十三話 すれ違い、絡まり合い
「えぇ……マジでどしたん、あの人……?」
叫ぶのみならず、椅子を蹴っ飛ばして倒す勢いで立ち上がったと思ったら、そのままヘッドバンキングまでし始めて綺麗な髪をばっさばっさと振り回して取り乱してる義姉様に、思いっきりドン引きしつつ。
周囲の生徒達がどよめきながら遠巻きにガン見してるのに気づいて、これ以上『身内』の恥を晒すわけにはいかんと、俺はアリアちゃんとみーちゃんに軽く手を合わせて謝りながら、義姉様の方へと針路を変更した。
――弱々しい力で裾をくいくい引っ張ってくる、アリアちゃんを引きずりながら。
「だ、だめ、やだ、まって、待ってぇ、ぜのせんぱい……!」
「止めてくれるな、我が友アリアよ……。今は確かにちょっとお近付きになりたくないレベルで荒ぶっておられるあの人だが、あれでも俺のことを嫌わずにいてくれる数少ない身内の一人で、その上たとえ冗談でも俺に気どころか身体まで許してくれると言ってくれた唯一の女性でもあるのだ。流石にこのままほっとけん」
「わたっ、し、わたしも、ゆるすから……! みうちになって、気とか、からだとか、色々、ゆるすから、行くのは、待ってぇぇ……!!」
「だまらっしゃいこの小悪魔めが!!! 俺もう騙されないもんね、アリアちゃんの思わせぶりな言行にいちいち胸キュンしてたらキリ無いもんね!! この天然痴女めぇ!!」
「また痴女って言われたぁ!?」
またってことは他の誰かに言われた前科をお持ちなんかい、と一瞬半眼になりかけたが、眇めた目線がアリアちゃんの胸の中のみーちゃんの『やーい、言われてやんのー』と言わんばかりの小馬鹿にした笑みを捉えて、なんか色々察した。
「まったくよぉ~、みーちゃんさぁ、おたくのアリアちゃんってば一体どうなってんのぉ? 何がどうなったらこんな絶対童貞殺すガールな天然痴女が生まれるわけ??」
「みゃーぅ。みう、みぃ~みぃ~(ほんっと、ごめんなさいねぇ。この子ってば、こ~んなちっちゃな頃からず~っと引きこもって実験ばぁ~っかりしてたせいで、男女の機微どころか人付き合いすらろくに知らないままここまで大きくなっちゃったからさぁ~)」
まるでお母さんのような口ぶりでこき下ろしてくるみーちゃんに、アリアちゃんはまるで反抗期を迎えた娘のように「みーちゃん、なんで、わかるの!?」と驚愕していた。
……ん? そこは『何がわかるの』と怒る場面じゃないんだな。でもこの娘ちょっとどこかズレてるし、この程度の違いは些細な問題か。
それより今問題なのは――っと。
「…………あー、っと。…………義姉様……?」
何やら小声で言い争いを始めたアリアちゃんとみーちゃんを他所に、義姉様をぎょっとした視線で囲む会から一歩踏み出し、ご機嫌を伺うようにそっと声をかける俺。
フーフーと威嚇音染みた荒い音を吐き、乱れた髪の隙間からぎゅるんとこちらに目を向けてくる義姉の姿に、俺はちょっと前に見た珍妙なる怪生物『おろろぉぉぉぉぉん』を幻視した。
俺と関わる女性って、軒並み情緒不安定すぎない? 俺の後ろでいきなり飛び上がって「ぴぃ……!!?」と小鳥みたいに鳴きながらぽろぽろ涙流して震え上がってるアリアちゃんも含めてさ。
唯一情緒の安定してるマドモアゼルであるみーちゃんに、アリアちゃんのお世話を任せつつ。俺はひとまず、こちらを見て何故か固まってる二代目おろろぉぉぉぉぉんのケアに回ることにする。
「……義姉様、大丈夫? どうしたの、もしかして何かショックなことでもあって、ヤケ食いに走ってたの? ……俺でよかったら、話、ちゃんと聞くよ?」
「…………おとうと、様、が……」
「そうそう、この義姉様のことが大好きなおとうと様が」
「おとうと様が、わたくしの知らない女と、いちゃいちゃしてるぅ……!!」
「え、そっち? あ、いや、別にイチャイチャはしてな」
「んっ!!!」
ほっぺたをめいっぱいブンむくれさせた義姉様に、『ん』の一言とあごで示された先には。俺の服の裾を掴んだまま、俺の影に隠れるようにして、涙の止まらぬ瞳で義姉様を見つめるアリアちゃんの姿有り。
いきなり槍玉に上げられたアリアちゃんは、おもっくそびっくんと身体と心臓を飛び跳ねさせて、より一層俺の背中にぐいぐい縋りついてきながら、とうとう涙だけではなく「ふぇぇぇええん……!」と小さく声まで上げて泣き始めた。
うーん、慰めたい。でも今慰めるとそれこそ傍目にはイチャイチャだろうし、後ろはみーちゃんに任せて俺は義姉様に向き直る。
「あー……、えっと、この子は、ほら、あれだよ。俺のいつものほら、わかるでしょ?」
ここで『いつもの女の子助け』と口にしてしまうと、アリアちゃんに『え、こいついっつも女の子にコナかけてるの? きも……』と思われてしまうので、義姉様の魔眼に内心を読み取ってもらえるのを期待しながら言葉を濁して伝えてみる。
けれど義姉様は、珍しく瞳に独特の怪しい光を宿すことなく、じーっと俺とアリアちゃんを見続ける。いやなんでじゃ。今こそ言葉より雄弁に事実を読み取ってくれるその魔眼を使って、俺の潔白を証明しておくれよ。
そんな俺の内心に気付いてくれる様子もなく。穴が開くくらいにじぃ~~~~~っとこちらを見つめ続けた義姉様は、やがて声のトーンを落としてぽしょぽしょと小さく呟く。
「………………おとうと様」
「お、おう」
「…………〈晴嵐の魔女〉ナーヴェの名前に、聞き覚えは? ……歴史書や戦史としてではなく、おとうと様の、私的な交友関係として」
「え? なんで今唐突に婆さんの話? ……いや聞き覚えも何も、そりゃ普通に知り合いだけど。言うて、昔ちょっと錬金やらなんやらの手ほどきを受けた以外は、何回か手紙とか【万能の霊薬】なんかのやり取りしたくらいかなぁ……。一番最近では、去年の春に手紙出したっきり音沙汰無し。それがどうかした?」
今なんか背後からとんでもなく素っ頓狂な「えっ」という悲鳴が聞こえてきた気がするけど、そっちは信頼と実績のみーちゃんに任せてあるので、俺のお相手はなにやらきょとん顔の義姉様。
「………? 近頃は、会っていませんの? だって……、そちらの方……、その、………〈深淵〉ですわよね? 学園に入学しに来たとかいう……」
「え、なんで知って――あ、魔眼使った?」
「いえ、これは私の手の者からの情報です」
何も疑問に思ってなさそうな顔で普通に『手の者』とか言っちゃう義姉様って一体。
なんだか覗いてはいけない深淵に最近ぶち当たりすぎじゃねと冷や汗を流す俺だったか、今はそれよりなんか別の疑問が引っかかった。
「なんで、婆さんの話からアリアちゃんに飛ぶんだ? ……魔女同士って、そんなに絡みあるものなの? 俺、その辺婆さんからの聞きかじりでしか知らないから、正直全然詳しくないんだけど……」
「……いえ、正直わたくしも又聞き程度ですので、そこまでは……。ええと、では〈晴嵐〉経由でないのであれば、おとうと様はどういった経緯で、そちらの〈深淵〉様とお知り合いになられたので?」
「どういった経緯でって……、…………成り行きで?」
「……………………なるほど。最初からわかりきってはいましたが、やはりわたくしのような下賤な人の子に、おとうと様を理解することなど到底不可能だったのですわね……。無益な質問を重ねて御身のお手を煩わせてしまい、まことに申し訳ございませんでした」
「だから義姉様の中で俺って何なの?」
「神ですが?(キリッ)」
キリッじゃねぇよ。なんかもう会話する度に悪化していくなぁ、この愉快な姉ちゃん。
これ以上墜ちていく義姉が見たくなくて、もう元気そうだし後はほっとこうかな……と投げやりな気持ちになってきた俺の背を、くいくいくいくいくいくいくいとゲシュタルト崩壊起こしそうなほどにアリアちゃんがめちゃめちゃ引っ張ってくる。
「はいはい、どしたね深淵さん――うおっ」
軽く後ろを振り向いたら、抱き着くような勢いでアリアちゃんが飛びついて来てめちゃめちゃ顔をガン見された。
義姉様が「かひゅっ」と変な息を漏れさせながら目を剥いてるけど、そんなのお構いなしとばかりにアリアちゃんは俺の首に縋りつくようにしてひたすら俺のイケてるメンを間近から観察する。
被りっぱなしのフードと長すぎる前髪に隠れがちな、アリアちゃんの神秘的な紅い瞳。逸らされることなくじっと見つめてくるそれに耐えかねて、堪らず熱い顔をふいっと背けてしまった俺のほっぺを、キラキラ笑顔となったアリアちゃんのものすんごい嬉しそうな呟きが襲う。
「……すっごく、あほでおばかっぽい――はひぇひふふぉふぇはふひへぇぇぇ」
「オウ、いきなりガラスハートな思春期男子の顔貌を唐突にディスる小悪魔系痴女の悪いお口はこれか? おいこら深淵、なんとか言えや」
なんとか言えと言いつつひたすらアリアちゃんのほっぺを両手で引っ張って弄ぶ俺に、笑顔から一転して情けない涙目となったアリアちゃんは「ひひゃほふふはきゃひふぅふふぁへぇ」と言葉にならない悲鳴を上げる。
そんな俺たちの足元では、いつの間にかアリアちゃんの腕の中から抜け出していたみーちゃんが尻尾を揺らしならとっこととっこと歩き、義姉様の足に身体を擦り寄せて媚びるような鳴き声を上げた。
「なおぉぉ~ん♡ んにゃ~? ごろごろ??(おねーさぁん、どうかあたしにごーじゃす猫まんまおくれなのよさぁ~♡ 食べていい? てーぶるに所せましと乗った絶対うみゃーなお料理、食べて良い??)」
「…………やっぱり、泣く子も黙る魔女といえども、おとうと様にとってはただのおんなのこなのですわね……」
しばし放心していた様子の義姉様は、諦めたように何事かを呟くと、脱力したような笑顔を浮かべ、足元のみーちゃんをそっと抱き上げて喉をこしょこしょくすぐりながらこちらへ向き直った。
「……おとうと様、それと〈深淵〉様。よろしかったら、お昼をご一緒しませんか? こちら、わたくしの新しい友人が腕によりをかけて作ってくださった手料理ですのよ。是非ご賞味くださいな」
「ふぃふぁぁあ!!?」
アリアちゃんがなぜか世界の終わりに直面したかのような謎の叫びを上げたけど、義姉様の提案はこちらにとって願ったり叶ったりだったのでさらっと無視。
「あ、いいの? ……あ、でも勝手に決めちゃうと、その新しい友人さんが気を悪くするんじゃ……。だってこれ、義姉様のためにって作ってくれたものなんでしょ?」
「そうですわね。わたくしに泣いて詫びを入れさせるという目的のために創られた、逆兵糧攻めと呼ぶべき悪魔の正餐ですわね。ちなみに今尚彼女の攻勢は勢いを増しており、これからわたくしは闇のサバトに生贄として捧げられる予定なのですわ……」
「うん、正直何言ってるのかわかんないけど、義姉様が新しい友人さんになんかすごく困らされてるというのは伝わって来た。……じゃあ、えっと――」
「あーっ!! かみじゃん!! めっちゃ神おる!! しかもめっちゃ猫とかローブっ子とか増殖してるしうっは増殖だってまじうけるげらげらげらげら!!!」
ご相伴にあずかろうかな、と返事をしようとした時。なんか一人で勝手に騒いで勝手にウケて勝手にげらげら笑い転げる、どっかで見たような女子生徒が参入してきた。
彼女を見る者の視線は様々。
みーちゃんは、彼女が両手いっぱいに持ってきた新たな『絶対うみゃー』な料理の数々に、真ん丸お目々を目いっぱい見開いてキラキラと輝かせ。
義姉様は、自らを更なる責め苦の海に沈める拷問器具と獄吏の登場に、死んだ目となりながら「うっぷす」とお腹と口を押えて謎の奇声を上げ。
アリアちゃんは、ようやく俺に解放された両頬を擦りながらなぜか「ひょおおぉぉぉぉ……」とムンクの叫びのような奇怪な悲鳴を上げたと思ったら、速攻俺の背に隠れてがたがたガタガタ震え出し。
そして俺は、というと――。




