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七話・閑 おしゃべりしたいお年頃

 夢現の狭間をぼんやりと揺蕩っていたレナが自我を取り戻したのは、その日の夕飯時のことであった。


 己の見上げているものが女子寮の自室の天井であることに気付いたレナは、どうして自分は此処に……と不思議に思い、半ば無意識に上体を起こそうとした。


 だが、それはベッドサイドの椅子に腰掛けていたモニカに優しく止められ、再びベッドへ背中を埋めさせられる。


「ご無理はなさらないでください。今回主さまから下賜された霊薬は、遊びで作ったお試し版とのことですから。

 ……手足こそ元通りになりましたが、『万が一想定外の効果が発揮されてもノークレーム・ノーリターンでおなしゃっす!』とのことなので、ひとまず安静にしてしばらく経過観察しましょう?」


「………………。そう」


 ゆっくりとした口調で語ってくれるモニカの声を聞くうちに、今の話をゼノディアス本人が語っていたシーンを思い出して、レナは疑問や反論を口にすることなくただ静かに頷いた。


 そんなレナの、落ち着いた――落ち着き払った様子を見て、モニカは少し不思議そうに首を傾けた。


「そう、だけですか? もっと、聞きたいこととか、いっぱいあるんじゃ……」


「わたくし、バカではありませんの。不覚にも一時呆けてはいましたが、目を開けて起きている間に自分の目と耳で見聞きしたものを、自ら頭ごなしに否定することはありません」


「…………そう、ですか」


「あら、今度は貴女がその言葉を言うの? なんだか可笑しいわね、ふふ」


 力無くベッドに横たわった痛々しい有り様だというのに、肺を震わせて心底可笑しいといったように愉快そうに笑うレナ。


 そんな姿を見ていられなくて、モニカは気まずさと後ろめたさによって目を逸らす。


 レナは、余計なおしゃべりはこのくらいにして、と軽く仕切り直しの台詞を挟んでから、簡潔に一言口にした。




「貴女、わたくしを嵌めましたわね?」




「……………………」


「……と、それもまた余計なおしゃべりでしたわね。ごめんあそばせ、悪気はなかったの」


 完全に嫌味や当てつけにしか聞こえない台詞が付け加えられたことで、一瞬びくりと震え上がるモニカ。

 だが、悪気はなかったと語るレナの口調は確かに悪意の欠片もなく、むしろ気遣うような色合いさえ含まれていた。


 ちらり、とレナの双眸を盗み見たモニカは、自らの感じたものが願望ではなく事実だったことを知って、戸惑い混じりに問いかける。


「……怒っては、いらっしゃらないのですか?」


「もちろん、怒っていますわ」


「ひえぇ」


「ああ、違うのよ。貴女が、親友であるわたくしに何の相談もなく、あの『上司さん』と共謀して勝手に話を進めたというのが不服なだけよ。

 次からは、やりたくないことを無理にやらされそうになったら、きちんとわたくしに報告なさい。あのクソ幽霊女にガツンとカマしてあげるわ。ほら、今日のように、ね?」


 軽く棒を振るようなジェスチャーと共に、お茶目に笑ってみせるレナ。


 ――モニカは恐怖した。この女、なんておっそろしいこと言いやがる……!!?


「や、やめてください」


「あら、遠慮しなくてよろしくってよ?」


「遠慮とかじゃなくて本当にやめて。ばか、ばかレナ。やめて、絶対やめて」


「あ、ええ、えっと……、………わかりま」


「バカ」


「ねえ、最後のそれ必要でしたの? わたくし今ちゃんとわかったって言」


「ばか」


「もうそれわたくしのこと罵倒したいだけですわよね!?!?」


 すっかりいつもの調子でヒステリックにキーキー叫ぶレナを見て、ようやくモニカはずっと張り詰めていた気持ちを緩めて微笑むことができた。



 馬鹿ではない――とレナ本人が口にしていたように、確かにレナは真っ当な思考回路や判断能力を有している。そんな彼女が、大して隠す気のなかった『はかりごと』に気付かないわけはないし、気付いてしまったらならもう友達関係になんて到底戻れないのが当たり前だ。

 誰が好き好んで、自分を血の池地獄に落とした鬼畜生共の一味と仲良くしたいなどと思うのか。


 だが、モニカはそんな普通を覆してくれることをレナに願い。そしてレナは、それに想像以上の応えを返してくれた。



 だから、レナさまはばか。そういうことである。


「ガツンとカマすのは、本当の本当に絶対ぜったいやめていただくとして。……それはさておき、今日の一件について、レナ様もやっぱり詳細な事情は知りたい……です、よね?」


「? 事情の説明なら、貴女がゼノディアス様にしてたのを横で聞いてましたわよ?


『あの幽霊女が、ゼノディアス様に対するイジワルがしたいあまりに、わたくしを焚き付けて自分を襲わせるというマッチポンプを仕掛けた』。


 その片棒を担いだのが貴女で、巻き込まれた被害者があの泣き虫魔女。

 そして、あの幽霊女がうっかり匙加減を間違ったせいで泣き虫魔女の暴発を招き、結果わたくしは哀れにもあのような悲惨な目に……と、『そういうことにした』」


「……ああ、本当に起きていらっしゃったのですね」


 そういうことにした。つまり、事実はそうではない。

 イルマとモニカが言葉も無しに結託し、不服そうなアルアリアの口を無理矢理押さえつけ、戸惑うゼノディアスから無理矢理首肯を引き出せはしたものの、モニカが語った状況説明には意図的な情報の欠落が有った。


 ――そもそも、何故レナが『敵役』に抜擢されたのか。そして、泣き虫なはずのアルアリアを暴発させた、決定的な出来事は何だったのか。

 それら、レナの抱いた悪意や犯した罪について、ゼノディアスはまだ何も知らない。


 あの幽霊女が、『敢えて知らせていない』。


「貸し、のつもりなのでしょうね。……ええ、まったく憎らしいことに、この借りはわたくしに効果てきめんです。

 ここまでわたくしを熟知し、ゼノディアス様すら利用してまでわたくしを束縛しようだなんて、あの陰険幽霊女ったら実はわたくしのこと大好きなのではなくて??」


「ははは、おもしろーい」


「目が死んでますわよ、モニカ……」


 軽い皮肉に対して『何ありえないこと言ってんだこいつ……』と言わんばかりの表情を返されてしまい、レナは羞恥に頬を赤らめてぷいっとそっぽを向いた。


 ――ひとまず、必要な会話はここまで。


 そんな空気を察したモニカは、それから二、三言だけ言葉を交わし、詳しい話はまた追々として今日の所は部屋を辞す。


「それでは、レナ様。どうかお大事に」


「……晩ごはん食べたい」


「………………。食堂へ行って、持ち帰りで何か包んでもらって来ますね……」


 必要でないこともまだまだ話したいと暗にねだる寂しがり屋のレナに、彼女の唯一の親友であるモニカは朗らかな苦笑と首肯で応えた。



◆◇◆◇◆



 部屋を出て、ドアを後ろ手に閉め、横を見る。

 するとそこには、壁に背を預けて腕組みしてる小柄な大悪魔上司の姿。


「我に大変好かれてるとか、いったいどんな思考回路でそんな結論になったんですかね?

 笑えないブラックジョークだとしても、そんなことを言っちゃうあのシミカス女の方こそ我のこと大好き過ぎなのでは??」


「ははは、おもしろーい」


「………部下。ちょっと見ないうちに、あなたもすっかりふてぶてしくなりましたねぇ……。この清々しい開き直りっぷり、さてはシミカス女からの悪影響でしょう? まっこと、嘆かわしい」


「上司の薫陶の賜物ですが???」


「おおなるほど、それはとっても良い上司をお持ちですねぇ♪ さぞや自信とリーダーシップに溢れた、素晴らしい上司様なのでしょう?? まっこと、羨まスィー!!」


「もう一度言いますか?」


「いえ、結構です」


 真顔で問うてくる部下に対して、上司も真顔で簡潔に返す。無駄話はこれくらいにして、ここからは業務報告のお時間である。




「――レナ様は、思いの外精神的ダメージが浅かったようです」




「ほう? いきなり手足潰されただけでは、まだ足りなかったと?」


「逆に、突然理解の範疇を超え過ぎな惨事に見舞われたせいで、心が追いつかなかったのでしょう。

 加えて、それをやったのが巻き込まれただけの哀れな窮鼠では、うまく恐怖や畏怖を抱けなくても仕方のないことかと」


「……呼吸するようにヒトの四肢を捻り潰す〈深淵の魔女〉が、哀れな窮鼠……? え、今度はいったい何のジョークなんです??」


「雰囲気を盛り上げるための泣き虫役として深淵様を無理矢理連行してきた張本人が、一体何とぼけたことを仰っているのですか……。レナ様が呼び出したの、元々上司だけですからね? 流石に深淵様巻き込むのは悪いなと思って、そうなるよう私が調整しましたので」


「部下がアリアさんのことハブろうとしたー。ひっどーい! そんな間違った優しさなんざ要らねぇんだよー! byぜのでぃあす」


「………ああ、主さまなら言いそうですね、それ……」


 無関係なアルアリアを巻き込んだ上司が絶対に悪いはずなのに、部下はまるで自分こそが間違っていましたとばかりの顔でしゅんと身を縮めてしまう。


 そんな反応をちょっと意外に思って、イルマは「ふむ?」と眉を上げる。


「……今日の合同魔術実技の時とか、さっきの校舎裏でもちょっと感じましたけど。あなた、あの繊細で脆くて取り扱いに注意事項有り過ぎなおにーちゃんのことを妙に正しく理解しすぎじゃないです?

 いえ、これべつに怒ってるとか『この泥棒猫がッッ!!』って意味じゃなくて、本当にただの疑問なんですけれども。だって、ほら」


「『主さまは、誤解されやすい――というより、誰かに理解されることをもうすっかり諦めているお方だから』?」


「ほらやっぱりわかってるー。なんですか、今まで全く絡みのなかった女子生徒Aのくせして、おにーちゃん争奪戦へ立候補する腹積もりですか?? じゃあ仕方ないから、おにーちゃんの性欲解消用玩具としてボロ雑巾になるまでこき使ってあげましょう。ありがたく思うがいいです!」


「妥協した感じでさも善意のように結構な酷い扱いを提案しないでください」


「は??? てめーうちの自慢のおにーちゃんの性奴隷になれるのが酷い扱いってのはどういう意味だおいまじぶっ殺すぞ????」


「………………。なんだか冗談っぽく怒ってますけど、上司、もしかして今の提案ってってわりと普通に善意且つ真面目な話でしたか?」


「逆に訊きましょう。何の考えも無しに、この我がおにーちゃん専用性奴隷を許容だの勧誘だのすると思いますか?」


「つまり、これもまたお得意の策謀の一貫であると。……程々にしておかないと、そろそろ本気で主さまに嫌われるんじゃありませんか?」


「……………………………そんなこと、ないもん……」


 もんて、上司……とツッコミを入れたかったモニカだが、イルマが殊の外ダメージを受けている様子だったため、吐く言葉を変更して慰めへと移行。


「……まあ、確かに、主さまはそう簡単にイルマ様を見限ることはないでしょうね。




 たとえ今日、『イルマ様の策略により、主さまの手でレナ様や私を惨殺するような展開』になっていたとしても、あのお方はあなたのことをずっとずっと信じ続けたことでしょう。




 その確信があったからこそ、イルマ様も一度はその案を実行に移そうとしていたのですよね?

 まあ、実際は土壇場でマイルドな方向に方針転換してくださったようですし、それに深淵様の予想外過ぎるブチキレによって色々グダグダになってしまいましたけど」


「………初期案。やはり、看破していたのですね」


「だって、どうでもいい侯爵令嬢を手駒にすることなんかより、イルマ様的にはそれが一番効率的で効果的なシナリオのはずですから。

 主さまが過去に救った少女であるレナ様や、主さまがこれから親しくなる可能性の有る女である私を、主さま自身の手で殺させる。

 これは今居る雌豚の排除と同時に、未だ見ぬ雌豚への警告を兼ねた一手。そして何より、『イルマ様かアリア様か選べない』と悩む主さまへ、『少なくともおにーちゃんは身内かそれ以外かという二択問題はきちんと選択することができていますよ』という励ましのメッセージの意味を持つ……と、そういう狙いですよね?」


「……………優秀過ぎる部下は、上司に疎まれるのが世の常ですよ?」


「本当に疎ましく思ったら、それをわざわざ口に出す前にさっさと殺っちまうのが私の上司ですので、どうぞご心配なく」


「……………………我、おまえ嫌ぁい」


 不機嫌そうにぷいっとそっぽを向いてしまうイルマに、モニカはやれやれといった調子で苦笑いを浮かべた。いつもいたずらに他人の秘密をズバズバ暴き散らかしていくさしもの大悪魔も、己の繊細な乙女心を暴露されるのは普通に嫌らしい。


 生温い視線に見られることに耐えかねたかのように、イルマは更に首を明後日の方へと向けながら話を変える。


「……随分と脱線してしまいましたが、ともかく、話はわかりました。

 あまりにショッキングな目に合わされたことで精神面での再起が危ぶまれたレナ=リィンダーナですが、当初の見立てに反し、思いの外軽症。ゆえに、第二案である『懐柔』という方針はまだ有用なので、どうかレナ様を殺さないでください〜! と、そういうことですね?」


「ですです」


「……ま、いいでしょう。あんなシミカス女の命程度で、【七極】に至る可能性を持つあなたに恩を売れるなら安いものです」


「あ、初期案から変更した理由って、もしかしてそれなんですか?」


「いえ、これは上から四番目くらいですね」


 じゃあ、一から三番目までは何なのか。


 そんな当然の疑問を口にしようとするモニカだったが、上司のニコ〜っとわざとらしい笑みに圧されて言葉飲み込む。


 余計な好奇心は、時に命取り。賢明なモニカはこれ以上踏み込むことをやめ、恭しく頭を下げると、会話を終えてその場を後にした。

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