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問題社員 ―隣の席のモンスター社員―

作者: 青井青

「私って基本、プレイヤーより管理職が向いてるんだよねー」


 隣の席から耳障りな高い声が聞こえ、小糸優香はまたか、という顔をした。同僚の横山和恵がおしゃべりを始めたのだ。


 オフィスの時計は午前九時を回っていた。朝はメールの返信をしたいのに、忙しいときに限ってこの先輩社員は話しだす。


 話題は今朝、社内のイントラに上がった人事発令だった。


「私、思うんだけど、栗原くんは隅田課長の下じゃ力を発揮できないよねー」


 和恵は顎に手をあて、異動になった人間や昇進者の名前を眺める。


「彼って優秀だけど、自分が正しいと思ったら引かない人でしょ? 隅田課長は俺についてこいってタイプだから相性悪いと思う」


 優香は「そうですね」と生返事をしながら内心でため息をついた。


(出たよ……管理職気どりの人事プラン……)


 この人はあの上司が合ってるとか、あの新規事業はあの社員にやらせた方がいいとか、「私の考えた人事構想」をひたすらしゃべり続ける。


 以前こんなことも言っていた。


「私って人の長所や短所が見えちゃう人でしょ。占い師にも、私って社長しか向いてないって言われてさー」


 優香は心の中で毒づいた。


(見えちゃうって、霊能力者か)


 だが黙って耐えるしかない。和恵は四十九歳、昔ウチの会社にいたが、結婚・出産でいったん退職。子供が高校生になって子育てが一段落し、昨年から契約社員として再雇用された。


 一方の優香は入社して四年目の二十六歳、まだ社内では若手の部類に入る。先輩に「うるさいから静かにしてください」と言える立ち場ではない。


「表情とかしぐさでも、相手の考えてることがわかっちゃうんだよねー」


 また得意げな声が聞こえ、優香の頬が引きつる。


(だったら、私がそのおしゃべりをやめてくれって思ってるのを察してくれ!)


 叫びたい気持ちを抑え、ちらっと隣を見る。


 髪をサイドに下ろし、目尻と頬を隠して小顔に見せようとしていたが、顔の大きさは隠せない。いつもニタニタしてる目、ぶ厚いタラコ唇、上向いた鼻が絶妙にブス感を出している。体型は小太りで、ぽっちゃりご用達のチュニックのワンピースにレギンスを合わせている。


「ふーん、政府が少子化対策の財源確保に特別税を検討ねえ……」


 隣からつぶやきが届き、優香の顔が歪む。


(ううっ、今度は〝お読み上げ〟が始まった……)


 ヤホーニュースで気になった記事の見出しをつぶやき、どうでもいいコメントをするのだ。


「財源確保とともに、各省庁で重なってる子どもの貧困問題への対応などを一括して担い、縦割り打破の象徴とする……か。うーん、遅いよねえ。結局、二重行政になっちゃうんじゃないかなー」


 苦行に耐えるように優香は聞き続ける。


(あんた、テレビのコメンテーターか。ていうか、その感想だって、ヤホーニュースのコメント欄を適当につまんでるだけじゃん)


 メール返信を早く済ませ、午後イチの会議の資料を用意しなくてはならないのに、忙しい時に限って〝お読み上げ〟は延々と続く。


 ペットの殺処分ゼロとか、皇室の結婚問題を取り上げ、それぞれに〝薄い〟コメントをしていく。


「へー、そうなんですかー」


 優香は生返事を続ける。空気の読めない和恵は、隣の後輩が話を聞いていないことにいっこうに気づかない。


(前に言ってたな。私って空気を読めないんじゃなくて、空気を読まない人だからって……)


 万事がこの調子。社内ではモンスター社員として腫れ物扱いされているのに、本人はどこ吹く風である。


 ちなみに和恵は会社に復職して以来、もう三度も席が替わっている。恐らく延々と続く悪口や雑談に閉口し、みなが席替えを上司に直訴したのだろう。


(はぁー、ツイてない……なんで私がこんなモンスター社員の世話をしなくちゃならないんだろう……)


 優香はため息をつきながらキーボードを叩き続けた。


 ◇


「課長、お願いがあります。私を別の席に移してください」


 ついに優香は上司に直訴した。


「急にどうした?」


 四十年配の課長は思いつめた顔の部下に訊ねる。


「横山さんです。このままじゃ仕事になりません!」


 優香はこれまでのことを切々と訴えた。朝から雑談に付き合わされて仕事に集中できないこと、生産性が下がり、部署の他の人間も迷惑だと言っていると。


「まあ、待て。おまえも知ってると思うけど、横山は昔ウチの会社にいて、古参の幹部とも知り合いなんだ。社長からもよろしく頼むと言われててな」


「もう限界なんです!」


「時期を見て席替えをするからもう少しだけ我慢してくれ。厄介なやつかもしれないが、あいつにも愛嬌はあるんだ。面倒を見てやってくれよ」


 課長が拝み倒すように手を合わせる。


 面倒を見るなんて、そんな馬鹿な話があるか、と優香は憤った。会社は介護施設ではないのだ。だが、上司に頭まで下げられてはしかたない。不満を覚えながらも優香は引き下がるしかなかった。


 ◇


 その日、優香は疲れた足取りで会社を出た。朝から和恵に付き合わされ、エネルギーの消費が半端ない。


 建物を出たところで、営業部の時田達也の姿を見かけ、優香の顔がぱっと明るくなる。


「時田さん――」


 声を掛けて近づいていく。


 時田は二年先輩の営業部のホープだった。きりっとした眉の下にすずしげな眼差し。背が高く、学生時代にサッカーをやっていたせいか、身体ががっしりしている。ちなみに独身である。


「お帰りですか?」


「うん、小糸さんも?」


「はい。あの……グループウェアで見ました。今月の営業成績、時田さん、三位なんですね。すごいじゃないですか」


「いや、まだ上に二人もいるわけだから……」


 そうやって謙遜するところがまた素敵だった。


「この前の週末、浅野さんたちとフットサルをやられたんですか?」


「うん、同期で久々に集まってね」


 時田のSNSはこまめに追っていた。社内のサッカー好きを集め、週末たまにフットサルをやっていた。


「あの……私でよければチームのマネージャーをやりますよ。好きなんです。コートを予約したり、飲み会の幹事をやるの」


「ありがとう。でも、ウチのチームは不定期に集まるお遊びチームだから」


「でも橋本さんは行ってるんですよね?」


 総務の橋本香澄がたまにフットサルに参加しているのをSNSで見た。独身の時田を狙っている女性社員は大勢いる。香澄に先を越され、優香は焦っていた。


「彼女はマネージャーじゃなくて、ただフットサルが好きだから……」


「そんなの嘘に決まってるじゃないですか!」


 思わず優香が声を荒げ、時田がたじろぐ。


「時田さんに近づくための口実です。そういう計算高い女なんですよ」


「…………」


「時田さん、今日はこれからお帰りですよね? よければ食事でも――」


 無理に笑顔を作り、優香がそう言ったときだった。


「あらー、小糸さんじゃない」


 聞き慣れた耳障りな声がした。


 建物の正面玄関から土管みたいな体型の女が出てきた。横山和恵が笑顔で近づいてくる。隣にいる時田の顔をちらっと見て、いやらしそうに目を細めた。


「あら、えらいイケメンさん……たしか営業部の時田さん、でしたっけ? 聞きましたよ。若手のホープなんですって」


「はあ……」


 グイグイくる和恵に時田は若干引き気味だ。無理もない。このおばさん、とにかく圧がすごい。


「これからお帰り? 私も今夜は主人が遅いのよ。よければみんなで食事にでも行かない?」


「あ……すいません。僕、明日の会議の準備を家でしたいので……」


「あら、そうなの……でも時田くん、ワーカーホリックになっちゃだめよ。人生は仕事だけじゃないんだから、恋に趣味に人生をエンジョイしなくちゃ」


 うふふ、と笑ってウインクすると、時田の顔が青ざめる。「じゃあ、僕、失礼します」とそそくさと逃げるようにその場を立ち去った。


 身体の脇で手を握りしめる優香に和恵が言った。


「じゃあ、今日はフラれたガールズ同士で飲みでも行くか」


「いえ、私も家で用事がありまして……」


 声を震わせ、そう言うのが精一杯だった。


「こらこら、先輩の誘いは断らないもんよ。さ、行きましょう」


「あの、ちょっと、横山さん――」


 強引に肘をつかまれ、優香は引きずられていく。


 ◇


 夜の街に消えていく二人の女を、オフィスの窓から男たちが見下ろしていた。一人は人事部長で、もう一人は優香の所属する部署の課長である。


「横山さんを小糸くんの隣の席にしたのは正解だったようだね」


「ええ……そうですね」


 課長が複雑そうな顔でうなずく。


「小糸くんも困った人です。これまで男性社員に何度もストーカーまがいのことをして、人事のセクハラ窓口にも苦情がきてますからね」


「申し訳ありません……彼女は惚れっぽいというか、好きになると他のことが目に入らなくなるんです」


 片思いをしている男性社員のSNSを突き止め、退勤時に出待ちをしたり、自宅で待ち伏せしたりしていた。人事も手を焼くモンスター社員だった。


「時田くんでもう三人目です。一回目は戒告、二回目はけん責。もうイエロカードが二枚。本来ならレッドカードですよ」


「はい、承知しております」


 重い顔で課長はうなずいた。また色恋沙汰のトラブルを起こせば、小糸優香は諭旨解雇となってもおかしくない。


「でも、横山さんのおかげで小糸くんの暴走は止められてるようですね」


 人事部長が言うと、課長がうなずいた。


「今は男性社員にストーカーをするエネルギーがないようです」


「さっき小糸くんを連れて飲みに行ったようですから、彼女が諭してくれるでしょう。横山さんの人を説得する技術はすごいですからね」


「噂にはお聞きしています。現役時代はそうとうなやり手の営業部員だったとか……」


「あなたも含め、今の若い世代は知らないと思いますが、ウチの会社がここまで大きくなれたのは、若手時代、彼女が次々に大きな受注をとってきたからなんです」


 カリスマ営業部員だった和恵が出産で辞表を提出したとき、社長は彼女の夫や両親にまで慰留をしに行ったという。


「会社の規模が大きくなるにつれて、面倒な社員も増えてきました……」


 人事部長がため息まじりにつぶやく。


 セクハラだのパワハラだの、人事部には毎日のように通報が届き、人事の社員だけでは手が回らなくなっていた。


「横山さんを呼び戻してはどうかと言ったのは社長なんです。本人も悩んだようですが、無理を言って復職してもらった甲斐がありました」


 小糸優香のようにセクハラを起こす問題社員、パワハラをする社員、あるいはメンタルを病んだ社員の隣に横山和恵をあえて配置した。


 あるときは説教し、あるときは励まし、愚痴を聞くなどして、様々なやり方では和恵は社員を立ち直らせてきた。


 小糸優香をどうするかはお手並み拝見だが、彼女にストーカーのように付きまとわれていた時田達也も最近は平穏に過ごせているようだ。


「そうそう、経理部の豊川くんが上司からパワハラを受けているとか。小糸くんの件にカタがついたら、横山さんにはまた席替えしてもらうことになりそうです」


「これで四度目の席替えですか……本当にご苦労様です」


 会社でそんな会話がなされているとも知らず、飲み屋のカウンターでは、和恵のトークに付き合わされ、げんなりする優香の姿があった。


 世話をしているつもりが、実は世話をされていたのが自分だと、当のモンスター社員自身が気づくことはなかった。


(完)

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― 新着の感想 ―
[一言] おもしろかったです。
[良い点] 厄介な職員さんが裏から見たら・・・ 面白かった!ぜひ漫画とかで読んでみたい!
[良い点] 面白かった。 [気になる点] 記憶力がいい加減な自分のせいなんだと思いますが、名前が区別できない。
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