閑話 女と猛き男達
大国蘇芳の君主にして、此度の多国籍遠征軍の盟主にして、そしてそれ以前に、千の敵兵を刀一本で血祭りに上げてみせる技量を持つ掛け値無しの怪物。
常人であれば、言葉を交わすどころか姿を視界に入れただけでも畏れを抱かずにはいられない――と、それが本来のカタルナハトという王なのだが。
「…………これはどういうつもりだ、ジャッカ?」
他国の代表と一旦別れて自国陣営へと帰還したカタルナハトを待ち受けていたのは、どういうわけか、畏れ敬うべき主君へと槍先を突き付け囲む蘇芳軍と、側近であるはずの大将軍・ジャッカの下卑た笑みであった。
――やはり、こうなるか。
史実へとエンリが介入したことにより、一度は御蔵入りとなった、『遠征にかこつけた奸臣の排除』という案。その最終局面として脳内に描いていた絵面と、今己が身を襲う窮地の有様は、そこに至る経緯は異なれど全く同じと言っていいものであった。
――そうだ。これでいい。
「どういうつもり、と申したのか? 粋がる化生の一匹程度に畏れをなし、矛を交えずしておめおめと逃げ帰ってきた……蘇芳の面汚しよ」
「生憎、今日の余の得物は刀でな。矛の手持ちを切らしておったのよ。いや、余としたことが誠にうっかりであったわ」
「――貴様、この期に及んで韜晦するか」
「さて、何の事かな? それより、この痛そうな生垣を早く退けてはくれないか。でないと、まるで貴公がわざと余を迎え入れずに意地悪をしているのだと勘違いしてしまいそうだ」
言いながら、カタルナハトは手近な槍先を素手で掴み――鋼の塊であるそれを『ばきぃん!!!』と握り潰す。
アイデンティティを失った槍兵が魂消てヒッと息を飲むのを他所に、カタルナハトは軽薄な笑みを浮かべてジャッカの狼狽した顔を見据えた。
「なあ、ジャッカ」
「な、何だ!!? 尚武の国是に唾を吐き!! 己のオンナさえ間男に奪われ!!! 誇りも誉れも捨て去った寝取られ男のぶんざ」
「誰がネトラレだぶっ殺すぞてめぇええええええええええええええええええええェェェエエエエエエエエエァァアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!」
今日の天気。晴れ、ところにより血と鉄の雨、時々王の涙、時々――将軍の生首。
◆◇◆◇◆
「――と、まあ。だいたいこんな感じで、カタルくんとこの勢力はグッダグダになっちゃってさー。盟主がそんなんだから、他の国もつられたんだか便乗したんだかですったもんだの大騒動繰り広げて、今はもうマジで収拾つかないハイパー血祭りカーニバルの真っ最中って感じ? あ、そっちの映像も見る?? 遠慮すんなよー、アテクシとリリちゃんの仲じゃんかぁ!! ほれ、デュクシ! デュクシ!!」
「ほいデュク死」
「目がぁああああああああああああああアアアアアァァァアア!!!??」
リリチアの私室にて。書き物に集中していたリリチアの肩を無理やり抱き、魔道具の水晶を見せ付けながら全力でウザ絡みしていたアリス。ほっぺを指先でぐりぐりといじられたリリチアは、お返しにアリスの目玉をぐりっとしてノックアウトした。因果応報、平常運転。世は並べて事もなし。
これで静かになったと軽く息を吐きながら、再び机へ向かうリリチア。顔を押さえて床を這いながらうっうっと嗚咽を漏らすアリスへ、壁に背を預けて立っていたアレクが胡乱な目を向ける。
「で。貴様は、結局何がしたかったんだ? 『総帥の研究成果』なんて御大層な代物まで惜しみなく横流ししておきながら、結局何の結果も出さないままに、秘蔵の虎の子共が勝手に食い合って自滅したようだが」
「目ぇぇぇぇぇええええがぁあああああああ――あ、はい、黙ります、怒らないでリリチアちゃん……。えぇと、言わせてもらうならですね、なんもかんも全部シタッパー様が悪いと思うんですよ、ええ。なんすかあれ、なんであんなバケモンが光の速さも飛び越えた速攻で出鼻挫きに来るんすか。あんなん誰も予想できませんて、ええ」
「シタッパー……? ああ、例のゼノディアスか……」
一転して正座しながら至極真面目に語るアリスを見ながら、アレクはその名を反芻した。
ゼノディアス。その名は、それぞれに認識の差はあれど、八翼達の間において『瀕死だった大聖女レティシアを救ってくれた恩人』という見解で一致している。もっとも、決定的な証拠と呼べるものがレティシアの思い出の中にしかないため、真偽の程は定かではないが。
斯く言うアレクも、ゼノディアスの能力については懐疑的であった。レティシアの傷を癒した、そのことを事更に『嘘だ』と騒ぎ立てるつもりはない。だがしかし、ゼノディアスの打ち立てたという功績は、どれもこれもあまりに荒唐無稽で現実味が無さすぎた。
『理論的に破綻の無い、時空属性についての完全な論文を書き上げた』。ただし、あまりに高度で難解すぎるそれを実演できるのは、当のゼノディアスだけ。
『魔力を蓄積ではなく「創出」する、奇跡の魔導具を生み出した』。これについては理論自体はそこらの学生でも理解できるようなものではあったが、肝心の原材料が不明であり、これまたゼノディアスにしかオリジナル版は作れない。
『現れただけで国どころか大陸の危機となる「真竜」を、ゼノディアスただひとりで討ち取ってみせた』。これは状況証拠から事実だろうとしてはいるが、レティシアや八翼が実際に目撃したわけではなく、映像としての記録も無い。ゼノディアス本人が声高に喧伝していただけであり、しかし本人さえもそれは無理筋だと思ったのか、この件についてはある時からすっかり口を閉ざしている。
そんなゼノディアスに対するアレクの評価は、当然の如く『ペテン師』。だが、ペテン師だろうがなんだろうが、その嘘によってレティシアが心から幸せになれるというのであれば、それはそれで良しとする。現実的な落とし所として、アレクはそのような方針を取っていた。
納得はしない。だが目は瞑ろう。他ならぬ、我らが主、レティシア様のために……と。
「……ゼノディアス、か。奴は、貴様の目から見にはどう映った?」
「だから、バケモンじゃってばよぅ。ヤツはくっそやべーおばけモンスターなのじゃよう、あなおそろしや、おそろしやぁ、ぶるぶる」
「だからいちいち巫山戯るな。さっさと真面目に答え――」
「アレクくん。私は何度も、彼は『化け物』だと言いました」
この意味がわからないほど耄碌したのか、と、暗に問いかける冷たい眼差し。エンリらしからぬ――『アリス』の異様な気配に全身を殴打され、アレクは無意識に臨戦態勢を取って腰の剣に手を当てた。
一触即発となった二人の間に、文面にお悩み中なリリチアのぞんざいなセリフが待ったをかける。
「おまえら、そのへんにしとけよー。あんたらに本気でドンパチやられたら、あたし死んじゃうだろ。あたしはイルマやオル姉ぇと違って完全に頭脳労働担当なんだからな、もっと生まれたての子猫を相手するように優しく扱えよ」
『………子、猫………………?』
「ぶっ飛ばすぞてめぇら!!」
言うが早いか、リリチアは椅子を蹴倒す勢いでアレクへ肉薄し、ダッキングからのガゼルパンチで肝臓を痛烈に撃つ。聖鎧の守りを貫通した不可視の衝撃に貫かれ、アレクは身体をくの字に折ってその場にぶっ倒れた。
ガチで泡吹いて白目を剥くアレクに「ヒッ」と悲鳴を上げたアリスは、やけに晴れやかな笑顔のリリチアを見てさらに喉を引き攣らせる。
「ああ、スッキリしたっ! ……ん? ああ、あんたはまだ殴らないから、そんな怯えんなよ」
「『まだ』殴らないって何!!? あてくしってば、いつか殴られるちゃうんです!? はわわわ、アタクシのかわいいかわいい肝臓ちゃんの命運、これからどうなっちゃうの〜????」
「………なんだかんだ、いっつも余裕有るよな、お前……」
「いえ、わりと余裕無い時も有りますからね、これガチで」
正座のままそっと挙手してキリリと真面目ぶりつつ、完全に弱腰な発言をするアリス。
リリチアはそれをからかうこともイジることもせず、静かな瞳でアリスを見つめた。
「それってたとえば、ゼノ様を前にした時とかか?」
「………………。あと、本気で怒ったリリチアちゃんに睨まれた時、とかかなぁ〜? えへへ、えへへ」
「……あっそ」
アリスから確かな返答を受け取ったリリチアは、軽く溜息をついてしばし黙考する。
急かさず、茶々を入れず、アリスは静かにリリチアの再起動を待つ。やがてアレクも復活を果たし、リリチアの真剣な表情を見つめて「おなか痛ぁい」と言った。リリチアはアレクを蹴飛ばして床へ沈めた。
そしてリリチアは結論する。
「やっぱ、一番の不確定要素はゼノ様だな。一回、あの人とはきちんと話した方がいいかもしんな「お兄ちゃんは許しませんよ!!!!???」うるせっ」
飛び起きたアレクのわめき声に台詞を遮られ、リリチアはわりと本気で鼓膜を痛めて顔を顰めた。
そんなリリチアにいそいそと寄り添い、治癒魔術をかけてあげるアリス。思わずサンキュとお礼を言ったリリチアと、いえいえと笑顔を返したアリスがにわかに百合の花を咲かせる中、アレクの無粋極まる絶叫が花園を引き裂いた。
「レティシア様は、仕方ないにしても!!! リリは、リリだけはっ、この僕が、この聖剣士アレクがなんとしてでも絶対に守り抜いてみせるッッ!!!!」
――なぜならば。それこそが、アレクのたった一つの願いであり、唯一の存在理由なのだから。
「…………兄貴……」
狂気すら滲ませて猛る兄を見て、リリチアは、いったい何を思うのか。
「とりあえずうるせぇから一回黙れ。また沈めンぞ」
「は、はい……。ごめんね、リリちゃん……」




