間話 王と魔女
外世界――訂正。
『新世界』、蘇芳国王城・玉座の間にて。
全身を数多の古傷と練り込まれた筋肉に覆われた青年が、自らの物である玉座へと座し、暗がりに沈む淋しげな広間を見下ろしていた。
ほんの少し前まで、血気盛んな益荒男達の喝采と、欲に目が眩んだ狸共の歓声によって、余すこと無く埋め尽くされていた其処。
しかし、一種祭りの様相を呈していたその場所も、集いがお開きとなって数刻が経過。深夜を迎えた今となっては、誰かの体温の残滓すら残っていない。
元々、あまり温暖な気候ではない地域だ。室内でありながら僅かに白く染まる息を見ながら、玉座の青年――蘇芳国国王、カタルナハト=スオウは小さく身体を震わせた。
「……暖房役として、近衛くらいは残しておくべきだっただろうか……?」
「折角のかっくいーお顔とイケメンボイスで、何残念過ぎる発言してんでしょーねこのスカタン国王様……」
誰にともなく呟いたはずが、人懐っこい女の子による滑らかなトークで返されてしまい、王赤面。
んんっと咳払いして喉の調子と気持ちを整えたカタルは、前触れ無く肘掛けに座してきた無礼極まる女性に文句を――言うことも出来ず、眼の前の柔らかそうなおしりから可能な限り距離を取って身体を縮こまらせた。
カタルナハト=スオウ、弱冠二十歳。……童貞である。
そんな童貞ハートを見透かしてか、『仮面の少女』はケタケタと嗤った。
「さっきまで、あれだけ景気良く『戦で捕らえた魔女共はお前達の自由にせよッッ!!』って叫んで拍手喝采浴びてたくせに、言ってた本人が実はまともに女の子と目も合わせられないどーてーとか。王家秘伝のギャグですか?」
「う、うるさいな……あっちいけよ……」
「はーい」
素直に肘掛けからひょいっと飛び降りた少女は、そのまま王の御前を『ちょっと失礼しますよぉ〜』みたいに手刀を切りつつ頭をへこへこ下げて横切り、逆サイドの肘掛けへ再度「よっこいしょ」と腰掛け直した。
絶句するカタル。やがて、最早処置無しとばかりに嘆息して、若き王は色々と諦めた。
ちなみに、大仰な呆れポーズの裏に紛れさせるように、再びさりげなく距離を取る童貞ムーブを完遂することも忘れない。王、したたか。
「カタルくん、かぁーわいーい〜♪ ひゅー、抱いてぇ〜ん♡♡」
「ぶった斬るぞ、この魔女めがァ!!!」
「ちんこで?」
「…………………か、刀だ、馬鹿者……」
「股間のカタナで??」
「……………」
童貞、敗北しか道は無いと悟って早々と勝負を放棄。
むっつりと押し黙ってしまったカタルに飽きたのか、少女はおもしろくなさそうにはふりと息を吐くと、肩を竦めて独りごちる。
「まったく……。最近のオトコのコって、私を見るとすーぐ斬り捨てようとしてきますよね」
「こここここ股間のカタナでか!?!?」
「え? ふつーに剣でですけど……。え、ちょっとやめてくださいよ、唐突に面白くもないセクハラかましてくるの。普通にキモいです。訴えますよ?」
「……………、すまなかった」
色々言いたいことが有るカタルだが、湧き上がる言葉を涙と共にぐっと堪え、厳かに頭を下げる。これぞ王の器量である。
涙目敗北陛下を見下ろして小さく嘆息した少女は、それきりカタルに興味を失ったかのように、視線の先を人気の絶えた大広間へと移す。
物思いに耽っている様子の少女へ、カタルもまたアンニュイなイケメンを取り繕いつつ声をかけた。
「……何か、気になる事でも有ったか?」
「……いえ」
一度は首を横に振って見せた少女だったが、何かを思い直したのか、曖昧な首肯と苦笑いを返した。
「ここまで長かった、と思えばいいのか。それとも、こんなにもあっさりと崩れ去ってしまうのか、と嘆けばいいのか……。なんだか、ちょっと気持ちの整理がつきません」
「……それは、裏切りの魔女『エンリ』としての感傷か?」
「どうなんでしょうね。……ああ、いえ、たぶんそうだと思います。『記憶と肉体しか継承していない別人』だとはいえ、やっぱりどうしても感情が引っ張られちゃいますね。
あれです、何度も読み返した本の主人公に感情移入するーの、超上位互換バージョンみたいな?」
「…………本は、読まん……」
「脳筋ですからね、カタルくん」
カタルの正直すぎるコメントに、少女は気分を害した様子もなく、笑みすら滲ませながらこれまた正直すぎるコメントを返す。
――魔女エンリ。
身勝手な愛に生きたその魔女は、全ては愛ゆえに、敬愛する総帥を裏切り、あまつさえ敵に与し、そして最期には故郷から遠く離れた荒野の果てで孤独に息を引き取った。
だから、エンリの物語はそこで終いだ。……その、はずだった。
「……なあ、『アリス』。もう、いいのではないか?」
「はて? もーいーとは?? あとその名前まだ禁止でーす。そうやって、偶然知ってしまった女のヒミツをみだりに吹聴するの、冗談抜きで激キモなのでおまえ死ねよ。ほら、早く」
「す、すまなかった、悪い、許せ、悪かった……」
流石に今回は全面的に自分が悪かったと悔いて、カタルは誠心誠意頭を下げる。
ちなみに先刻のセクハラ訴訟がどうたらのくだりは半分以上少女の側に責任があると思っていたりする国王陛下だが、それは余談。
王自らの謝罪を受け取って、少女は未だに怒りの残滓は纒いつつも、先程のカタルの言葉へ律儀に返答を寄越した。
「……『もういい』なんて区切りのセリフが言えるほど、そこまで真面目にエンリの気持ちに寄り添って行動してこなかったですからね。有り体に言って、不完全燃焼なのかなぁ……。
自分を取り巻く状況の中、自分に無理無くできる範囲で、なんとなくエンリの未練を解消してあげる方向で動いては来ました。でも、それが実を結ぼうと結ばなかろうと、まあそれならそれでとしか思ってなかった。
だって、私はエンリじゃない。あくまで私は、エンリの『前世』に過ぎなくて、エンリのためにあれこれしてるのは……まあ、ただの自己満足ですから」
「……満足、出来てないんだな」
「…………ですね。あーあ、こんなビミョーな気持ちになるなら、最初から本気出しときゃよかったです! そうすればスッキリソーカイだったのに! ねー!? ねー!??」
「………ハハ、そーだな……」
過去の己にぷんすか怒る少女の姿がやけにコミカル過ぎたため、カタルは思わず半笑いとなって適当な相槌を打つ。
――もし、彼女に最初から本気を出されていたら、一体どうなっていただろうか。
神代の奇跡が起こり得ぬこの『新世界』において、唯一人の〈本物の魔女〉であり、天候天災を意のままに扱うことができる彼女だ。新世界に生きる全人類を恐怖と畏れによって支配し、何万人どころか数億数十億人の魔女殺し共を率いて旧世界へと侵攻する……というのも、彼女がその気になりさえすれば不可能とは決して言えない。
だが、彼女はそれをしなかった。きっと、これからもしないだろう。
なにせ、彼女はエンリではない。だから、総帥なる人物への間違った敬愛も、自分を受け容れてくれなかった世界への逆恨みも、言ってしまえば他人事だ。
いくら感情移入しているとはいえ、そしていくら不完全燃焼であるとはいえ、今更自己の全てを投げ打つほどの積極的な復讐心は持ち合わせてはいないだろう。
……或いは、あの日にカタルと出会いさえしなければ、少女はもうエンリとしての過去をすっぱりと捨て去って、この新天地での新たな人生を面白おかしく歩んでいたのかもしれない。
「……だが、全てはタラレバか」
「……そうです。ぜんぶ、たらればです」
それぞれに、違う想いで胸を傷ませながら、王と魔女は仲良く同じ結論を口にした。
そう。いくら望もうと、人はいつだって、後戻りなどできない。
ならば、せめて。
「――――精々、盛大に前のめりで倒れてやるとするか!!!」
「え? ヤですよ、斃れるなら勝手にカタルくんひとりで斃れててください。私はこの戦争終わったらなんだかんだで綺麗サッパリ気分入れ替えて、清々しく第二の人生を歩み始める予定なんですから。グッバイエンリ、こんにちはアリス!!」
「………………………」
薄情すぎる相棒を思わず二度見しながら、王は思う。
こいつ、マジで魔女だなぁ!!!




