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十四話 其の存在を喰らう者

 ――宵の先触れたる茜色の光に沈む、人気の絶えて寂寞が支配する、茫洋とした廊下。


 誰も彼もが既に息絶えたかのようなその黄昏の世界の中心で、ただ一人、〈深淵〉の名を冠する魔女・アルアリアだけがぽつねんと突っ立っていた。


「……………………?」


 どうして、自分はこんなところにいるんだろう。


 そんな疑問が浮かぶより先に、『彼』の姿を探して思わず辺りをきょろきょろと見回してしまっていたアルアリアは、自分の行動にハッと気付くと、見ている者など誰もいないというのに両手でフードを目深に被り直して赤い顔を必死に隠す。


『彼』――ゼノディアス=バルトフェンデルス。

 貴族の『上』の貴族である公爵家の次男にして、時空魔術や治癒の奇跡といった天上の秘術をまるで呼吸するかのように容易く扱い、果ては喋る猫も喋らなすぎな魔女も等しく人間扱い……否、『おんなのこ』扱いして優しすぎるほど優しく接してしまう、ちょっと……これまた否、盛大におかしなおとこのこ。


 ――そして、とってもあほでおばかな、祖母の話に出てきた『わっぱさん』そのまんますぎる、とってもとってもおもしろい男の子。


 彼の困ったような笑顔を脳裏に浮かべ、とくん、と脈打つ胸にそっと両手を当てて。今ここに彼がいない寂しさを紛らわすかのように、アルアリアは涙の滲む声に確かな熱を宿らせながらその名を震える唇に乗せた。


「……ぜの、せんぱぁい………」


「にゃ〜う(あんたそういうとこが思わせぶりだって言われんのよ、このド変態痴女め)」


「いきなり冤罪!? ……って、みーちゃん?」


 いつの間にやって来たのか、胡乱げな目でアルアリアを見上げていたみーちゃんは、もう付き合ってられないとばかりにくるりと身を翻す。


「みー。みぅ(あっちにあんたの部屋有ったから、さっさと行くわよ。ばっちゃも首を長〜くして待ってることだろうし)」


「え? おばあちゃんが? ……えっ、わたしの部屋って、えっ??」


「……………みぃうぅ(……あんた、まさか何も覚えてないとか言わないでしょうね)」


「……………。え、えへへぇ」


 なじるような目で見られて、思わずご機嫌を取るような卑屈な愛想笑いを浮かべて誤魔化してしまうアルアリア。


 心底呆れたとばかりに重い溜息を吐いたみーちゃんは、足取りまで重くしながら、ちょこちょこと後をついてくるアルアリアに喋るのも億劫と言わんばかりの念話を投げて寄越してくる。


(ずっと喋らないと思ったら、案の定ね……。あんた、一日に何回夢遊病にかかれば気が済むの? もっとメンタル鍛えなさいよ。あと今度リコッタとレティシアに謝っておきなさい。もちろん、『あんな目』に遭わされてもここまで送り届けてくれた、底抜けにお人好しなしょーねんにもね)


「…………りこ……? ……れてぃ、し……?」


「………なぁぁふぅ!?(嘘でしょ、まさかそこからなの……!?)」


「え? ……えっ!?」


「なぁ〜おぉぅ…………」


 もはや言葉すら放棄して本物の猫のような鳴き声を天に捧げたみーちゃんは、今度こそもー知らんとばかりにアルアリアを無視してさっさと前を行ってしまう。


 その後を小走り(※アルアリア比)で必死に追いかけながら、アルアリアは必死に脳味噌をぐるぐる回した。


(りこった……、れてぃしあ……。あっ、確か、あの女の子達の名前……。……でも、ぜのせんぱいが遭った『あんな目』って――あっ!!)


「わたしの、げろまず料理!!」


「…………フン」


『やっとかよ』みたいな感じで鼻を鳴らしたみーちゃんは、態度は相変わらずつれないながらも、歩調を緩めてアルアリアの隣に並んできた。


(そーよ。あんたのゲロマズ料理でリコッタもレティシアも非業の死を遂げたわ。……あんたはただの自業自得だし、リコッタもあんたを強引に唆して作らせた張本人だからまぁいいけど、レティシアは完全に流れ弾のとばっちりよ。あの子ってばほんと不憫……)


「…………ご、ごめん……? …………あれっ? ぜのせんぱい、は?」


(……ねぇ、アリア。あなた、『あの』しょーねんが、たとえ謎キノコと多少の悪意と甚大な好奇心を煮込んで作られた〈深淵の魔女〉お手製のガチの毒劇物とはいえ、あんたの手料理を一滴でもお残しすると思う?)


「おもわない」


 即答だった。まだ彼との付き合いが長いとは口裂けても言えないアルアリアだったが、彼と過ごした短くも濃密な時間の中で、流石に彼の『根っこ』の部分の一端くらいは理解している。


(ま、そういうことよ)


「……………せんぱい、死んじゃったんだ……」


(いやどういうことよ。ここまであんたを送ってくれたっつってんでしょ、勝手に殺さないでよ。……まあ、あんたはわりとガチで殺すつもりだったかも知れないけどね。あんた、リコッタとレティシアにあれこれ構われて震え上がりながら、ずっと少年のこと呪い殺しそうな眼で睨んでたし)


「……………………………」


 みーちゃんの話を聞くにつれてちょっとずつ思い出してきたアルアリアは、流石に殺意の介在については否定したかったものの、確かにあの陽キャの社交場に人見知りの自分を引きずり込んだぜのせんぱいに対してちょっと思うところがあったなと一部容疑を認め、反発することなく黙してしゅんと肩を落とす。


 殊勝な心がけね、と皮肉な笑みを浮かべたみーちゃんは、小馬鹿にしたような様子から一転、神妙な面持ちで静かに語る。


「……にゃう、なぁう。……みゃおぅ(……魔力に愛されすぎたあんたは、大好きな祖母に美味しい料理を作ろうとする時でさえ、余計な邪魔のせいで未知の【霊薬】を錬成してしまう。……それが、悪意を以て毒物使ってお料理なんてしたら一体どうなるか。ま、良い経験になったわね。これに懲りたら、きちんとばっちゃに力の制御法とお料理を習いなさい)」


「…………ねえ、みーちゃん。ちょっと前も思ったけど、なんで、わたしとみーちゃんが出逢う前の、わたしのことも知ってるの?」


「むあ。みゃうみゃう(あんたの有り余りすぎた才で契約された従魔だもの。あんたの記憶にある思い出話どころか、あんたが無意識に切り捨ててきた無駄な知識だって受け継いでるわ)」


「……………それ、って……」


 アルアリアは思い出す。

 みーちゃんは、自分から引っ張ってきた魔力を使って、自分でもできない任意の身体強化魔術すら使える。それはきっと、自分が『無駄』として切り捨てたものの中に、魔術を扱うためのコツみたいなものが有ったからなのだろう。


 それに、ぜのせんぱいとの、従魔契約を応用した回路の接続。ぜのせんぱいの自害未遂をきっかけとしてアルアリアとの回路は完全に切れてしまったのに、みーちゃんはその後も何事もなかったようにぜのせんぱいとの繋がりを維持している。


 少なくとも、魔術の扱い方という点において、みーちゃんは自分より遥かに上。そして、アルアリアが最も苦手とする人付き合いも、猫のみーちゃんの方がうまくやれてしまう。


 もしこれで、みーちゃんがアルアリアの十分の一ほどでも自前の魔力を持っていて、さらに子供のものであっても人間の体を有していたら、完全にアルアリアの上位互換の完成だ。


 ……自分がみーちゃんより、優れているとか、或いは下だとか、そういう類のを思ったことはこてまで誓って一度も無い。

 けれどアルアリアは、今の自分は本来みーちゃんに劣る存在なのだと気付いてしまって、思わず拗ねるようにして愚痴めいた呟きをぼそぼそと漏らした。


「みーちゃんが、『アルアリア』だったらよかったのに――痛っ!?」


 いきなり毛を逆立てたみーちゃんに足を噛まれてしまい、アルアリアは痛みよりも驚きによって身体を飛び跳ねさせた。


(―――――――――――)


 きぃんという耳鳴りと化した、みーちゃんからの念話。これと同様のものをぜのせんぱいからも傍受したことがあるアルアリアは、今憤怒に満ち満ちた形相でかじりついてくるみーちゃんを見て、これが言葉にならないほど昂りすぎた感情ゆえの現象だと今更ながらに理解した。


 みーちゃんは――今、とっても怒っている。


「…………………………」


 荒い呼吸を漏らしながら噛み付いているみーちゃんを、アルアリアは無言でそっと抱き上げた。

 思いの外素直に抱かれてくれたみーちゃんだが、彼女のアルアリアを見る目には人を喰らう化け猫も斯くやと言わんばかりの怨念じみた怒気が迸っている。


 ――否。斯くや、などという胡乱な話ではなく、ただの事実として今そうなっていて。そして、いつもひょうきん者な彼女をそんな凶行に駆り立てたのは、アルアリア自身なのだ。


 ヒトの肉を、のみならず存在をも喰らい、主に取って代われと。――万が一の時は一緒に晒し首になってあげるとまで言ってくれた御主人様想いなみーちゃんに、アルアリアは最も残酷な仕打ちをした。


 アルアリアは、ようやく理解した自らの罪を悔い――、けれど胸の奥を満たすあたたかな衝動に笑みを零して、みーちゃんと鼻を突き合わせる。


「みーちゃん」


「ふーっ!! ふかーっ!!!」



「―――――『ありがとう』」



「っ、………、……………。……フンっ!」


 涙ながらの謝罪ではなく、花開くような笑顔と感謝。面食らったみーちゃんは、アルアリアの視線から逃れるように目線をふらつかせ、最終的に『しょーがないわねっ!』と顔を背けて鼻を鳴らしながら高慢な姫君のようにアルアリアへ赦しを与えた。


 けれどまだ完全に矛を収めたわけではないようで、短い前足で腕組みしながら、アルアリアの胸に抱かれて仰向けにふんぞり返るみーちゃん。

 そんな従魔のコミカルで愛らしい反抗心にあたたかな苦笑を漏らしつつ、アルアリアはおぼろげな記憶を頼りに自らの部屋を探し当てる。


 受付まで連れ添ってくれていたぜのせんぱいが、寮母さんから聞き出してくれた、アルアリアのために用意された女子寮の一室。


 今目の前に聳え立つ目的の扉と、そこにかけられた真新しい『アルアリア』のネームプレートを見て、アルアリアは思いを新たに静かに宣言した。





「――――そう。今は、『わたし』が、『アルアリア』だ」

 




 ――かつて。十年前の聖戦で、戦端を開くきっかけを作り、その後も戦火を拡大させるために暗躍した『アルアリア』はもう居ない。


 今ここにいる自分こそが、この世で唯一の〈深淵の魔女〉アルアリアという存在なのだと。

 愛しい従魔を抱き、大好きな祖母を思い、出会ったばかりでぐいぐい来るおかしなぜのせんぱいや、成り行きで食卓を囲んだ歳の近い女の子達の姿を思い浮かべながら、アルアリアは自覚し、自戒する。


 ――自らの血に宿る、連綿と続く凶気の連鎖に、決して飲まれないように。

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