十六話 わたし達がルールだ!
名も知らぬ食人鬼の女の死骸を、塵も残さず後始末した後。
新しく出来た幼過ぎる年下の母にカラダまで捧げてもらって優しく慰められながら、俺はただただ、何も考えずにその場で彼女の味を思う様貪った。
周りの惨劇が見えていないはずがないだろうに、彼女は俺に何かを促すことも強要することもなく、俺の腕の中に熱く抱かれながら股の毛と肉を弄ばれて淫靡に「ぁあん♡」と鳴いていた。
自己嫌悪により傷ついていたはずの俺の心に、それ故にこそ、彼女の体温がしっとりと甘く優しくじんわりと染み込んでくる。
その心地よさを堪能しているうち、今日失われた数多の命を想う余裕ができてきた俺は、腕の中ですっかり息を乱れさせて喘いでいる彼女にちょっとした意地悪を告げてみた。
「――――実は俺、男を女にする効果のある【異性化薬】とか作ってて、そこからの発展で動物を人間にする【人化薬】なんかも開発済みなんだけど……。………俺の子、産んでくれる?」
「…………………ぎにゃぁああああ!!!??」
種族の違いによりすっかり安全圏気分でいたであろう黒猫のみーちゃんは、衝撃の台詞をくらって全身の毛を逆立てながら飛び上がり、俺の抱擁からにゅるぽんっと抜け出して「ふかーっ!!!」と吠えた。
「にゃう、みゃう!! みゃっー、みゃあ!!!(ちょっとあんた、言っていいことと悪いことがあるわよ!! そんな不謹慎なこと言う余裕あったんなら、黙って弄ばれてあげてたあたしの無償の愛返しなさいよ!!!)」
「はっはっは、悪い悪い!! やっぱ流石に趣味悪すぎたかぁ」
「みゃうっ!! みゃあ、みゃう(ほんとよ、もうっ!! いくらあんたが常識外れのド変態だからって、この状況でそんな冗談)――」
「今言ったんじゃ散った命の補填みたいに思われて不誠実だよな? ごめんね、子作りのお願いはまた改めてさせてもらうよ」
「………………………ぎょぇえ……」
どうあがいてもロックオンが外れないことに絶望したみーちゃんが、尻尾をお股に挟みながらすっかり震え上がって絶句してしまった。
ちなみに人化薬の件は半分冗談だ。途中までは開発してあるんだけど、モノがモノだけに迂闊に試すこともできないことに気付いて一旦放置してある。
あとこれもちなみに言っておくと子作りのお願いはガチである。なので、今後のみーちゃんの感触次第では本腰入れて人化薬の仕上げに入る所存。
種族の違い程度で恋が成就しないなど、そんな不条理をこの恋愛至上ゼノディアス様が許すとでも思うたかッッ!!
ただ、なんにせよ、全てはここから帰ってからの話だ。
俺がママンの気遣いも無碍にする人の心を持たない性欲魔神だとはいえ、さすがにそこかしこに住民の死体が散らばる人気の絶えた黄昏時の農村でコトに及ぼうなどと本気で考えるはずもない。ムードがないというか、逆にホラームード満載すぎである。
――そう。この時、俺は既に、全ての骸は背景にすぎないものとして、ほぼ完全に割り切っていた。
だって、仕方ないだろう? 一体何がどうなったら、胸に大穴開けてすっかり冷たくなってる死体の山を見て、そんなすっかり絶望の確定しきった状況から奇跡の大逆転をしようだなんて思える?
試合は、助っ人が到着する前に、既に終わってしまっていたのだ。
たとえどれだけの力を持ったエースであったとしても、ゲームセットまでに間に合わなかったのであれば最早敗戦投手にすらなれず、得られる肩書は精々がただの脱走兵。
しかもその脱走兵は、行われた試合にそもそも呼ばれてすらいなかったただの部外者なのだから、もはや助っ人でも脱走兵でもなんでもなく、贔屓のチームが大敗した試合を見ては『もし俺が投げていれば』と勝手に力不足を嘆いてクダを巻くだけの勘違い野郎でしかない。
だから、そんな自分の滑稽なまでの傲慢ささえ一度自覚できてしまえば、そのまま百パーセント割り切ってしまうことは簡単だったはずなのだ。
おまけに、仇は既にその勘違い野郎がうっかり討ってしまった後と来ている。ならあとの心残りは、散っていった敗残者達への哀悼の意を表明し、黙祷を捧げることくらいか。
――ああ、それなのに。
そんなふうにグダグダと理屈をこねて、やるべきことを先送りにし、やりたくないことから目を背けていただけの怠惰でヘタレな勘違い野郎の前に、その『少女』は現れた。
まるで、何か今すぐ伝えなくちゃいけないことがあるかのように、貧弱な身体に鞭打って、震える脚と荒ぶる肺を必死に叱咤しながら、服や髪まで乱しちゃって、そんな取るものもとりあえずを体現したような様相で、俺の元へと駆けつけてきた、その女の子。
彼女の名は、アルアリア。
この世の理さえも指一本で捻じ曲げ、『私がルールだ』とのたまうことがこの世で唯一赦された、ルールブックにしてルールブレイカーというこの世で最も理不尽な存在。
〈力有る魔女〉。その一員に数えられし、深淵の二つ名を冠する少女が、そこにいた。
「はぁ、はぁっ、はぁ、はっ、ふぅ、ふぅぅ、ふ――ご、げほっ!? えふっ! ぅえ、えふ、ふぅぅっ、えふっ、ふうぅ、ふぅうっ!! ふうぅう、ふぅうっ!!!」
「うむ、我が友アリアよ、少し落ち着け。呼吸を整えるかむせるか言いたいことを言うか、どれかひとつに絞りなさい」
「ふぁうっ!!!」
うむ、なんか今めっちゃ『やだ!!!』とか反抗されちゃった気がするぞ。
おかしいな、俺今珍しく常識的なことを言ったと思うんだけど、そんな俺をまるで何非常識なこと言ってんのみたいになじってきてる気配ですらある。
うむ。……うむ。
「よぉし、とりあえずほっぺにちゅーするか。人の気遣いを無碍にする悪〜い子には、やっぱりおしおきが必要だよね!」
「ふぁう!!? …………っ、わ、わたっ、し、悪い子じゃ、ないですぅ……!」
「なるほどわかった、ならば良い子のアリアちゃんにご褒美のほっぺにちゅーをプレゼントしよう。信賞必罰、これってだいじよね!」
「どっちころんでもちゅーしかないよ!!!? そんなにっ、ほっぺにちゅー、したいのっ!!?」
「ばっきゃろい!!! どうせするならほっぺじゃなくて唇にして、アリアちゃんとめいっぱい舌と唾液を絡ませたいに決まってるだろうが!!!!」
「…………………え、そ、そう、な、の……?」
「ぶっちゃけ、もういっそのことアリアちゃんと性器を絡ませて普通に子作りしたい」
「……………………………ふぁう????」
おっと、アリアちゃんがすっかり驚いてきょとーんとしちゃってるぜ。熱い呼吸を整える必要すら失うほどに心臓も脳味噌もカチーンと凍りついてそうですわ。
その隣で同じく硬直しちゃってたみーちゃんが、水滴を飛ばす時のように顔を全力でブルっと横に震わせると、未知の生物とのファーストコンタクトみたいな感じでおそるおそる見つめてきた。
「なぁう……? ………みゃぁ? みゅー……(あの、しょーねん……? あんた、ちょっと、その……、……………ぶっちゃけすぎだけど、いいの? さっきも、あたしに子供産んでとか言ってたし……)」
「よくはないけど、言いたいこと言って、やりたいことヤっておかないとさ。…………俺だって、もう、いつ死ぬかわかんないだろ。……この村の、みんなみたいに」
――顔を知ってて、言葉を交わして、俺となんら変わらず普通に人間だったはずの者達が、何の前触れもなく今日唐突に何十人もこの世を去った。
なら。明日は俺の番ではないと、何故言い切れる?
色々と切り札を揃えて過剰なまでに手札を充実させては来たが、それは全部、いつ死んだり殺されたりするかわからない恐怖心の裏返しだ。
この世界では、いつだって死が身近にある。
生まれて一年経たないうちから餓死者や口減らしや身売りなんかの末期すぎる出来事に出くわしてきたし、それから何年もしないうちにその辺ほっつき歩いてた核兵器と遭遇したり、生きてるのが不思議なほど無惨な姿の『聖女様』をうっかり目の当たりにしたり、都を落とすような戦闘狂のドラゴン野郎と成り行きで命懸けのガチンコバトルを繰り広げたり。
僅か十六年の人生を軽く振り返ってみただけでこれだ。
これから誰かと恋をして、お付き合いをして、やがて結婚して、そのうち子宝に恵まれて、いつかは幸せな家庭を築いて、最後には孫やひ孫に囲まれながら満面の笑みで大往生――なんて、そんな悠長すぎるライフプランが実現できる可能性なんて、そんなのはもうほぼゼロみたいなもんだろう?
だったら、もう、刹那的に生きたっていいじゃないか。可愛い女の子が目の前にいて、お互いに多少なりとも好意を抱いているのなら、もう躊躇している暇も余裕も無い。
行けるところまで、行ってしまえばいいのだ。堕ちる所まで、堕ちてしまえばいいのだ。
だから俺は、この女を、無理矢理手籠めにしていいのだ。
「アリア――」
「――まだ、死んでない、よ?」
死者を言い訳に使って最低の行為に及ぼうとした俺に、細い二の腕を掴まれながら。
それを振り払うこともせず、むしろ一歩踏み込んでくるようにして、アリアちゃんはしっかりと俺の双眸を見つめて、静かに訴えてきた。
「………………え」
「みんな、まだ、生きてる。…………ううん、一人だけ、『一番最後に死んだ、魔女の人』? は、なんかすごく急いで行っちゃったから、もう無理だけど……、でも、他のひとたちは、今ならまだ間に合うの」
――一番最後に死んだ、魔女の人。
それが一体、誰のことを指すのか。そして、何故、その場にいなかったはずのアリアちゃんが、そのことを知っているのか。
そのことに疑問を抱くより先に、俺は、間近から見つめてくる愛らしいルビーの瞳の中にその答えを得た。
七色に揺らめき輝く、魔力に満ちた虹彩として。
「―――――【魔眼】、か?」
「ちょっと、ちがう。………わたし『達』の、これは、魔女の眼。魔眼ほどじゃないけど、それに近いこと、けっこう色々できて便利。………でも、今回使ったのは、これじゃなくて……」
そう言うと、アリアちゃんは一度そっと両目を閉じ――、ほんの数秒もしないうちに、普通にまたぱちりと開いた。
あっけないほど簡単に。呼吸のごとく。或いは、それこそまばたきのごとく。
何の気負いも感じさせないその極々小さな一挙動だけで、彼女は世界の『矩』を超えた。
「――――――――ハ」
思わず、引き攣った笑いが漏れた。
いくら存在自体が魔術と呼ばれる公式チートな存在だからって、俺が散々道具や薬や裏技でブーストしてやっとこさ到達できる『そこ』へ、まばたき一つで行くのかよ。
「……まったく……。やってらんねーな、おい」
「………? ぜのせんぱい、ちょっと、嬉しそう……? ……気味悪いって、怖がるんじゃなくて?」
「あぁ?? 俺がアリアちゃんを気味悪がるとか、一体どこの星のジョークだよ。つまんねーこと言ってっとちゅーするぞコノヤロウ」
「なんでまたちゅーされるの!!?」
いやまだ一回もしてねぇよ、勝手に俺のファーストキスの記憶を捏造しないでくれる?
でも、ああ、そうな。わりと本気で、ちゅーしちゃってもいいかもしんない。そのくらい、俺の胸の中にふつふつと込み上げ始める熱い衝動があった。
だって、さ。その瞳を持つ君が、そんな【権能】を持つ君が、『まだみんな死んでない』って、『まだ間に合う』って、そう言うってことはだぞ?
――俺はまだ、このコールド負けで終わっちまった状況からでも、逆転満塁ホームランをブチかませるってことだろうが!!
「……ああ、でも。気味悪いって話じゃないけど、そんな上手い話があるのか、とは気になるな。みんなを蘇らせるのに、何がしかの代償が必要とか……」
「だから、まだ死んでないから、蘇りじゃないよ? 本当に死んじゃってたら、わたしでも、ちょっとがんばらないと無理」
「いや頑張ればイケるんかい」
「イケちゃいました! ふへへぇ」
ほにゃりと笑ってるアリアちゃんだけれど、キミ今わりと世界の法則に致命的すぎる足払いをカマしたからね?
しかも『イケちゃいました』ってことは、既に実証済みってことじゃん。そんな甘栗剥いちゃいましたくらいの軽いノリで暴露していい事じゃねーぞ?
一応、彼女の従魔たるみーちゃんにアイコンタクトで真偽を問うてみたら、なんとも言えない呆れ混じりの苦笑いで『ま、嘘は言ってないわね』みたいに肩を竦められてしまった。
それに俺も苦笑いで返してから、今一度、〈深淵の魔女〉アルアリアと向き合った。
そして、正直に告げる
「………俺は、たぶん、この村の人達が、このまま死んでしまっても、それはそれで構わないんだと思う」
「えぇぇぇぇぇ……。わたし、ぜのせんぱいのために、がんばって走ってきたのに……」
「………? 俺のため?」
『けれど』と俺は続けようとしたんだけど、なんかものすっごい骨折り損みたいに落胆したアリアちゃんが言ったことが気になってしまって、つい宣言を中断してしまった。
首を傾げる俺とは対照的に、アリアちゃんはこくりと頷く。
「だって、わたし、ここの村の人のこととか知らないし……。会ったことも、しゃべったこともないし……。しょうじき、そんな人達が何人死んじゃっても、『ふーん』としか……」
「お、おお、意外とドライなご意見で……」
マジで全く情け容赦なく『ふーん』な感じのアリアちゃんにビビりつつ、でもこの子そういや人見知りだから知らない人に対してはそんなもんかもなぁと一応は納得。
でも、だからこそ、俺のためというのがわからない。
「俺って、ちょっと顔見知りなだけの名前も知らない村人達が救われると喜びそうな、情に厚い感じのツラしてる?」
「してない」
「ほんとドライですよねぇ深淵さん!! でもじゃあなんで来てくれたんだよ!!」
「だって、この村の人達は、ただの顔見知りなだけじゃないんでしょ? ぜのせんぱいが、みんなでイチから立て直したんだぜーって、にんじんスティック食べながらどや顔で自分語りしてたし……」
「ねえ、キミは俺を虐めに来たの? それとも辱めに来たの?」
「喜ばせに来たの」
「ああそうかよありがとねぇ!!」
にんじんスティック食べながらドヤ顔で自分語りしてた男は、ヤケクソな絶叫と共に迷いも悩みも過去も振り切り、ただ未来だけを見据えて宣言した。
「じゃあ、もうサクサク喜ばせてもらおうか! お代は後でカラダで払うわ!! 勿論、さっきまで俺を真っ当に悦ばせてくれてたみーちゃんママンにもな!!」
「えっ」
「ぎにゃっ!?(うぇえ!?)」
――さあ、いくぞ。こっから先は、俺の貞操を無駄に押し売りして手に入れた、喜劇のロスタイムでございます!!




