔化した俺は、これ以上ボロが出る前にとアリアちゃんの指さした方角へ針路を取った。
「この辺?」
「………もちょっと、あっち」
「じゃあ、これでどうだ!」
「あ、逆、ぎゃく、もっと下――ああっ行き過ぎた! ばっく、ばっく!」
「おーらい、オーライ」
うん。車庫入れかな?
もしくはうまく誘導できないスイカ割りみたいな感じで、恥ずかしそうに半泣きになりながらも徐々に身振り手振りが大きくなっていくアリアちゃんと、そんな彼女の必死な姿に思わずほっこりとしてしまう俺。
やがて緻密な誘導を諦めて俺の腕の中から身を乗り出しながら虚空を掴もうとがんばる彼女を、俺は「がんばれー、がんばれー」と口では応援しつつも、彼女が動くたびに腕から伝わり来るおにゃのこの幸せな感触が永遠に続けばいいと切に願っていた。
だが、下卑たオスの願いも虚しく、やがてアリアちゃんの手が何もない空中に『引っかかった』。
「――――――――――っ」
彼女の身体の感触に集中していたからこそわかる、パントマイムではありえない、確かに物理的な衝撃。
まさかここまではっきりと触れるものだとは思ってなくて表情を強張らせた俺に、アリアちゃんが花開くような笑顔で無邪気に告げてきた。
「『これ』! ほら、ちゃんと有ったでしょっ!?」
「………お、おお。せやな。さすがはアリアちゃんやで……。………それで、あとはそいつを閉じればいいんだよな? ……あ、先にみんなの身体を修復しとかないとダメなのか?」
「ううん、先にこっち閉じちゃった方がいいと思う。あんでっどになっても薬で治せるけど、魂が『向こう』に行っちゃったら、連れ戻すのけっこうたいへんだから……」
死者を黄泉路から連れ戻すという空前絶後の御業を、あどけないお顔からの『けっこうたいへん』の一言で済ませてしまう深淵さんマジパネェ。
ちょっとトキメキ以外の理由で心臓をどきどきさせ始めた俺を他所に、アリアちゃんは親の腕の中からヒーローショーにかぶりつきになる幼児みたいな感じで両手を虚空に差し出すと、『穴』の縁と思しき何かをしっかりと掴む。
そして、窓を閉めるような感じで力を込めた彼女は――、けれどそれより先に、穴の向こうの『誰か』と目があって、「あ」と間抜けな声を漏らした。
肌にひしひしと突き刺さる謎の圧力と、何やらおどろおどろしい異様な執念を感じる、何者かの視線。
到底気の所為だなんて思えないそれは、確かに俺達を――ではなく、アリアちゃんを全身全霊でロックオンして突如急速に接近してきた。
「ひ、ひぃ!!?」
両手を叩き合わせるような勢いで、速攻『穴』をばちんと閉じてそのまま押さえるアリアちゃん。
次の瞬間――。
『ゼヒョォオオオオオオォッッッッン!!!! ベラメッチョ!! オベラメッチョ!!! ギョヒァヒベブラッチョゲヒャッヒャッヒャッヒャッヒャ!!!!』
「怖っ!!? てかキモッ!!! いるいる居るいるなんかいるマジでなんかいる何、今の何なの誰なの深淵さん!!!?」
「はわわわ、はわわっ、………はわぁ………………」
「寝ないで深淵さぁぁあああん!!!」
うっそだろお前、おいおいマジかよ、ウチの切り札の魔王様があまりの恐怖でご臨終遊ばされちゃったぞ。
なんで名も無き村人救いに来て自分が速攻ポックリ逝ってんの? 本末転倒もいいとこだろ、助けろ、姿無きイミフな怪生物と不可視の窓一枚隔ててご対面しちゃった哀れな俺をまず何より先に助けろ。
しかもやっこさん、まるで借金取りか地上げ屋みたいに窓の向こうからめちゃくちゃドンドンドンドン拳叩きつけてきてる気配あって、叩かれるたびに大気中に地震が走って空間が情けなく軋みを上げている。
窓を抑えてたはずのアリアちゃんの手はご臨終と同時にぐったりと垂らされちゃってるし、もう窓がこじ開けられるのが先か次元が破壊されるのが先かの切羽詰まった状況だ。
『オベラメッチョ!! ゲヒュオンオベラメッチョベラベラベラ!!!!』
「―――――はわぁ!!??」
お、魔王様が復活して飛び起きたぞ! やったぁ、これで俺は謎の怪人オベラメッチョと二人きりにならずに済む!!
「お、おい、魔王様、魔王様っ!! なんなのあれ、なんなのあれ!!?」
「も、もももも、もっ、も、『守り人』、ですぅ……!!」
「あれが!? 怪人オベラメッチョじゃないの!!? 守り人って、もっとクールな鎌と黒装束纏った死神みたいなの想像してたんだけど!?」
「守り人は………、見た目、三足歩行する深海の爬虫類……」
「三足歩行する……、深海の爬虫類――!??」
うわぁ、姿が見えないのになんかもうとてつもなくキモいということだけがこの上なくありありと伝わってくる……!!
身を寄せ合って震えることしかできない俺とアリアちゃんを、三足歩行する深海の爬虫類による火の出るようなノック連打と『オベラメッチョオオオオオオ!!!!』という意味不明すぎてあまりにおぞましすぎる咆哮が襲う。
「てか、オベラメッチョって何だよ!! せめて人語を喋れやゴルァア!!!」
「『俺の嫁』、だって」
「……………………。あん?」
「おべら、めっちょ。……『見つけたぞ、俺の嫁』、だって」
「…………………………」
…………………………………。
「え、アリアちゃん既婚者だったの……?」
「そんなわけないよ!? あっちが勝手にそう言ってるだけだし、ついさっきが初対面だよ!!?」
『オベラメッチョオオォォォォォオオオオオ!!!』
一際けたたましい叫び声と共に、ズドォン!! と叩きつけられてくる衝撃。それにより、ぴしり、と致命的な瑕疵を刻まれる不可視の窓。
けれど、そんなのはどうでもいい。
「………誰が、誰の、嫁だって?」
「え……、………ぜの、せんぱい? 髪の、いろ……」
「あーあー、はいはい。なるほどね。つまり『守り人』とやらは、死者の道先案内人や命の番人とかではなく、ただの変態野郎なわけだ」
「…………えっ、ち、違――く、も、ない、かも……?」
『オベラメッチョ!! マウンヌス、ポォッ!!? オベヌンヌゥムス〜♡♡♡』
「あ、今の言葉の、意味はね――」
「いい。聞かなくても大体わかる。『早くオラと子作りしようぜ〜♡♡♡』とかだろ」
「なんでわかるの!!!?」
『グォヒョンベン!!!?』
アリアちゃんのみならず怪人オベラメッチョまで驚愕している様子だけど、そんなことはどうでもいい。
おい、トカゲ野郎。お前、俺の嫁に向かってなんつった?
「辞世の句の用意は出来たか、糞トカゲ」
「ぜっ、ぜのせんぱい!!? 待っ――」
「――――――――【破戒】」
その、一言。
俺が発した、たったそれだけの言葉によって。
常世と幽世を隔てる窓も、その向こうにいたはずの死者の魂を司る『守り人』も、全ては等しく塵となって夜空に消えた。




