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三話 魔女殺し。その名はオシツ湖

 アルアリアは拒否した。

 それはそれは拒否した。

 それはそれはそれは拒否した。

 それはそれはそれはそれはそれはそれはそれは拒否しまくった。

 それはもうこの世の終わりかというくらいに嘆き悲しみ発狂し狂乱の果てに絶望と怨嗟の汚泥に塗れて溺死したかのように意気消沈して廃人となり全ての感情を失って――


 約半年後。

 かつて純真無垢な少女だったはずのアルアリアは、完全に闇堕ちして車上の置物と化していた。


「…………………………………」


「………あー。………アリアや?」


 四人がけの、お高い料金を払って借りた、御者『要らず』の魔導馬車。

 おそるおそる声をかけるナーヴェに、対面のアルアリアは一切の反応を返さない。壊れた人形のように背もたれにくったりと身を預け、虚ろに開かれた口の端から涎を垂らし、虚ろな眼で車窓の向こうのよく晴れた青空を眺める。


 眺める? 否、彼女の瞳には、もう何も映ってはいない。そこにあるのは、ただただ深くて昏い、全てを飲み込むとこしえの闇。

〈深淵の魔女〉アルアリア、ここに完成形となって降臨す。


 在りし日に、大好きな祖母に膝枕をしながら、優しい微笑みを浮かべていた少女。そんな平和な一幕は、この世から永遠に失われてしまったのだ……。


「………………ぐすっ」


「みー」


 何時間も無視され続けて流石にちょっぴり泣いてしまったナーヴェに、アルアリアの膝の上の『その子』がたしりと片足を叩きつけて、『おー、元気出せー?』みたいに鳴き声を上げる。


 猫だった。

 黒い毛並みと金の瞳を持つ、小さな子猫。数週間かけてやってきたここまでの道中で、死にかけていた所を偶然拾った、元は何の変哲もない野良の猫。


 ――しかしその子は、心を失った今のアルアリアにとって、祖母以上にたいせつな、最後に残った唯一無二の存在であった。


「……みーちゃん。だめだよ、そんな汚い大人に触っちゃ」


「みー?」


 よくわかっていない顔で見上げてくる、膝の上の『みーちゃん』。

 アルアリアは彼女のちっちゃくてもふもふなお手々をそっと握って、穢らわしい祖母からそっと遠ざけた。


 孫娘が数時間ぶりにようやく言葉らしい言葉を紡いでくれて、一瞬歓喜したナーヴェ。しかし内容があまりにもあんまりすぎる上に、自分を視る目がまるで汚物の煮物を見るが如しだったので、しゅんと肩を落とし再び涙を流す。


「………………………………。はぁ」


「!!!!」


 やがて、小さく溜め息を吐いたアリア。

 そこに『まったく、しょうがないなぁ』という消極的ながらも確かな赦しの気配を敏感に感じ取り、ナーヴェはまるで生き別れたご主人様と数年ぶりに再会を果たした忠犬のように嬉ションせんばかりに満面の笑みで飛び上がって、みーちゃんを潰しかねないほど強烈にアルアリアの膝へと縋りついた。


「アリア!! ありあっ!!! うぇぇぇえん、ぐすっ、うぇぇぇぇええええええええん!!!」


「……はいはい、ごめんね、おばあちゃん。………わたしも、大人げなかったから……」


 子供のように泣きじゃくるナーヴェを、アルアリアは大人びた苦笑で受け入れてよしよしと頭を撫でる。

 元々、別にナーヴェに対して怒っていたわけではないのだ。ただただ、祖母以外の人間がわんさかいる所に行くのが、比喩抜きで死ぬほど嫌だったというだけで。


 ……流石に、一度きっぱり即座に「NO!!!!」と断ったはずなのに、その後数か月かけて裏で必要な手続きや準備を着々と進められてたり、確認テストと偽って入学試験の問題を解かされていたことを知った時は、ほんの少しばかり怒りを抱きはしたけれど。

 更に寝ている間にいつの間にか着替えさせられ、王都行きの馬車に放り込まれて、見知らぬ天井からの知らない景色からの青天の霹靂なネタばらしをくらった時には、世界が紅蓮に染まるほどの殺意を一瞬抱きはしたけれど。

 けれど、全てはナーヴェがアルアリアの将来を案じたがゆえのこと、そう思えば、ナーヴェに対する憤りなど、すぐに、消え、………、………………。


「……………やっぱり、もうちょっと、口きかないでおくね」


「アリアあああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!!??」


「あーもー、うるさい……」


 やさぐれて口も態度も悪くなってしまったアルアリアは、それでも手つきだけはかつてのように優しいまま祖母をそっと遠ざけて、潰れかけて喘いでいたみーちゃんを「よいしょっと」と抱え直す。


「みー。みー」


「うんうん、ごめんね、みーちゃん、うちのおばあちゃんが痛くしちゃって。……むしろ、うちのおばあちゃんが痛々しくて、ごめん?」


「アリアがうちのおばあちゃんって言ってくれたああああああぁぁああああ!!! あたし、まだありあの中でおばあちゃんだあああぁぁぁぁうええええぇぇぇぇんんん!!!」


 末期なナーヴェに「はいはい」と苦笑を返し、アルアリアはみーちゃんの喉をこりこりと撫でて「みー!」と上機嫌に鳴かせる。


 ――人間嫌いのアルアリア。彼女は本来、動物もそんなに得意ではない。


 というより、動物の方がアルアリアを嫌う。

【魔女】というのは、生まれつき膨大で濃密な魔力をその身に秘めた『人間種の異常個体』であるため、視えないものに敏感な野生の動物や魔獣の類には、畏れられ逃げられるか、窮鼠のようになりふり構わず牙を剥かれるかの二択だ。


 それなのになぜ、何の変哲もない子猫のみーちゃんとは、お互いに笑顔を浮かべながら触れ合える関係になっているのか。

 それは、肉体が死にかけていたみーちゃんがアルアリアによって救われたからでもあるし、心が死にかけていたアルアリアがみーちゃんによって救われたからでもある。


 だが、最も大きな理由は、彼女と彼女が【従魔契約】を結んだ、半ば一心同体の存在であるからだ。


「みー」


「ほら、みーちゃんも『ちょっぴり痛かった』って言ってるよ? おばあちゃん、ちゃんとごめんなさいしようね?」


「ごべんなざいいいいいい、おろろおおおおん、おろろろおおおおん!!!」


「みー……。みっ!!」


「『しょーがないから、ゆるしてあげる!』だってさ」


「あざあああああああああああああああああっっっっっス!!!!」


「みっ!!」


「………あと、『ありあが、ひどいこと言って、ごめん』だって。……いや、わたしは、ひどいこと言ったつもりも、謝るつもりも、これっぽっちも、ないんだけど――」


「みっ!!!」


「……………『嘘つくな』って、すっごい怒られたので、まあ、ちょっとだけ、………、………ほんと、ちょっとだけ、今までごめんね、おばあちゃん」


「アリアぁん♡ んまぁ、この子ってば、ンフフふふふふ♡♡ もうっ、ちょっとだけなんて、素直じゃないんだからぁ♪」


 ♡を乱舞させながら身をよじりくねくねする祖母三百歳を前に、未だ闇から脱しきれないアリアは思った。こいつうぜぇ、と。


 ……それはさておき。まるでみーちゃんが人語を解し、アルアリアが猫語を解しているかのようなこの状況。これは『そう見えるだけ』というわけではなく、実際にお互いがお互いの言葉を、そしてその裏に潜む本当の感情すらをも理解しているからこそ実現しているものだ。


【従魔契約】。

 小動物や低級な魔獣と魔術的な回路を繋げ、ある程度の意思疎通と使役を可能とする、魔女のみならず魔術師の間でもわりとポピュラーな術である。


 ポピュラー。されど、どんな技術にも言えることだが、基礎や一般的と思われる部分でこそ、術者の力量の差は如実に表れる。

 三百年近い時を生き半ば伝説と化しているナーヴェをして、自分以上の天賦の才を持つと言わしめるアルアリア。そんな彼女が契約を交わした結果、何の変哲もない子猫だったはずのみーちゃんは、人間で言うと十五歳程度――つまりは術者たるアルアリアと同等の知能と、そして同じくアルアリアと同等の身体能力を『上乗せ』されることとなった。


 上乗せである。つまりは、アルアリアより子猫のみーちゃんの方が、現状、賢くて素早くてつおい。なんなら、もし身体が人間のものであったならアルアリア以上の天才魔女となっているだろう。


 しかし、みーちゃんは聡明であった。自分は猫で、そしてアルアリアは自分の命の恩人でご主人様。姉のような心境でアルアリアを微笑ましく見守り、時には優しくも厳しく道を正してあげることを己の使命と定めていた。


 そんなみーちゃんの取り成しもあって、アルアリアとナーヴェの冷え切っていた関係は、王都城門を目前にしてどうにか人肌程度のぬくもりを取り戻したのだった。



 が。



「………………………え、ぜんりょうせい?」


「? ええ、はい。そうですが……?」


 新生活ラッシュに湧き人でごった返す王都の街並みを一切堪能せず、馬車の中でありったけのローブとフードをしこたま被ってみーちゃんに縋りつきながらぶるぶるがたがた震えてやり過ごし、どうにか学園敷地内へとやってきたアルアリア。


 布のおばけ状態のまま、外界の情報をシャットアウトして祖母に引かれる手を頼りにおっきくて立派な建物に入った後、受付のお姉さんと祖母の会話を漏れ聞いて――絶句した。


 ぜんりょうせい。

 全寮制。

 それって確か、辞書によると、学校に通う生徒全員が親から引き離されて寮に入居して共同生活を送らねばならないという、地獄だってそこまでひどいことはしないぞというレベルの凄惨極まる拷問スタイルだったはず……?


 受付嬢からたっぷり五メートルは離れた壁に張り付きながら、アルアリアは受付対応中だったナーヴェを布の隙間からバッと見た。

 それに吊られて、顔と耳と勘の良い受付嬢が『まさか……』みたいな感じで眼前の美女を見る。


 ナーヴェは、まるで失禁したかのように全身からぶわっと冷や汗を流しながら、震える脚でどうにか立――てずに崩れ落ち、アルアリアに向かって全力で土下座した。


「黙っててごめんなさああああああああああああいいいいいいいい!!!!!」


「帰るうううううううううぅっぅぅぅっぅぅぅぅぅ!!!!!」


 アルアリアは脱皮した。

 身を纏う過剰な布を脱皮のかなぐり捨て、愛用の擦り切れたローブのみをなびかせながら、フードを両手で目深に被って全力で自由への逃走を図った。

 呆気にとられた受付嬢と、騙して連れて来た孫娘を追う権利を持たない祖母を置いて、肩にひっついてきたみーちゃんを気遣う余裕もなく、ただただ懐かしのリヴィエラを幻視して疾走する――。



 そして、案の定道に迷った。



「…………………ひぃ」


 当然の帰結であった。

 数千の生徒を抱えるマンモス校の異常の広い土地で、ろくに前どころか足元も見えない状態で闇雲に走り、人の気配を感じてはピンボールのように急激に方向転換を繰り返し、脳味噌ぐるぐる、お目々ぐるぐる、脳内マップもぐっちゃぐちゃ。

 それでもようやく門らしきものが見えてきたかと思えば、その向こうに広がるのは数刻前に完全防備状態で瀕死になりながらどうにかやり過ごした魔の都。


 硝子の心が砕け散る音がした。


 もはや逃げることも叶わぬと知り、折れた心を繋ぎ留めて帰巣本能のように祖母の元を目指して、どうにか人目を忍びながら影から影へと忍び歩いて――。


 そして、ついぞ祖母の元にも帰れないまま、無情にも数時間が経過した。


「…………………ひぅ」


 人気を避けているうちに迷い込んだ現在地、校舎っぽいおっきな建物に囲まれた、中庭っぽい所。

 身を顰めるのにちょうどいい植え込みの中にへたり込むようにしゃがみ込んだアルアリアは、遠くから人の足音や声が響いてくるたびに、しゃっくりのように引きつった悲鳴を出すだけのおもしろい生き物となっている。


「…………………あひっ。……………うひぃ」


「………みー」


「みっ、みーちゃん、だめっ、お願い、静かにしてぇ……! 殺されちゃうよぅ……!!」


「………みー……」


 最初は素直にアルアリアの言うことを聞いておとなしくしていたみーちゃんだったが、小一時間ばかりこの場所でアルアリアに抱き締められたまま動けていないせいで、流石にちょっと飽きてきた。ていうか呆れていた。


 アルアリアとの契約によって流れて来た知識から考えて、この場所はべつに見敵必殺のキルゾーンではない。むしろ、どちらかと言えば内部の者を保護する役割を持った施設に思う。

 逃走中に僅かに見かけた、揃いの服を着た少年少女達の顔つきは、どれものほほんとしたものだった。あの様子では、べつに部外者のアルアリアを見つけたからといって、いきなり豹変して『キシャアアアア!!』と舌と牙を剥き出しにして飛び掛かってくることもあるまい。


 だがそれでも、アルアリアが本気で彼ら彼女らに死ぬほどの恐怖を抱いているということは、『契約』を通して心にダイレクトに伝わってきている。だからこそ、みーちゃんも今はじっと我慢していたのだが……。


「…………ひっ、あっ、あひぃ! む、むりぃ、しぬぅ、しんじゃうぅぅぅぅぅ……!!」


「みぎいいぃぃぃぃぃぃぃ………!」


 ――死ぬのはこっちじゃい!? つぶ、つぶれるっ、潰れるうぅぅぅっぅ!!


 限界であった。

 ただし、アルアリアの恐怖心がではなく、そんなアルアリアに無自覚な天然強化魔術状態で締め上げられる、みーちゃんの肉体強度と、命の恩人にしてご主人様に対する忠誠心の方が先に音を上げた。


 かくして、みーちゃんは――飼い主たるアルアリアを真似したかのように、自由への逃走を図った。


「みぎゃー!!!」


「あっ、みーちゃん!!?」


 自慢の艶やかな毛並みを活かしてしゅるりと脱走し、しゅたっと地面に降り立った勢いを活かして華麗なストロークで地を這うように植え込みの中を脱出する。あたし今、とっても自由! 風ね、あたしは今風なのね!!


 圧死の危険から逃れた疾風のみーちゃんは、過剰な解放感から秒でランナーズハイとなり、今なら空すら飛べる気がして、手近にあった大樹の幹を踏み切り台のようにぐんぐんと駆け上がっていく。地上十メートル。さあいくぜ、あたしは今から風を追い抜き鳥になる――



(――だめっ、みーちゃん!!!!!!)



 今からみーちゃんが何をしようとしているのかを心で理解したアルアリアは、まるで自分自身が身投げしようとしているかのような悲壮な叫びを脳内へと送って来た。


 それを受けて、みーちゃんは思わず枝の上で急ブレーキ。それでも止まり切れず、手近なささくれに咄嗟に前足をひっかけてどうにか樹上に留まることに成功する。


(………っぶな、あっぶなっ!? ちょっとありあ、危ないでしょ!? いきなり叫ばないでよ!! 腕ちょっと切っちゃったじゃん!)


(叫ぶよ、当たり前だよ!? なんでいきなり、じっ、じ、じさっ、じさっ、しようとしてるの!!? そんなにわたしと一緒にいるの、き、きらいに、なっちゃっ、た、の……?)


(いや泣くなし、ありあ……。べつに嫌いになってないよ。ただ、さすがにあのままじゃ、あたしありあに潰されてころされてたし……。あんた、自分がばかみたいな魔力に物言わせて天然の強化魔術発動してたの、気付いてる?)


(……………えっ?)


(ついでに言うと、その従魔であるあたしもあんたの魔力で強化魔術使えるんだから、この程度の鷹さから飛び降りるのなんか朝飯前なわけ。……いきなり死にそうな痛々しい声で叫ばれて、集中さえ乱されなければね)


(…………えっ? ご、ごめん……)


(………いや、いきなり走り出したあたしも、ごめんね? だから、おあいこにしよっか)


(…………ん……。そう、しよっか)


【従魔契約】によって繋がった回路を通して念話でやり取りを交わし、心でお互いを赦し合い、受け容れ合った一人と一匹。

 俄かにのほほんとした空気が流れ、主従の絆は深まったが、だからといってべつにアルアリアの置かれている状況が改善されたわけではない。


(しっかし、ありあ、これからどうしよっか……)


(う、う~ん……。…………どうしようね……)


 最悪、みーちゃんが単独行動して祖母をここまで誘導してくる、という手は有る。が、その案はみーちゃんの頭に浮かんだ時点でアルアリアに即座に却下された。


 アルアリアにとって現状唯一の味方であるみーちゃんが遠くに行ってしまったら、アルアリアは確実に泣く。決壊するのが涙腺だけならまだいいが、トイレにも寄れずに長時間走り通しだったので、膀胱がそろそろヤバい。

 もしこんな所で、それも運悪く人が通った時なんかに下から号泣してしまったら、アルアリアはもう本気でうっかり自殺しかねない。もし死を回避出来たとしても、今後一生リヴィエラに引き籠ったきり、二度と外へ出てくることはないだろう。


 みーちゃんは、植え込みに潜んでいるアルアリアを見下ろしながら、『あれ、今ってもしかして結構ぴんち……?』と認識を改めた。


(さっきまでもずっとぴんちだったよ!?)


(あーうん、あんたがそう思うならそうなんでしょうね。あんたの中ではね)


(ひどい!?)


 いや、だって、ねえ? とみーちゃんは内心苦笑いである。

 そんなみーちゃんに愕然とするアルアリアを他所に、みーちゃんは良い風に吹かれながらなんの気なしに辺りを見渡す。


 と。そこで、校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下を歩く、一人の少年に目が留まった。


(あらやだ美形)


 最初に抱いたのはそんな感想。

 次に、己と同じ、黒い髪と金の眼という色彩に親近感を抱いた。

 しかし最後に、彼がその身の内に押し込めているあまりに強大な、暴風のように荒れ狂う凄絶なる魔力を感じ取って、おしっこちびらんばかりに度肝を抜かれる。


(なにあれ。うちのありあ以上じゃん……。ばけもの……? いえ、でもそれをあそこまで完璧にコントロールしきって身体の中に押し留めてるって、いやそれやっぱりばけもの……。うっわ、えっぐ。なにあれ怖ぁ……)


(ばっばばばばっばばけもの!!? やっぱり!? やっぱりこわいばけものいたの!? ここはやっぱりばけものの巣窟なんだぁうわあぁぁぁああああん!!?)


(あーもーるっさい!! 安心しなよ、『アレ』は使い魔一匹まともに支配できないあんたとは違って、完璧に自分の力を飼い慣らしてるから。むしろあんた、あいつに弟子入りした方がいいんじゃない? 主にあたしのカラダを潰さないために)


(うっ)


 被害者になじられて押し黙る、殺猫未遂の現行犯者であるアルアリア。

 そんな彼女に溜息を吐きながら、みーちゃんは件の少年の観察に戻る。


(ほら、映像送るから、あんたも見てみ? あいつすごくない?)


(…………………うわぁ)


 従魔契約を結んでいる主従は、思念や感情のみならず、五感を共有することもできる。

 その能力を使って、自らの眼に映るバケモノ少年の映像を主人に送ったみーちゃんだったが、返って来た言葉に――ではなく、返って来た『感情』に思わず目を眇めてしまう。


(……………あんた……。いや、あたしも一目見たときはそう思ったから、べっつにいいんだけどさぁぁぁぁぁぁ? でも、あたしが今見ろって言ったのは、あいつの魔力コントロールのヤバさなわけよ? あんたどこ見てんのよ、このマセガキ)


(ませっ……、もっ、もももももももちろんだよわたしだって魔力しか見てないよ、てっとうてつびあの人の魔力しか見てませんよ!?)


(……ふーん? あっそ。なんかやる気なくしたわー)


(ええっ!!?)


 思いの外余裕らしいご主人様に白けてしまい、みーちゃんはアルアリアを無視して勝手気ままに振る舞うことした。


「みー(おーい、そこの少年やーい。暇してたら、ちょいとおねえさんと遊ぼーぜー)」


「……あん?」


(あっ、ばかばかっ!!!)


 アルアリアの手遅れすぎる制止を他所に、みーちゃんのお誘いはしっかりと黒髪少年の耳に届いた模様。

 だが音源までは特定出来ていない様子で、美形に似合わぬ間の抜けた面であたりをきょろきょろと見渡している。


「(ふーん? いけめんにしては、性格もそんなに悪くなさそうじゃん。ほれほれ、あたしはここよ~、ここなのよ~)みー、みー」


「……中庭の方か?」


(うわあwfaweあああぁfaweぁぁぁwぁああjgkfadkl)


 ちょうど潜伏場所の鼻先を掠めるように通られて、アルアリアはあまりにテンパりすぎて失神寸前であった。

 それでもぎりぎり意識を繋ぎ留めて、息を殺しながら己の眼をぎゅっと瞑り、みーちゃんからの視覚情報を頼りに少年の動向を監視することに全力を注ぐ。


 みーちゃんは困ったご主人様にやれやれと思いながらも、これで邪魔はいなくなったとばかりに少年を誘惑。


「みー、みー? みー……(おいでー、おいでー? はやく来てくれないと、あたし寂しくて泣いちゃうのぉ……)」


「はいはい、今行きますよお姫様――って、お前そんなとこにおるんかい……」


 ようやくみーちゃんの居場所を突き止めた少年が、樹上を見上げて呆れたように呟く。そして、彼は、どういうわけか、まるで人間に語りかけるかのように声をかけてきた。


「おいおい、まさか登ったはいいが降りられなくなったとかベタなことは言うまいな?」


「(……ん? このにんげん、あたしの正体に気付いて――は、いないっぽいよねぇ、あたしのこと完全に猫扱いしてるし……。え、猫に語り掛ける系の寂しい人なの……? あらあら、それはそれは、いけめんなのにおかわいそうに……。しょうがない、おねえさんがめいっぱい優しくしてあげるからねぇ)みー!」


 愛らしくて人懐っこい猫を意識し、元気よくお手々を挙げて少年に応えるみーちゃん。そんなみーちゃんに、少年は困ったような苦笑いを浮かべると、気遣いに満ちた優しい声音で語り掛けてきた。


「じゃあ、なんだ。まあ、これからお迎えに行くから、おとなしく待ってなさい」


「みー(いえっさー)」


 呑気に答えるみーちゃんに益々苦笑を深くして、少年は高級そうな上着をその辺に茂みに惜しみなく放り投げ、運悪くそこに隠れていたアルアリアの息の根を止めると、ワイルドに木の幹にしがみついてきた。


 ありあ、だいじょうぶかしら? 死んだ? と生命反応ごと通信途絶したご主人様に対して呑気な心配を抱くみーちゃんの耳に、木登り少年の気の抜けた声が響いてくる。


「ねーこ、ねこねこ、ねっこねこー。ねこっこねこっこ、ねっこねこー」


(………………。えっ?)


「ねーこ、ねこねこ、ねっこねこー。ねこっこ、こねこね、ねこねこねー」


(…………えっ、なにこの気の抜ける歌……。この子、かっこいい顔して、すっごくあほっぽい……)


 いけめんに対する幻想を打ち砕かれて裏切られたような気分になりながら、しかしなぜか悪い気もせず、気づけば自分も「みー、みー、みみっ、みーみー♪」と一緒になって歌ってしまうみーちゃん。すると少年も興が乗って来たようで、「みーみ、みみっみ、みーみみ、みー♪」と輪唱のように口ずさむ。


 そんな感じで謎のシンパシーを育むこと数分。ようやくみーちゃんの元まで登って来た少年が、万が一にも相手をびっくりさせないようにという気遣いを滲ませながら、ゆ~っくりと手を差し伸べて来た。


「落ちたらあぶないから、こっちおいで。俺は一応魔術使えるから、俺の腕の中にいればもし落ちても安心だぜ?」


「(一応とか謙遜しすぎでしょこのバケモノ……。そしてやっぱり猫に語りかける系の人なのね……。残念いけめん……。でも嫌いじゃないわ、そういうの)みー」


 少年に請われるまま、彼の腕の中へぴょいと飛び込むみーちゃん。

 が、その瞬間、みーちゃんの脳裏にアルアリアの素っ頓狂な悲鳴が響き渡った。


(はわあっ!!!?)


(!? どした、ありあ!? おしっこ? おしっこもらした!? あちゃー、やっちまったなー!)


(やっちまってないよ!? 冤罪だよ!! ……ってそうじゃなくって、なに、これ、あっ、な、なんか、体が、あったかくてざわざわするぅ……!!)


「………ん? なんだ、俺の腕の中は気に入らんか? そりゃあ、お姫様が愛用していらっしゃるような高級ベッドには及ばん寝心地でしょうがねぇ」


 一瞬アルアリアが何をそんなに身悶えているのかがわからなかったみーちゃんだが、少年の拗ねたような台詞でようやく理解した。

 どうやら不安定な精神状態のせいで同調率のコントロールを誤って、視覚のみならず触覚も共有しているらしい。


(んー? これ、いいのかしら。ありあ、この少年に黙って、抱き着いちゃってることにならない? ……ちじょ?)


(えんざい!!?? っ、あっ、あ、あっ、あっ)


「ほーれ、のどこりこりだぞー。フッ。何を隠そう、これは俺の十八番でなぁ。未だかつてコレで堕ちなかった女はいねぇのよ。おらおらー、ほれほれー」


(あっ、あ、あっ、あっ、あ、あぅ、あっ、……っあぁんっ♡)


「(やめて、少年!! ありあが完全にメスの声出してる!? だめよ、それ以上はだめなのよ、あっ、あ、ちょっと、いやん、らめぇ♡)んにゃぁ~♡」


「はっはっは! そうかそうか、気持ち良いか! ……って、あれっ、お前もしかして腕怪我してる……?」


 優しく腕に抱いた仔猫ののどを思うさまこりこりしまくっていた少年だったが、自らのシャツに付着した僅かな赤い色に築いて思わず手を止める。


(はぁっ!! はあ、はっ、はぁ、はぁ、はぁぁ……、…………み、みーちゃん!!! 今すぐそこから離れて!! そこはだめ、ほんとだめ、もうわたしだめ、こわれちゃう、ぼうこうがこわれちゃう!!!)


(んにゃっ!? それはまずいにゃ!? おしっこにゃ!? 今度こそおしっこなのにゃー!!? は、早く同調切るにゃ!!!)


(どうやるのかわかんないよぉ……!!! だからお願い、そこからなんとか、逃げ出し――)


「まったく、お転婆だなぁ……。しゃーない、動くなよ?」


「みゃう(え、少年、あんた何する気――)」



「【完全治癒の奇跡】」



 ――たかが子猫のちょっとしたケガに対して、いとも容易く行使された、天上の身にしか赦されざる治療の絶技、【完全治癒の奇跡】。


 少年の腕の温もりの中。揺り籠のように優しく揺られる仔猫の身を、まるで春の日差しの中で大好きなお母さんに膝枕をしてもらっているかのような、心の凝りのすべてを解きほぐしてしまうぽかぽかとしたやすらぎが包み込む。


 腕に負っていたはずの傷は、跡形もなく癒え。それだけにとどまらず、今までの野良猫生活の中で知らず知らずのうちに傷つき強張っていた心さえも、ていねいに、どこまでもていねいに、底なしの愛情によって満たされ、あたためられ、解きほぐされていく。


 母なる存在を感じ、あまりの心地良さにこのまま昇天してしまいそうになる。

 けれど、残念なことに、そんな時間は永遠には続かない。


 奇跡の残滓の燐光が消え去り、反動で、少しだけ寂しい想いを抱いてしまい、思わず泣いてしまいそうになる。


 ――けれど。そんな寂しさなんて感じる必要ないとばかりに、少年はにかっと力強く笑いかけてくれるのだ。


「ほーら、綺麗に治った! すっかり元の綺麗なカラダだぜ、お姫様――うおぁあ!!?」


「ふにゃぁぁぁぁぁ~…………」


 すっかりへろへろぷーの骨抜きにされてしまったみーちゃんは、膀胱の凝りまで完全に解きほぐされてしまい――盛大にお漏らしした。

 じょばあっと。少年の腕に抱かれたままで。


 唐突に回避不能攻撃をくらった少年はあわててみーちゃんの身体を持ち上げようとするが、高い木の上で更に高い高いすると怖がらせるかもみたいな感じでおろおろ迷った挙句、結局中途半端な高さに掲げたみーちゃんのおしっこを諦めの笑顔で粛々と受け止めた。


「あー…………」


「ふにゃぁ~………(まじごめんなのにゃ……。あたし、いけない子なのねん……。こんなはしたないあたしを、どうか赦してほしいのにゃ……。できれば、あんまり怒らないでほしいのにゃぁ………)」


「……いーよ、そんな申し訳なさそうな顔すんなよ。気持ち良かったんだもんな? じゃあ、しょうがないさ。そもそも、レディの許可無く勝手に魔術使った俺が悪いんだし。……だから、おあいこにってことにしような?」


「ふにゃぁあああ………!!!(え、こいつ神? 神なの? なにこの底抜けの優しさ。あたし一生あなたについていきますぅぅぅ……!!!)」


「はっはっは! よせやい、よせやい」


 抱きあげている手をぺろぺろと舐められて、少年はごきげんに笑う。

 そこには本当におしっこまみれにされたことに対する怒りなど微塵も無く、本当に心から猫のことが――みーちゃんのことが好きなんだなぁというのが伝わってくる。


(ありあ、ありあ!! こいつ、すげーいいやつなの!! こんなイイやつ、あたし初めて見た!!! これ絶対あたしのこと愛してるのよ!? あたしもこいつ好き、大好き、もうこいつあたしのつがいにしたい!! いい? いいよね!? こいつお持ち帰りしていいよね!!?)


(………………………………………………………)


(………? あり? ありあ? どしたの? …………死んだ?)


(死んだ)


(えっ)


(………………………しゃかいてきに、しにました…………)


(………………………お、おぉ)


 みーちゃんは、全てを悟った。

 下半身の、この何もかもを溶かされ吐き出した後の、絶頂にも似たすっきりとした解放感。


 これは、二人分の快感であったのか、と。


 唯一の救いは、アルアリアが思いの外ショックを受けていないことだろう。

 今すぐリストカットに走って死体をひとつ生み出していてもおかしくないが、幸いそうはなっていない。


 その理由は、みーちゃんを通して、少年の慈愛と赦しがアルアリアにも流れ込んでいるから。


 ――この人なら、女の子がおもらししている程度で、その子をきらいになったりなんかしない。


 予感ではなく、確信。確信ではなく、ただの純然たる事実。

 まだ会ったばかりの――否、まだ直接の面識さえない、人間不信のアルアリアにさえそう思わせてしまうほどに、その少年の『愛』は大きかった。


(………ありあ)


(…………うん)


(……こいつ、そっち連れてっていい? あたしと、ありあの、おもらしのあとしまつ、手助けしてもらお? この子もおきがえしなきゃだから、一度にやっちゃった方が、きっとこの子も楽だと思うの)


(………………それは、さすがに、ちょっと……)


(ありあ?)


(……………………。おねがい、しよっかぁ……)


(うむ!!)

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