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八話裏 おそらく、一番の切り札は――

 今ちょっと己の背後で起きている、見るのが若干めんどくさい現実から目を反らしながら。それはそれとして放置しつつ、イルマはぼんやりと思う。


(……まったく……。あの『おにーちゃん』は、本っ当にしょーがない人ですよね……)


 何度も何度も心配そうな顔で『防犯グッズ』を置きに来た挙句、自分に怒られてようやく半泣きになりながら出発した『おにーちゃん』の姿を改めて思い返し、イルマは深々と溜息を吐いた。


 どーしようもない兄に対する内心の愚痴とやり場のない呆れ、を込めたはずのその吐息。けれどそれは、何度やってみてもイルマの思った通りの色合いになってくれない。


 そのことを不快に思いたいのに、それもまた、思い通りにならない。


 ――ああ、認めたくない。


 鬱々した諦念と共に恨み言のようにそう呟いたイルマは、それを最後にきっちりと気分を切り替え、これまで見ないようにしていた事実と向き合う覚悟を決めた。




(――――我ってば。あの人のこと、本気でかなり好き……かも、です)




 覚悟を決めたはずなのに、まだ『かも』と逃げの表現をしてしまう自分に思わず笑ってしまうけれど、これくらいは乙女の可愛い意地として許して欲しいとイルマは誰にともなく思った。



◆◇◆◇◆



『お姉ちゃん』の――【聖天八翼】の主たるレティシアの命令により、序列第二位たる〈智天〉のイルマとして、任務としてゼノディアスの身辺を探っていただけ。それは事実で、最初は本当にただそれだけのはずだった。


 変化のきっかけは、今から約一年前。ゼノディアスの学園入学に合わせて、お忍びの留学生としての編入を目論んだレティシアが、イルマを伴いこのアースベルム王国へとやってきたことに端を発する。


 それまでは、自身は主にレティシアの傍に侍り、ゼノディアスの情報は子飼いの【羽】を使って収集していたイルマ。

 だが、レティシアがいよいよ念願のゼノディアスにご対面するという事態になった以上、たとえ『どこまでも惨たらしく殺してやりたいほどに憎悪している相手であったとしても』、イルマが直々にゼノなんとかというド腐れ寝取り間男を調査しないわけにはいかなかった。


 最初は、本当に殺してやるつもりだった。募りに募った憎悪を晴らし切れないことになろうとも、とにかく早くこの世から抹殺してやりたいあまり、隙あらばあっさりさくっとヤっちまうつもりでいた。

 羽共の報告を精査・分析した限りにおいては、ある意味において【魔女】すら凌ぐ人外のバケモノであるようだが、とはいえイルマから見れば穴は多く、暗殺も容易。

 というか、有している身分と価値に反して、そこらの貴族より警戒が薄い。それはいっそ罠かと思うレベルであり、そのために思わず『様子見』を選択してしまった。


 思えばそこが、全ての分岐点だったのだろう。


 様子見――つまりは、ストーキング。こうしてイルマは、この世で最も殺してやりたい男のケツを追っかけるクソッタレな日々を過ごすこととなる。


 死にたくてたまらなかった。こんな世界滅べばいいと思わなかった日は無い。何が悲しくて、愛しのご主人様がクソゲス野郎の傍にいられるようセッティングしたり、ビチグソカスゲロ野郎のヒミツの性癖まで余す所なく暴かなければならないのか。


 しかし、イルマは仕事人であった。いつだってレティシアの望みに真摯に向き合い、望まれる以上の成果を常に上げ続けて来たのだ。そして、それはこれからも永遠に変わらないし、それはたとえウンコを食べるような耐えがたき恥辱に塗れようとも同様である。


 だから、イルマはゼノディアスを調べ尽くした。レティシアには『おとうと様が嫌がるようなことはしないように』と厳命されていたが、ご主人様のその命令はどうせ口だけである。

 ほんとはどうせ、どれだけの赦されざる大罪に身を浴そうとも持ち帰れるだけの情報を持ち帰ってほしい、と思っているくせに。中途半端な甘さに目覚めてしまった今のレティシアは、自らの願いを正直に口にすることができなくなってしまったのだ。


 異能・情報・経験によりそれをよく知っているイルマには、もはや歯止めなど存在しない。レティシアが望んでいるのならば、全ての罪は罪ではなくなるのだ。

 異能だろうが魔術だろうが薬だろうが裏の人間だろうが、使える物はなんでも使ってゼノディアスを丸裸にひん剥いてやって貧相なナニを衆目に晒してやっていいのだ。


 だが。そんな意気込みで挑んだスニーキングミッションの開始から暫くして。怪しげな何事かをしこしこと始めた様子のゼノディアスの私室の屋根裏に忍び込み、自らの【異能】を発動させながらそっと室内を覗いたイルマは、自分の考えが完全に間違っていたことを知った。




 ―――――でっか。


 え、なにこれ、超でっかいんですけど。




 呆然であった。次いで、ぶわっと冷や汗をかきながら錯乱した。『貧相とは?』と無駄に脳内の辞書を調べたりしながら、初めて目にする男性のおっきなおっきなおっきっきを食い入るようにガン見した。


 闇の住人を自称するイルマだが、これまで全ての拷問は異能でどうとでもなっていたし、そもそもレティシアを嫌らしい目で見る汚らわしい男という存在は極力視界に入れないようにしていたため、ましてや男の男たる所以のシンボルをナマで目にしたことなど本当に生まれて初めての出来事であった。


 無論、知識としては知っている。図鑑に載っていた絵も、見たくはなかったけれど、諜報員が一般常識も知らないのでは話にならないからと、仕方なく見たことはある。だから、全くの無知というわけではない。


 だが。果たして、自分の知識にある『アレ』は、こんなにも大きなものだっただろうか? もしかして、図鑑の縮尺の表示が間違っていた? いやそんなバカな。


 それに。絶え間なくしこしこと擦られているおっきなおっきな未知のナニかの先端から、何度も何度も何度も何度も吐き出されている、あのドロリとした大量の白濁液。あれは果たして、あんな大瓶何個分もの量が出るものだっただろうか? 


 確か、このゼノディアスとかいう名称の謎のナマモノが偽名で発表した論文の中に、質量保存の法則とかいうものがあったと思う。こいつ、自分で論文無視してない? おまえの身体のどこから、一体それだけの量の体液が出て来た?


 冷静に考えれば、おそらく魔力に関する何某かの影響があったのだと思う。けれどその時のイルマは、この世の法則すら捻じ曲げかねない衝撃の光景を目の当たりにして、頭の中が真っ白けっけのくるくるぱーになってしまった。


 しかも、その衝撃は留まることを知らない。


「……ふぅ。まあ、こんなもんかな?」


 誰が見ているわけでも聞いてるわけでもないのに、ゼノなんとかは晒した醜態を取り繕うように爽やかな笑みでそんなことを呟いたと思ったら、特濃魔力で満ち満ちた搾りたての白濁液を『使って』魔導具の仕上げや点検作業を始めたのだ。


 目で見ているだけでは何の効果を持つのかわからない、謎の薬や謎のアクセサリーの数々。それが一体何なのかをゼノなんとかの心を読むことで理解しようとしたが、しっかりはっきり読み取った上で、イルマは全く理解できなかった。



 ――四肢欠損は愚か頭部の喪失さえ治癒する【万能の霊薬】が数十本。肉体の死を超えて魂の死に至った場合に自動で九秒の時間遡行効果を発動する【即死回避の護符】が十数枚。時と重力を狂わせる異能級の魔術を小石一粒サイズの宝石に凝縮して封じた【次元消滅爆弾】が小袋にわんさか。全ての物理的・魔術的な防護を存在しないものとして切断・貫通する【龍牙小剣】が二対。反対に、全ての物理・魔術攻撃を存在しないものとして霧散させる【龍鱗外套】が十着以上。エトセトラ、etc……。



 一瞬、妄想か、と思った。このゼノなんとかがそういうブツだと思い込んでるだけの、紛い物。そういう可能性。

 そして次に、夢か、と思った。男のナニがあんなに大きかったり、そこから小さな樽くらいの量の白濁液が出てきたりしたあたりから、いっそ夢であってほしかった。


 だが、悲しいことに、全てはどこまでも現実だった。そして生来の職人気質が邪魔をして、ろくに現実逃避もできず、自分の瞳に映る全てを『このゼノなんとかならばあり得る』ものと断じる他なかった。

 事前に裏付けが取れている確実な情報の面からもそうだし、何より、かつてレティシアに対して使われた【秘薬】の、人の世に有ることがおかしいほどに絶大すぎる効果から考えても、このゼノなんとかなら、全部ぜんぶ有り得てしまうのだ。


 イルマは悟った。




 ――自分に、こいつは『殺せない』。




 厳密には、殺す、という所までは可能だろう。だが、何をどう考えようとも、殺しきる、という所までいくプランが糸口さえ見えてこなかった。

 当たり前だ。頭が吹っ飛ぼうが身体が消滅しようが何度でも復活する物理無効・魔術無効の無敵の人間(それ人間?)で、しかもこちらがどれだけ物理的・魔術的防護を固めても全くの無意味にされるとか、一体何をどうしろというのか。

 土下座か。泣きながら土下座すればいいのか。もしくは、絶対、死ぬほど嫌で、死んだって嫌だけど、こちらから股でも開いて媚びながら擦り寄れば殺されずに済むのだろうか――。


(……いや。むしろ、おそらくは、それこそが唯一の……)




 その後から現在へ至るまでの、約一年間。


 その間に、イルマは自分の予想が色々な意味で正しかったということを知ることとなり、手をこまねきながらひたすらストーキングするしかなかった日々の中で、ゼノなんとかに対する憎悪をうっかり好意へ反転させてしまったりするのだが――。



◆◇◆◇◆



「もー、ダメでしょ、みーちゃん。もっとちゃんと頭上げて!」


 おにーちゃんの残していった数々のありえねー『防犯グッズ』を眺めているうち、回想に耽りながらいつしかうとうとと気持ち良く舟を濃いでいたイルマは、いきなり背後から声をかけられて「はひっ」と驚きながらビクッと頭を持ち上げた。


 一瞬自分がどこで何をしているのかわからなかったが、それは本当に一瞬のことだ。木漏れ日の差す大樹の陰、辺り一面に広がる花畑の中に座っていた自分を俯瞰して、イルマはすぐさま状況を把握し――そして、いっそ眠ったままでいればよかったと後悔した。


 今更ながら、さっさと逃げてしまった『みーちゃん』が憎い。なぜこの混沌とした状況に我だけを残してさっさとトンズラこいてしまったのか……。


「ほら、みーちゃん。また頭下がってる……。今難しい所やってるんだから、ちゃんと協力してよね?」


「………いえ、だから、我はみーちゃんではなく――」


「それ、だめっ! みーちゃんは、たとえ分裂したって、にんげんの女の子になっちゃったって、わたしにとってはたいせつな親友のみーちゃんなのっ! ちょこっと数とか形とかが変わったくらいで、みーちゃんじゃないだなんて、そんなの絶対、ぜったい言わせないんだからね!!」


 数と形が変わったら、それはわりと別の生き物なのでは?


 とは言わせてもらえないらしいので、イルマは仕方なく溜め息を吐き、自分の髪を三つ編みにすべくうむむと唸っていらっしゃる〈深淵の魔女〉様の意のままに前を向いた。……果てしなく、どこまでも、どこまでも遠い目で。


 我、一体何やってるんだろう……。


「…………そうか。我は、実はみーちゃんだったのか……」


「そだよ? やーっと認めてくれたぁ。ふへへっ♪」


 常になくふにゃりと緩み切った笑い方をしているアルアリアの様子からわかるように、彼女は今も尚夢の世界から脱し切れていない。有り体に言って、めっちゃ寝ぼけている。


 イルマ調べにおいて、寝起きのアルアリアは大体こんな感じのぽんこつ娘になるということは把握済みである。今回は特別トバしていらっしゃるご様子だが、好きにさせておけばその内正気に戻るだろう。


 とはいえ、ただ知っているのと、実際にその相手をさせられるのでは全く別物だなと、ゼノディアス曰く『情報と実感の違い』とやらをしみじみ噛み締めるイルマであった。

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