一話裏 楽園乙女は自重しない
イルマ所有のセーフハウス、そのリビングにて。
ちょいちょい脱走しがちな家主にとうとう不信感MAXとなった魔女機関新総帥エルエスタは、椅子の背もたれに思いっきり体重をかけながら脚組み腕組みしてふんぞり返ると、壁に背を預けて我関せずな感じで突っ立ってやがる包帯女を無理矢理見下すポーズを取った。
「……ねえ。あんたのとこのと〜っても働き者ないもーとちゃんは、さっきから一体どこ行って何してるの? 曲がりなりにもこれから協力関係結ぼうってんだから、お得意の秘密主義も先走りもちょっとは手加減してもらえると助かるんですケド??」
嫌味百パーセントでなじられて、とばっちりもいいとこなオルレイアは『なんで私がこんな目に……』と内心嘆息しつつも、つい最近こさえたばかりな借りの返済のためガラにもなく妹をフォローする。
「……愚妹は……」
「愚妹は?」
「……………少々、しあわせの黒いウサギを探しに?」(←慣れないことしようとして完全にスベった姉の図)
「……………。ねえごめん、私あなたとまだ全然親しくないから、あなたのユーモアセンスがよくわからないの……。今のって、笑うとこ?」
「う、五月蝿いな……黙れよ、クソが……」
なにげにエルエスタとの距離感が未だよく掴めていないオルレイアは、暴力で全てを有耶無耶にすることもできず、自らの失敗を恥じて頬を朱に染めながら悪態をついて瞑目する。
そんな姿を見て『あら? こっちの子は妹と違って、意外と可愛げあるわね……』なんて思ってちょっとほっこりしつつ、エルエスタは視線を向ける先を少しだけずらす。
「ねえ、グリムリンデ。あなたのオトモダチちゃんって、実はわりと良い子なの?」
未だかつて下されたことのない評価に愕然とするオルレイアを他所に、みーちゃんをお膝の上で絶賛猫可愛がり中だった焔髪の魔女が「んおー?」と気の抜けた笑みのまま応じる。
「んー、ああ、うーん? 良いヤツかと訊かれると、断じてそんなことはないが……。まあ、少なくとも話しの通じない奴ではないな。あくまで、私にとっては」
「ふーん……? 『私にとって』ってのは、具体的にはどういう?」
「私が大聖女とやらに一切絡む気がなく、こいつの側も、機関の情報とかじゃなく私個人の力しか望まなかった。お互いに害になることがないんだから、敢えて敵対する理由も無い。
……まあ、そのへんはこいつが上手く調整してくれていたんだろうが、勝手に調整してくれるというんだから文句も無い。あとこれは最も重要なことだが、こいつは下戸のくせしてワインのセンスがすこぶる良い」
みーちゃんによる癒やし効果ゆえか、いつになく軽い口でペラペラと語るグリムリンデ。
そこに一切の忖度も含みも無さそうだと見て取って、エルエスタは「ふぅん?」とちょっぴり見直したような鼻息と共に改めてオルレイアを眺める。
そんな視線をまるで蝿にでもたかられているかのように嫌がって、オルレイアは眉間に海溝よりも深い皺をくしゃりと刻みながらたまらず話を反らした。
「私や愚妹のことはどうでもいい。それより、そちらの陣営も〈晴嵐〉と先代〈深淵〉が一行に帰って来ないようだが?」
ちょっと前から主を失っている席に目をやりながら、皮肉げに問いかけてくるオルレイア。
エルエスタは、思わず痛い所を突かれたように――ではなく、なんだか拗ねているような面持ちで刺々しい返事を返す。
「知らないわよ、あんなバカ共のことなんて。幼馴染同士、キャッキャウフフしながら延々と連れションでもしてんでしょ。ほんっと、マジキモいわー」
「………」
「なによ?」
「………いえ」
実際はそんな楽しげな連れションではなく、二日酔いに堪りかねて瀕死になりながら連れゲーに向かったのだが……。それは誰の目にも明らかだったはずなのに、どうやらオルレイアが見た光景とエルエスタの感じたものは全く違う様相をしていたらしい。
「おかわいい女狐め……」とこっそり呟いてたグリムリンデをガン付けひとつで黙らせて、エルエスタは裏しか感じない満面の笑みをにまーっと見せつけながらオルレイアを恫喝する。
「あなたも、何か言いたいことがあるならはっきり言ってごらんなさい。ほらほら、おかーさん怒らないよー? 思ったことなんでも言っていいんだよー?」
ただし貴様の身の安全は保証しない、という語尾があまりにスケスケだったため、オルレイアはひとすじの脂汗を流しながら言うべき言葉を吟味する。
にこにこ笑顔のエルエスタおかーさんに見つめられること、きっかり十秒。
最初の一秒くらいで最適解を導出済みだったオルレイアは、心の中で某黒ウサギや御主人様やそして珍しく愚妹にまで謝りながら、その台詞を口にした。
「ここだけの話ですが。――ゼノディアス様は、今の貴女のような『友達にハブられて孤独に震えてる可哀想な女の子』みたいな存在が、とんでもなく大好物だったりします」
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ほう」
長い、長い沈黙の果てに、数多の台詞や感情を無理くり嚥下したかのように真顔でぽつりと呟くエルエスタ。
魔女機関最高権力者様によるヌチャっとしてドロッとした混沌入り乱れすぎな双眸にじっと見つめられながら、オルレイアは不可視の何かに急かされるようにして必死に続きを語った。
「まずですね。ゼノディアス様は、持っている能力の凄まじさに反し、自己評価がとんでもなく激低です。
それこそ、己はこの世に数多いる男共の中でも限りなくワーストワンに近いクズであり、また、この世に数多いる女性の全ては自分なんかでは手が届かない雲の上の幻想である、などと本気で思い込んでしまっているレベルで、あの人は劣等感の塊だ」
「………………。なんで……?」
「……我等大聖女一派にも責任の一旦は有るとはいえ、正直、九割方はゼノディアス様本人の生来の気質によるものとしか……。
愚妹から、幾らかの資料は渡されたでしょう? ならば、私が責任逃れのためにこんなことを言っているわけではない、というのはわかっていただけるかと」
「…………………」
「とにかく、そんなゼノディアス様ですから、健常で健全で健康な状態にある真っ当な女性というのは、自分と対等な存在だなんて思えない。
――『年下』。『後輩』。『妹』。それに或いは、『傷つき弱っている女性』。
そういった、自分より下の立場を表す肩書や、自分より弱っている相手にしか、あの人は心を開きません」
「………え、でも、初恋はお姉ちゃんだって……」
「レティシア様は例外です。いくら斯様に童貞こじらせ中のゼノディアス様とはいえ、流石にあれだけ好き好き大好きオーラを撒き散らされながらいっぱいいっぱい構われれば、相手が年上美女だろうが普通にオチて骨抜きです」
「……………オチてんじゃん……骨抜かれてんじゃん……。さっきの劣等感云々のくだりは、一体なんだったの?」
「だから、レティシア様は例外なんですってば。あの方がゼノディアス様へ注ぐ愛は、混じりっけ無し、正真正銘の『無償の愛』です。
もしゼノディアス様に願われたなら、レティシア様は人の身が思い付くありとあらゆる拷問や凌辱にさえ嬉々として耐え抜きます」
「……………………」
凌辱。どんな、凌辱にでも。
あ、それはちょっと勝てないな……とうっかり納得しかけたエルエスタは、けれどなんとか『まだまだ納得してないぞ』な不満顔を取り繕いつつ、こほりと咳払いして長話を一旦仕切り直す。
そして、エルエスタは――、身だしなみや前髪をちょいちょいと軽く整え、清純派アイドルのような澄んだ声で「ん、んんっ」と再度咳払いし、それからたっぷりと三回程深呼吸して気持ちを整えてから真っすぐにオルレイアを見つめ、熱い想いをどこまでも静かに訊ねた。
「―――――――りょ、凌辱って、たとえばどんな……?」
「……………………」
オルレイアは、無言でグリムリンデを見た。
グリムリンデは、そっと顔を背け、無言でみーちゃんと戯れた。
オルレイアは、無言でみーちゃんを見た。
みーちゃんは、気まずげにそっと目を伏せながら、「み、みぃ〜……」とまるで本物の猫のように鳴いた。
「………………………」
オルレイアは、意味もなくしばし天井を眺めてから、無言のままエルエスタに視線を戻した。
エルエスタは――、流石に自分の台詞がちょっと恥ずかしくなってきちゃったのか、ちょっぴり泣きそうになりながら「な、なによぉ……」と震える声で健気に強がっていた。
ところで、オルレイアはレティシア限定の処女厨である。
――しかし今、オルレイアは、己の信仰を問われていた。
「尊い……」
「え」
「たとえ団体のトップになってもわからないことを誰かにきちんと訊けるその真摯な姿勢は実に尊く是非見習わせていただきたいなと思っただけですが何か文句でもおありですかね!!??」
「えぇぇ……。なんで、その内容でキレるの……?」
「これは失礼。お詫びに、先程貴女が知りたがっていたことを仔細漏らさずお教えしましょう」
「なら赦しましょう」
「フフフフ…………」
「ウフフフ…………」
実に楽しげに、仄暗くも艶めかしい怪しげな笑みを交換し合う、脳内ピンクのお花畑少女達。
グリムリンデとみーちゃんのみならず、帰ってきた連れゲー女二名にまで怪訝極まる目で遠巻きに眺められながら、花園の少女達は熱く激しく言ノ葉をわさわさ生い茂らせる――。




