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終章聖天 智天のイルマは、おとうと様がだいすきなのです!!

前半グロ部分はミスリード。後半は知らぬ

 王都近郊。宵の暗闇にとっぷりと沈みきり、樹々の天蓋に覆われた黒い森の中。


 その中央付近にて。まるで混沌の死地に天上から突き立てられた聖剣の如く月明かりを受けて浮かび上がるのは、人々の記憶から忘れられて久しい、打ち捨てられた廃聖堂であった。


 天井は完全に崩壊し、その名残が夥しい量の石や木の瓦礫となって、床が見えないほどに積み重なっている。

 かつて壁であったはずのものも、まるでそういうアートであるかのように歪で不安定なモニュメントとしてそびえるだけであり、それが風雨を遮るためのものであった時代など最早見る影もない。


 けれど、ここは正しく聖堂だった。

 有るべきステンドグラスすら無く、その他の金目のものも長い年月の中で根こそぎ盗賊に奪われ、もはや無価値の腐り切った長椅子くらいしか『らしさ』を匂わせるまともな物は残されておらずとも、ここは確かに聖堂なのだ。



 何故ならば。だって此処に、『大聖女』たるレティシア=ミリスティアがいるのだから。



「……ああ、おとうと様。……あなたはどうして、おとうと様なのでしょう……?」

 

 ステンドグラスの代わりに、そこに嵌められたまあるいお月様を眺めながら。一人佇むレティシアは、まるで朗読劇の練習するかのように、聞くものの胸をせつなく締め付ける言の葉をそっと風に乗せ、見えない誰かへ愛おしそうに手を伸ばす。


 道ならぬ恋に目覚めてしまい、身分の差に苦悩しつつも、胸を焦がすような、身が引き裂かれるほどの愛を堪え切れない――。そんなドラマティックな背景を幻視してしまうほどに、彼女の演技はどこまでも堂に入っていた。


 それもそのはず。だって、彼女の置かれている状況は、まさにその通りのものなのだから。


 だから、彼女のこれは、演技ではなく素。恋とは時に、ひとりの少女をラブロマンスのヒロインへと変えてしまうのだ。



 ――そして、時に。恋とは、ひとりの少女を悪鬼羅刹も真っ青の残虐なる殺戮者へと変えてしまうのだ。



「……お、……おぉぉ、お、おぉぉぉぉ………」


 恋しいあの人の面影をお月様に重ねて、秘密の愛を囁いていた清らかなる乙女の、その背後。そこにはまるで観客か信者のように、地に膝を突き天を仰いで涙しながら、漏れそうになる声を必死に抑える赤毛の大男の姿があった。


 彼の者の声なき声を聞いて、愛の世界に耽溺していた無垢なる乙女はようやく現世へと舞い戻り、透き通った笑みを浮かべながらくるりと振り返る。


「あら。どうかしましたか、レオリウス? 赤獅子なんてとっても勇ましい異名で呼ばれているあなたらしくもない、見るに堪えないほど憐れで無様な泣き顔ですよ? まるで、今まさにこれから首を刎ねられようとしている死刑囚のよう……」


「おぉ、ぁ、ぁあああ、ぁあああぁぁ………!!」


「――ああ、それとも。既に処されてしまった知り合いの亡骸でも、うっかり目の当たりにしてしまったのでしょうか?」




「………………きっ、き、……き、……っ!! 〈金狼〉おおぉぉぉぉぉぉぉぉおおォォォォ―――――――!!」




 レオリウスが仰いでいたのは、天ではない。先程までレティシアが見上げ、今はすでにすっかり興味を失ってしまった対象もまた、お月様ではない。


 本当に二人が見上げていたものは――、聖なる月光の中で真っ白に燃え尽きている、磔刑に処されしシュルナイゼの亡骸だった。


「――――――――――」


 骸は黙して何も語らない。

 だが、彼だったものが傷だらけの裸身の上に纏う穢れきったボロ布や、死して後も閉じてもらえることのない白く濁った瞳、よだれのように口角から糸を引くドス黒い血と、その下に広がる鉄臭い大量の血溜まりを見れば、彼が生前によほどの赦されざる大罪を犯したであろうことは容易に伺い知れる。


 だがそれでも、レオリウスは訊かずにはいられなかった。


「…………なん、で……、なんで、あいつが、こんな姿にっ……!!」


 次は自分の番だから――ではなく。レオリウスの知るシュルナイゼという男は、確かにいけ好かない奴ではあったけど、少なくともこんな時代錯誤の私刑に処されて当然というほど悪い奴でもなかったはずだから。

 それにレティシアは、この惨劇の被害者であるシュルナイゼの、婚約者だった女。そんな彼女を、一体何がこの狂気の仕打ちに駆り立てたのか、仮初とはいえ彼女に傅き主人と仰ぐレオリウスにさえ、まるで理解できなかった。


 そして、答えを聞いてもついぞ理解などできなかった。


「だって、おとうと様が、おとうと様なんですもの」


「………………………………は?」


 そんな謎かけ染みた回答をしておきながら、レティシアはまるで百パーセントレオリウスに非があるかのように、出来の悪い生徒かさもなくばゴミを見るような目で滔々と解説する。


「だから。シュルナイゼという兄がいて、わたくしがその婚約者である限り、おとうと様は『弟』様、もしくは『義弟』様でしょう? でもわたくしだって、おとうと様を『ぜのせんぱぁい♡』と呼んで、いちゃこらしたいのです。なので、婚約者様にはこの際消えてもらうことにしちゃいました」


「………………しちゃい、まし、た、だぁ……? お、おい、おいオイ、待て、待ってくれ、そんな軽く……。まさか、本当に、あの御方の呼び方を変えたいって、それだけの理由で、金狼を――」






「『だけ』?」






 ――ああ、そうか。


 心底よくわからないといった様子でかわいく小首を傾げているレティシアの、美しい形をした眼窩にはめられた、どこまでも綺麗すぎる瞳を見つめて、レオリウスはまるで世界の真理すら悟ったかのような気持ちで心底理解した。


『ゼノディアス様を、弟扱いするのではなく、名前や愛称で呼んで甘えたい』。


 この人にとってそれは、人を一人殺すのに余りある理由であり。そしてその願いの前には、骸の数には意味などないし、誰が死んだかも興味は無いのだ。


 だって、その死体はゼノディアス様ではないから。


「…………悪ィ、ちょっと、舌が絡んで、言い間違っただけなんだわ。……気にしないで、くれ」


「あら、そうですか? ダメですよ、諜報員が言葉をきちんと扱えないなんて。今後は気を付けてくださいね」


「……………………肝に命じとくわ」


 自分にはまだ、次がある。


 そのことに心底安堵し、どうにか『いつもの自分』を演じきったレオリウスは、冷や汗どころか心臓の拍動さえ忘れてしまっていた自らの氷のような身体に、少しずつ温度を取り戻していく。


 もしレティシアが、先のレオリウスの言葉の意味を、意図を、理解していたのなら。その時、レオリウスの人生はそこで終了していた。


 彼女は、本気でわからなかったのだろう。だって、今、レオリウスは生きている。生きているなら、もうそれでいいじゃないか。


 そして。生きてさえいれば、たとえ【異性化薬】が無くとも、オーウェンがレオリウスの愛を受け入れてくれる未来が無くなるわけじゃない。


 だからレオリウスは、もうこのイカれたご主人様の下




「赤毛くん。今、『――――――』とか思ってますね?」




 でどうやって生きていけばいいのかわからなくて、顔面蒼白になりながらぺたんと尻もちをついた。


「あらイルマ、今戻ったのですか? 貴女にしては遅いお帰りですわね。これって謀反の前兆かしら?」


「心外ですね、ぷんぷん! 闇より出でて闇へと溶けるイルマちゃん的には、心はいつでもあなたの影に寄り添っているつもりですよ? 主に物理的及びストーカー的な意味で」


「………………わたくしは、貴女を信じていますよ? なので、変に忠義を証明しようとか張り切らなくていいですからね?」


「でも我ってば今謀反疑われちゃったばっかりなので」


「ごめんなさい」


「はい、よくできました!」


 すれ違いざまにレオリウスに何事かを囁いたその黒髪黒着物の幼い少女は、そのまま歩みを止めず何の気無しに歩いて行き、何の疑問も抱いていない様子で自らの主人と他愛ないじゃれ合いに興じ始める。


 磔にされたままの凄惨な骸のことなど、まるで端から目に映っていないかのように。


 その骸を生み出した張本人に、ノリで頭を下げさせて、その頭を撫でるようにぺしぺしと叩いてまでいて。


 その光景を見て、レオリウスは理解した。


 ――理解できないということを、理解した。


 聖天八翼。そして、大聖女。レティシアの下で諜報活動をする中で情報としては知っていたが、それはただ知ったつもりになっていただけだった。


 何度も言っていたはずなのに。八翼は掛け値なしの人外なのだと。狂人集団なのだと。その主たるレティシアもまた、推して知るべしと、自分の中でもそう結論していたはずなのに。


 情報の意味を、価値を、レオリウスは悲しいほどに何も理解していなかった。


「『無知の知』。いい言葉ですよね。そう思いませんか、赤毛くん?」


「……………………おう、まったくだァな」


 唐突にイルマに声をかけられて、レオリウスは自分でも驚くほど素直にそう返事を返した。


 それにちょっと意外そうな顔をしたイルマは、けれどそれきりレオリウスの存在は彼女の中で終了してしまったようで、自らの主人に改めて向き直って着物の胸元から一枚の手紙を取り出す。



「こちら。レティシア様と、ゼノディアス様、それに『男子寮の廊下でゼノディアスさまと「ぴー」してた女の子』。以上三名の接触による聖戦再発を恐れ、王都から脱出しようと画策した【羽】及びその子飼いのリスト。その最新版です」



 レオリウス終了のお報せの本番は、どうやらここからのようであった。


「…………ねえ、イルマ? だからその『ぴー』って何なの?わたくし、とっても気になって仕方がないのだけど」


「シュルナイゼ様は既に処断済みですので省いてあります。あと赤毛くんも予想通り、緊急脱出路の出口である『ここ』でレティシア様が確保されましたので、二重線で消しといてください。その他については一名を残して確保済みであり、その一名についても『予定通り』間もなくここにやって来る見込みです」


「ねえ、ぴーってなぁに? なんなの、ねえ? ぴー、ぴー??」


「はいはい、ぴーぴー、ぴーぴー。………あ、ほら。最後の一名、来ましたよ。はい拍手ー!!」


「もう、この子はほんともうっ!! もうっっ!!」


 終始思い通りにならないしもべに憤慨しつつ、言われた通り素直にイルマと一緒に拍手しちゃうレティシア。


「ほら、赤毛くんも、ほら」


「お、おゥ」


 フリーダムイルマに急かされ、レオリウスも未だ尻が地面から離れないながらも、必死に入口の残骸を振り返り、壊れたおもちゃのように震える手でぱちぱちと手を叩く。


 そんな盛大な拍手に迎えられて、ちょっと照れ臭そうに頭を下げながら『ど、どーも……』みたいな感じでやって来たのは――。


「………………オーウェン」


「あ、レオ! やっぱりキミもここにい――ブッ!!! しゅ、しゅる、しゅるな、な、ななな、なっなな、ななな、なっ、な、なっ……!!??」


「……あァ、それが正しい反応だよなぁ……」


 あられもない姿のシュルナイゼを見てガクガク震えあがるオーウェンに、どこかほっこりとした気持ちになってしまうレオリウス。


 そんな落ち着き払ったレオリウスを見て、オーウェンもまたどうにか徐々に平静を取り戻していく。それでもまだ挙動不審の収まりきらないオーウェンに、レティシアはにっこりと微笑みながら告げる。


「あれは無視しなさい」


「え、えっ、でも……」


「今日はシュークリームじゃなくて申し訳ないのだけど、わたくしのお友達が作ってくれた美味しいかぼちゃパイがありますのよ?」


「………………パイ……。……どうか安らかに成仏してください、シュルナイゼ様……!!」


 死者への手向けとして合掌と黙祷を捧げたオーウェンは、次の瞬間には笑顔でレティシアにくるりと振り返――ろうとして、腰にレオリウスにしがみ付かれて動きを止められた。


「いやお前順応性高すぎだろがよォ!!? もっとおかしいと思えよ、どんだけ菓子好きなんだよオイ!!」


「え、でも……。…………だって、シュルナイゼ様、あれ、普通に生きてるよね……? 最初は、さすがにちょっとびっくりしちゃったけど……」


「…………………………はぁぁぁ~??」


 あのこの世の地獄みたいな光景を見て、何トチ狂ったこと言ってんだオメェ――と、オーウェン登場によって元気を取り戻したレオリウスが流れるように小馬鹿にしようとした時、けれどそれは叶わなかった。


「ふむ。ちなみにお菓子大好きくん、そう思った根拠は? アレ、間違いなく呼吸も心臓も止まってる上、あの致死量の血だまりも間違いなく婚約者くんのものなのですが」


「えっ……、そ、そうなんですか……? で、でも、それ、レティシア様か、その部下の誰かがやったん、で、す、よ……ね……?」


「まあ、そうですね。主に我がデコレーションを担当しました。ちなみに結構な自信作です。えっへん!」


「ああ、じゃあやっぱり生きてますね!! よかったぁ~」


 怖がったり安心したりと忙しなく動きながら最終的に謎理論に落ち着くオーウェンに、自慢げに胸を張っていたイルマのみならずレオリウスも驚きを示す。


 だがただ一人、レティシアだけがにこにこ笑いながらオーウェンに問いかけた。


「ちなみにオーウェン君、貴男がそう思った根拠は? うちのイルマが自信作と言っている以上、アレは今、確実に死んでいますわよ?」


「そそそそっ、そーだそーだ! 我渾身の力作なんだぞ!! 根拠も無しに生きてるとか言ってんじゃねーぞこのホラ吹きやろ」




「だって、レティシア様が、ゼノディアス様の嫌がるようなことするわけないですし。それに、『今は』死んでるってことは、復活させられる手段があるってことでしょう?」




「………………………。ホラ吹き呼ばわりしてごめんね、お菓子大好きくん……。我、自分が恥ずかしい……」


 一人で勝手に爆死して体育座りを始めちゃったイルマを、レティシアが背後から抱き締めるようにしてよしよしと慰める。


「いいのよ、イルマ。貴女の仕事は完璧だったもの。……八翼のみんなは『自分が一番わたくしのことを知っている』っていう自負があるからこそ、他の人がわたくしを理解しているとは考えない。その問題点を知った今の貴女なら、次はもっとうまくやれるでしょう?」


「でもぉ……。ぐすっ、……我、しっぱい、しちゃったぁ……うぇぇぇぇん……!」


「まったく、この子はもう……。ほらほら、泣かないで。あとで、その、………………ほら、約束の、ぱんつ」



「復活の我!!! 降・臨!!!!!」



 何やら復活の呪文を囁かれたイルマは、突如飛び上がりながらどこからともなく取り出したクラッカーを派手に『ぱぁーん!』と鳴り響かせ、色とりどりの紙吹雪と共に舞い降りてシュタっと着地しカッコいいポーズをキメる。


 むふーっと鼻息荒くドヤ顔を披露するイルマに、レティシアが呆れたような笑顔でぱちぱちと拍手を送り、オーウェンも目を白黒させつつおそるおそるレティシアに倣う。


 が、ただ一人茶番に取り残されたレオリウスだけが、腰砕けとなりながら尻もちをつきつつ怒鳴り散らして水を差した。


「…………っ、ざ、け、んじゃ、ねえぞテメェらあああああああぁあああああ!! やっていいことと悪いことがあんだろうがよォ!!!」


「? はて、どういうことです?」


 飛び立つ直前に羽ばたく白鳥のように、片足立ちで片手を広げながら横ピースをキメていたイルマ。そんなふざけた姿のまま心底不思議そうに首を傾げる彼女に、レオリウスはしばし頭が真っ白になって意識が飛びかけるが、なんとか復帰を果たして唾を飛ばしながら食って掛かる。


「あいつはっ、金狼は、死んだんだ!! お前らがッ、お前らが殺したんだろうがァ、この人でなし共がぁあああアアアアアア!!!」


「………………あ、そっちですか? 我、てっきり『悪ふざけ』の方を怒られてるのかと思って、確かにちょっとやりすぎたかな、我の作品ってば傑作すぎちゃったかなてへぺろ♪ と反省したから素直に怒鳴られていたのですが」


「悪ふざ、け、だとォ……!!? てめぇら、金狼の……ッ、シュルナイゼの命を、悪ふざけで、奪いやがったってェのか――」




「ふむ。いきなり名前で呼ばないでくれ、赤獅子。まるで仲良いみたいに思われそうで不愉快だ」




「………………………………………………あぁ?」


 何かありえないものを聞いた気がして、レオリウスは見るも無残な亡骸に思わず目を向けてしまう。


 そこには。頭に手を当てて呆れたように溜息を吐いているレティシアと、手にした縄を意味も分からず慌てて手繰っているオーウェン。


 ――そして、そんなオーウェンに拘束を解かれて軽く礼を言いながら歩いて来る、レティシアを横に控えさせた公爵家嫡男・シュルナイゼの姿。


「……………………………………あぁ?」


 語彙と脳細胞が死滅したレオリウスを他所に、シュルナイゼは恐縮しきりのオーウェンと改めて向き直る。


「来てくれてありがとう、オーウェンくん。夜道は怖くなかったかい?」


「は、はい! な、なんか、まるで暗闇の方から逃げてくような、不思議な安心感があって……」


「あ、それ我です我!! 陰の眷属たる我にかかれば、夜道の護衛から諜報・暗殺、気になるあの子のストーカーまでちょちょいのちょい!!」


「ねえイルマ。わたくし、後でちょっと貴女の異能の使い方についてとってもお小言が言いたいのですけれど……」


 いきなり和気藹々とし始めた四人に、レオリウスはもう何がなんだかわからなくて完全フリーズである。


 そんなノリの悪いぼっちに気付いて、脚本担当・シュルナイゼが神妙な面持ちで語りかけた。


「赤獅子。お前は、俺のことを『レティシアに家名まで貢いで尻尾振ってる、貴族の面汚し』だと言ったよな? ――そんな恥知らずの俺が、理由はどうあれ、レティシアから離反しようとしている子飼いの貴族共を野放しにすると思うか?」


「……………………。……離反、は、して、ねェ」


「そうか。では、違う話をしよう」


 ――ある所に、ひとりの将軍がいました。

 ある時彼は、とある極秘情報を掴んでしまいます。ちなみにその情報はほとんどガセと呼んでいいものでしたが、情報の伝達ミスが重なり、しまいには戦争に発展しかねないほど重大なものとなってしまいました。

 そして、その情報が真実であるとすっかり信じてしまった将軍は、ある行動に出ます。なんと、来たる戦争の気配に怯え、自軍全員に撤退を命じ、自らも真っ先に逃げ出してしまったのです。

 ――戦争に繋がる情報の捏造、及び隠蔽、そして一軍を巻き込んでの敵前逃亡。


「では問題です。さて、この将軍は何回死ねばその罪を贖えるでしょうか?」


「――――――――」


 例え話。その体を取られたおかげで、ようやく自らの行動を客観的に振り返ることができたレオリウスは、まるで審理にかけられる戦争犯罪者のような気分に陥り、そして今はまさにその通りの状況なのであるとまざまざと理解した。


 だが、そこに思わぬ救いの手が差し伸べられる。ただし、ある意味マッチポンプだったが。


「ちなみに、俺は当然、自分が見聞きした全てをすぐさまレティシアに……というか、そこに現れたイルマに報告した。ちなみに、オーウェンくんと一緒にな」


「……………………は? オーウェン??」


「ああ。それで、事態を理解した彼にこう言われたよ。『自分の間違った情報が原因だから、レオリウスに助かるチャンスをあげてほしい。――そのためなら、自分は何でもするから』、と」


 なんでも。


 なんでもする。


 その言葉を聞いたオーウェン大好きレオリウスの脳内に浮かんだのは、愛しのオーウェンがレティシアや、あろうことかシュルナイゼにぴーがぴーしてぴーぴーであっはんうっふんな十八禁の桃色映像の洪水であった。


 見えるはずのないその汚らわしい妄想にあてられたかのように、魔眼を発動していないレティシアと魔眼持ちではないイルマがなぜか思いっきりドン引きする中。はらはら見守るオーウェンを笑顔で一瞥してから、シュルナイゼは続けた。


「そこで、チャンスをあげたわけだ」


 概要はこうである。

 オーウェンから聞き出したレオリウスの予想脱出ルートを参考に、イルマが終着点を割り出し、レティシアが網を張ってレオリウスを確保。

 その後、まずはシュルナイゼがレティシアの意に沿わない者の末路を身体で示してみせ、戦意を挫く。それを皮切りに、レティシアの精神攻撃や、イルマによりじわじわと狭まる包囲網の恐怖。

 そして最後のダメ押しとして、作戦を知らされていないオーウェンを呼びつけ、レオリウスに対する人質になってもらう算段だったのだが……ここで思わぬ事態が発生。


「赤獅子はオーウェンくんの登場で息を吹き返してしまうし、オーウェンくんはオーウェンくんで予想外すぎる方法で俺の演技を見抜いてしまうし、そして何より赤獅子は唐突に俺のファーストネームを呼んで友達面してくるし……。

 脚本を書いた者の責任として死ぬほど身体を張ったのに、あまりのショックで地獄から舞い戻ってきてしまったよ。おかげで何もかも台無しだ。どうしてくれる、『レオリウス』?」


「いや知るかよ――って、テメェも名前呼んでんじゃねェか……とっても仲良しかよ……。………………あァ? いやそもそも、てめぇが脚本描いたってことは、つまりそんだけ回りくどい真似までして、あの手この手で俺を助けようとし」


「『想像の翼は、誰にも手折れない』とは言え、実際にその妄想を口にしてしまうとあらゆる意味でお前は死ぬぞ。俺やオーウェンくんを巻き込んで」


「……………………あー、そーかよ」


 盛大なドッキリの種明かしをされて全てを理解したレオリウスは、憎まれ口や恨み言のひとつやふたつは言ってやろうかと思ったが、無表情を装うシュルナイゼが若干恥ずかしそうに頬を染めてるのを見て思わず言葉を飲み込んだ。


 そんな二人を見てオーウェンが「むー……」と何やら不満げに頬を膨らませていたが、これ以上の耽美空間を許容できなかったレティシアが大きく咳払いをして場の空気を切り替える。


「……ま、そういうことですわね。本来、七回死んでもまだ足りないほどの重罪を侵した貴男ですが、婚約者様とオーウェン君の助命嘆願により、『今後絶対の恭順を誓うのであれば今回に限り無罪とする』、ということになりましたの」


「…………血で血を贖う『大聖女』様らしくもねェ、お優しい判決なこって。俺ぁ、泣いて喜んでアンタに絶対服従を誓いながら、証に靴でも舐めればいいのかぁ、オォイ? 今なら喜んで裏だろうが中だろうがべろんべろんベロンベロン嘗め回してやるぜぇぇ?? さぁ、こっち来いよぉぉぉ、なぁアバズレぇぇぇええええええ……!!!」


「ひっ」


 手をわきわきさせながら舌をべろんべろん嘗め回してにじり寄ってくるレオリウスに、レティシアがわりと本気で顔面蒼白になりながら引きつった悲鳴を上げる。


 だが。もう一歩でレティシアのおみ足に手が届こうかという、その瞬間。恐怖の連続から解放されてタガが外れたように調子に乗っていたレオリウスを、これまでの人生で感じたことの無い異様な感覚が襲い、彼の手はレティシアに触れることなく、自らの首を掴んで、容易くごきりと圧し折った。


「――――――――――」


 は? と、誰にともなく疑問符を投げかけるつもりだったレオリウスは、けれどそれを叶えることなく、呆気なく死んだ。


「…………………………え」


 オーウェンは、あまりに自然に目の前で起きたことが理解できず、思わずシュルナイゼを見る。

 だが、シュルナイゼもまた、何が起きたかわかっていない様子で呆然とレオリウスを――どう考えても普通では有り得ない方法で、何のひねりも無いほど極々普通に死んでいる、そんなレオリウスを凝視していた。


 レティシアもまた、言葉を失ったように口元に手を当てて、綺麗な瞳を大きく見開いてその亡骸を見つめ続けている。意識的に、無意識的に、これまで散々狂人的な言行をしていたレティシアだが、オーウェンには今の出来事が彼女の意思によって行われたものだと思えなかった。


 だって、オーウェンの知るレティシアは、『おとうと様』の悲しむようなことはしない。そしておとうと様は、べつにレオリウスのことはどうでもいいかもしれないけど、少なくとも『義姉様が殺人を犯す』ということには深い悲しみを示すはずだ。


 だから――レティシアは、レオリウスを殺さない。いや、『殺せない』。


「…………………………」


 ……いや、違う。前提が、間違っている。


 オーウェンの知る、この世の何より『おんなのこ』を大事にするという、あのゼノディアスが持つ優しさの本質は、




「『義姉様に少しでも嫌な思いをさせる男なんて、兄様以外は極刑ですら生ぬるい』。……きみの思っている通り、あの御方が女の子に向ける優しさっていうのは、そういう狂ったものですよ? ねえ、お菓子大好きくん」




 だから我って、そんなあの御方のことが、とってもとっても大好きなんです――なんて。


 とっても気持ちの良いドヤ顔で、そうのたまいながら。人ひとりをあっさり殺したその少女は、瞳に宿る昏き【異能】の残滓を隠そうともしないまま、唖然とする一同を前に心底胸を張ってみせていた。



◆◇◆◇◆



 斯くして、聖女は手に入れる。


 秘宝欲しさのあまりに仮初の忠誠を口にする、反骨心を隠そうともしない扱いにくい獅子ではなく。


 既に使われた秘宝の代償として、七度生まれ変わっても絶対の忠誠を捧げる、哀れな憐れな子ネズミを。


 その日。子ネズミは、復活した獅子から捥がれた【羽】を与えられて、聖女の下僕として生まれ変わり。


 そして。獅子が泣いて欲しがっていたはずの秘薬をもあっさりと与えられて、『おんなのこ』として生まれ変わることにもなったのである。



 そんな彼女がいつものように、大慌てで大騒ぎしながら大至急持ってきた、些細な情報。それが今度こそ、本当に【聖戦の再演】を告げるものになるとは、流石にレティシアも想像すらしていなかったことだろう。


 人を替え、陣を替え。十年の時を超えて今再び戦場という縁で繋がる、聖女と魔女。


 運命の日は、そう遠くない。なぜならば、既に〈嵐〉は吹き荒れ初めているのだから。




 めっちゃ『おろろぉぉぉぉォォォォォン……!!』とか唸りながら。

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