表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/145

十二話 人間の定義

 ――最近、どうもツイてないなぁ……。


 茜色の空の下。適当な切り株に座り、偶然仕留めた獲物で拵えたアウトドア料理を食べながら、その二十代後半のローブ姿の女――魔女・ヒルデは、ここ最近のケチの付き始めとなった一件について思い返しながら嘆息する。



◆◇◆◇◆



【魔女機関】臨時総帥・エルエスタの首を獲るため、内通者である先輩魔女と共に、機関の本拠地へと赴いたヒルデ。


 本来の作戦通りであれば、先輩が定期報告を上げてエルエスタの気を逸らしている間に、ただの新人魔女に扮していた〈力有る魔女〉であるヒルデが奇襲をしかけて即終了、という簡単なお仕事だったはずなのだ。


 だが。先輩曰く『あんたの才能は晴嵐の魔女すら軽く凌駕するレベル』と言われたはずの自分は、晴嵐とは異なり、あの【アリス世界】と呼ばれる空間において一切の権能を発動することができず。

 それに気付いた先輩が、そこで素直に引き下がればいいものを、手柄を求めるあまりにあろうことかエルエスタの懐柔へと路線を切り替えてしまったことから、作戦は先輩がほかほかステーキになるという形でこの上ない失敗に終わった。


 ただ、ヒルデとしては、特に先輩を責めるつもりはない。

 実際、ヒルデだって自分の才能はあの落ち目だという噂の晴嵐なんかよりずっと上だと思っていたし、それなのにまさか晴嵐でさえ容易く打ち破れるという話の【アリス世界】の権能不全効果を打ち破れないなどとは思っていなかったのだ。

 それに、先輩は功を焦りすぎたとはいえ、懐柔のために述べていた主張は焦っているとは思えないほど理路整然としたものだったし、少なくとも自分達の想いをきちんと伝えられたはずだ。

 その結果としての作戦失敗及び懐柔失敗なのだから、ヒルデとしては先輩に謝ることはあっても非難するつもりなどあるはずもない。


 そして。単純に、自分の才能を見出し面倒を見てくれていた親切な先輩を、ヒルデは普通に好いていた。

 だからヒルデは、ケチの付き始めは先輩に原因のあるものではなく、エルエスタと晴嵐にこそあるものだと結論する。


 ただ、頑迷且つ狂人であったエルエスタはともかく、直接会ったこともない晴嵐については若干責任転嫁の感は拭えていなかったけれど。



 だが。今日を以て、ヒルデの中では晴嵐も見事にブラックリスト入りを果たすこととなった。というか、狂人エルエスタをもブチ抜いて単独トップに躍り出た。



(なんなのだ、あのバケモノは……)


 桁外れの戦闘能力についてもそうだが、何より倫理観の欠如が激しすぎて全く理解が及ばない。

 一応無関係の他所の子を見逃す分別のあるエルエスタとは異なり、晴嵐の中には『見逃す』などという項目自体が存在しなかった。今回の晴嵐奇襲作戦に消極的な参加をした者も、参加したはいいものの恐れを成して逃げ出した者も、晴嵐はそれら全てを一切の区別も躊躇も呵責もなく一人残らず等しく皆殺しにして回った。


 残ったのは、最後の最後の詰めとして配されていた、こちらの切り札である〈紅蓮の魔女〉と、後は紅蓮の予備として控えていた自分のみ。

 自分は、晴嵐がその二つ名の由来たる【権能】を顕現させた時点で、即座にこちらも権能を顕現させて全力で逃走を図ったが、あの晴嵐のバケモノっぷりから考えると紅蓮でさえあの後晴嵐を葬れたかどうかは怪しいものだ。


 というか、むしろ紅蓮には死んでいてほしかった。そうでなければ、自分は敵前逃亡ということになってしまい、帰る場所はおろか命すらも失ってしまいかねない。


 だから、今だけはがんばれ晴嵐、などと身勝手なエールを送りつつ、大して美味くもない料理をもしゃもしゃ食べるヒルデ。


 ヒルデは思った。もし今回無事に帰ることができたら、ちょっと料理の腕でも磨こうかしら。いくら食わないと強くなれないからとはいえ、できればもうちょっと美味しくいただきたいものである。


「はぁ、まっず……。………………、ん?」


 やるせない思いを噛み締めながらひたすら顎を虐める作業に従事していたら、ふと自分を遠巻きに見ている人間の姿が目に留まった。



 ――男の子……?



 珍しい、と思った。それは、その少年が黒髪金目というここらでは見ない色彩を有していたからではなく、そもそも自分の眼にこのくらいの年頃の男の子が『人間』として映るということ自体があまりに珍しい。


 これが少女であればまだわかるのだが、彼は明らかに男の子だ。それも、中々の美形である。


 うっかり胸をキュンとさせてしまうヒルデだったが、んんっと咳払いして無理矢理心と声音を整え、もうすぐ三十路を迎えようかという年上のお姉さん特有の余裕を見せつけながらにっこりと微笑みかけた。


「きみ、どうしたの? お姉さんに何かご用かな?」


「………………」


 少年は、特に反応を示さない。これといった表情の浮かばないフラットな表情でこちらを見つめ続けるのみだ。


 流石にちょっと怪訝な思いを抱き始めたヒルデだったが、それでもヒルデはお姉さん。お姉さんというものは、年下の男の子には余裕を見せねばならないものなのだ。なぜならそれがこの世の摂理だからである。


 そんな感じでじっと待ちの姿勢を維持したことが功を奏し、少年は辺りをぐるりと見渡すと、僅かに首を傾けながら訊ねて来た。


「この光景は、あなたのやったこと、ということで間違いありませんか?」


「この光景、って――あ、ご、ごめん、私料理すっごい下手で、肉とか美味く捌けないんだよね……。この辺、もしかしてきみのおうちの敷地だったりする……? あの、えっと、汚しちゃってごめんね……」


「…………肉、ですか。……ちなみに、あなたが今食べてるのは?」


「………? 肉、だけど? 心臓の。……あ、もしかしてきみってば、内蔵肉とかは食べられないタイプ?」


「………………ええ、そうですね」


 ちょっとからかうように訊ねてみれば、少年は自らの不甲斐なさを恥じるかのように静かに瞑目し、とても静かに呟いた。







「俺には、人間の心臓を食べるような趣味はありません」







「………? え、いやそりゃ私だってそうだけど……」


「………………。なら、今あなたが口にしているのは?」


「フツーに『魔力袋』の肉。いやぁ、魔力しこたま使っちゃった所で運良く魔力袋がいっぱいいたから、思わず無駄に狩りまくっちゃったよね! でも正直一個食べたらもういいかなって感じだし、きみも食べたかったらどうぞ? その辺いっぱい落ちてるし、お姉さんに遠慮しなくていいからね」


「………………………………」


 目を開けることのないまま、再び黙り込んでしまう少年。


 これはあれかな、巷で噂の草食系男子とか陰キャとかいう奴なのだろうか? お姉ちゃんが手取り足取り自分好みに魔改造してあげなくちゃいけない感じなのかしら、ぐふふ……♡


 と、ヒルデがいけない妄想をもわんもわんと膨らませる、その目の前で。




 瞑目し、口すらも閉ざして、静かに佇む少年が――、ゆっくりと、その黒髪の色を『白』へと変化させていった。




「………………え?」


 何の動きもなく色だけ変わっていくものだから、うっかり変化を見落としそうになった。

 けれど、彼の髪の色がより白髪に近付くにつれ、ヒルデの中にある力が、そこらの魔女とは一線を画す〈力有る魔女〉としての【権能】が、唐突に激しい共鳴を示す。


 ――その感覚に、ヒルデは覚えがあった。


 これは、今回の襲撃作戦の前に〈紅蓮の魔女〉との顔合わせで味わったのと、同じもの。そして同時に、〈晴嵐の魔女〉を遠くから目にした時とも同様のものだ。


 同様? ――否。これは、紅蓮なんかの時より、ずっとずっと、激しく、強烈で、鮮烈だった。


 例えるならこれは、自分が対峙を即座に拒み、尻尾を巻いて速攻離脱することに何の疑問を覚えなかった、あのイカれたバケモノである〈晴嵐〉が向こうから追いかけて来たかのような――。


「――――――――嘘」


 とうとう輝くような白に染まり切った髪を戴くに至った少年を前に、ヒルデは呆然とそう呟いた。


 嘘だ。ありえない。だって、この子はどう見ても男の子だ。それなのに彼が内包している魔力の質も、量も、ただの大魔導士はおろかそこらの【魔女】でさえ足元にも及ばないほどのレベルに至っている。


 いや、レベルの高低の問題じゃない。この子のこれは、ただの魔女とは『そもそも次元が違う』。


 つまり、この少年は――、自分と同じく、世界の理すら跪かせ、意のままに法則を歪曲し改変する【権能】を内包せし存在に相違ない。




 即ち、〈力有る魔女〉。――それも、自分や紅蓮みたいな『紛い物』とは違い、きっと、本物の。




「………………?」


 ありえない現実に驚愕して頭が真っ白になったヒルデは、その白い空間の中に、自分の喉元からおかしな音が響いてくるのを聞いた。


 かり、かり、と、何かをひっかくような音。


 がり、がり、と、何かを強くひっかくような音。


 ぐちゃり、ぐちゃり、と、何かをひっかきだすような音。


 がきり、がきり、と、硬い何かを削り出すような音。


 ああ、これは何の音だろう?


「…………が、……ご、ぶっ」


 音の正体を知るより先に、口からとめどない血が噴き出て来て、おもわず嘔吐するように下を向こうとしたヒルデ。


 しかし、喉のあたりに首輪のように何かがひかかっていて、うまく俯くことができない。




 そこにひっかかっていたものの正体は、首輪ではなく、血まみれになった自分の両手で。


 自らの喉笛を引きずり出したヒルデは、どうしてこんなことをしているんだろうと不思議に思ったものの、その理由にすぐに思い当たった。




 未だ閉じられたままの、白髪の少年の瞳。


 もし、開かれたアレに見つめられたら、自分の魂はきっと輪廻の輪に載ることすら赦されずに、一瞬で消し飛んでしまうだろう。


 ごめんなさい。ゆるして。いいこにします。つぎはもっといいこにうまれてきますから、どうか、けさないでください。


 けされるくらいなら、いっそ、じぶんで――。


(ああ、そういうことか)


 ヒルデは得心した。自分の行動の理由も、意味も、丸ごと理解した。


 そして、一切の躊躇いを排除し、『次は良い子に生まれてくる』という誓いのみを己の魂に刻んで、一息に自らの喉から脊髄へと貫手を突き入れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ