十一話 夕凪
「……………………んぁあー……?」
不意にくしゃみが出そうで出ないような微妙すぎる気持ち悪さに襲われた俺は、口の端から垂れかけてたヨダレをずびっと啜り、目をしぱしぱ瞬かせながらのっそりと上体を起こした。
起こした。ということは今の今まで寝ていたということなのだが、はて、俺いつ寝たんだっけ……?
「…………………お、おおう」
何の気なしに大樹の向こうに透かし見た空が完全に夕焼け小焼けに染まっており、辺りに広がる花畑も、遠巻きに囲む森の木々も、何もかもが茜色一色。
カラスは鳴いてないけど、なんかもうおうちに帰る一択としか思えない光景が辺り一面を覆いつくしている。
え、どゆこと? 俺、さっき女の子達と一緒に朝飯食ってた所のはずだよね? もしかして俺は、女の子達と食事を共にすると記憶が飛ぶ呪いにでもかかっているんですの……?
「………………あー、あー……、そっか」
呪いは無いにしても若年性健忘かなんかの可能性を心配し始めた俺だったけど、俺のすぐ両隣に密着するような形でそれぞれ黒髪黒着物少女とローブ完備の魔女っ子ちゃんがぐーすかぴーと気持ち良~く寝こけている姿を見て、なんとなく段々思い出して来た。眠る前のことも、眠っていた間のことも。
ぶっちゃけ、何らかの理由で記憶が飛んだり知らないうちに怪事件に巻き込まれたわけではなく、今回は普通に盛大に寝過ごしただけの話である。
わんさか持ち帰って来た大量のメシを食い過ぎたあまりに動けなくなった俺は、みんなに白い目で見られながらうんうん唸って横になり。
薬使おっかなー、どうしよっかなー、でもあんまり安易にお薬に頼るのもなぁーとかうだうだ迷っているうちにフツーに気持ち良くなってきちゃって、そのままうっかり寝ちゃったんだよなぁ……。
流石に途中でちょっと起きかけたりはした記憶があるんだけど、その度になんか横から「これは夢、夢ですよ……」とか催眠術師イルマちゃんに意味不明な呪文をかけられてはイルマちゃんと一緒に眠り。
またちょっと起きたと思ったら、「これ、は、ゆ、ゆめっ、まるっと、ぜんぶ、夢なんですぅ……!!」とアリアちゃんにやたら必死に念押しされてはアリアちゃんと一緒に眠り、といったことを繰り返した結果が、三人で小の字になって朝から夕方まで爆睡まで爆睡という事態である。
いや、俺と違ってキミら完全に起きてましたやん。なんで気付いたら一緒に寝てるんです? 起こしてよ、起こしてくれなきゃ一緒に遊べないじゃん。
折角念願の女の子達と共に過ごす休日だったというのに、ほぼ一日中寝て終わりとかどういうことなの? あまりに勿体なさ過ぎて血涙ものなんですけど……。
と、やり場のない少しばかりの不満を抱きながら、恨めしい気持ちと共に両脇の女の子を見てみると。
「くぴー…………くぴー…………」
「むにゃむにゃ、うーん、もう食べられないよぉ。ぐへへ」
いやこれ絶対イルマちゃんは起きてるでしょ。何そのベタすぎ且つ明朗な寝言……。逆にアリアちゃんは……、うん、完全に寝てるね。恥ずかしがり屋さんなアリアちゃんが、狸寝入りでこんなヨダレ垂らしながら鼻提灯膨らませられるとは到底思えん。
「…………はは」
なんか思わず笑みがこぼれた。半分くらいは乾いた笑みってやつだけど、もう半分は、なんだかとってもあたたかくて、やさしい気持ちから零れた微笑みだ。
――ああ。この子達は、俺のことを信頼してくれてるんだな。
こんな無防備な姿を惜しげもなく晒して、暖を取るように俺にぴったりとくっつくようにして眠りこけてるとか、こんなどう控えめに表現しても好かれてるとしか思えない光景を見せつけられては、もう俺お得意のネガティブな気持ちなんて欠片も湧いてこない。
ネガティブの代わりにこの胸の奥底から湧いてくる、このむずがゆいような照れくさいような、生暖かい気持ちの正体は――。
(しょーねん。ちょっといい?)
「………? あ、みーちゃん」
今まで樹に上ってどっかを眺めてたっぽいみーちゃんが、まだ寝ている女の子達に気を遣ってか、念話のみで語り掛けてきたかと思ったら、音も無く軽やかにすとんと降りて来た。
「どした? なんか神妙な感じね。……あ、勿論このまま野宿なんてしないでちゃんと寮に帰るから、アリアちゃんの身の安全は心配しなくていいよ?」
「…………みぅ」
「…………え?」
伝えるべきことは伝えたとばかりに身を翻したみーちゃんは、たたっと駆けだすと、少し離れてからくるりとこちらを振り返って誘うように「みゃー」と鳴く。
「……………………」
俺は、再び自分の両脇の女の子達を見た。
「……くぴー……。…………くぴー…………ぺくしゅっ。………………くぴぃー…………」
「ぶぇっくしょい。うぇーい、こんちきしょー」
「いやだからこれ絶対イルマちゃんは起きてるってばよ……」
なぜこうも頑なに狸寝入りを続けるのかはわからないが、どうやら起きたくないらしいので、俺は溜息をひとつついてから『防犯グッズ』一式を二人の身体の上やら傍やらに敷き詰め、最後に俺お手製の外套を二人にそれぞれかけてあげた。
「…………じゃあ、まあ。ちょっとだけ、行ってくるね? はっきり言って俺本体よりも二人の方が安全ってくらいにグッズを大盤振る舞いしてるけど、それでももし何かあったらこの俺がすぐさますっ飛んで来るから、心配しないでね」
「…………くぴぃ……? ………はぁーい……♡ むふ、むふふぅ~…………。……くぴぃ~…………」
「いいから早よイけそーろーおにーちゃんぐーすかぴー」
「イルマちゃんはほんと何なのもう……」
とってもいい子にお返事してくれたアリアちゃんとの対比が激しすぎて、俺はもうイルマちゃんになんて言ったらいいかわかんないよ……。
でもまあ、また怒られちゃって家出同然で逃げるように出発するのもアレですし。しゃーないから、そろそろ行くとするかねぇ。
「みー」
「はいはい、今行きますよー」
相変わらず神妙な様子のままで言葉少なに急かしてくるみーちゃんに、俺は敢えていつもの調子で返事をし、さっさと追いついて、そのまま連れ立って目的地へと足を向けた。
何かを心配して焦っている気配のあるみーちゃんには悪いけど、俺はべつに嫌な予感とか事件の予兆とか、そういったものは感じていない。
だって、もしさっきみーちゃんが言ったことが本当なのだとしたら、起きるべき事件があるのなら、既に起きてしまった後だろうから。
だから俺がやるべきことは、二つだけ。
そもそも事件なんて起きておらず、取り越し苦労なのを願うことと。
――既に起きてしまった事件の、落とし前をつけさせることだけだ。




