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六話 理の有る道は、もう要らない。

 かつて、リィンダーナ侯爵家当主たる父は言っていた。『人の治世に、神の奇跡など必要無い』と。


 その言葉をレナは、『人の世界は人の手によって納めるべきであり、神に縋るような他力本願な統治など言語道断である』という、厳しく己を律するための訓戒であると捉えていた。


 だが、そうではない。そうではないのだ。たかが侯爵令嬢に過ぎないレナの狭い知見では、たとえ恋に盲目となっていなかったとしても全く想像すらできなかった、この上なく正しい純然たる事実。父は、ただそれを有りのままに口にしていただけなのだ。




 神に、人の道理は通じない。




 戯れに。まるで近所の子に飴でも配るような気軽さで、世界屈指の宮廷魔導士が生涯をかけても習得すら覚束ないという【七極】のその真髄を、今日知り合ったばかりの令嬢の手へぽいっと投げ渡す。

 驕るでもなく。誇るでもなく。裏が有るでもなく、含みがあるでもなく。ただのノリや気まぐれで、こうも容易く世界のパワーバランスの天秤をがしゃんとぶっ壊してスクラップにする。


 もし今この場で起きたことを国の上層部や他国が知れば、確実に世界は荒れる。かの暴力的平和機構たる魔女機関でさえ、彼女たちによる支配を赦す根拠である【権能】が『そこらの令嬢が普通に持ってるもの』へと貶められれば、絶対的強者のままでは到底いられない。

 むしろ、約三分にひとりのペースで【七極】使いが無差別に量産されていくと考えれば、人数に限りの有る突然変異種である〈魔女〉達なんかではどうあがいたって対抗は不可能。



 今ここに、世界の支配構造は完全無欠の崩壊の刻を迎えた。



 ……だが、その事実を知るのは、未だレナ=リィンダーナただ一人のみ。

 やらかしの張本人たるゼノディアスは、なぜレナに怖い目で見られているのかまったくわかっていない様子でおどおどビクビクしながら、下級生の少年二人を無理矢理巻き込んで真っ当な指導に励むフリをしている。

 そしてやらかされた被害者であるモニカは、神に与えられた奇跡を己が力として昇華すべく、今はひとりでああでもないこうでもないと内なる魔力を捏ね回しながら自主鍛錬に没頭中。


 ゼノディアスがまた何かやらかさないかと暫く見張っていたレナは、今度はひとまず問題なさそうだと束の間の安心を得て、しかしすぐさま気を引き締めながらモニカへ釘を刺すべくそっと体を寄せた。


「モニカ。賢い貴女なら、おわかりかとは思いますが――」


「大丈夫ですよ、レナ様。私は、全部……なんて烏滸がましいことは命が惜しいので口にできませんが、最低限のことだけはちゃんとわかっているし、弁えてもいるつもりです。

 まあ、流石に私自身ががこうもあっさりと『神の悪戯』の当事者になるとは夢にも思っていませんでしたが……。『あのお方』は特に何も言ってきてはいないので、まあたぶん、これくらいのオイタはあのお方にとって想定の範囲内だったのでしょうね」


「…………モニカ? 貴女、何を言って……」


「あなたの抱いた懸念は、既に他の誰かが抱いたものであり、万全とは言えずとも対策もきちんと打たれているということですよ、レナ様。……あなたにはきっと、お心当たりがあるのでは?」


「………………大、聖女……」


「まあ、そういうことです。或いは、こうお呼びした方がより正確に伝わるでしょうか?



 ――――『人形師』、と」



「――――――――」


 ずっと己の両手の間で魔力をこねこねしていたモニカは、レナの方を見ることもなく、まるで当たり前のことを語るような気楽さで片手間に重大事実を暴露する。


 人形師。それは、この大国アースベルムを裏から操る影の支配者であり、賢王ヨルムの打ち立てた華々しい功績の多くは、かの者によって戯れに与えられたものにすぎない――などと、まるで陰謀論か都市伝説のように語られている謎の存在。

 その正体が、本当に実在している人間であり、そして巷で『大聖女』と呼ばれている少女と同一人物であるというのは、ヨルム陛下に最も近しい高位貴族達しか知らない正真正銘の国家機密である。


 ただの貴族令嬢に過ぎないレナがそれを知っているのは、なんのことはない、単にヨルム陛下最大の功績として語られている『真龍討伐』が本当は別の者によって成されたということを己の目で目撃したからであり、それを口外しない報酬として陛下から直々に裏事情を教えられたからである。


 だから、モニカが今語ったことは、レナにとって衝撃を受ける程の重大事実というわけではない。レナが、本当に驚愕したのは――、


「なぜ、貴女がそのことを知っていますの? ……っ、まさか貴女、『あのお方』とか『ガス抜き』とか散々思わせぶりなことばかり仰ってましたし、まさか他国の間諜!!?」


「いえ、私は生まれも育ちもこの国ですけど……。まあ、間諜っていうは当たってますね。ただし所属は他国ではなく、ゼノディアス様を兄と慕うあのお方が束ねし私設組織ですけれど」


「兄……? あに……。あ、確かゼノディアス様は市井に腹違いの弟がいらっしゃるのでしたわね!! 直接会ったことは一度も無いというお話でしたのに、まさか顔を見たこともない兄の身を案じて、人知れず貴女のような諜報員を派遣するなんて……! 麗しい兄弟愛ですわ!!!」


「え、そっち……? あー、ええと、じゃあそれでいいです。急に与えられたチカラのせいでちょっとテンション高くなって口滑らせた自覚はあるので、気分良く勘違いしてくださるならそれはそれで助かります」


「勘違いってなんですの!?!?」


「いえ、べつに。それより、レナ様もゼノディアス様のレッスンを受けなくてよろしいのですか? この折角の機会に、お手々繋いだりおでこコツンしたり、頼めば喜んでやってくださると思いますよ?」


「……………………………………。いってくる……」


「いってらっしゃいませ、レナ様」


 綺麗な笑顔で恭しく頭を下げるモニカに見送られ、レナは自分がいいように言い包められたことをこの上なく実感しつつも、己の欲求を抑えきれずに言われるがままゼノディアスの元へ。


 ――そうして。長年あたため続けた想いは決して口にすることなく、けれど溢れる感情ゆえにもじもじ照れ照れしつつ、懸命に自らの希望を伝えたレナだったが。




「え、お手々繋いでおでこコツン? ……あー、あれはあくまでも裏技だし、それに相性の問題が大きいから、誰にでも使えるってわけじゃないんだ。悪い……」




「……………………………………………………あい、しょう??? えっ、で、でも、さっきモニカには、あんなに気軽に……」


「ああ……。なんか、こう、モニカ閣下って妙に親近感沸くというか、ウチの

身内の女の子達に近しい(イカレた信仰心のような)何かを感じるというか……。実際、試してみてもまったくと言っていいほど抵抗を感じなかったし、なんというか、だからまあ……、彼女は例外だよ」


「―――――例外」


「そうそう、例外、れいがい!」


 やれやれやっと言いたいことが伝わったぜとばかりに嬉しそうにこくこく頷くゼノディアスに、レナもまた、何もかも全て世界の真理を丸ごと理解しましたわとばかりに晴れ晴れとしすぎな満面の笑顔をにっこりと返した。


 そしてレナはくるりとターンをキメて、スキップしながらモニカの元へと舞い戻る。


「ねえ、モニカちゃんっ♪」


「すみません、私とんでもなく重大な病魔に今唐突に襲われたので今日はもう早退させていただこうかとあいたたたたこれもう死んじゃうっていうかたぶんもう死んでるかも」


「キレイな棺桶、用意して差し上げた方がよろしいかしら?」


「………………………………せめて、びんた一発くらいでゆるしてください……」


「絶対に赦すものか、この正真正銘のクソ悪魔めがぁあああああああああ!!!!!!」


「ひぇええええええええぇぇえええええ!!?!?」



◆◇◆◇◆



「あー、すまん。たぶんあれ、明らかに俺の言い方が悪かったせいだと思うから、ちょっと仲裁してくる……。そりゃ、自分はダメなのに友達だけ例外で裏技教えてもらえるとか、完全に不公平な話だもんな……」


 一旦指導の手を止めて、どっかへ駆けていった狂乱の乙女達を追いかけようとした俺。

 だが、即座にレバス君が眼鏡をクイッと持ち上げながら冷静に待ったをかけてきた。


「残念ながら、その程度の理解しかなさっていないのであれば、今は追いかけない方が得策かと……。ゼノディアス様。あれは、流石に良くない」


「いや、だから、露骨に贔屓するような言い方はやっぱり良くなかったから、火種作った俺が責任持って止めようと」


「愚か者」


「愚か者!!??」


 今日が初対面の下級生男子に、死ぬほど呆れ返った目で愚か者呼ばわりされてしまった件について。


 あまりのショックに呆然とする俺へ、さっきまで俺の指導についてこれずぐぬぬと悔しがっていたはずのライレン何某が鬱憤晴らしのように喜び勇んで颯爽と追撃してくる。


「やーいやーい、愚か者ー!! おろかものー!! へへーん、お尻ぺんぺーん!!! ぺろぺろぷー!!!」


「ライレン様。珍しく本気で頑張ったせいで貴男も相当に頭あっぱらぱーの愚か者オブザキングになっていらっしゃいますので、ひとまず甘いものでも食べて小休止していてください。ほら、飴ちゃん差し上げますので」


「わーい、飴ちゃん大好きぃ♡♡ そしてゼノディアス、キサマなんか大っ嫌いだからさっさとくたばれぇええええええええ!!!!」


 レバス君の手を引っぱたくようにして飴ちゃんを強奪したライレンは、それを速攻で頬張ると、俺へのストレート過ぎる怨嗟の捨て台詞を残しながら速攻尻尾巻いてロケットダッシュし、彼方へ消えた。


 最近の若い子達、みんな元気有り余ってんなぁ……と年寄りみたいに思いながら呆けていたら、レバス君がどこからともなくお茶のセットを取り出し、淹れたてのお茶を差し出してきながら隣の岩へ座るよう勧めてくれた。


 何も考えずにそれに従い、腰を落ち着けて『ずず……』とお茶を啜る俺。あ、美味い。てか、なにげにティーカップ&紅茶じゃなくて、湯飲み&緑茶なんですけど。こやつ、中々の通だな。


「美味いな、これ。どこ産?」


「私……じゃなくて、俺の母方の実家が、領地で珍しい茶葉を育ててまして。お気に召しましたか?」


「召した召した。俺がいつも飲んでるのとは違うけど、これはこれで美味い」


「違う、お茶……。ちなみに、それはなんという銘で?」


「え、ごめん、名前気にしてなかった。なんかこれよりちょっと渋くて、色も濃いやつ。東の方の」


「ああ、あれですか……。確かにあれは良い物ですよね。商売敵の売り物とはいえ、あの独特のドロっとした青臭さが心安らぐというか」


「そうそう。普通の茶葉を単に煮詰めただけじゃ、あのヒーリング茶にはならんのだよなぁ……。あ、名前思い出したわ。ヒーリング茶じゃなくて」


『ヒヒイロ茶』


 二人でハモりながらその銘を口にした俺達は、意味も無く照れ臭くなってなんとなく笑い合った。


 それからしばし、お茶談議に花を咲かせて。共通の趣味を通じてすっかり打ち解けた頃、レバス君改めレバスが唐突に「それはそうと」と表情を引き締め、見るからにお小言モードへ。あ、逃げたい。


「逃げないでください。ライレン二号とお呼びしますよ?」


「キミ、なにげにライレン何某の扱い酷くね?」


「雑草は、多少乱雑に蹴ってやった方が力強く育つものです」


「更に酷くね?」


「それはそうと、今は貴男のことです――こら、逃げないでください」


 やけにこなれた手つきのレバスに首根っこ掴まれて逃走を阻止された俺は、仕方なく体を縮めて怒られモードへ移行する。


 さあ来るがいい、心の防壁をがっちり固めた今の俺にはどんな攻撃も効きやしないぜ!!







「――過日、『聖国』にて起きた、クーデターの件。貴男は……、いえ、貴男『達』は、これからいったいどう動くおつもりですか?」







 くーでたー。………………クーデター???


 え、どう動くとか言われても、え、何クーデターって。俺それ聞いてないんだけど。

 聖国って、義姉様の国だよな? 単に義姉様の故郷ってだけじゃなくて、義姉様が表の権力者のトップあたりに位置してる、言葉通りの意味での『義姉様の国』だ。

 そこでクーデター、つまり革命が勃発したってことは、それつまり義姉様の地位や身柄もヤバいってことなんじゃ……。


「………………。その様子だと、『大聖女』様方からは何も知らされていなかったようですね」


「……逆に、レバスはなんで知ってる? というか、なんでわざわざ俺に言った?」


「俺の父、一応この国の宰相なので。その後を継ぐ予定の俺も色々と知ってるんですよ。知りたいことも、…………あと、知りたくないことも。

 概ね、主に大聖女周りというか、本を正せば大体貴男関係というか……。いえ、非難しているわけではないのですが、流石に王城のてっぺんを狙撃で吹き飛ばすとか、魔女機関の総帥様を引き連れて王城に殴り込みかけるとかは、ほんともうウチの父の頭髪がストレスで死滅してしまうのでやめてくださいとは言いたいですけど」


「ごめんなさい」


 俺はとても申し訳ない気持ちになりながら深々と頭を下げた。

 髪、大事だよね……。今世でこそフサフサ髪のイケメンに生まれたが、前世でわりと若ハゲ気味だった俺には痛いほどよくわかる。


 ごめんよ、レバスパパ……。にしても、レバスパパは宰相か。宰相って言えば陛下に次ぐ権力者、つまりは実質この国のナンバーツーだから、レバス家って格的にはウチより上なんじゃね? 外の身分は学園に持ち込まないとか偉そうに講釈垂れといて、実は俺の方が身分低いとか超赤っ恥じゃん。

 忘れよ忘れよ、外の身分は関係ない、それでいいのさそうなのさ。


「で、クーデターだっけ? 俺がどう動くかっていうのは、どういう意味だ? なんでそんなこと知りたい?」


「展開によってはウチの父がガチで急逝しかねないので、せめて多少は情報を仕入れて父子共々心の準備をしておきたいんですよ。……もう、緑茶だけで心の安寧を保つことは、かなり昔にすっかり諦めてしまったので……」


「マジでごめんね……。あの、ええと、でも俺、マジでほとんど何も知らないし、もし知ってても勝手に漏らしていい内容なのかわからないから、その……」


「いえ、それならそれでいいんです。むしろ、貴男が知らされていないようなことを、無理に話そうとか、あまつさえ頑張って訊いてこようとかは絶対にしないでください。

 ――それは、大聖女や魔女機関の意に背き、逆鱗に触れることと同義ですので。それした瞬間、我が国は一夜で亡国の仲間入りです」


「流石に卑屈すぎない?」


「正当な評価と正常な判断による確実な未来絵図ですがなにか?」


 一切の揺るぎも無くきっぱりと言い切るレバスに、俺は未来の宰相の稀有なる才覚を見た。あと、ブチギレた義姉様や高笑いするエルエスタが口から炎を吐きながらぼくらのあーすべるむ王国を根こそぎぶちぶち踏み潰していく幻影を見た。


 うん。うちの過保護な義姉や心配性の総帥様が、ほんとすいません……。


 あと、さらに追加でごめん。そんな過激な女の子達だけど、俺はたとえ彼女たちがまかり間違って国堕とそうが何千万人虐殺しようが、一切迷う余地無くずっと彼女達の味方であり続けるよ。


「―――――貴男は」


「うん」


「…………貴男はきっと、国より民より、他の何よりも、『彼女達』の味方であることだけを選ぶのでしょうが――」


「キミ実は魔眼持ち? もしくは未来視」


「茶化さないでください」


「はい、さーせん」


 余計な茶々をぴしゃりと切って捨てたレバスは、情けなく頭を下げている俺に向かって、どこか諦めたような声音で静かに告げた。


「……貴男にとって害にならない者にくらいは、多少の慈悲の心を向けていただければと思います」


 ――まあ、言っても無駄でしょうが。


 そんな副音声が透けて見えるような、諦念通り越して悟りの境地に至ってる賢者レバス。


 そんな彼に、俺は愛想笑いを浮かべ。そして、会話を終わらせた。










 ああ、レバス。それは確かに、言っても無駄なことだよ。


 俺にとって『たいせつなもの』は、もう既に決まりきっていて。













 それ以外の全てのものは、俺にとって、いつでも未練無く切り捨てられるものでしかないのだから。

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