?話 エルエスタinわんだーわーるど!
色々とカラクリのある回。
――かつて。魔女が魔女と呼ばれるようになるよりも、ずっとずっと前の時代。
名も無き一人の〈力有る少女〉が、彼女を畏れたたくさんの人々から迫害を受けて、やがては世界からさえも追放されてしまったことがある。
どんな書物にも残っておらず、もう本当の名前すら忘れられてしまった彼女だけれど、それでも彼女が確かに存在していたのだというひとつの『証』は、悠久の時を経て今も尚原型を留めていた。
ただひたすらに人のぬくもりを求めながら、けれど、ついぞ誰からも愛されることなく。薄紙一枚向こう側に透かし見えるあたたかな世界を夢見ては、叶うことのないちいさな願いを胸に抱いたままひっそりと死んでいった、ひとりぼっちの少女。
そんな彼女のヒミツの隠れ家で、同時に終の棲家でもある、そんな儚くてかなしい世界。ヒトが住む領域からほんの一歩だけとなりに位置する、どこまでも近くて、どこまでも遠い場所。
それこそが、現代において『魔女』という名を与えられ、『魔女機関』という居場所を手にした者達の根拠地。
魔女達は、名も無き少女に葬送の名を贈ると共に、彼女の遺したその地へも、何の捻りもなく彼女の名から取ってそのまんまに名付けた。
――【アリス世界】、と。
そこへと渡る秘密のレシピは、星の巡りと月の満ち欠け、それに都がひたひたになるほどの魔力と、あとはおまじないの言葉を少々。
時期に応じて、季節に応じて。アリス世界とヒトの世との間に、七色のうちいずれかの虹の橋が架かり、その色に対応した『花弁』を持つ魔女だけがそこを渡る権利と、そして何より【魔女機関】への定期報告の義務をプレゼントされるのだ。
便りが無いのは、元気すぎるあまりつい反逆とか起こしちゃう証拠。そんな悪ぅ〜い子には、臨時総帥エルエスタが《滅ッ!》しちゃうぞ☆
「《めっ》!」
ほんの微量の魔力が込められた、まるで幼子を叱る母親のようなそんな言葉。
本来、ヒトが行なったならただのできそこないの魔術が暴発して終わりになるはずのそれは、けれど『それを行ったのが魔女である』というだけで、時に全く異なる理不尽な結果を現実に齎すこともある。
……それは、例えば。
壇上の玉座に脚を組んでゆったりと座していた、【魔女機関】臨時総帥エルエスタの眼前で。
傅いて脂汗をかいていた一人の魔女のその頭を、前触れなく弾けさせて脳漿と血煙を撒き散らし、そうして致命的すぎる欠損を被った肉体をどしゃりと血溜まりの中に横たえさせるだとか。
「ひっ」
打ち水のようにばしゃっと床に飛び散った赤い水たまりが、首の無い骸の落下を受けてまたもばしゃっと飛び散り、その横に跪いていた新入り魔女の元まで広がって彼女のローブにじわりとしみ込んでいく。
掠れた悲鳴を上げながら顔色をさっと青ざめさせる新入りちゃんを他所に、無事におしおきを完了した魔法少女エルエスタおかーさんは、『めっ』した指をまるで熱された銃口のごとくフッと拭いて冷ましながら晴れ晴れとした笑顔を浮かべる。
「よーし、これで悪い子はいなくなったぞー! あーすっきりした」
「………………す、っき、り……?」
「んー? どしたのー、新入りの末っ子ちゃん。うちの教育方針に、何か言いたいことでもあるのかな?」
そう訊ねるエルエスタの顔に浮かぶほにゃりとした柔らかい笑みは、決して無言の威圧を意図したものではないだろう。
彼女はただただ単純に、言いたいことがあるならおかーさんはちゃんと聞くよ、怒ったりしないから言ってごらんと、そういう母性と包容力のみを込めて『ほらほら、私怖くないよー』笑っているつもりなのだ。
――狂ってる。
そんな言葉が末娘の脳裏に浮かぶが、初っ端のここで言いたいことを飲み込んでしまっては先が思いやられるからと、乾く喉に無理矢理唾液をごくりと押し込んで、震える声でなんとか言葉を紡いだ。
「…………あなたは、……気に入らない者や、従わない者は、そうやって全員、あっさりと殺してしまうのですか?」
「え。なにそれ怖い」
「え」
「そんなわけないじゃん。何言ってるの? ウチ、これでも健全で真っ当なほわいと企業を自称してますからね。そんな恐怖政治万歳みたいな運営方針はしてませんっ!」
「で、ですが、たった今――」
「うん。だから、ちゃんと話を聞いて、ちゃんと悩んで、その上で仕方なく殺したんだよ? それをあっさりとか言われちゃうと、おかーさんはとっても悲しいです」
「……………………」
よよよ、と嘘くさい泣き真似までしてひじ掛けに縋りついてる見た目十代半ばの『おかーさん』に、彼女より歳も思慮も重ねている末娘は色んな意味で言葉を失って今度こそ黙るしかなかった。
頭部を失った死体となって鮮血の海に沈んでいる、元は魔女だった肉塊。
魔女としての権能を発現した自分を見出し、のみならず軽く手ほどきまでしてくれて、さらにはこの場所へと手を引いて連れて来てくれたこの親切だった先達は、こんな悲惨な最後を迎えて当然というほどにおかしなことを言っていただろうか?
――答えは明確に否。新入りである自分を伴って、この白亜の古城の玉座の間に参じてからというもの、物言わぬ肉塊となる前の彼女は、親切だった彼女らしく、終始極々当たり前すぎる主張しか口にしていなかったはずだ。
実際、それを聞いていたエルエスタだって、特に口を挟むこともなく、うんうんと深く相槌を打ちながらにこにこと笑顔を浮かべていた。
その結果が、この惨劇だ。過程にぽっかりと穴が開きすぎていて、末娘の正常な脳味噌では狂った母の思考がまるで理解できなかった。
……いや。理解できないというなら、そもそも自分が今存在している、この【アリス世界】という空間そのものが理解できない。
仮にも魔女たる自分がまるでただの非力な童女であるかのように錯覚してしまうほど、あまりに濃密すぎる『誰かのものであって、誰のものなのかわからない』圧倒的な魔力が遍く横溢した世界。
その気配にあてられて、うまく魔術も権能も機能させられず、事実としてただの非力な女に成り下がってしまっている自分。
そして、そんな自分と同じ状態にあるはずなのに、魔力を伴う何らかの手法によって魔女を一人容易く殺して見せたエルエスタ。
そのエルエスタに、極々真っ当な主張を述べては、あっさりとほかほかステーキの鮮血ソース和えへと調理されてしまった哀れな肉塊先輩――。
天窓の向こうに広がる夜空と、そこに浮かぶ青き惑星が見下ろす中。
月のように淡く輝くような美貌を誇るその少女は、涙の雫を指先で拭って「まーそれはそれとして」とあっさりウソ泣きを切り上げ、居住まいを正して儚い笑みとともに末娘と正対する。
今エルエスタおかーさんの瞳に垣間見えるのは、愛娘に対する慈愛などではなく。家出する娘を何もできずに見送るような、哀しみと諦念だった。
「それでもあなたは――あなた『達』は、私の方が悪いと言って、このいたいけなおかーさんを弱い者いじめするんだね?」
「どの口がっ――!!」
あまりに戯けすぎた言い分に思わず激昂しかけた末娘だったが、今それをすれば人を人の形たらしめるだいじなだいじなざくろを喪ってしまうので、血が滲むほど奥歯を噛み締めてどうにか激憤を飲み込んだ。
血の蒸気をフーフーと吹き出しながらなんとか自分を落ち着かせた末娘は、行き過ぎて冷え切った心の望むままに、やがてぽつりと言葉を零した。……その願いが到底叶わぬものだと知りながら、まるで断頭台に自ら差し出すかのように深々と頭を垂れて。
「…………帰ります。………ここは、『私達』の家には成り得ないようですから」
「そっか。じゃあ、気を付けて帰ってね」
「…………? 帰して、いただける、のですか?」
思わず顔を上げてしまった末娘の間の抜けた表情を、それ以上に間の抜けたびっくり顔のエルエスタが見つめる。
「いや、当たり前じゃん!? だって、あなたはもうウチの子になる気は無いんでしょう? それならまだ他所様の子だもの、勝手におしおきなんてできないよ。親の殴り込みとか怖いし……」
「…………………」
他所様。親。それが言葉通りの意味なのか、それとも何かの隠喩なのか。
それを考えようとした末娘――否、もう娘でも新入りでもなくなった一人の女は、この狂気の道化にまともな理屈を求めることの愚を悟り、何も言わずにもう一度だけ深々と頭を下げた。
それを最後に全ての未練を断ち切ると、ローブを威勢良く翻しながら、その虚勢のままに胸を張り確かな足取りでその場を後にする。
ただ、最後に一言。母になるかもしれなかった少女の、意味深な独り言を背に聞きながら。
「ま、子供のけんかは、やっぱり子供同士でやらせないとね。――だからナーヴェ、任せたよ」




