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序章・2 言ったら実行されるもの

「―――――――『待て』」


 ただ、一言。不遜な物言いの巨人にではなく、その巨人と同じ姿をした地平の彼方の少年にでもなく、突然の事態に浮足立つ自軍へ向けてカタルナハト=スオウはただ一言厳かに命じた。


 決して大きくはないその声は、しかし、かの少年の声同様に辺り一帯へと波紋のように広がると、騒めきをゆっくりと鎮静化させることに成功する。

 カタルナハトが持つ、王たる者のカリスマがそうさせた……と言えればよかったのだが、残念ながら、全軍へと指示が通ったのは少年が行使していると思しき拡声の力がカタルナハトにも作用しているが故だ。


 少年が、意図しているのか、いないのか。その真意に関わらず、荒野を隔てて地平の果てと果てで睨み合うカタルナハトと少年の『会話』は、どうやらその全てが周囲に筒抜けとなってしまう状況のようだ。


 それを理解して、馬上のカタルナハトは微かに顔を顰める。これでは、すぐ後ろに相乗りしているエンリとの密談さえままならない。


「…………其方こそ、出迎えご苦労であったな」


 自陣からの質量すら伴う視線の群れに後頭部を乱打されて、カタルナハトは仕方なく見切り発車でニヤリと笑って鷹揚に応じてみせる。


 だが、内心は冷や汗と――脂汗でいっぱいだ。


(馬鹿な……)


 ここはまだ、最果ての荒野の入り口も入り口、新人類支配領域を出立してから『僅か三日』しか進んでいないよう地点である。本来はここからさらに数ヶ月から数年を要して、まさに遠路遥々と言って差し支えない長い旅路の果てに、ようやくの旧世界領到達と相成る算段であった。


 当然、ここはまだ旧世界領域ではない。むしろ、どちらかと言われれば新世界領域に属する地域だろう。



 ゆえに、この事態は明らかに『おかしい』。



「勇敢にして気高き少年よ、後学の為にどうかご教授願いたい。……我等の頭上に掲げられている貴殿の幻影や、此方と彼方を過たず結ぶ声の架け橋は、どちらも貴殿の『魔法』によるものだろうか?」


『マホウ……、ああ、そのようなモノだ。それが何か?』


(最悪だ)


 予想だにしていなかった、こんな事態に陥らなければきっといつまでも想像すらしなかったであろう最悪の現実が確定してしまい、カタルナハトは思わず頭を抱えて馬から転げ落ちたい衝動に駆られた。


 未だ旧世界領ではないこの荒野は、蘇芳やその周辺の国々とほぼ同様の、魔力がほぼ皆無と言っていいほどに希薄な地域だ。実際、事前に派遣した調査部隊からも、ここから数ヶ月分進んだ先の辺りまでは特に体調不良の兆候も無かったと報告が上がっていたはず。


 それなのに。そんな場所で、魔法――、魔術を使うだと? しかも、彼我の間には地平の果てから果てといっていいほどの距離が有るというのに、そんなものは関係ないとばかりにあまりにも容易そうに大規模な超常現象を操ってみせている。

 それは即ち、あの少年が少なくとも、此方の切り札たる〈魔女〉エンリに匹敵する程度の力量を持ち、そしてエンリ同様に周囲の環境に縛られず人外の力を行使できるということ。


 最低ラインで、それ。問題は、そこからどの程度能力が上振れするのかだが……。


(そもそも。あの少年は、いったいいつからあの場所で此方を待ち受けていた?)


 存在しなかったはずの緑豊かな草原をバックに、バカでかい豪奢なソファーへ優雅に腰かけてこちらを眺めている、そんな面妖極まる様相の少年。

 その眼前に広がる寂寞の荒野がまるで嘘かのように寛ぎ切った佇まいを見せているが、まさかあのソファーを実家のベッド代わりにして何年も寝泊りしていた、などということはあるまい。


 そして、彼の尊大にして不遜な物言いからして、殊勝にもえっちらおっちら何ヶ月もかけて単身でわざわざお出迎えにやって来たということも無さそうだ。


 つまり。あの少年は、これもまたエンリ同様に――。


「あのあのー、ちょっといいですかぁ?」


 思考の沼にハマりかけていたカタルナハトの意識を引き戻すかのように、エンリが背後から身を乗り出してきながら元気よく挙手しつつ声を上げる。


『……む? なんだ、戦場に女と相乗り……?? え、キミ何その面妖な仮面……』


「面妖はこっちのセリフですよーぅ!! って、そーじゃなくて! あなた、いったい何者なんですかー!? なんか、すっごく魔女チックだけど、男だしー?? しかもさっき、いきなり死ねみたいなこと言ってきてたしー!?? おーぼー、横暴だぞコラー!!」


「おい馬鹿やめろ」


 意識的に無視したはずの宣告を蒸し返すエンリを、カタルナハトはどうにか押しとどめようとして肩でぐいぐいと背中へ追いやる。


 だが時既に遅く、エンリの質問を受け取った少年はふむりと息を漏らして回答する。


『横暴とは言うが、しかし、キミらってあれだろ?「こっち」の世界を侵略しようとしてるっていう、外の世界の人類、ってヤツだろ? ……え、もしかして違うの?』


「少なくとも私は違います!! 私、元はそっちの世界の〈魔女〉なので!!!」


『…………んー?? 確かに、言われりゃ〈魔女〉の気配だけど……。じゃあ、キミ以外の明らかにいざ戦争スタイルな兵士諸君は何なのさ? もし侵略目的じゃないとしても、アポも無しにいきなりそんな大群で来られたら、流石にどこの国も機関も困ると思うけど……』


「あ、この人たちは普通に侵略目的です。あと私も『外の世界の人類ではない』っていうだけで、いちおーは故郷への復讐目的、みたいな? てへっ☆」


『てへっ☆ て、あんた……。なんかイルマちゃんと気が合いそうだな……』


「えっ、イルマって、まさか〈智天〉さんです? 聖なる翼軍団の」


『なんだ、知り合いか?』


「いいえー? ただ、同じ翼繋がりのリリチアちゃんやアレクくんとは楽しくおしゃべりする仲ですー。で、リリちゃんにも『おまえ見てるとイルマ思い出して時々ブン殴りたくなる』って言われましたー」


『お、おう……、そうなんか、うん……? うん、……うん……』


 何やら予想外の奇妙な縁が発覚したらしく、先程までの高圧的な態度とはうって変わって素面で考え込んでしまう少年。


 よくわからんが、一難去ったか……? とカタルナハトが思わず胸を撫で下ろしたその時、横合いからぱからんぱからんと馬を走らせてくる空気読めないゴリラマッチョ有り。


「おい、蘇芳の!! 貴様、これはどういう事かッ!!!」


 何やら若干ニヤけている様子のそのゴリラ――ではなく隣国国王ナタルセンは、体当たりするような勢いでカタルナハトの愛馬に横付けしてくると、まるで鬼の首を取ったかのようにはしゃぎながら怒鳴りつけてきた。


「……どういう事とは、いきなり不躾ではないか? ナタルセン殿」


「相変わらずスカしおって……! 貴様っ、よもや吾輩の言いたいことがわからんとでも言うつもりか!!」


「(わかるかボケ)いや勿論わかるとも」


「わかるかハゲー」とエンリが言いかけたのを咳払いで黙らせ、カタルナハトはひとまず思考を回して返答する。


「貴殿が言いたいのは、我が蘇芳の食客であるエンリが何やら敵側と内通していた様子であるが、これは一体どういう事か、ということだな? 

 余としては、その問いには『彼女は内通などしておらず、敵がたまたま彼女の知人の知人だっただけだ』と答えるしかないのだが」


 弱気を見せないために敢えて断定する形で言いはしたが、カタルナハトとて、エンリとあの少年がどういった関係であるのか正確な所がわかっているわけではない。だがエンリが訳知り顔でうんうんと頷いているのを見るに、どうやら正解だったらしい。


 そしてゴリラことボケことハゲの問いたかった内容もこれで正解ではあった様子なのだが、ハゲことナタルセンは「白々しい」とオーバーに嘆いて見せながら周囲を先導するように糾弾を続けた。


「元より、方々の国々から兵力を募って旧世界への大遠征などという与太話、怪しいと思っていたのだ!! 貴様、さてはかの地のバケモノ共と共謀し、この機に我等周辺国の王や主力を丸ごと亡き者にする腹積もりであったのだな!!?」


「馬鹿な、何を――」


「この期に及んでまだ白を切るかッッ!!!! 皆も聞いたであろう!!!!! 蘇芳の正統な血も引いておらぬこの簒奪者めは、蘇芳はおろか他国の王侯貴族でさえ姦計によって謀殺せしめ」





















 ぐちゃり。びしゃっ。






















『なあ、こっち無視しないでくんない? これでも、女の子達に無理言って待ってもらってる身でさ。面倒事はさっさと終わらせて、とっととあの娘達のとこに帰りたいんだよね』


 だから、邪魔そうなやつはとりあえず殺すわ――。


「……………、………ナタ、ル……」


「あー。あれ、完全〈魔女〉ですねー。男だけど、うん、あれ魔女です。しかも、『エンリ』でさえ滅多に見たことのない、いっとー激ヤバな真性の魔女様ですわぁー」


 馬を残し、首から下を遺し、頭だけが潰れて弾けて血しぶきとなり、地面の染みとなったナタルセン――否、元ナタルセン。


 まるで怪談のデュラハンのように何処かへとっことっこと歩いていく首無しライダーを見送りながら、おこな少年やしみじみと語るエンリ以外の全ての者は、等しく言葉と現実感を失っていた。

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