八話 貴女はなにゆえ此処に在る?
レナ令嬢を背負ってフラつくモニカ閣下が、こちらへ何度も頭を下げながら女子寮へと帰って行く。
その姿を見送った俺は、身内だけが残ったその場で改めて事情の説明を聞こうとしたのだが、『詳しい話はまた夕飯の時にでも』というイルマちゃんの言葉に首肯を返して、一旦男子寮へと帰宅することにした。
ちなみに、改めて説明をーと言いはした俺だけど、形式的に一応そうした方がいいかなと思っただけのなので別段急いでもいないし必要性も感じていない。そもそも、イルマちゃんとモニカ閣下が結託してアリアちゃんを口止めしてた様子だし、むしろ俺は何も知らないままの方が良いんだと思う。
まあ、見るも無残な目に遭わされたレナ令嬢としては、アリアちゃん達が犯した(?)罪を俺のみならず世間へ向けて告発したいかもしれないが……。正直、俺の中でレナ令嬢の優先順位って高くないから、彼女の意見に関してはわりとどうでもいいんだよなぁ……。
「どうでもいいの??」
「まあ、わりとどうでもいいな」
男子寮内、俺の部屋。解散したはずがなんか背後にくっついてきてたアリアちゃんをひとまずベッドへと腰かけさせ、俺自身もその隣に腰かけながら、夕飯までの暇つぶしがてら先ほどの一件について軽く雑談を交わす。
「俺ってさ、……………………あー、ごめん。やっぱなんでもない」
レナ令嬢を『どうでもいい』と語った俺に、アリアちゃんがかなり意外そうな顔をした。そんな予想外のオーバーリアクションが返ってきたことでついつい嬉しくなってしまい、思わずペラペラと持論や自分語りを展開しそうになったけど、ふと『後輩女子へ得意げに他人と違うアウトローな自分を語って聞かせる』という行為のダサさに気づいてしまって強制的に話を打ち切る。
そのまま自己嫌悪に沈んで「あー……」と意味無く呻きながら項垂れる俺の背を、アリアちゃんがちょっと躊躇いがちにおずおずと撫でてきた。
「……ぜのせんぱい、元気出して?」
「………………ごめん、それ、嬉しいんだけど……逆効果……」
「むー……? …………むぅ…………」
勝手に落ち込んで年下の女の子に気を遣わせて、しかもあろうことか気遣ってくれたことに対して『逆効果』などとケチまでつける始末。こんなのもう、ダサいなんてレベルに留まらないとんでもなくクズでクソなゲロカス野郎の所業だ。
けれど、アリアちゃんはちょっと困ったように首を傾げるだけで、俺の背を撫でる手を止めなかった。困ったようにっていうか、なんかちょっと不満そう? な顔つきになり、なでなでやめるどころかむしろしっかりと力を込めてくる(※あくまでアルアリア比)。
「……あの、アリアちゃん? あの、ほんと、もういいから……」
「よくない」
「え、いや」
「よくないって、わたしが決めた」
「………………あ……、じゃあ、その、…………ありが、とう……」
「ん」
いつになく押しの強いアリアちゃんに心の鎧を砕かれて、俺はよくわからないへにょへにょの笑みが己の顔に浮かぶのを感じた。
笑おうと思って笑っているわけではなく、アリアちゃんの優しさのせいで表情筋が蕩けさせられてるだけなので、たぶん自分が思っている以上にブサイクな笑顔になっていると思う。けれどそれがむしろツボったかのように、アリアちゃんもめちゃめちゃ蕩けきった無防備すぎる笑顔を返してくれた。
―――――うぅ、やめろ、胸が甘くせつなくキュンとするからその顔やめろぉ……!!
「あ、ぜのせんぱい、ちょっと元気出た? 顔色良くなったような――あれ、赤い??」
「この痴女め」
「なぜに!?!?」
「なぜにもなにも、童貞男子にいきなり激しいスキンシップ図ってきて顔の赤さを指摘してくるとか、そんなんもう疑う余地なく痴女かサキュバスかアルアリアの所業ですわぁ」
「アルアリアの位置そこ!!? なんで!?!! おかしい、色々ぜったいおかしいよ!!!! あとどうていだんしって」
「そこは聞き流しなさい」
「どうていだんし」
「聞き流しなさい」
「…………………………………………。ねえ、ど…………なんとかしって、なぁに……?」
「……………………………………………」
あ、これ普通に言葉の意味知らないだけだな……。まあこの世界って、貴族の処女以外はあんまり重要視されない文化だから、童貞なんて言葉はスラングみたいなものだもんな。女の子な上にあまり他人と関わらないアリアちゃんみたいな子なら、知らなくても不思議はない。
どうしよう。これ、アリアちゃんの知識欲が暴走して下手に他の人に訊く前に、俺が説明した方が良いのかな?
イルマちゃんか義姉様に任せればいい気はするけど――いや義姉様は無しだな、あの人天然が酷いから下手するとアリアちゃんと一緒になって『どうていってなんですの???』と俺の所へ詰め寄って来かねない。
じゃあここは順当にイルマちゃんか……というのもそれはそれで、流石にイルマちゃんを便利に使い過ぎな感じがして気が引ける。
………………うーん。
「…………ぜのせんぱい?」
フード越しにこっちを見てくる紅の瞳は、無垢そのものの輝きを称えるのみ。好色は元より好奇の色すら今は無く、ただただ俺の反応を純粋に不思議がっている様子である。
………………………………うーん。
「………………………………あの、アリアちゃん」
「うい」
「ういって……ああいや。アリアちゃん、今度の週末とかヒマ? 多少時間取って、ちょっとした勉強会やろうかと思うんだけど。もちろん、二人きりじゃなくて、イルマちゃんにも出来れば参加してもらって」
「………………。勉強って、どうていだんし?」
「うん、そのへんに関する勉強会。あとあんまりその言葉言わないでね、特に俺以外の男の前では絶対に言わないように」
「…………………………言ったら、どうなる?」
「……………………………………俺が……、すごく、悲し」
「一生言わない」
即答だった。一生言わないって言ったら一生言わないんだろうなと聞く者全てに思わせるほどに、一切の迷いも揺るぎもない宣誓であった。
なんだか胸の奥がくすぐったくなって思わず笑ってしまった俺は、「一生じゃなくて、勉強会が終わるまででいいよ」と呪縛を緩和してあげながら、「で、どうする?」と改めて参加の意思を問いかける。
「……ぜのせんぱいと、いるまちゃんと、勉強会」
「一応言っておくけど、イルマちゃんの参加はまだ確定じゃないからね? 俺のただの突発的な思い付きだし」
「…………やる」
「……ん、いいの?」
「よきにはからえ。くるしゅうないっ!!」
微妙に進化したな……おばあちゃん語録っていうよりどっかの殿様だろそれ……。
まあ、よきにはからっていいと言うのであれば、お言葉に甘えさせていただこうか。なんだか後輩女子を騙して卑猥な個別授業に誘う性犯罪者になったような気分、というかわりとそのまんまだけど、こちらが誠意を貫きさえすればあんまりひどい結果にはならないような気がしてるので、とりあえず俺にできるベストを尽くしてみるとしよう。
とまあ、それはそれとして。
「じゃあこの話は、あとでイルマちゃんにも持っていくとして。それはさておき、なんでアリアちゃんここにいるの?」
「………………??????」
「あ、やっぱなんでもないわ」
めちゃんこ不思議そうな顔をされてしまったので、俺は速攻で追及することを放棄した。これあれだな、きっと何も考えず俺についてきただけだな。もしかしたら今いるのが男子寮だとか俺の部屋だとかもろくにわかってないんじゃなかろうか。いや流石にそれはないか。……ないよな? ないない。
じゃあ、えーと。
「飯まで、ちょっとなんかして遊ぶ?」
「あそぶ!!!!!」
軽く誘ってみれば元気いっぱいの賛成が返ってきたので、俺はもうにっこにこの笑顔となってアリアちゃんと遊びまくることを決意した。




