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序章 名を持つ者どもの生

 世界を旧と新の二つに別つ、最果ての荒野。


 下を見れば、死んだ古木のように罅割れた大地。上を見れば、色褪せたように霞む朧げな蒼穹。

 前は鎧。横は鎧。前の前も、横の横も、鎧、鎧、鎧の群れと、盾に槍。


 吐いた息は白く、歩む足はかじかみ、槍と盾を抱える手先は既に感覚すら危うい。ともすればそのまま意識すら手放してしまえそうだというのに、全身に伸し掛かる板金鎧の重量が、不必要なまでに過剰な現実感となって魂を肉体に押さえつける。


 ――数十に及ぶ国家による連合軍。その結果としての、一千万にも及ぶ大軍勢が一丸となっての大行進。……そして、そんな有史以来最大規模の軍団が目指すのは、御伽噺に語られる楽園への凱旋。


 まるで現実味が無い現実の中を、ただ鎧と得物の重さだけを頼りに、新兵――トッカ村のアルグスはえっちらおっちらと歩き続けていた。


「……おいアルグス、もっとちゃんと歩け。横でそんなフラつかれると、オレまで釣られてフラフラするだろ……」


「……知るかよ……。大体、なんで俺だけに言うんだよ……。周りに似たようなのいっぱいいんだろ……」


「だって、名前知ってんのお前だけだし……」


「俺は、お前の名前すら知らねーんだけどな……」


 幽鬼か蜃気楼のように覚束ない足取りで歩く蘇芳国新兵衆の中、アルグスは同輩の青年と益体の無い会話を交わす。


 名も無き青年は、少し大げさな仕草で驚いてみせると、「ホフズだ」と言った。

 ホフズって何だ? と一瞬疑問符を浮かべたアルグスは、まあどうでもいいかと思考と会話を放棄する直前、「あ、名前か」とようやく思い至る。意識レベルは、まだギリギリで正常値らしい。


「お前、今会話終わらせようとしたろう? ひでぇなおい、同じ釜の飯食って、仲良くグラウンドにゲーした仲だろうが!」


「そんな記憶無ぇよ……。知り合いは、みんな別の隊に配属されちまったし。隊としての連帯感強めるために、一緒に訓練してたんじゃなかったのかよ……」


「単にお前が不愛想だからハブられただけだろ――ああ嘘、嘘! お前がゆうしゅーだったから、第一軍団に急遽抜擢されたってだけダヨー! ホフズくん、嘘つかない!!」


「…………第一軍団、ねぇ……」


 ホフズの言は、確かにアルグスの知る事実と合致していた。……それはハブられ云々も丸々含めて、という意味だが、そちらは割愛。

 今回の遠征のために徴兵された村人達の中で、アルグスは周囲の者より槍の扱いが上手かった。それはアルグスが村での狩りの際に弓より槍を好んでいたがゆえであり、そして連合軍第一軍団――換言するなら『先鋒隊』に求められていたのが、『槍と盾による肉壁』であったから、こうしてアルグスは正規兵達に交じって歩く羽目となった次第だ。


 救いは、正規兵とはいえ周りも急造の新兵ばかりであるから、多少のふらふら歩きや私語が悪目立ちしないことくらいか。

 無論、本来の軍隊であればこんな態度は即懲罰モノではある。というか、まさに今にも轟雷染みた喝を飛ばしたがっていそうな小隊長や中隊長達が、鎧姿の全身から怒気や殺気を迸らせている。


 だが、それが出来ない。なぜなら、彼ら以上の身分と権力を持つ大隊長クラスの貴族や準貴族達が、新兵達の様子など一切眼中に無いだからだ。

 見ていないというのなら、無駄に騒ぎを起こして注目させるようなことになってしまっては、それこそ処罰の対象だ。そして貴族が処罰すると言えば、最悪それは首が物理的に飛ぶことを意味している。


 結果、誰も怒れず、怒られない。そんな奇妙な状況に、新兵達は恐れ戦いて鯱張ったり、逆にアルグスやホフズのように緊張の糸が切れてしまったりしている。


 そんな中、アルグスは前方の鎧共の向こうを透かし見ながら、何の気なしに問いを口にした。


「……王様、見たか?」


「バカ、そこは『陛下』だろ? カタルナハト陛下、な」


「そうそう、その陛下様。……………ちなみに、陛下って、あの前後逆に馬乗ってこっち見てた女の人――」


「なわけあるか、ほんとお前バカ!!!」


「いやそれくらいわかるわ馬鹿。そうじゃなくて……、なあ、なんであの女の人、当然みたいな感じで陛下の後ろに相乗りしてんだ? 他の貴族様達も、陛下っていうより、あの女の人の方をすげー気にしてるみたいだし……」


「……………………」


 一転、無言。行軍中でさえ雑談を振って来るホフズらしからぬ神妙な間が、アルグスの表情へ俄かに強張りを齎す。


 やがて、ホフズは「あー……」と呻き、声のトーンを落として言った。


「あれは、な。……まあ、あれだ。いわゆる、〈魔女〉ってやつなんだと」


「……魔女? え、それって……、…………て――」


「〇〇、とか間違っても言うなよ? 当然のような顔して陛下と相乗りしてる女性なんだぞ? それだけでもアレなのに、しかもあれだ、お前だって聞いたことあるだろ?

 ここ数年、ウチの国が戦に連戦連勝しまくったり、大嵐が有った年に何故か逆に大豊作になったとか、ああ、あと王都を襲った巨獣が謎の女によって撃退されたとか、あれとかそれとか……」


「……あ、ああ……。え、まさか、あれが全部……」


「さぁな。オレは知らねぇよ。陛下やあの魔女様が直接なんか言ったって話も聞かねーし。だが、事実として今陛下の背中にあの魔女様がいて、そして周囲のやんごとなきお貴族様達が皆――あの『お方』に全力で注目してる。そんだけだァなー」


 話すことは話したとばかりに一気に気を抜くホフズとは逆に、アルグスは聞きたいことが一気に増えてしまったような気分だったが……、結局、ホフズの放つ謎の圧に負けて何も言わずに前を向く。


(………………魔女…………)


 ――その言葉を、胸中で再び繰り返した時。アルグスは、ああなるほど、とひとつの納得を得た。


 どうして今になって、御伽噺の世界への凱旋なんて夢物語が再び持ち上がったのか。そして、どうしてそんな与太話に、これだけ多くの国々の、これだけ多くの人々が――この自分も含めて――本気で乗っかって来るに至ったのか。


 人々は、既に知っているのだ。国で、街で、村で、話を聞き、或いは実際に目で見て、自分達は皆知ったのだ。




 御伽噺は、御伽噺なんかじゃない。――この世界には、確かに魔法も奇跡も存在するのだと。




 そして、現実に存在するというのならば、それを『手に入れる』ということは、決して不可能ではない。


 例えば。ひとりいるだけで、人々に数多の幸福と富を齎す〈魔女〉という存在。もしこれが、あとほんの数人だけでも『此方の世界』へ来てくれたとしたら?

 もし旧世界への帰還や移住が叶わずとも、もうこれだけで充分過ぎる成果だ。蘇芳一強となりつつある現在の世界情勢において、もし蘇芳がもう一人魔女を獲得したら。或いは、蘇芳以外の国が魔女を得たとしたら?


 蘇芳が提案した、この遠征。乗らないという選択肢が、他の国々にはそもそも無かった。その結果が、つまりはこの前代未聞の大規模多国籍同盟軍というわけだ。


「………何か、納得した顔だな?」


「……ああ。……だが、一つわからないのは、何故カタルナハト陛下は成果を独り占めしようとしなかったんだ? わざわざこんな大軍団を組織しなくたって、魔女様に頼んでこっそり自分達だけで遠征する、とかもできたんじゃ……? そうでなくとも、魔女様に故郷のお仲間をこっち呼んでもらうとか……」


「バッカ。魔女様、ひとりでこっちの世界来てんだぞ? そらクニにおいそれと帰れない事情とか有るんだろぉよ。それでもこうしてオレらに付き合ってくれてるのは、まあ、カタルナハト陛下と『良い仲』だからとか?

 あと、あっちこっち声かけてこんな大軍勢にした理由だけどな――」


 まるでゴシップネタを触れ回る新聞記者のようにニヤけながら弁舌を振るっていたホフズだが、話の途中で俄かに隊の前方がざわつき始めたため、一度会話を切って二人で騒ぎの方へ視線を向ける。


「なんだぁ?」


「さぁ……」


 気付けば行軍の足も止まり、それまで一言も私語をせず真面目に行進していた精兵達までもが少し怪訝そうに前方を見やる。


 やがて。








『へいへーい。「いらっしゃいませー」だ、遥か遠方からの来訪者諸君ー?』








 大気自体が自然に振動したかのように、どこからともなく『全軍へ』と届けられてくる、謎の男の肉声。それに遅れて、突如空中へと出現する、半透明の巨大な板。


 まるで繰り抜かれた空が降って来たのかと思う程に巨大すぎるその板に、突如、黒髪金目の『巨人』の姿が大写しとなる。


 先ほどの声の主と思しき、その巨人は言った。


『遠路はるばるご苦労様。じゃあキミ達、そろそろ死のっか?』


「……………………? え……」


 どこまでも。あまりにも、あっさりと告げられた、その台詞。何を言われたのか、あの巨人が何なのか、何も理解できないままに、アルグスは――。

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