四話裏 ひっそりと滅亡回避した人類
〈深淵の魔女〉アルアリアは、吹かれて飛ぶ直前の花弁のように頼りない儚すぎる身体を、どこまでもどこまでも重い心と、それなりに重いローブによってどうにか現世に押し留めて。
けれど今度は、その過剰な重みに耐えかねたようにテーブルにくったりと突っ伏したまま、遠間の生徒達の朝食風景をフード越しにぼんやりと眺めながら、生気を失った瞳のままで不死者のようにぼぞりと怨嗟を吐いた。
「――――滅んでしまえ、こんな世界……」
「にゃう、なう……(いや、あんた何言ってんのよ……)」
世界の終焉を希う魔女の小さな頭の横、お利巧さんぶって座していた黒猫のみーちゃんが思わず義務のようにツッコミを入れるが、そこにはかつての彼女らしいキレや剽軽さは見る影も無い。
流石に一週間近く食事の度にこうして返事の貰えないツッコミ役をやらされれば、いくらご主人様想いを自称する甲斐甲斐しき従魔とて、そろそろ心も荒んでくるというものである。
そうしてろくに飯も食わずおしゃべりもしない主従を肴に、その様を遠巻きに眺める生徒達がひそひそと囁き合ってはくすくすと漏らす笑い声も、この一週間ほどですっかり遠慮がなくなってきている。
特に今年度の新入生達にとっては、王国各地から集ってきた見知らぬ隣人と仲良くなるためのツールとして、全員が初めて一堂に会した入学式という場で起こった『珍事件』と、その当事者であるアルアリアをネタにするというのは、最早鉄板であった。
最初はナーヴェの晒した醜態とそれに涙目で振り回されるアルアリアを見たまんまに語っていた者達も、やがてあれこれとここだけの新情報を付け足して面白おかしく語るようになってきている。
やれ『あのブッ飛んだお母さんは実は泣く子も黙る〈晴嵐の魔女〉だ』だの、やれ『それを泣いて止めてたあのローブっ子も実は二つ名持ちの【魔女】だ』だの、やれ『あの母娘は【魔女機関】とバルトフェンデルス公爵家の庇護下にあるから決して手を出してはいけない』だの、やれ『あのローブっ子は既に公爵家次男のゼノディアス様と男子寮の廊下で露出プレイに励むほどの仲だ』だの……。
実はそれらの大半(というか一番最後以外全部)が、【魔女機関】との対立を回避するために学園上層部やレティシアが流布したリーク情報に基づく紛れもない事実なのだが、残念ながら事実が小説よりも奇抜すぎるせいで、何も知らない生徒達には完全なるネタ扱いされてしまっているというのが現状だった。
そんなこととは露知らず。ひそひそやられているアルアリアはただでさえ脆弱なメンタルを日毎秒毎に削られていき、ひそひそやっている生徒達も自分たちの思惑通りに互いの結束を深めていって、そうして完成したのが現在展開されている『ハブられてる女の子とそれを取り巻く虐めっこ』の図であった。
しかし、ハブられているアルアリアは、同時に他方でちょっとした安堵も得ていた。
そもそもが、人見知り拗らせすぎたあまりに祖母以外の人類は全員仮想敵状態で生きていた孤軍のアルアリアである。言ってみれば、今の見るに堪えない惨状も彼女にとっては余裕で『想定内』の出来事であり、なんなら誰も彼もが突如唾液塗れの長い舌を振り回しながら目を血走らせて凶器片手に『キシャアアアアアアアァァァァ!!!!』と襲い掛かってこないことにちょっぴり拍子抜けしていたりする。
なんだ、思ったより余裕じゃん、と。わたし、意外とやれてるじゃん、と。
――だって、わたし、まだ生きてるもん!!
「んぁ~お……(究極に末期ね、この子……)」
「もう、うるさいなぁみーちゃん……。いいでしょべつに。目標っていうのはね、自分に合わせて最適なものを設定しないと意味の無いものなの。だからもし全人類を滅亡させたいと望むなら、それを叶えるまでまずは自分が生き残ることが悲願成就の最初の一歩なんだよ?」
「なぁーお!!?(あんたの悲願ってそんなんだったっけ!!?)」
「そだよ。だってわたし、『アルアリア』だもん。目的と手段を取り違えることにかけて、右に出る者はいないよ? えっへん!」
取り違えると自分で言ってる時点で色々と間違いに気付いているアルアリアだったが、今はもうその過ちを是正する気も、気力も無い。
遠巻きに囲んでいる傍観者達がどよめく中、素っ頓狂な悲鳴を上げて慄くみーちゃんに対して、復活のアルアリアは思いっきりふんぞり返ってナイチチ(※ちょっとはあるもん!)を存分に見せつけながら満面の笑みで宣言する。
――さあ、【深淵】よ。我らが盟主のご帰還だ――!!!
「わたし、なるよ! ほんものの、『アルアリア』に――」
「え、アリアちゃんって実は影武者かなんかだったの……?」
歓喜に打ち震えて俄かに蠢動する【混沌に住まう者共】を、まるでアリんこのように何の気なしにぷちっと踏みつぶしながら、極々自然に現れたその黒髪金眼の少年は。
闇に呑まれかけていたはずのルビーの双眸に思いっきり凝視されて、ちょっと居心地悪そうに頬をぽりぽりと掻いては、やがて「よっす」と軽い挨拶を口にして照れ臭そうな笑みを浮かべていた。




