七話 俺達は一体何と戦っているんです……?
その日、アルアリアは夢を見ていた。とてもとても幸せで、それはそれは心地良く、そしてありえないほどにリアルな感触を伴う夢だった。
周囲を瑞々しい木々が遠巻きに囲む、小高い山の上。
朝の澄んだ空気の中、春爛漫な大樹の木漏れ日の下で、風にそよぐ柔らかな草花をベッドにしてゆったりと横たわる自分。
そんな自分のすぐ隣では、ついさっきまで自分のことを構い倒してくれていた大好きな『ご主人さま』が、ゆったりと胡座で座り込んでいて。
満面の笑みを咲かせる彼の腕の中には、黒猫のみーちゃんと、なんでか人間の女の子になっちゃった黒髪のみーちゃんが二人一緒に抱きしめられていて、二人のみーちゃんは仲良く「うにゃー!」と叫んでじたばたしてた。
「フハッハッハッハァ!! 愛い奴らよのぅ、めんこい奴らじゃのう!!」
「うにゃぁぁああー!! うなう! うぎゃうん!!(熱ぃぃぃいいいい!! 蒸れる、てか燃える、毛皮が汗だくになるっ! はよ離れんかいこのせくはらおやじ!!)」
「うにゃぁあああああ!!? こっここここのヘンタイっ、このドスケベえぇ!! 我のことは気にしないでいいって言ったでしょうっ!? はなっ、離してくださいぃぃぃぃ〜!!!」
「ばぁぁっきゃろい!!! 俺は愛する女の子には絶対寂しい思いなんてさせない主義なんだ!!! アリアちゃんをあんだけ愛したんなら、他のお嫁さん達もそれ以上の熱い愛で全身火ダルマにさせるくらいでなきゃバランス取れないだろうがぁぁぁあああああ!!!!」
『えええええええええぇぇぇぇぇぇ――――――!!!?』
あ、やっぱりこれ夢だな。ぜのせんぱいはべつにご主人さまじゃないし。ダブルみーちゃんはべつにご主人さまのお嫁さんじゃないし。ていうかみーちゃんは分裂したり人間の女の子になったりしないし。しかも、わたしが既にご主人さまに嫁入り済みみたいな言い方だし。
さすが夢、なかなか設定が傾いていらっしゃる。
そんな感じですっかり現実逃避しながら、体温が四十度を超えて五十の大台に乗達ろうかというほどに熱い愛でこんがり焼かれ済みのアルアリアは、気持ち良〜く魂をトばしつつ心地良い風に吹かれて地道すぎるクールダウンを図っていた。
◆◇◆◇◆
「――うぅぅ、みゃっ!!(いいかげんに、しろってぇの!!)」
「あっ!」
揉み合っているうち、みーちゃんが体の小ささと艷やかな毛並みを活かして『にゅるぽんっ!』と俺の腕の中から抜け出してしまう。その様、まるで握り拳の中でにぎにぎされて飛び出す猫じゃらしの如し。
慌てて捕まえようと片手を伸ばすが、うっかりイルマちゃんまで逃しそうになったので慌ててそっちの確保に回す。
そうこうしているうちにみーちゃんはアリアちゃんのローブの裾から中へと潜ってしまい、そんまま布の中をモグラのように這い上がり、やがてカンガルーの赤ちゃんがお母さんのお腹の袋から顔を出すような感じでアリアちゃんの胸元から顔を生えさせたと思ったら、俺の方を睨んで「ふかーっ!!」と威嚇。
「みーちゃん……」
「ふかぁっ、ふしゃあ!(あァん、あによこの変態っ!?)」
「………………今逃げた分、後で割増にして撫でくり回してやるからなぁぁぁぁぁぁぁ………!!!」
「みぃっ(ひえっ)」
地獄の怨嗟の如く唸り声を上げる俺に、猛虎と貸していたみーちゃんが一転して哀れな子ウサギとなってアリアちゃんの胸の中へと頭を引っ込めてしまう。
いけないおもちゃのようにバイブレーションするみーちゃんがくすぐったかったのか、お花畑の中で納棺された人みたいに安らかに仰臥していたアリアちゃんが「うひぃっ♡」とあほっぽい喘ぎ声とヨダレを零してアヘ顔を晒していた。
うーん、アリアちゃんもうっかりオーバーヒートさせちゃったまんま、全然治る気配が無いなぁ……。
折角俺イチオシのお花見スポットに転移してきたというのに、この分じゃ食いモン飲みモンを買いに行けるのはまだまだ先になりそうだ。まさか前後不覚状態のかわいい女の子を一人放置してくわけにもいかんし、そもそもそうなっちゃったのは俺が猫可愛がりしすぎたせいだし。
モノホンのお猫様なみーちゃんにも完全に逃げられちゃったことだし、ここはやっぱり未だ俺の腕の中でじたばたうにゃうにゃ暴れてるイルマちゃんと背面座位おっと失礼、胡座かいた脚の上にイルマちゃんの軽すぎるカラダを乗っけて背後から抱き締める悦びを堪能し続けるっきゃないね!
「!!??! さっっさ、ささ、さいっっっっっ……………てぇぇぇ、ですっ!! 今あなたちょっと、なんっつーありえない誤変換をさらっと水に流しやがりましたか!!?」
「背面座位」
「………………。ぶっころです、ブッ殺ですよゼノおにいちゃん……!! 我のだいじな貞操と膜を賭けて、今こそ再び聖戦の刻なのです……!!!」
じたばたから一転して静かになってくれたイルマちゃんだけど、代わりに拳を小刻みにぷるぷる震わせながら、怒りを押し殺した声音で低く静かに開戦のラッパを吹き鳴らしてきた。
対する俺は、あまりに真っ赤に染まり過ぎな彼女のうなじを至近距離から見つめながら、『あ、イルマちゃん本当に処女なんだ……』と謎の感動で胸を熱く震わせていた。
美しくも愛らしい黒髪黒着物ストーカー少女という、出で立ちも行動も隠密っぽい娘だから、もしかしたらオンナとしての武器を使って諜報活動とかしてるんじゃないか、とかちょこっとだけ残念に思いつつも『それなら是非ぼくちんもご相伴に預かりたい所ですなぁぁぁぁぁぁ…………!!』と心の中でニチャアァァァ…………!! な下卑た笑みを浮かべたりしてた俺だけれども。
いざこの腕の中に純潔の乙女を抱き締めてると思うと、ちょっとこう、なんというかこう、だいじにしてあげたいし彼女の意志も尊重してあげたいんだけど、最早二度と手放す気になれない。
勝てば、この腕に抱き締めた人類史上最高のレア度と価値を誇る一品モノの秘宝が丸ごと手に入るというのなら。
いいだろう。この聖戦、受けてつかまつる――!!
「オオオォォォォォォォォォォォ……………」
「にひゃぁ!!? ぜっ、ゼノ、おに、ちゃっ、く、くすぐった、や、メっ、もっら、め、やめひぇぇぇぇぇぇぇぇ〜………」
「………………………」
速攻で勝負をキメに行くべく【切り札其ノ二】発動に向けて心と呼吸を整えにかかった俺だが、その吐息をうなじに浴びたイルマちゃんは肌をさらなる真紅に染めて、糸がぷつんと切れてしまったかのようにぐったりとしてしまった。
……うむ。…………うむ。……………なんか矛を交える前から俺が不戦勝してしまったようだが、この高めた意気と魔力と性欲をどうすればいいのだろう。
しかも肝心の戦利品がもはやアリアちゃんの二の舞みたいにすっかり頭から蒸気吹いて呂律も回らず行動不能に陥っちゃってるし、これでは折角勝ったというのに何の意味もない。
戦いとは、いつの世も虚しいものよな……。
「…………………かひゅっ!」
「おっ」
いつの間にか、未だアヘ顔のままのアリアちゃんの胸元から、再び戦慄のみーちゃんがおそるおそる顔を出して見守っていた中。
俺にすっかり背面座位状態で抱きすくめられていたイルマちゃんが、寝落ちしかけてる時のアレみたいにびっくんと生足を跳ねさせ、意識もハッと覚醒させる。おお、やった! これでまた一緒にきゃっきゃうふふできるぞ!!
「ひぇぇぇ、ひぇぇぇぇぇぇぇ………」
未だ本調子ではないイルマちゃんが間抜けな悲鳴を上げながらのたのたと手足を緩慢にバタつかせるが、彼女の細い腰に回された俺の腕製超合金シートベルトが解かれることはない。
結果として、超ミニスカ着物みたいな上衣しか纏っていないイルマちゃんの、剥き出しの生足の付け根がちろちろと際どい感じでめくり上がり、帯の緩んだ胸元の合わせ目も中々以上に扇情的なはだけ方をして、乱れた雅な髪からも甘いフェロモンをこれでもかと振りまくだけの結果に終わった。
うん。……これ、完全に誘っていらっしゃいますよね?
元々の格好からして既に際どかったし、そもそも俺と仲良くなりたいとか言って膝枕耳掻きとかしようとしてくれてたし、俺のことが好きすぎてちょっと困ってしまうとか愛おしげに苦笑してた(※事実歪曲)し、それに今バックから責められてこんなに激しく気持ち良さそうに喘いでる(※現実改変)し、じゃあもうこれガチでヤっちゃっていいでしょ。
え、よくない? いや、絶対良いに決まってる!! 永世不名誉童帝ゼノディアス、本日を以て帝位を返上し、野に下ってかわいいお嫁さん達と結婚し愛と子宝でいっぱいのあたたかくて幸せな家庭を築きにイきますッ!!
「勝手にイかないでください!? あぁぁ、もうっ!! わっ、我は、われはあれですっ! ああ、あのっ! ――『お姉ちゃんの命令で、任務としてあなたに近づいただけ』なんですよ!!」
「……………む」
「それに、それにですっ! 我は、あくまで、『我を顧みてくれないお姉ちゃんへのあてつけで、ちょっとあなたにちょっかいをかけに来ただけ』なんです!!」
「………………む、むぅ……」
「極めつけ、最後にドンっ! 我ってば一応新入生ではあるんですけど、学園への提出書類の方ではなく戸籍自体をいじってまして、実は『まだ未成年の十四才』なんですっ!! どうですか、未成年に手を出してろりこんの誹りを受けたくはないでしょう? ねっ? ねぇっ!?」
「………………ほ、ほほう? それは、それは。なるほどなるほど、ええ、それは全くその通りですねぇ、はい、いやまったくおっしゃる通りで」
「とか言いつつなんでちょっとおちんちん大っきくしてるんですかこのヘンタイ!?!?」
俺のことを知り尽くしていると言っていた彼女らしく俺を萎えさせるポイントを的確に突いてきていたが、最後の最後に地雷を踏み抜き盛大に自爆したイルマちゃん。
それでも通常ではありえないほどの精度で心を読んできていたことから、やはり彼女が何らかの異能を有していることは間違いないだろう。
ただ、やっぱり完璧な的中率ではないことから、イルマちゃんの力はおそらく義姉様の【心理の魔眼】のように相手の胸の内を暴くことに特化したものではなく、本来はおそらくまた別の何かを本懐とする能力なのだと思う。
それに、おそらく俺という人間の分析にも穴がある。
もし本当に俺の情報を知り尽くしているというのなら、溢れすぎた愛によって俺が暴走することを予見して抱擁を回避できていたはずだし、俺が未成年相手でも条件次第では普通におっきっきできる下種であるというのもわかっていたはずだ。
――もしイルマちゃんが、俺の想定している『あの人』の手の者であるというのなら。
おそらくイルマちゃんは、あの人が学園に編入してきて兄様の婚約者に収まった、今から一年前頃からしか直接的には俺をストーキングしていないのではないだろうか?
それ以前については間接的にか書類の上でしか俺を知らないのだとすれば、情報と実感の齟齬により、俺という人間がどれだけ愛に飢えていて、俺にとってどれだけイルマちゃんが好みのツボを突く超絶かわゆいおにゃのこであるか、というのを見誤るといったこともあるかもしれないですなぁ……。
「真面目ぶるかフザケるかどっちかにしてください!!! なーにが『俺にとってイルマちゃんが〜』ですか!! あなた絶対、そんなすぐヒトのことを好きになれる人間じゃないでしょう!!? もっともっと闇深き、ある意味我以上に陰の世界が似合う人のはずですっ!!」
「まあ、本来はもしかしたらそうなのかもだけどさ。……でもそれ、お隣でアヘ顔晒してるアリアちゃんを見ても同じこと言える?」
「……………………ひよえぇぇぇ……!!?」
論より証拠とはよく言ったもので、俺と出逢って正味一日も経ってないアリアちゃんが俺にたっぷりと愛を注がれてくたばってる様を見て、イルマちゃんはようやく己の思い違いに気付いたように全身をガタガタぶるぶると震わせた。
うむ。俺くん、これにて完全勝利である!
ただイルマちゃんがあまりにもガクブルしすぎなせいで、彼女のお尻に服越しに当たりっぱなしおちんちんがうっかり主砲を発射というか核爆発しそうになってしまいましたので、紳士な俺はあっさりと拘束を解いてあげてアリアちゃんの隣にそっと座らせてあげました。
あれだけ逃げたがってたくせに、いざ開放されるときょとーんとしちゃってお目々ぱちくりさせてる、女の子座りなイルマちゃん。
「………?? ふぁー???」
「女の子の間で流行ってんの、それ……? まあいいや。とりあえずここらで小休止ってことで、俺は……、……………ちょっくら軽く飯の調達でもしてくるから、イルマちゃんはしばらくアリアちゃん見ててくれる? ……みーちゃんも、しばらく留守をお願いね」
いきなり立ち上がった俺に唐突に話を振られて、アリアちゃんの胸元で赤ちゃんカンガルーしてたみーちゃんが「うにゃっ!?」と了承する。いや了承ではなく完全にただの驚愕っぽいけど、勝手に了承ということにさせていただいた。今の俺にはちょっと猶予も余裕もないので。
さっさと有言実行しようと背中を向けた俺だったが、事態の緊急性をわかってさそうな顔のイルマちゃんに服の裾を掴まれて思わず動きを止めてしまう。
「……………あの……、ゼノ、くん。……なんで、いきなり……?」
「…………………察してください。お願いですから、今こそ心を読んでください」
「………………。あー、でも我ってば、つい今しがたゼノおにーちゃんに『的中率が完全じゃない』とか『分析に穴がある』とか『書類の上でしか理解してない』とか、いっぱいいっぱいめいっぱいディスられちゃったばっかりですので、自分の能力にちっとも自信がなくなっちゃったのですよぅ……」
「ほんとそれ凄い能力ですよねぇキミぃ!! もう完全に読み切ってるじゃんかよ!! いいよ、そんなに聞きたいなら教えやるよ!!! …………………だから、その…、…………なんだ、その………お、おな」
「あ耳が汚れるので言わなくていいです」
「………………………………おなにー、してきます」
「………………………………。い、いってらっしゃいませ、おにーさま……」
そうして俺は、自爆攻撃によって最後の最後でイルマちゃんの意表を突くことに成功し。
びっくりからの気まずげで恥ずかしそうな顔になってしまったイルマちゃんと、びっくり一色で仰天してるみーちゃん、そして前後不覚なアリアちゃんの「うへぇ……♡」という謎の挨拶及びかろうじて振られるお手々に見送られ、孤独なソロ活動へと旅立ったのであった……。




