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終章機関 月雫の魔女エルエスタ

 陽の光に見限られ、夜の帳に支配されゆく王都。地の果てまで続くかと思われる広大な街並みの上空を、影の尖兵であるひとりの〈魔女〉が音も無く疾駆する。


 その名はナーヴェ。当然のごとく他人様の家の屋根を蹴って跳んでは、また当然の如く『何もない空中』を蹴って跳び、また別の他人様の家を足蹴にする。


 眼下にひしめく人の視線も、王都の上空に張り巡らされた魔術結界も、時折すれ違う裏の人間達でさえも、ナーヴェの姿を捉えることはできない。


 なぜならば、今のナーヴェは誰かに見られることを『望んでいない』から。



 ――〈魔女〉たる彼女が、それを望まないと言っている。ならば世界よ、後はわかるな?



 ナーヴェの全身から迸ってる狂信者染みた魔力様による、そんな声無き脅迫に押し負けた憐れな世界さんは、己の信念も道理も曲げて、遍く全ての者達の眼からナーヴェの存在を隠すしかない。だって、従わないとたいせつなものが壊されるから。主に常識とか、物理法則とかが。


 そんな風に、気に入らない全てのものをいつだって己の力で捻じ伏せ従えて来たナーヴェだが、そんな彼女にも支配できない存在というのは幾つかある。


 ひとつは、当然、アルアリア。かわいい孫娘を、文字通り目に入れても痛くない程に溺愛しているナーヴェは、アルアリアからもたらされる『痛み』を拒絶することができず、いつだってノーガードでそれを受け取ってしまう。

 そんなアルアリアがあのわっぱの手に渡れば、きゃつめはまたひとつ、ナーヴェを殺し得る手札を得ることになるだろう。


 孫娘とわっぱを除くと、他にナーヴェに抗し得る者として名が挙がるのは。

 聖女を超えた聖女、万の血で億の血を贖いし大罪の『大聖女』レティシア。

 レティシア麾下、比類なき人外狂人集団である【聖天八翼】。

 ナーヴェと同様、力を以て憐れなる世界を調伏して見せた〈力有る魔女〉達。

 そして、最後の一人は――。



「……ようやく腹を決めてくれたんだね、ナーヴェ」



 再び降り立った、どこぞの誰かの屋根の上。この世の誰にも認識されない存在となっていたはずのナーヴェへ、ごくごく自然に、まるで親しい友人に語り掛けるかのように言葉を放って来たその女。


 なんのことはない。彼女は事実、ナーヴェにとって友人――否、『親友』と呼べる唯一の存在であった。


「…………エスタ。一体何の用だい?」


「え。何の用だ、はさすがに酷くない? 私、これでも結構長いこと待ってたんだけどなぁ~」


 一瞬何故か固まったものの、すぐさままるで韜晦するようにおどけた仕草で肩を竦めて見せる彼女――エスタ。

 独自の意匠のローブを夜会のドレスのように身に纏い、スリットの合間から覗く脚に十代の瑞々しさを宿し、月の光に淡く輝かせている。

 被られたフードの奥から零れる髪色もまた、月の光を溶かしたような静謐なる白銀。そして髪から反射した燐光を受けて仄かに輝く瞳も、これまた月の光と同じく白銀。


 未だ二つ名を持たず、ただの魔女でしかないエスタだが、もし彼女が〈力有る魔女〉に叙されることがあったならば、あざなはきっと『月』に因んだものになるであろう。

 特に詩人というわけでもないナーヴェでさえそう思うほど、月の光にそっと佇むその女というのは、とても絵になっていた。


 だがそこはナーヴェなので、『絵画なんざ知ったこっちゃねーよ』とばかりに再び前を向き、わざわざ声をかけてくれた親友をほっぽって、次の跳躍に向けて脚にぐっと力を――


「いや待ってよ、何普通に無視してんのさ――いや、ほんとに行かないでよ!!?」


 制止も聞かずに普通に飛び立とうとした、というか実際ちょっと跳んだナーヴェの腰に、エスタはまるで男に逃げられた遊女のごとくひしっと抱き着いてどうにか地上へ引きずり下ろす。


 その後もしばらく無言ですったもんだしていた二人だが、やがてエスタが汗と涙と鼻水と筋肉痛で死にかけた頃、ようやくナーヴェが呆れた溜め息と共にくるりと向き直った。


「なんだい鬱陶しいねぇ、あたしゃ今忙しいんだよ。呑みの誘いならまた今度にしてくんな」


「いつ誰が呑みに行こうなんて話したよ、いや確かに『せっかく引きこもりのナーヴェが王都に来てくれたんだから、今度一緒に飲みに行こうね!』とかは言ったけど、今回の主題はそっちじゃないでしょ? しかもなんか今、私さらっと呑みの約束断られなかった? どういうことなの??」


「相変わらずうるっっさい女だねぇ……。あたしゃ常々思うんだけど、あんたのその良く回る舌を引っこ抜いてアリアにお守りとして持たせたら、ちょうどいい塩梅になるんじゃないかい?」


「…………いちおー聞くけど、それ、抜かれた後の私にちゃんとアルアリアの舌を交換でくれたりするの?」


「は??? なんでかわいいアリアに痛い思いさせた挙句、あの子のたいせつなベロをあんたなんかにあげなくちゃいけないんだい!!! ブッ殺されたいなら素直にそう言いな、二秒で終わらせてやる!!」


「この理不尽の権化、ほんとナーヴェだなぁ!! 嬉しいけど嬉しくないよこのあんぽんたんっ!!!」


 今日久方ぶりに再会したというのにこの手加減の無さ、色んな意味で泣けてきちゃって思わずアルアリアばりに涙をちょちょ切れさせるエスタであった。


 だから、というわけでもないだろうが、ナーヴェはエスタを二秒でぷちっと捻り潰すこともなく生存を許容し、視線で発言の許可まで出してくる。その態度、とっても偉そう。


 いちおー私の方が上司なんだけどなぁ……という今更過ぎる思いを噛み締めながら、エスタ――【魔女機関】臨時総帥・エルエスタは、涙を袖でごしごしと拭ってからへらりと笑った。


「それより、ようやくアルアリアと決別する決心が付いたんでしょ? さっきは全然なびいてくれる素振りなんてなかったから、私、てっきりフられちゃったのかと思って一人でめっちゃ泣いちゃってたよ。今もあんたに泣かされちゃったし、ほら見て、私、今目ちょー赤くなだから話の途中で行こうとしないでぇぇえええ!!!」


 意味不明なことを言い出したと思ったらくだらない雑談が始まったので、速攻逃げようとしたナーヴェ。

 しかし視線を切った段階でエスタに速攻抱き着かれ、「チッ!!!」とあまりにも聞こえよがしすぎる舌打ちをしながら踏みとどまる。


「ったく、ほんとなんだってんだいあんたは……。あたしがアリアと決別する? なにがどーなったらそんなありえない与太話が出てくるんだい、その要らない舌は」


「うん、要らなくないよ? ぷりちーな私のぷりちーな舌はね、とってもとってもだいじなの。だから抜こうとしないで、お願いだからそのペンチみたいににぎにぎしてる指を今すぐストップ!!」


「チッ!!!!」


「『チッ』じゃねーよ!? あんたほんとなんで私にばっかそんな当たりキツいの!? 親友じゃん!? 私達、ズッ友じゃん!!?」


「それ、たぶんあのわっぱが聞いたら『自分から友達アピールしてくる奴にろくなのはいない』とかまーた捻くれたこと言い出しそうだねぇ……。ハッ! そうだ、わっぱ!! こうしちゃいられな」


「いきなり知らない人の話していきなりどっか行こうととしないで!!? あんたどんだけ私から逃げたいの!!? お願いだからまともに話聞いてよおぉぉぉぉぉおおお――――!!!」



◆◇◆◇◆



【魔女機関】臨時総帥・エルエスタ。


 力は無く、意思も無く。

 神の悪戯としか言いようのない数奇な運命と、かつてのナーヴェの『エスタがアタマ張るならあたしも機関に残る』という発言により、とある一派に神輿のごとくえっさほいさと担がれて、空位となった総帥の座に臨時代行としていつの間にやら供えられてしまっていた、不憫な女。


 なんだかんだで事務仕事は好きなので、実働部隊として各国に派遣されるよりは楽でいっかな、と思って素直に組織運営を実地でちまちま勉強しながら、のほほんと暮らしていたのがここ数年のこと。

 だが、仕事がわかってくるうちに『あれぇ?』と首を捻るようなきな臭い動きに気付いてしまい、それがぼちぼち噴出して来そうな気配があったので、自分をこの腐った組織のトップに後押ししてくれやがった親友殿に『できもの』の出張手術を依頼したのだが……。


 昼間に遭った時は、アルアリアを理由に冷たくあしらわれ。そして今は、ろくに話すら聞いてもらえない。万策尽きたエスタは、月の雫のような涙をとめどなくぽろぽろ零しながら、赤子かコアラのようにナーヴェに必死でしがみ付くことしかなかった。


 その姿にうっかりちょっとアルアリアの泣き顔を重ねてしまったナーヴェは、『あたしのアリアをバカにするんじゃないよ!』と理不尽にエスタの頭をごつんと叩いて鬱憤を晴らしながらも、そのお詫びも兼ねて仕方なく話を聞いてやることにする。


 勿論、わっぱの件でなし崩しにアルアリアの元を離れる前まで、『アリアの傍にいるべきか、エスタを理由にして独り立ちを促すべきか』と悩んで黄昏れていたことは内緒であるし、アルアリアの元に残るにしても何らかの形でエスタを助けていたであろうことも、とってもとっても内緒である。


 斯くして。かつて歴史に名を轟かせた〈晴嵐の魔女〉ナーヴェは、エルエスタのなりふり構わぬ泣き落としにほだされて、此度の記録無き動乱にその名を記すことと相成ったのだった。



 ――余談だが。後の歴史に語られる希代の悪女、〈月雫の魔女〉エルエスタ。これが、その二つ名の誕生の瞬間であるとか、ないとか。

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