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?話 堕ちる王者

〈晴嵐の魔女〉ナーヴェ。


 今更改まって語るべき所のない、言わずと知れた破壊と理不尽の代名詞。

 もし何の枕詞も付けずに『魔女』とだけ口にしたならば、それは即ち彼女のことを指すのだというほどに、最も広く一般に知られている歴史的偉人にして魔女の筆頭たる女、それがナーヴェという女であった。




 ――『で、あった』。




 そう。燦然と輝く彼女の栄光も、遍く地に満ちる彼女への畏怖も、全ては過去形で語られるべきものでしかない。


 正真正銘只の人間の身でありながら、種としての平均寿命を約五倍ほど超過している彼女。いかな世界の道理に縛られない自由奔放なナーヴェとて、確実に忍び寄る年波と、その果てにいつか必ずやって来る終わりの刻には決して抗えはしないだろう。


 事実、十年前の聖戦を最後に、ナーヴェは表立った戦績を残しておらず、これまでの貢献を盾に取って【機関】に泣きついては、少ない労力で実入りが良い仕事を攫っていくという、すっかり落ちぶれ切った生活を我が物顔で続けている。


 ――堕ちた『元・最強』。他の魔女達にそう蔑まれていることを知りながら、ナーヴェはそれをどこ吹く風と放置してきた。


 そして、そのツケが――、今ここに来て、ナーヴェの身をどうしようもないほどに責め苛んでいた。






「………………おろろぉぉぉぉぉぉん………………」






 王都を離れた見知らぬ土地の、草木が生い茂る名も無き山。

 ずずぅぅぅぅん……という何か重いものが倒れるような大音声と共に、謎の鳴き声が薄暗い森へ響き渡る。


 勘の良い小動物達が、耳をぴくんと立てて我先にと方々へと散り。勘の鈍い大型魔獣までもが、沈没船から脱走を図る鼠のような小さき者達を見ては、何かよくないことが起ころうとしている予感を感じて、すごすごと何処かへ退避を開始する。


 ――だが。より大きく、より強く、より勘の鈍い超大型魔獣の数体は、むしろ血沸き肉躍る激戦の予感に心を震わせ、堪え切れない熱を吐き出すかのように『オォォォォォォン!!!』と蒼穹に向かって怒号の如き遠吠えを打ち上げた。


 さあ、死合いを。未だ見ぬ強者よ、未だ見ぬ好敵手よ、早く我の元へ辿り着くがよい……!!


 そんな風に、まるで魔境の最奥にて勇者を待つ絶対王者の風格で、不敵に獰猛な笑みを見せる彼ら。


 けれど――そんな彼らの『飢え』を満たしてくれるはずのその女は、ただただひたすら自分の犯した過ちに囚われ、過去だけを見つめて涙を流し慟哭する。





「……おろろぉぉぉぉぉぉぉぉぉん………」





 再びの奇声。そしてまたもや、ずずうううぅぅぅぅん……と響き渡る重低音。先程までより近づく震源地に、森の強者達は逸る気持ちと高鳴る鼓動を抑えきれず、口々に地が割れるほどの咆哮を上げては、脚を踏み鳴らし腕を振り回し、事実として大地に深々と罅を刻み込む。


 来い、来い、来い、来い……!! 我はここだぞ、蛮勇に囚われし憐れで滑稽な名も無き勇者よ……!!!


 間違っても他の強者共にエモノを奪われまいと、彼らは丸太のように太い手足を滅茶苦茶に暴れさせ、炎や雷まで吐いて自然を大いに破壊し、挑戦者への標とした。




「おろろぉぉぉぉぉぉぉぉぉん……」




 既に挑戦者の咆哮としての認識が確立されつつある、聞くものの胸を引き裂くような深き慟哭。それと同時に、またしても響く、ずずずずううううううぅぅぅぅん……!! という、とても大きく、とてもとても大きく、ともすれば王者達が打ち立てた標のどれよりも遥かに大きいのではないかというほどに派手な、爆発めいた粉塵を伴う極大の地響き。


 その余波で鳴動する大地になんとか立ちながら、青い空に立ち昇る砂煙を見て、森の王者達は思った。



 ――あれ? これ、ヤバくね……?



 そんな思いを裏付けるかのように、今一度これまで以上の爆音と破裂するような砂埃が空いっぱいに広がり、それと同時に、かつて王者と呼ばれていたはずの一体が挽肉となって雨と降り注いだ。


 突如として森にべちゃりと広がる、生臭い匂いと、鉄錆の香り。そしてそれは、また再びの滅びの行進曲と共に、より純度の濃いものへ刻々と塗り替えられていく。


 やがてはむせ返るほどに横溢し、無事な所が無いほどに地を満たす、振り撒かれた『死』の残滓。


 ここに来てようやく、自分達が致命的な勘違いをしていることに気付いた彼らは、つい先刻自分達が嗤って眺めていた小さき者達と同様――否、それ以上の必死さと俊敏性を以て脱兎の如く逃げ出した。


 一歩目、踏み込む。二歩目、力を溜める。三歩、山肌を陥没するほどに踏み切り、まだ安全な隣の山への逃避を夢見て中空へとその巨体を躍らせ――



「おろろオオオォォォォォぉぉぉおおおおおん!!!!!」



 ――森から飛び出した全ての王者は、その勢いのままに《風》の鉄槌で頭を潰されて。のみならず、尻尾の先まで余すところなく空中で薄紙一枚へと圧縮されては、ぱぁん、と乾いた音と共に体内の水分の全てを吐き出して、まともな骸すら残さず赤い砂塵となって大空の彼方へと消えた。


 それを尻目に、先ほどまでとは打って変わって至極軽い音を立てながら大地へと降り立った『その女』は、薄桃色の髪も白い肌も、余すことなく鮮血色に染め上げたままで「ペッ!」と口内から血を吐き出した。


 無論、彼女自身の血ではない。空中で複数の標的に対して《風槌》を発動した際、一番手近にいた一体を零距離で仕留めようとして、うっかり力加減を誤り返り血が口内に入ってしまったのだ。


 自らの吐いた、己のものではない鮮血を見て、彼女は頬を流れる涙をそのままに嘆くように呟いた。


「…………足りない……」


 まだ、足りない。今の自分は、かつての『私』の足元にも及ばない。だから今、自分はこんな獣臭い匂いに口内を侵され、敗者みたいに血反吐を吐く羽目になっている。


 まだ、足りない。今の自分は、まだまだ鬱憤を晴らしきれていない。たかが人を数人殺しただけで王者を気取っているような小童共では、全くもってこの身を駆け巡る破壊衝動の受け皿足り得ない。


 まだ、足りない。足りない。何もかもが足りない。




 ――何より。敢えて言うなら、アルアリア成分がまったくもってちっとも足りていないッッッ!!!




「……おろろぉぉぉぉん……、ぐすっ、ぐすっ……。うぇぇぇぇぇぇん……、ひっく、うぇぇぇぇぇぇん……!!」


 不意に、必死に考えないようにしていた数日前の入学式の出来事を思い出してしまったナーヴェは、まるでお母さんに叱られた幼子のように人目も憚らずぽろぽろと涙と嗚咽を零した。


 いくら破壊と殺戮に没頭しようとしても、いくらあの憎らしいわっぱに復讐を誓おうとも、それで入学式の日に犯した自分の罪が消えるわけでもなければ、アルアリアに赦してもらえるわけでもない。


 だって。あの日の出来事に、わっぱは一切関わっていない。なんなら、直接的にはアルアリア自身でさえも関わっていない。





 なぜならば。ただただナーヴェが、『きゃめら』の使い方がわからず、かわいい孫娘の晴れ姿を写真に一枚も残せなかったというだけの話なのだから。





「かぶりつきで、撮るって、言ったのに……! ありあ、とっ、やくそく、したのにぃ……!!」


〈晴嵐の魔女〉ナーヴェ。見た目は二十代前半の美女にして、実年齢はもうすぐ御年三百歳。


 現役を退いてすっかり鈍ってしまった彼女の頭では、ぶっつけ本番での最新ハイテク機械の操作は、少々荷が重すぎたのかもしれない……。

だろうとか、かもしれないはみすりーど。

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