十五話 低みの見物と洒落込もうか
茜色を通り越し、宵闇迫る空の下。
夜の訪れを拒否するように、ほぼ一日でスクラップとなってしまった中古魔導車が篝火めいた火花をパチパチと爆ぜさせている中、そこから降り立ったシュルナイゼ達は眼前に広がる光景を目の当たりにして言葉を失った。
唯一の救いは、光量が乏しくなってくる時間だったおかげで、細部までは確認できなくなっていることだろうか。
だが、それが何の救いにもならないほどに、ポルコッタ村の中心へと通じる道のそこかしこには、よく見分するまでもなく既に息絶えていることがありありと見て取れる骸が乱雑に散らばっていた。
人とは、胸にぽっかりと大穴が開けられては生きていられない生き物なのだ。
まして、そんなふうにかろうじて胴体が繋がっているだけの状態で、咽るような鉄錆香るドス黒い水溜りの海に沈んでいれば、生存の可能性など望むべくもない。
一応、傍らに控えていたレティシアに目線で訊ねてみるシュルナイゼだったが、帰ってきたのは感情の色が伺えない人形めいた表情での――横方向への小さな首肯だった。
自分なんかよりよほど人の『死』というものに触れてきた、血風荒れ狂う聖戦を駆け抜けた経験と、心を見透かす魔眼や治癒の奇跡を持つ彼女の目にも、全ては手遅れとしか映らないというのなら。
つまりは、そういうことなのだろう。
「………………………」
いつもは威勢の良いことを言っている赤毛の大男と、いつもどんなことでも大きく騒ぎ立てる男装の少女が、呼吸すら忘れて目を見開くことしかできずに呆然とする中。
そんな二人の間を、地味な少女がてくてくと歩いて、通り抜けた。
先程までの長い硬直が嘘だったかのような、迷いや動揺の感じられない平素極まる足取りで、手近な死体の傍らまで歩み寄り、ゆっくりと座り込んで間近から眺める、その少女。
魔眼も諜報技能も有していない普通の人間であるシュルナイゼに、彼女の小さな背中が今何を思っているのかはわからない。
けれど、いつの間にか己の手の中で固くシワを刻まれていた紙の束によって、事前の覚悟と裏事情を齎されていたシュルナイゼは、彼女と同じ光景を見ながら、彼女が知りたいと思っているであろうことをぽつぽつと語った。
「――『魔力至上主義者』。……その中でも、特に過激な一派として、『魔女や魔導士以外は「人間」ではない』という思想を掲げている連中がいる」
当のリコッタ以外の者の視線に、ゆっくりと見つめられながら。公爵家次期当主シュルナイゼは、我知らず震えそうになる声を努めて平静に装いながら、淡々と続けた。
「隣領で俄に不穏な動きを見せていたその一派を誘き出すため、奴らの思想にとっての究極であると同時に、それ故に最大の怨敵とも言える〈晴嵐〉が、奴らの潜伏場所付近でこれ見よがしに暴れ回る。
……そうしてまんまと釣れた奴らを、晴嵐がその圧倒的な力でまとめて返り討ちにするという、そういう――【魔女機関】の策が展開中だった、と推測される」
「………魔女機関の……?」
その単語を反芻できたのは、大聖女レティシアのみ。レオリウスとオーウェンは、唐突な晴嵐以上の厄ネタ登場に顔色を蒼白にして固まるしかなかった。
魔女機関。言わずと知れた、実質的なこの世界の支配者にして絶対の守護者。
散々人外扱いしていたあの晴嵐でさえも、かの組織の一構成員にすぎず、時には今回のように顎で使われてすらいるという時点で、かの機関の厄介度合いは最早推して知るべし。
語るシュルナイゼさえ思わずその単語を口にするのを避けたくなったが、それでも『隠したい部分を伏せたままで聞き手を納得させる』のに、これほど適したジョーカーは無い。
――魔女機関が関わっている? ああ、それじゃあ仕方ない。
平和のためであろうと、例えそうでなかろうと。魔女機関が関わっているのなら、その時点で普通の人間は何もかもを受け入れて諦めるしかないのだ。
たとえ、今回の件が【魔女機関】内部の反抗勢力炙り出しを兼ねた内ゲバの側面を持っていて。
それを為すための『最低限の被害』として、ポルコッタ村の住民が切り捨てられたのだとしても。
それは、仕方のないことなのだ。
「この村の惨状は、おそらく晴嵐との戦闘に破れ、命からがら逃げ出してきた過激派残党の手によるものだろう。
……魔導に携わらない全ての人間をただの『魔力袋』と呼んで憚らない連中は、消費した魔力の回復や、自らの魔力量の拡充に有用だとして、………『人間の心臓』を好んで喰らう、らしい」
言ってて反吐が出る思いのシュルナイゼと同様、レオリウスが周囲の死体に空いた穴を苦々しげに眺めながら、「マジかよ」と静かに怒りを滲ませる。
オーウェンは最早言葉と血の気を完全に失って小刻みに震えるのみだ。
そしてレティシアはというと、何も言わずじっとリコッタの背中を見つめていた。……どうやら大聖女様は、狂人共の生態なんかより、それを聞いた友人の反応の方がずっとずっと気になるらしい。
情に厚くて結構なことだな、と思うシュルナイゼ。
べつに小馬鹿にしているわけではなく、いずれ政治の中枢に携わる公爵家嫡男としては、今回の件においては心情的に魔女機関寄りに物事を捉えているがゆえの酷薄な感想だった。
魔女機関には逆らえないから……ではなく。最小限の犠牲で最大限の成果を得るというやり方は、言ってみれば為政者の基本だからだ。
払うものが、金なのか、時間なのか、労力なのか、人命なのかの違いはあれど。
だからシュルナイゼは、納得した。自領の民が犠牲になったとはいえ、それは平和のための尊い犠牲という奴だ。
平気で人を虐殺してその肉を喰らうような集団や、平和維持組織である魔女機関の転覆を目論む勢力を、何の手も打たず野放しにしていた場合の方が、ずっとずっと恐ろしい。
だが、その合理的な思考は、きっと、今この場で望まれているものではなかった。
「おかあちゃんなんです」
とある死体の傍にしゃがみ込んだまま、シュルナイゼの話に一切の反応を見せることもなく、ただただ静かに眼前の骸を眺めていたリコッタ。
そんな彼女が唐突にぽつりと呟いたその言葉は、その唐突さや言葉の足りなさとは裏腹に、その場の全員にただひとつの事実を理解させた。
「お母ちゃん、だったんです」
「…………リコッタ」
かろうじて声をかけられたのは、レティシアだけ。レオリウスは呆然と立つ尽くす木偶の坊となり、オーウェンは衝撃の連続で灰になって、イルマに何かを望まれていたはずのシュルナイゼも今はただの『ひとでなし』。
母を失ったリコッタの心に寄り添えるのは、彼女の友人たるレティシアだけだった。
「…………リコッタ。……その、………大丈夫?」
「………………………」
返事はない。そして、悲しんでいる気配もなければ、泣き出しそうな雰囲気すらない。
むしろ、彼女の背中を【魔眼】で見つめたレティシアの方が、今すぐにでも泣き出してしまいそうな顔をしていた。
「……リコッタ、落ち着きなさい。だめです、そのままではあなたの心が壊れてしまいます」
「…………どーゆーことでげす?」
「溜めないで、小出しにしなさい。少しずつにしましょう。一気に崩壊させるのだけは、ぜったいダメ」
「………………ためてないよ? なーんもない。なんか今、ちょっと、頭のなかとか、胸のなかとか、空っぽで、あ、神さまだ……何してるんだろ……」
「待って、お願い待ってリコッタ。そっちの世界へ行ってはダメよ。おとうと様以外の神などこの世にもあの世にもいないの。だからあなたの見ているそれはきっと幻覚か邪神――あ、神様だ………まぁ、ほんと……」
お前まで何トチ狂ったこと言い出しとるんだ――と、二人の胸が痛くなるやり取りから目を背けていた人でなしが、ツッコミ入れつつ思わず振り向いてみれば。
「……………ゼノ……?」
二人が神と言い出した時点で気付くべきだったが、中央広場方向の中空に、なんかめっちゃ光り輝きながらお空に浮かんでいる弟がいた。
しかも、よくよく目を凝らしてみれば。やたらめったら神々しい後ろ姿を見せる弟の腕の中には、何やら指示を出しながら空を掴もうとしている――〈深淵の魔女〉の姿。
何かを言い争い、悪い笑みを浮かべてそうな神と、泣きべそかきそうになってそうな魔女。
あまりにも場にそぐわない気の抜けるイチャイチャを繰り広げながら、二人は協力して『何か』を為そうとしていた。
その様を一同が呆然と見上げる中。シュルナイゼは、何もかも杞憂だったことを悟って白けてしまい、その場によっこらせと寝転がって神々しい男女を眺めた。
シュルナイゼは、これからいとも容易く実現されるであろうえげつない奇跡を想像して、今更ながらに投げやりに思う。
――ああ、そうか。
お前、ほんとに神だったんだな。




