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四話外 限界エルフとモブ眼鏡

 入学早々ぼっちロードを邁進しているハブられ少女を養分にして、ひそひそと雑談の花を咲かせている新入生達。その一角に、他の者達と同じくひそひそと囁き合いながらも、明らかに異彩を放つ男子生徒達がいた。


 周囲が男子女子問わずぴーぴー囀りながら嘲笑めいた笑いを漏らしているのに対し、その異色の一党はまるでバーでグラスを傾けているかのように牛乳をちびちび呑みかわしながらニヒルに笑い、言葉少なに真実だけを語り合う。


「可愛いよな、アルアリアちゃん……」


「ああ、可愛い……」


 一方が一の言葉に百の賛辞と敬意と好意をまとめて圧縮・送信すれば、もう一方はその難解極まるコードを滞りなく解読してはまるで懐かしい旧友からの手紙を読むかのように味わい深く噛み締める。そしてお互いにまたフッとニヒルに笑っては、コップのミルクをちびりと嚥下するのだ。


 その様相、完全に玄人オタク。信仰の対象に無暗に近寄ろうとせず、ただただ遠巻きに尊きお姿を堪能させて頂くのみに留めて、ご本人様には絶対にご迷惑をお掛けしたりなどしない。完全なるオタク男子のムーブであった。

 ナーヴェのような一目でわかる豪快でド派手な美女をではなく、人見知りゆえに目立たないようにしてるけど実は隠れ美少女というアルアリアを信仰の対象として据えている辺りも、なんかもう色々と完全無欠のオタク男子であった。


 陰の者共の語らいが思い思いに催される、そんな中。けれど彼らとはまた異なる意味でのオタクである、一人の少年がいた。


「皆。わかっているとは思うが、間違っても直接手出ししようなどとは思わないように。もし万が一抜け駆けしようとしている奴がいたら、必ず僕の所に連れて来てくれ。


 ――いと尊き至高の御身たる【魔女】様に、決して無礼を働くことのないよう、僕が手ずから丹念に洗礼を施そう」


 彼の名はライレン。

 この闇の一党の頭目でありながら、黄金の色彩を放つ髪と、澄み切った深緑の瞳、そして燦然と輝く『学園長の孫』という肩書と長耳族ゆえの美貌に恵まれた――、アルアリアオタクならぬ『魔女オタク』であった。


 言うまでもないとばかりに信頼しきった微笑みで注意を促すライレンに、それを受けた陰の者共もまた、言われるまでもないとばかりに当意即妙に笑ってはグラスを軽く掲げてみせる。

 

 入学してまだほんの数日。けれどこの『ライレン派』と呼ばれる一党は、他の新入生達とは異なる意味で、アルアリアを通じて硬く深く結束を強めていた。


「……しかし。それにしてもやはり悔やまれるのは、遅きに失した愚鈍なるこの身だな……」


 再び言葉少なきアルアリア談議に戻っていった仲間達を、精神的に一歩引いたような立ち位置で見守りながら。何も掴めなかった己の手の平にただただ後悔だけを幻視して、ライレンはもう何度目かもわからない自己嫌悪に全身を浴する。




 ――【魔女】。

 言わずと知れた、世界最高の殺戮兵器にして、その並ぶ者無き圧倒的な力を以て太平の世を実現せんとする、矛盾に満ちた暴虐なる平和維持装置。


 長耳族であり数百年の寿命を有するライレンの祖父は、かつて、魔女の代名詞ともいえる〈晴嵐の魔女〉がその二つ名を賜るきっかけとなった大戦に参戦し、そして実際にその眼で〈晴嵐〉の力を目の当たりにしたらしい。


 身を以て体験した……でないのは、ただの偶然だ。ただ偶然、祖父はそのよく晴れた日に、嵐の吹き荒れる戦場の渦中にはいなかった。ただそれだけのこと。


 ただそれだけのことが、彼の命を救い、ライレンという孫まで授かる現在へと繋がった。


 祖父は、事あるごとに耳タコが潰れてまた耳タコになるほど何度も何度も一族の者達に語って聞かせる。

 あの日、『戦場ではない所』から自分が目にした、まるで現世に地獄の門が開いたかのような、ヒトの身では抗うことはおろか存在すらをも赦されず、理解すら及ばぬ異界の風景を。


 まるで農作物を食い荒らす蝗の群れのように天高く舞い踊る、数万人分の悍ましき肉片と血飛沫の雲霞。

 これから挽肉になりゆく屈強なる戦士達の、まるで牛裂きに処される生娘のような甲高い絶叫の濁流。

 そして、それら全て飲み込むかのように地の果てまで高々と響き渡る、後に〈晴嵐〉と呼ばれし絶世の美女の、心底愉快といった狂気に満ち満ちた笑い声――。


 それらの人外領域を、ただただ呆然と立ち尽くしながら目の当たりにし続けてしまったライレンの祖父は、同じ光景に魂を消し飛ばされてしまった仲間達と同様、その後数年を廃人となって過ごすことになる。


 当時許嫁であった女性の甲斐甲斐しい看護によって、ようやくのこと意識を取り戻した祖父は、ただただ自分があの戦場に立っていなかったことを神に感謝し、自分がまだ生きている奇跡に涙を流して狂喜乱舞した。


 そして迸る生存本能のままに許嫁を手籠めにし、その後も彼の生を貴ぶ気持ちはついぞ衰えることはなく、今日までの間に野球のチームが組める人数どころかメジャーリーグを開催して余りある数の息子や娘をもうけるに至っている。




 だから、ライレンの持つ『学長の孫』というステータスの価値は、わりと暴落していたりする。何せ今年だけで学長の孫氏はあと五人いるし、学校全員を見渡せば、教職員を含めておそらく五十は下らないのだ。

 いくら万に及ぼうかという生徒在籍数を誇るマンモス校とはいえ、これだけの学長の孫がいたら分母に対する分子の数大きすぎだし、そんなちょっと驚かれる一発ネタ程度の肩書以外に特筆すべき所の無いライレン自身の価値などは、もはや鼻息で吹き飛ぶチリ紙に等しい。


 だからライレンは、これまで特別な人間になろうと努力をしてこなかった己を、血涙を流さんばかりに悔やんで悔やんで悔やみ抜いた。




 ――だって。まさか、同じ学園の、しかも同じ学年に本物の【魔女】が入学してきてくださるだなんて、そんな埒外の『僥倖』に恵まれるだなどとは、よもや思いもしていなかったのだ。




 幼い頃から、祖父の話を何度も何度も何度も何度も何度も何度もエンドレスに聞かされ続けていたライレン少年の胸にいつしか芽生えていたのは、魔女という存在に対する恐怖――などではなく。


 ただただ、幼き少年にありがちな、圧倒的強者に対する純然たる『憧れ』だった。


 平和の二文字を一手に担う、実質的な世界的指導者たる【魔女機関】。この時点で既にカッコイイのに、しかもその平和維持の手法が『武力による戦争の根絶』という、最高に矛盾していて最高にクールなダークヒーロー的概念に基づくもの。

 しかも【魔女】というのは『学長の孫』などというアンコモンレベルのゴミカードではなく、正真正銘、本物のレア中のレア、虹色に燦然と輝く最高レアリティのプレミアカードである。


 そして、他ならぬ学長の孫であるライレンだけは、祖父から直接に聞かされて知っている。

 今自分の視線の先で、机に突っ伏して目に涙を浮かべながら黒猫と何事かをにゃんにゃん語り合ってる、一見『ほほえま~』としか思えず、けれど今はその和やかなはずの光景を心無い嘲笑によって遠巻きに囲まれてしまっている、もはやいじめられっ子にしか見えないあのぼっちな少女。


 ――彼女こそ、十年前に世界の命運を賭けて勃発した【聖戦】の火種を生み出し、その後も己の悲願の成就だけを目的として業火を拡大させるために歴史の影で暗躍し続けた希代の魔王、〈深淵の魔女〉その人であるということを。


 事ここに至り、ライレンの中のくすぐられ過ぎた少年心はリミットゲージを完全に突き破って成層圏の彼方へと限界突破した。


「無理……もう無理……っ♡♡ アルアリアちゃん、最高……ッッッ♡♡♡ はあぁぁぁぁ、尊い……♡♡ むり………しのう……あふぅん……♡♡♡」


「………………ライレン様?」


「うん、どうかしたかい? 同志レバスよ」


 感涙と鼻水と熱い吐息を両手で覆い隠してハートマークを乱舞させていたライレンは、しかしくるりと振り返るまでの一瞬でいつもの美男子な彼に戻り、アルアリア好きの同志へと微笑みを向ける。


 その変わり身の早さにドン引きした同志――流れでライレンの腹心的立ち位置に収まっている新入生眼鏡男子レバスは、『まあ毎度のことだしな……』と早くも腹心に相応しい割り切りを見せ、お気に入りの眼鏡に資料の束を映しながら必要な報告を上げた。


「もうすぐ、『彼』がここにやってくるようです」


「殺せ」


「無理です。逆に俺が殺されます。ただでさえ公爵家次男なのに、あの人が一体どれだけのありえない肩書をわんさか持ってるか知ってます?」


「聞きたくない、殺せ」


「残念ですが、俺に貴族の上の貴族たるバルトフェンデルス公爵家と事を構えられる器量はありませんし、人類最高戦力たる【竜殺し】をどうこうできる戦闘力もありません。

 その上、もし彼に手を出せば『至高の秘宝に害を成した』と魔術学会が腕まくりで殴り込んでくるでしょうし、『我らの朋友にケチつけた』とドワーフ筆頭技術者連合がストライキ不可避。そうなれば国王陛下から直々に懲罰を受けることはほぼ確定ですし、そもそもあの人のバックには常に『大聖女』とその信者共がいるので、自殺覚悟でもなければ実質的に手出し不可能です」


「ならいっそ僕を殺せよぉ……!! なんで僕より先にアルアリアちゃんと出逢ったばかりか、僕よりレアでかっこいい称号ばっかりいっぱい持ってるんだよぉぉぉ……!!! ずるいよぉぉぉぉ、ずるいよぉぉぉおおお!!!!」


「…………まあ、彼、昔から努力の人でしたし、困ってる女の子がいたら何をさておいても積極的に助けて回ってましたしね。当然と言えば当然の結果でしょう」


「は? お前、あいつの味方なの???」


「ただの客観的事実を述べただけです。これでも、この国の宰相を仰せつかった家の嫡子として、父共々、彼には少なからず注目していましたから」


「…………………………宰相の家の、嫡子?」


 ライレンは思った。え、こいつただのモブじゃなかったの?


 そして、俄かに冷えた頭で計算機を働かせてみる。

 たかが一学園の学長の、星の数ほどいる孫の一人にすぎないライレン。そんな自分に対し、この大国の遍く行政を司り、万民の頂点たる陛下にさえ手が届く位置にいる宰相の家の、跡取り息子。

 果たして、身分が上でレアリティも高いのはどちらなのか。そして、アルアリアちゃんにより相応しい人間は、はたしてどちらなのか――。


「同志レバスよ」


「はい、ライレン様」


「………僕達、ズッ友だよね?」


「こういう時、俺の調べ上げた『彼』であれば、きっとこう言うのでしょうか。――『急に友達ヅラして擦り寄ってくる奴に、ろくなのはいない』」


「レバスくううぅぅぅぅぅうん!!!?」


 腹心の裏切りに慌てふためくライレンに縋りつかれながら、宰相たる父の命令でアルアリアとライレンに近付いただけのレバスは、このわりと小物臭漂うしょーもない『友達』をどうしたものかなと、遠い目で彼方を眺めながらぼんやりと考えていた。

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