序章 彼が無双になった理由
――恋が、知りたい。
世の男性の平均寿命を大幅に超えるまで生きての大往生。その果てに俺が抱いたのは、まるで思春期の女の子が抱くような、そんな願いだった。
もし可愛い女の子が口にしたなら、甘酸っぱくてたいへんよろしいと思われるこの台詞。だがそれを言うのが【独身×童貞×彼女いない歴=年齢】を死ぬまで貫き通したしわくちゃの老翁では、もはやホラーだ。
魔法使いや賢者を通り越して、死者の王たるリッチにまで突き抜けてしまっている。
だから、というわけでもないのだろうが、死んだと思っていたはずの俺は、気付けばこの異世界はアースベルム王国へと再誕を果たしていた。
名は、ゼノディアス=バルトフェンデルス。
美男美女の両親から生まれた、月下を駆ける狼のような、黒髪金目の野性味と色気溢れる美貌。
上は王族しかいないという最も高位な貴族である公爵家の、しかも次男という絶妙な立ち位置。
更に、鍛えれば鍛えるだけ強くなる身体と、学べば学ぶだけ吸収する頭脳。
そして何より、完全に運任せでしか手に入れられない十万人に一人と言われる魔術の才能の、その中でも更に0.1%以下しか存在しないという希少な『全属性』の適正。
いったい何億円課金したら、こんな爆死確定のガチャでここまでのスペックを引き当てられるんだろう。……もし円以外の物を対価として捧げていたとしたら、きっと、俺に次の生は無い。
あったとしても、それはきっとここで引き当てた幸運のツケを払うだけの、文字通り地獄のようなものであるに違いない。
ちなみに、前世で恵まれなかったことの埋め合わせという考えは出てこなかった。だって俺は、前世で平穏無事に寿命を全うできるだけの幸運には確かに恵まれていたから。
……ただ、そんな人生で俺がたったひとつだけ願った、『恋』に関する運にだけ絶望的に恵まれていなかっただけで。
「……いや、それも言い訳か」
俺以外に誰もいない、公爵邸内にある俺専用の執務室。学園入学前の最後の一区切りとして、これまでお世話になった方々への手紙を一通り書き上げた俺は、やることを失って椅子の背もたれに体重を預けぼんやりと天井を眺める、
思えば、ゼノディアス=バルトフェンデルスとしてこの異世界に生まれてから、結構色々あった。
『恋が知りたい』。そんなおぞましい想いを抱いて死んでいった翁の妄執に取り憑かれ、十五歳の成人を待って入学することになるアースベルム王立学園入学までを目途として、ただひたすらに自分磨きに邁進した日々。
その成果の幾らかが、公爵家嫡男たる兄上にすら与えられていないこの俺専用執務室であり、机の上や部屋のそこかしこに雪崩のように散らばっている多種多様な書類や器具や勲章なんかの数々だ。
知識チートできるほど各種専門分野に明るくない俺だったが、幸いこの身は公爵家子息。
あれを試してほしい、これを試してほしいと思いつくまま無責任に言い放ち、お小遣いと呼ぶにはあまりに多すぎるポケットマネーをどばどば投入し、異端だのなんだの言ってくる奴らを家名で片っ端から黙らせれば、あら不思議。
今まで燻らざるを得なかった各方面の専門家達による獅子奮迅の活躍によって俺の想像以上の成果が叩き出され、それに比例して俺の評価も天井知らずに鰻登りというわけである。
もちろん、これは前世の誰かや今世の誰かの成果を掠め取っただけだけであって、俺自身が凄くなったわけではない。
だから、名と同時に実を磨いていくことも忘れはしなかった。
転生モノでよくある、生まれて間もない頃からの魔力鍛錬。
それに、父や家庭教師に師事しての学術や剣術、そして魔術の稽古。
そして冒険者や傭兵を雇っての実践的な戦闘訓練と、最後の仕上げとしての冒険者活動。
やっぱりこの世界にもある冒険者。俺は十歳から始めて十五歳を迎える今年までに、GランクからBランクまで駆け上がった。
五年もかけてBと言うといまいちに思えるかもしれないが、Bランクは言うなれば一流の冒険者が一線を退くまでに辿り着けるか否かという境地なので、冒険者活動のみならず領地改革や技術革新を同時進行で行っていることも加味すればもはやバケモノと呼んでしまって差し支えない。
……正直、やりすぎた感はある。でも、止まれなかった。止まることが赦されなかった。
もうこれくらいでいいだろう。これだけやればそろそろイケるだろう。そう思う度に、あのおぞましき亡霊は言うのだ。
『――お前、俺以上に努力したって、本当に心から言えるの?』
『――お前、こんなイージーモードでこの程度の成果しか出せない出来損ないのくせに、それで女の子に好きになってもらえるとか、そんなの本気で思ってんの?』
……言えないし、思えない。俺の答えはいつだってそうだった。
客観的な視点に比べて自己評価が低すぎるという思いはあるけれど、他ならぬ自分がそう思ってしまった時点で、俺はにはまだ努力が足りない。
俺はまだまだ、頑張っていない。
一応、ここまでの俺でも、引っかけられる女の子はいると思う。
でも俺の中で『今の俺にひっかけられる女の子』というのは、俺の実績と実力と家名と、それに容姿とあとお金をフルに使ってようやく少しは話を聞いてくれるような娘だ。
ちなみに想像の中のその娘は、容姿は下の中で、頭はよろしくないか狡猾かの二択、ついでに股は緩いの一択で、更に言うなら99.98%の確率で俺に愛想を尽かして離れて行ってしまう。ちなみに残り0.12%は金で引き留めることができた場合である。
当然、そこには『恋』の『こ』の字も無い。
それではこれまで自分がやってきたことが水の泡だ。まだまだ足りていない努力と頑張りとはいえ、丸ごとおじゃんになるのは流石にもったいない。
次は、干ばつに備えてダムを作って功名を高めてみよう。
次は、未発見の重力魔術の論文をまとめて頭脳と魔術面をアピールしてみよう。
次は、亜龍を討伐してドラゴンキラーの称号を得てみよう。
次は、次は、次は、次は……と、そうして無限地獄のような終わりなき努力を積み重ねてきた半生を振り返って、今俺は改めて思う。
「ほんっっっっと、女っ気まるで無ぇわ!!!!!」
――唐突に叫んでしまったせいで、扉の向こうから「如何なさいましたか、ゼノディアス様!?」とメイドさんの狼狽した声がかけられてきたので、俺は「すまん、独り言だ」と厳かに返して何事も無かったように咳払い。
正直、家でも外でもこういう奇行に走ることは何回かあったので、メイドさんも毎度のこととして素直に引き下がってくれた。
ちなみにこのメイドさん、若くて可愛くて俺のことよく褒めてくれる良い子なんだけど、俺は知っている、彼女が我が家の厨房で働くおっさんと恋仲にあることを。
そう。俺に優しくしてくれる子は、実際は俺だけではなく誰にでも優しくできる子であり、そういう子は往々にして既に売約済みであるというのが世界の真実であり常識なのだ。
冒険者仲間の呂布奉先みたいな女性でさえ、気立ての良さでショタ彼氏とくっついてイチャコラしてるのが現実なのだ。
おいどういうことだ。これではいつまで経ってもどれだけ頑張っても、俺が誰かと恋をする未来なんて訪れないではないか。
NTRか。寝取る間男になるしかないのか。でもそれ俺の知りたい恋と違う……。
だから、もし俺が誰かと恋仲になろうとするならば、その娘がまだ成熟しきらないうちに、その娘の運命の相手より先に俺が出会い、恋心を掠め取らなくてはならない。
ゆえに俺は、人生の全てを、『十五歳のアースベルム王立学園入学』に極振りすることにした。
十五歳ではもう遅い。そんな後ろ向きな考えは常に頭をもたげていたが、自分を最低限磨き上げるのにこれ以上の短縮はできなかった。
正直まだまだ研鑽が足りていないとは思うが、入学前夜という事ここに至って、俺に一番足りなかったのは全く別のものだと悟りを開く。
それは、『勇気』だ。
恋に関する運に恵まれていなかった? 女っ気がまるで無い? 違うだろ、そうじゃないだろ、名も無き御老人、そしてゼノディアス=バルトフェンデルス。
この世に何十億、もしかしたら何百億とかいるかもしれない人口のうち、半分は女性だ。それなのに、前世でも今世でも、世界に溢れる数十億の女性の中の誰ともお近づきになれなかったのはなぜか?
答えは簡単だ。
――俺が、近付かなかったからだ。
もっと言うなら、俺が、逃げていたからだ。百の女性にフられても、千の女性にフられても、十億の女性にフられても、最後に自分の傍にいてくれるたった一人の誰かを勝ち取る、そこに至るまでの絶望に立ち向かう勇気がなかったから、最初から勝負を捨てていた。
勝負しようとも思えなかった老翁は既に死んだ。勝負にならないかもと弱気になるゼノディアスも、たった今死んだ。
そう。俺は今日から……、い、いや、明日のアースベルム王立学園入学式から、新生ゼノディアス=バルトフェンデルスとなるのだ!!
「やるぞおおおおお!!! うおおぉぉぉぉおぁぁあああああ」
『……あのぉ、ゼノディアス様……? ご近所迷惑……』
「す、すまん。許せ」
またしてもメイドさんに扉越しに声をかけられてしまい、俺はいそいそと背を丸めて無駄に手紙の誤字脱字探しを始めて恥ずかしさを誤魔化した。