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三話 刷り込み。

 イルマちゃんの小さな背中を押しながら部屋から出た俺は、きちんと戸締まりを確認してから、まるで電車ごっこのようにイルマちゃんの華奢な両肩を押して目的地ヘと廊下をGO!!


「……ゼノくんって、素直なんだか素直じゃないんだか時々わかりませんよね……」


「るっさいわストーカーめ。今日初めてまともに顔を合わせたばかりの小娘が、ナマイキにもこの含蓄に富んだ味わい深きおのこ・ゼノディアス様を知ったような口で語るでないわッ!」


「あー、そういうナマイキなこと言われると我としてもストーカー活動で溜め込んできた豊富なゼノくんうんちくをうっかり披露したくなっちゃいますよ? 恥ずか死ぬ覚悟はよろしいです?」


「…………………。ちなみに、ちなみになんだけど、一体どんな恥ずか死ぬレベルのゼノくんうんちくがあるのです?」


「………。せくはらですよ、それ。ゼノくんさいてー」


「サイテーなのは、思春期男子のセクシャルなヒミツまで丸裸にひん剥いちゃってるキミの方だと思うの。これ、俺が間違ってる?」


「うん」


「うんかー」


 じゃあ仕方ねぇな。間違ってたのは俺の方だったので、悶死を回避するためにストーキングの件についてはそっと水に流すことにした。ちなみにその水は涙と冷や汗でできた溜め池です。いやそれ全然流せてないじゃんとかのツッコミはナシの方向でお願いしまーす!


 いや、まあ、ほんと別にいいんだけどね、うん……。

 勝手にすっぽんぽんにされた挙げ句に『うわ……こいつチンコ小っさ……』みたいにドン引かれて一方的にクリスタルハートを傷つけられるならともかく、素直に電車ごっこに付き合ってくれてるイルマちゃんの着物越しにこの手に感じるぬくもりは、少なくとも俺から距離を取ろうとか嫌悪してるとか、そういう否定的な意志は感じない。


 ……そういや、俺と仲良くなりたいって、そのためにはどうしたらいいかって、考えてくれてたもんな。冗談とはいえ、俺を喜ばせるために膝枕耳掻きしようかとまで言ってくれた娘だ。


 なら、うん。まあ、いっか!


「おお! 今我ってば、闇深きあなたの側に歩み寄る権利を持つ『身内』に認定された気配が――あ、でもそれをわざわざ指摘したばっかりにちょっとその立場が揺らぎかけてますね!? 我、痛恨のミス!!」


「……勘の良すぎる義妹は嫌いだよ……。っていうかそれ、ほんとどうやってるの?」


 リアルタイムで俺の心を当然のようにずばずば言い当てていく彼女だが、電車ごっこに興じている都合上、今イルマちゃんは俺の表情を肉眼で読み取っているわけでもなければ、何らかの【魔眼】で捉えているわけでもない。


 ――となると。義姉様の持つ【心理の魔眼】に準ずる能力を持つ何某かの異能を使っているか、それとも声音や仕草のみを頼ったコールドリーディング、或いはストーキング活動で得た情報を基に俺をプロファイリングして――


「待って! ゼノくん待って!! 今我のミステリアスガールムーブの種と仕掛けが八割方暴かれてしまったのでお願いだからもうこれ以上いたいけな我を辱めないでぇ!! ゼノくんのえっち、すけべ!!! やだぁ、やぁぁだぁああああ!!!」


「いきなり性犯罪みたいな扱いしないでくれる!!? ここ普通に人目あるんだから、そういうシャレにならない悪ふざけは――あっ」


 思わず挙動不審になりながら周囲を見回した俺は、後ろの方で遠巻きにこちらを眺めていた友人同士っぽい三人組の男子生徒達とばっちり目が合ってしまう。


『………………………』


 お互い、この世ならざる見てはいけないモノを視てしまったかのように目を見開き、戦慄と驚愕にごくりと唾を飲む。


 やがて。目撃者達は音もなく『すすす……』と廊下の角の向こうへ消えていき、しかし三つの頭だけはひょっこりと出して、そこにくっついた好奇と好色にこの上なく爛々と輝く瞳を全力でこちらに向けてくる。


 俺と同じ思春期男子である彼らの血走った眼が、言葉より雄弁なシンパシーを伴ってテレパシーのように問いかけてきた。


『――ヤっちゃうの? ここで、その可愛い女子、犯っちゃうの!? うわぁ、見たぁぁぁい……!!!』


「……………………こほん」


 彼らの期待を一身に背負った俺は、しかし何も見なかったことにして前に向き直り咳払い。


 飢えた野獣共の熱視線を背中に感じて尻に汗をかきながらも、手汗をイルマちゃんの着物に擦り付けるようにしてぎくしゃくと電車ごっこを再開する。


「………我、ここで純潔を儚く散らされちゃうのです……?」


「…………………………………………」


「…………。そこで一番訊きたいことを血涙と共に飲み込んでくれた紳士なあなたに、とくべつに答えは『是』であるとお教えしておきますね。……これ、ナイショですよ? 我もさすがにちょっと、普通に照れくさくって恥ずかしいので。てれてれ♪」


「ななななっなななな、ななんなんななななんのことかなァ!!!? イルマちゃんが何を言ってるのかボクちっともわかんないよお!!? でもそのえっとあのえっとそのえっと、…………………………ご、ごめんなさい……」


「赦しましょう。我ってば、おにーちゃんのダメな所にも寛容な、とっても良きいもーとですのでっ!」


「……………ありがとうございます、義妹様……」


 完全に義妹様の手のひらの上でダブルミーニングを有するタマをころころと転がされまくった末、俺はとうとう心の底から白旗を上げた。

 うん、もういいの。この子はもうこういう子なの。ずっと姉や妹が欲しかった俺は、どうせ謎の義姉様にも謎の義妹様にも端から勝てない運命にあったのだ……。


 と。そう結論を得たところで。俺に唯々諾々と肩を押されていたイルマちゃんが、ふと立ち止まり、うっかりぶつかりそうになった俺はつんのめりながらも急停止に成功――


 ――したというのに。何を思ったのか、イルマちゃんはそっと背を倒してくると、もたれかかるようにして俺の胸にこてんと後頭部を預けてきた。


 サラリと揺れる、彼女の艷やかな黒髪。不意に香る、ほのかなミルクの匂い。そしてじんわりと伝わってくる、おんなのこの高めな体温。


「―――――我、ね? …………義理の、お姉ちゃん、みたいなひとがいるんです」


 唐突すぎるハートブレイクショットを受けてTKO寸前だった俺の意識を、イルマちゃんの告解めいた寂しげな呟きが引き留めた。


「…………義理の……、お姉ちゃん?」


 ――そう聞いて、俺の脳裏に浮かぶのは。謎の義妹イルマちゃんと同様に、ひとの心を見透かした上で好意全開の突撃をカマしてくる、謎の暴走列車ことレティシア義姉様。


 俺にとっての『義姉』様が、イルマちゃんの言うところの『義理のお姉ちゃん』と同一人物なのかはわからない。むしろ、普通に考えたら別人の可能性の方が高いだろう。


 けれど、俺の思考を見透かしているはずのイルマちゃんは、特に否定も肯定もすることなく。

 ふと、窓の向こうに見える春満開のあたたかな世界を眺めながら、風に散りゆく花弁のように、ぽつぽつとせつない想いを言の葉に乗せる。


「………我には、ずっと、お姉ちゃんだけだったんです」


「……うん」


 女の子との急な肉体接触に身体を強張らせていた俺は、けれど今はきっとその反応は正しくないからと、軽すぎな体重のイルマちゃんを抱き留めるような気持ちで、彼女の肩に置いた手を俺の方へとほんの僅かに引き寄せた。

 今この瞬間、ゼノお兄ちゃんはヒトをダメにするソファーへと生まれ変わったのです。そしてソファーには性欲など無いッ!!


 断固たる決意を以て下卑た衝動を抑え込むソファーに、くすぐったそうな身じろぎと微かな笑いを漏らしたイルマちゃんは、心持ち先程よりも身を預けてきながら軽い吐息と共に肩の強張りを解いていく。


「………我には、ずっと、ずっとずっと、お姉ちゃんだけなのに。………でも、お姉ちゃんにはいつだって、我以外にもいっぱい、弟や妹や、兄や姉みたいなひとがいました」


 ――――ああ。それは、なんというか。


「……………………」


 安易な共感をどうにか飲み込んだ俺は、けれど、この身に眠る前世・今世問わず引きずり続けた『闇』の共鳴を抑えきれず、思わず手にぐっと力を込めてしまう。


 強すぎる肩揉みを受けたイルマちゃんは、それを振り払うこともなく、むしろちょっぴりゴキゲンさんになった様子で続けた。


「でもね、それはまだいいんです。彼らも彼女らも、言ってみれば我と同類で、我とも義理の兄弟姉妹みたいなものでしたから」


「…………なら。何が、『駄目』だったんだ?」


 ずっと、ずっとずっとお姉ちゃんしかいなかったというきみを、プチとはいえれっきとした家出へと駆り立ててしまうほどに。


 ――この世でたったひとつのよすがを、自ら断ち切って孤独になろうとしてしまうほどに。




「お姉ちゃんに頼まれた仕事の途中で、ちょっと家に帰ってみたら。――そこには、我の会ったことのない『お姉ちゃんのトモダチ』が、いっぱい、いっぱいいました」




「…………………」


「しかもね。帰ったばかりの我には、どんどん仕事を押し付けて外に出すのに、そのトモダチ達には、お姉ちゃんの方から擦り寄るんです。

 ……一緒に、お菓子とか食べちゃって。クソみたいにくだらない、どうでもいい茶番に付き合ってあげて。それで終いには、我にだって淹れてくれたことのない、紅茶だって振る舞ってみせて。


 ――我には、ご褒美なんて、お姉ちゃんの脱ぎたておぱんつくらいしかくれないのに」


「ブッハァ!!!?」


 身とか胸とか詰まるような想いでしんみりと聞いてたらあまりにも唐突におぱんつをブチ込まれてしまい、思わず全力で吹き出してしまう俺。


 吹き出された飛沫の直撃を無防備に受けることとなったイルマちゃんは、「うひゃい!!?」と甲高すぎる悲鳴と共に飛び跳ねると、俺の拘束を投げ捨てるように振り解いて狂犬のように犬歯剥き出しで食ってかかって来た。


「いきなり何すんですかこのへんたいっ!! さいてー、サイテーですっ、色んな意味で最低ですっ!! 突然体液ぶっかけないでください、このそーろーがッ!!! そもそも、今の話のどこにそんな思いっきり吹き出す要素があったんですか!!!」


「げほ、っ、ふ、ふっ、ふ、ふざけるなよ!? おまっ、ごほ、お、おぱっ、あんないきなり脱ぎたっ、おぱんつ放り込まれて、ふ、吹き出すなっていう方がおかしいだろ!!? ぇほ、ゲホっ」


「なんでですか!? わりと今の話のキモですよ、おぱんつ!!『オトモダチには手ずから紅茶とか淹れてあげちゃうのに、我には素っ気なくおぱんつ渡すだけ』って、それつまり我にはカラダは許してもキスはしない、みたいな話でしょう!!?」


「げほ、ゔぇほ。ふ、ふぅ、ふぅ……。……あー、気管くっそ痛ぇ……。…………言わんとしてることは、何となく、わかったけど……。まずそもそも、なんでイルマちゃんにご褒美でおぱんつくれるんだよ、その痴女おねーちゃんは。イルマちゃん、そんなん貰って喜ぶの?」


「は?? 無論、喜びますけど????」


 無論かぁー……。マジかぁ……。じゃあ、俺的にはめちゃめちゃ逆ギレで『は?』とかメンチ切ってきてるイルマちゃんだけど、これこの子的には逆でもなんでもなく正当な権利としてキレていらっしゃるってことなんだろうなぁ……。


 ていうか、無論喜ぶならべつにいいじゃん。嬉しいんだろ、お姉ちゃんの脱ぎたておぱんつもらえて。ならもうそれでええやないか。需要と供給が完全に一致しとるやん、どこに問題ありますのん?


「……じゃあ、そういうことだろ。イルマちゃんが喜ぶだろうな、イルマちゃんを喜ばせたいなって思ったから、お姉ちゃんは脱ぎたておぱんつくれたんだよ。気持ち、ちゃんとこもってるじゃん」


「そぉぉぉ〜かなぁぁぁぁ〜??」


「そうだよ。そういうことにしとけ。それで万事が丸く収まる」


「………………むー」


 思いっきり不満げにブンむくれてるイルマちゃんに、俺はもう乾いた笑みを返すことしかできないよ……。


 ……でも、そうだな。じゃあこうしよう。


「なんだったら、『お姉ちゃん』の代わりに……ってはおこがましすぎてイルマちゃん的にはそれこそ噴飯物だろうけど、とにかく俺が何かしらイルマちゃんをねぎらって、ご褒美あげようか?」


「………………。つまり、おぱんつです?」


「ノーぱんつです。どんだけご褒美=おぱんつの図式が刷り込まれてんだよ。もっと健全で健康的で文化的な何かでってことな」


「はあ……?」


 今度のは『は?』は逆ギレでもなく、ついでに呆れの溜息でもなかったけど、完全になんもわかってない曖昧なお返事だった。


 まあ、提案者の俺からして、そもそも抽象的で曖昧なワードしか言ってないしな。だって具体的な所はまったくのノープランだし。ただし絶対におぱんつ関連の何かでないことだけは胸を張って断言できる。


「んじゃあ、そだな――っと……?」


「わ」


 その時、半端に開いてる窓の間から強い隙間風が吹いてきて、思わず二人して驚きながら目を細める。


 髪が弄ばれるのを両手で抑えて防いだイルマちゃんは、けれどおもいっきり花弁の弾丸を鼻にくらって「へっぷし」とくしゃみした。


「……………………」


 鼻。……花。


 べつにダジャレってわけでもないけど。春の花と戯れる、和服っぽい黒髪少女を眺めながら、俺は至極当たり前のように『ご褒美』の内容はこれしかないと勝手に決めていた。


 ――そうだ。お花見しよう!

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