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終章八翼 嘘も秘密も程々に

 ――長く。高く。前方へも上方へも果て無く伸びる巨大すぎる回廊を、一人の少女が歩いていく。


 巨人の神殿へと迷い込んだ哀れな小人のような様相であるが、むしろ、少女が響かせる足音は自分こそがここの主であると声高に主張するかのように無遠慮だった。


 なんなら、意図的に床を強く踏みしめてわざと大きな音を立ててさえいた。肩を怒らせ柳眉を逆立て、全身で『超イライラしてます!』アピール全開である。


 では、自分以外に誰もいない空間で一体誰に対してアピールしているのか? ――その答えとなる人物が、遥か後方から『たったの一歩』で跳んで来て、少女の傍らにトンと着地した。


 全身に纏った豪奢な板金鎧や、腰に履いた立派な長剣の重量など一切感じさせない、あまりにもさり気なさすぎる所作。


 それを成した青年に恨みがましい一瞥だけをくれてやり、少女はすぐさま目線を切ってずんずんと歩いていく。


 そしたら鎧青年も隣りにくっついてきた。邪魔。


「待つんだシスター、怒りに身を委ねて己を見失ってはいけないよ。ほら、棒付き飴ちゃん要るかい? さっきたまたま売ってるのを見かけてね、キミはシスターのくせしてこういうちょっとグレた小娘の雰囲気を出せる小道具が大好物だろう? ひとまずこれでも舐めて落ち着いてみるのはどうだい? はいどーどー、はいどーどー!!」


「バカにしてんのか」


 一から十まで失礼過ぎる青年に、少女は背筋が凍るような冷たい声音で言い放つ。


 その一言であっさり消沈してしゅーんと項垂れてしまった青年をさくっと無視し、彼の手から棒付き飴ちゃんを抜き取ってパクっと咥えて。ニ、三回ほど口内でからころと舐めた少女は、ちょっと柔らかくなった表情と歩調で再び目的地を目指す。


 ……ちなみに。先程『シスター』と呼ばれていたが、それは少女が纏っている衣服や表向きの役職を指してのものであると同時に、青年にとっての実妹であるという意味であったりする。


 だから、というわけでもないが。飴を受け取ってもらえて急にテンションアゲアゲになった青年に嫌な顔をしつつも、少女は彼の随伴を許容した。


 ただし。今さっきの失礼な物言いは飴ちゃんでチャラにするとしても、それ以前の別件については今尚絶賛イライラ中である。


「それで、兄貴。こうして付いて来たってことは、当然、あたしの『計画』に乗る覚悟は決まったってことでいいんだよなぁ?

 まさか、既にその手で偽レティシア様を真っ二つに両断し、国も八翼も真っ二つにカチ割ったクーデター野郎の分際で、まーだうじうじいじいじねちゃねちゃお悩みあそばされてるとかは無いよなぁぁああああああ〜???」


「………………あ、あのぉ、飴ちゃんもう一個有るけど――」


「死ね」


 見苦しい兄をバッサリと切り捨てつつ、勿論飴ちゃんは強奪する血も涙も無い妹である。


 二つ目をシスター衣装の袖の下へストックする(何故袖の下にポケットが付いているのかは割愛)少女を眺めながら、兄はしばしほっこりした後に表情を引き締め口を開く。


「…………冗談はともかく。俺はやっぱり、レティシア様に弓引くような真似はできないよ」


「はぁぁぁぁ???? そのわりには、随分と景気良くレティシア様(偽)を真っ二つにしてたじゃねーか。

 勢い余ってウチの国自慢の大聖堂やら霊峰やら、ミリス様神像やらまで綺麗〜に一刀両断しといて、あのミリス様大好きな敬虔なる大聖女レティシア様に笑顔で赦してもらえるとかマジで思ってんの?? ねぇえ、国も民心も国宝もミリス様(像)も何もかも真っ二つにしちゃった聖剣士サマぁ〜??????」


「ああああまり真っ二つとか何回も言うなよぉ!! そういうっ、他人の失敗を蒸し返して責めるの、絶対良くないなってお兄ちゃんは思う!!! 大体あれ、ろくな説明も無しに『やれ』って言ったのキミじゃないか!!!」


「おまえ、死ねって言われたら死ぬの? 大体、誰がミリス様まで真っ二つにしろっつったよ。

 ――言っとくけど、あれ、バレたらガチでヤバいかんな……? だからおまえはもう、レティシア様に二度と故郷の土を踏ませないために、あたしの『聖国崩壊計画』に協力するしかねーんだよ」


「ぐぬぬぬぬぬぅぅぅ……!」


 物申したい気持ちを全身全霊で現す青年だが、それを口から飛び出させることなく奥歯を食いしばってなんとか堪えている。


 そう。たとえどれだけ不満があろうとも、青年がレティシアの折檻を免れるためには、もう少女の言う計画とやらに加担するしか道は無いのだ。



 レティシアが帰ってきたら、やらかしがバレる。――ならば、事が露見する前に、レティシアが帰るべき国を消滅させてしまえばいい!!



 それは逆転の発想というより最早サイコパスの理屈ではあるが、とにかく青年は、少女がチラつかせてきたその蜘蛛の糸に縋るより他無かった。


 だって、怒ったレティシア様ってめっちゃ怖いんだもん……。


「……まー、神像様の件はさておいて、だ」


「待つんだシスター、兄貴氏の命がかかってる問題をあっさりさておかないでくれ」


「さておいて(笑)!! ――兄貴だって、今の聖国がよろしくない状況だってのはわかってんだろ?」


「さておかないで」


「うるせぇ!!!」


 雨に濡れた仔犬の様相で縋り付いてくる実兄を、ヤクザキックと共に文字通り一蹴。倒れた兄のケツを踏み台にして、妹は迷いなく前へと進む。


「……国より男を選び、この地を去った大聖女。そんな普通の女を、盲目に崇め奉る民衆。そしてその民衆を食い物にする、大聖女の権威を傘に来た『墜ちた八翼』共……。

 これじゃ、聖戦前となんにも変わんねーじゃねぇか。多少配役が変わっただけで、結局この国の腐った本質はなんも変わっちゃいねぇ」


 ――少女は、瞳に覚悟の火を灯す。


「縋るな。奪うな。『囚われるな』。ちゃんと自分の頭で考えて、自分の責任で行動して、自分の足で歩け。

 ……そのためには、大聖女なんて偶像も、聖国なんて揺り籠も、誰にとっても邪魔でしかない」


「だから、聖国をブッ壊す、か」


「そーだよ。なんか文句あっか?」


 当然のように復活してきた兄に、妹も当然のように台詞を投げる。


 視線と熱に押し負けた兄は、観念したように溜め息を吐き、けれど悪足掻きのようにぶつぶつと愚痴を漏らす。


「……なら、せめて組む相手は考えてほしかったな。いくら、魔女機関に余計な茶々を入れられないよう牽制役が必要とはいえ、それを態々『あの女』に任せる必要は有るのか?」


「おお? なんだ、女子供にお優しい聖剣士サマにしては随分と辛辣な評価だな」


「からかうんじゃない。……アレは、聖戦勃発の発端を作った真の大戦犯だぞ? そんな害にしかならないような輩を取り込むなんて――」


「だからこそ良いんじゃねーか。泥舟に乗せるにゃ、もってこいの人選だろ?」


 してやったりとばかりにケタケタと笑う少女に、青年は言葉を失って口を半開きにすることしかできなかった。


 だがそれでも、青年は気力を振り絞っておそるおそる問いかける。


「……やっぱり、泥舟、なのか……? まさかキミは始めから、歪な国やあの女と共に心中する覚悟で……!!?」


「いんや、あたしだけは生き残る気満々だけど? そのために、クーデターの実行犯役を兄貴に擦り付けたわけだしぃ??」


「そんな理由だったの!?!?」


 驚愕の事実に目玉をひん剥く青年を見て、少女はまたも笑い転げてから「冗談、じょーだんだって!」と白々しく弁明した。


「ほんとにぃ〜? マイシスター、ほんとにそれ冗談〜??」


「冗談だって! ぶっちゃけ、顔出ししてない名無しのシスターがいきなしクーデターなんてやらかしても、みんな『は???』って感じじゃん? 情報操作の下地としては、軍部のトップが体制に反旗を翻したっていう、頭にすんなり入りやすい構図の方が都合が良かったんだよ」


「情報、操作すること前提なのか……」


「当たり前だろ。

『脳みそ詰まってないテメェらクソ信者共を真っ当な人間に戻してやるために、大聖女も八翼も聖国もまとめて全部ブッ壊してやんよ!!』とか、

『お前らが神聖視して崇め奉ってる大聖女サマだけど、テメェらのことなんぞ屁とも思ってない上に外に男作って楽しくやってますからwwww』とか正直に言ったって、そんなんあたしがスッキリするだけで誰も喜ばないし。

 そのへん、やっぱ優しい嘘ってヤツは必要よな……」


「……ウチの妹があまりに優しすぎて、お兄ちゃんは涙が止まらないよ……」


「褒めんなよ。照れるだろ?」


「皮肉だよ!!!!!」


 耳元で思いっきり叫ばれて一瞬顔を顰めた少女は、かったるそうに溜め息を吐くと、青年を納得させるために不承不承ながらも『情報操作』の詳細な説明に移った。


「――十年前。聖戦の最中で瀕死の重傷を負った大聖女は、実はそのまま順当にこの世を去っていた。

 その事実を世間にひた隠し、影武者を大聖女様として仕立て上げて威光を利用していたのが、大聖女の名代を名乗って各地で好き放題やってる『八翼』共だ。

 存在が知られてる中で唯一真人間な八翼である兄貴は、これまでは大聖女の顔を立てておとなしく従っちゃいたが、ひょんなことからその肝心の大聖女が偽者にすげ変わっていたってことを知ってしまって苦悩することになる。


 ――今は亡き主君を、我欲のために貶める、かつての戦友達。


 兄貴は悩んだ。葛藤した。懊悩した。けれどその果てに、兄貴は選択したんだ。自分が敬愛した主君の遺志を守り、その主君が愛した民を救うために、かつての仲間達へと刃を向けることを!!!」


「お、おおぉぉ……!!!」


 なんかすっかり感情移入して目をキラキラさせている兄に、『こいつマジでチョロ……』と思いつつ、興が乗ってきた妹は情感たっぷりに続きを語ってあげる。


「立ち塞がるのは、墜ちた八翼共だけじゃない。奴らは裏で、自分の任地の国王を抱き込んでいたり、或いは悪名高きはぐれ魔女と結託していたり、果ては『域外領域』に住まう異形の怪物と通じていたりもした。

 だが、兄貴は挫けない。一翼討つ度に心が砕かれ、また一翼降す度に四肢がもがれようとも、兄貴は絶対に立ち止まりはしない!!」


「え? 俺、四肢もげちゃうの――」


「そして迎える、最期の一翼との決戦!!!! これまでの戦いで心身共にボロボロだった兄貴だが、兄貴の奮戦に勇気づけられた民達の加勢もあり、どうにか相打ちに持っていくことに成功する……。

 こうして、兄貴も含めた全ての八翼は歴史の中へ露と消え。大聖女を失い、八翼を喪い、聖国という枠組みさえも失って。けれど、『偉大なる英雄』と共に戦い、自らの意志で運命を切り開く力を得た、そんな民達が残されたのであった。はい、おしまい♪」


「…………。え? 俺、相打っちゃうの……?」


「そーだよ。全部ブッ壊すっつってんのに、兄貴生き残ってちゃダメじゃん。空気読めよな」


「命賭けてまで空気読みたくないよ!?!?」


 カバーストーリーを詳細に説明してやっても結局耳元で怒鳴ってくる兄に、妹は今度こそかったるさ全開となって言葉を放棄した。


 べつに本気で『お前も死んどけ』と言ってるわけではなく、そう見えるように偽装工作を施した後で、兄妹揃って生存の上で秘密裏に国外へ逃亡……という段取りにはなっているのだが、そんなことまで説明してやるほど甘いスタンスの妹ちゃんではない。

 というか、そこを説明しちゃうと、まるで兄に死んでほしくないブラコンな妹みたいに思われそうで癪だった。


 だから、複雑なお年頃の妹は、棒付き飴をからころと舐めてちょっと斜に構えたスタイルを気取りつつ、兄貴をシカトしてただただ前を向き、目的地へと歩みを進める。




 ――その後ろを遅れがちに付いてくる兄が、そっと、剣の柄に手をかけたのも知らないで。

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