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元侯爵夫妻

アンネローゼの父親視点です。

 娘とディライア伯爵家から婿入りしたルーカス殿との離縁を無事に整え、ローゼには可哀想だが修道院へ入ってもらった。

 あの娘がルーカス殿との初恋を素直に成就してくれていれば、このようなことにはならなかったものを・・・。


 残念に思う気持ちはあれど、私は潔く国へ侯爵位を返還することに決めた。

 ルーカス殿なくして維持など不可能であることが、この数年間で身に沁みて理解した。

 それに、これ以上ローゼの我儘でルーカス殿を我が家に留め置けば、そろそろディライア伯爵家が動く。

 あの家を敵に回して無事に済む家などこの国には無いだろう。王家ですら「ディライア家を敵に回す前にさっさと息子を解放しろ」とせっついて来ていたくらいだ。

 我が領を守らんがため陛下や多くの高位貴族家からの助言苦言を躱し続けた結末が、「婿に頼らず維持できないなら国に返還しろ」という厳しいお言葉だった。


 だが、今の私は清々しい心持ちでいっぱいだ。

 歴史ある我が侯爵家の領と爵位の返還、そのような重き罰を粛々と受け止め毅然と前を向いて新たな道を歩み出す。

 陛下や王太子殿下、高位貴族のお歴々からの助言苦言を躱し、国内最強の財力を誇るディライア伯爵家からの厚意に報いることが能わなかった、その罪の全てをこれで清算できたのだから。


 陛下からは私が踏み倒した借金は返還された諸々を整理して分割で払っておくとお話があったが、どういうことだろう。

 侯爵領の負債はルーカス殿の手腕で完済している筈なのだが。陛下はお疲れなのだろうか。

 優秀な王太子殿下はともかく、その下の第二王子殿下、第三王子殿下は各所で問題を起こす方達だ。お疲れなのも仕方ないのかもしれない。


 陛下は他にも、「ディライア伯爵家の怒りを買いたくなければルーカス殿と縁を切ったら二度と関わるな、特にお前の娘は金輪際近付けるな」とのお言葉を何度もくださったが、ディライア伯爵家は別に怒ってなどいなかったようだ。

 何しろ伯爵夫人自ら私に密使を寄越し、娘が修道院から出るようなことがあれば直ぐに知らせるように、と妻と二人分の旅費を渡してくれたのだ。

 何もかもを失った私だが、最愛の妻リージアだけは生涯離さない。

 社交界の妖精姫フリージア嬢。今は我が妻、愛しのリージア。君と共に在れるならば、私は何処でも楽園だ。


 陛下が貸してくださった文官達の働きで侯爵家と領地の整理は思いの外早く終わった。

 リージアと共に王都を出ようかという矢先、ローゼと親しくしていた第二王子殿下から急使が届いた。

 ローゼを修道院から逃したから保護するように、と。

 そう言えば、元婿であったルーカス殿とリオネル商会の跡取り娘の婚約が大々的に発表されていた。

 ルーカス殿に強く執着していたローゼならば、それを知れば駆けつけて問題を起こすかもしれない。

 ディライア家とリオネル商会を敵に回しかねないことに手を貸すなど正気の沙汰ではないが、第二王子殿下は世間知らずな方だ。新聞記事にて書き連ねられた悪評でローゼが修道院内で肩身の狭い思いをしたら可哀想だと脱走を手引したそうだ。

 お優しいとは思うが、余計なことをというのが正直な感想だ。


 私は父親として悲しくあれど非情の決断をせねばならなかった。

 ローゼの脱走を知りながら放置すればディライア家とリオネル商会を敵に回す可能性がある。

 侯爵だった私でも勝てる気がしない相手だ。身分を失った私に何ができる。

 最愛の妻を守るためには娘を切り捨てるのも已む無しである。

 ディライア伯爵夫人にローゼ脱走を報せると、旅費の上乗せを得ることができた。


 私はリージアを連れて、妻の実家である男爵領へ向かった。

 妻の実家は羽振りは良くないが健全な経営を代々続ける穏やかな領である。

 妻の両親は数年前に病で他界し、今は兄夫婦が領地を治めていた。妻の兄夫婦には既に成人した息子達も在り、それぞれ細君を得て屋敷で同居していた。


 生活が落ち着くまで当面は男爵家の屋敷への滞在を許されたが、侯爵夫人であった頃の感覚が未だ抜けないリージアは、当主夫妻以上の贅沢を望み、実の兄に何度窘められても改まらなかったために、私達は屋敷から追い出されてしまった。

 それでも領内にこぢんまりとした一軒家を家具付きで用意してくれて、通いの家政婦も付けてくれた。

 私もリージアも貴族としてしか生活したことがなく、教わったからと言ってすぐに自分の世話を自分ですることなどできなかったからだ。


 専属侍女がいない生活に不満を洩らすリージアを宥め、先に身の回りの雑事を覚えた私が妻の着替え等を手伝い、ままごと気分の愛妻が「平民ごっこ」とはしゃぐのを褒めてその気にさせ、私は妻に留守を任せ義兄が紹介してくれた職場に通う余裕ができた。

 これと言った才が己に無いことは子供の時分から気付いていた。

 良くて凡庸止まりの私に身分を失ってできる仕事など限られる。

 私は手紙の代筆や依頼のあった書籍の写本を、朝から晩まで黙々と工房でこなした。


 仕事に慣れるまで、家に帰れば疲れ切って家政婦が用意した食事を朦朧としながら口に運び、倒れるように眠る毎日だった。

 ある日、何かがおかしいことに気がついた。

 義兄が用意してくれた家には、一通りの家具が揃っていた筈だ。

 寝台と食卓と椅子以外の家具は何処へ消えたんだ?

 それに、見たことのない珍妙な形の陶器は・・・あれは、壷、か?


「リージア、あの壷?はなんだい?」

「親切な方に譲っていただいた『幸せになれる壷』ですわ」


 明らかな詐欺商法だ。私には分かるが、純粋で妖精のようなリージアには犯罪者の悪意は感知できなかったのだろう。


「リージア、家の中の家具が少なくなっているのはどうしてなのか知っているかい?」

「ええ。親切な方がお金でなくとも良いと言って、壷の代わりに運び出してくれたのですわ」


 リージア一人を家に残すことが不安になった。かと言って仕事に行かなければ生きていく金が得られないのが平民だ。

 私はもう平民なのだ。罪の清算のために潔く身を落としたのだから。

 誇りある平民として、私は仕事に行かねばならない。

 義兄に相談すると、「妻のお守りくらい自力でできるようになってくれ」と苦言を呈されたが、今までの家政婦を詐欺師を追い返せる力量のある女性に変更してくれた。


 安心して仕事に励んでいた私がある日帰宅すると、普段は出迎えてくれる険しい顔つきの二代目家政婦の姿が無かった。

 どうしたのだろうかと家の中を見回すと、一切合切の家財が消えていた。着替の衣類やカーテン、鍋や食器に至るまで何も無い。

 残されているのは珍妙な壷と初見の小さな木の苗木。そして、笑顔で佇む最愛の妻リージア。

 諸々を飲み込み、私は取り敢えず家政婦の行方を聞いた。


「あの人、怒りっぽいの。わたくし、あまり好きではないわ。今日だって親切な方を酷い言葉で追い返そうとするから『あなたを解雇するわ。もう二度と来ないで』って叱ったら出て行ってしまったわよ」


 ・・・リージアに悪気は無い。リージアに悪気は無いんだ。


「それで、この苗木は何かな?」

「『お金の生る木』ですわ」

「・・・それと交換するために、家財を運び出してもらったのかい?」

「そうなの! 旦那様のお給料?も解雇した家政婦から返してもらったので、今回はきちんとお金でもお支払いいたしましたわ」


 良いことをしたのだと信じて疑っていないリージア。

 褒めてほしいと満面の笑みで私を見上げる無邪気な妻。

 私は己を落ち着かせて、彼女に言い聞かせようとした。


「リージア、聞いておくれ。私達はもう貴族ではない。もう前のような贅沢はできないんだよ」


 リージアの『幸せ』は『お金』なのだと、残された物達を見て悲しくなる。

 私の悲しみが伝わらないリージアは、キョトンとした顔で首を傾げる。


「わたくしは貴族ですわ」

「私が身分と領地を国に返還したことは知っているね?」

「ええ。だから王都のタウンハウスにも領地のお屋敷にも二度と住めないのだと聞きましたわ。せっかくきれいに修繕してもらえましたのに残念です」

「そうだね。じゃあ私達が、もう貴族ではないことも思い出したかな?」

「どうしてわたくしが貴族ではないと仰るのですか?」

「リージアは私の妻だろう?」

「ええ」

「妻は夫と同じ身分になるんだよ」


 私の言葉にリージアは少し考えるような素振りをしたが、分からない、というように眉根を寄せて言う。


「旦那様の侯爵家が無くなっても、わたくしは男爵家の娘ですわ。男爵は貴族ですわ」

「リージアは私と結婚した時に、生家の男爵家の籍は抜けているんだよ。そして私の侯爵家の籍に入ったんだ。だから、私の侯爵家が無くなったら、リージアも私と一緒に貴族ではなくなったんだよ」


 伝わるだろうか。

 見つめる先で、リージアの眉間のシワがどんどん深くなっていった。


「わたくしは、ごっこではなく平民だったということですの?」

「ああ、そうだよ」


 よかった。伝わっていた。

 だが安堵する私に、脳天に鉄槌を下すような言葉が放たれた。


「ではわたくしと離縁してくださいませ」

「───は?」

「ごっこ遊びは楽しめますけど、本物の平民なんて嫌ですもの。わたくし、旦那様のせいで今は平民にされているのでしょう? 早く貴族に戻してくださいませ」


 指先から、冷えて行くのが分かった。

 思い出の宿る頭の中も、重く愛の籠もる心臓も、全てが凍りつくように冷えて行った。


「リージア・・・」


 掠れた声が妻の名を呼ぶ。


「わたくし、お家に帰りますわ」


 私に背を向け、夫婦の新しい生活を始めていた筈だったこの家を出ようとする華奢な後ろ姿。


「ギャッ!!」


 かつて呼ばれた「妖精姫」に適わない、下品な中年女のような悲鳴を上げてフリージアは床に倒れた。

 その身体の下から、温かい赤い色が広がって行く。


「この壷の使い方は、これで合っていたのかな」


 私は手の中の血に濡れた『幸せになれる壷』を見下ろして、虚しい笑みを零した。

血筋があるからとアホに権力を持たせ続けていると後始末が大変そうです。

国王と王太子は今後さぞ苦労するでしょう。


ここまでに入れられなかった裏話としては、ルーカスがサラサへのプロポーズに使った「家族しか呼んじゃいけない名前」のエピソードがあります。


この国では、遥か古代の魔法があった時代の名残で、王族と貴族の男性はフルネームの真ん中に「命を預けられる相手にだけ呼ばせる名前」を持ちます。

古代では「真名」と呼ばれたそれは、通常厳密に秘するもので、握られると命を握られたも同然でした。当時は記名の際にも真名まで記入することはありませんでした。


魔法という技術や文明が消えた現代では形だけが残り、フルネームは気軽に全て記入し、公人はフルネームを広く知られていますが問題ありません。

現代では、心を許せる家族だけが呼ぶ名前として「家族名」と言われることもあります。


王族男性は王位争いが激しかった時代の名残で、「家族こそ最も命を狙う敵になり得る」とされ、認めた伴侶のみが真名を呼ぶことを許されます。

王族男性同士が相手の真名を呼ぶのはタブーです。「お前を殺す意思がある」という意味になります。


王妃と王太子妃は、プライベートではそれぞれ夫の真名を呼んでいますが、ハロルドやクラウスは自分の妃に呼ぶことを許していませんでした。

ヒューイットとアルバートも、気に入らない自分の妻に真名を呼ばせませんでした。


この国の貴族男性の「私の真名を呼んで」は、「私の命を貴女に捧げます」という意味の熱烈なプロポーズです。

アンネローゼがルーカスの真名を呼んでいないのは、本人から「呼んで」と言われてないからです。婚約から結婚まで全然会話が無かったので、そういう話題も出ませんでした。

本人から請われず真名を呼ぶのは無礼で非常識というだけではなく、恋バナにしか興味が無いタイプの子達からも「イタイ勘違い女」扱いされるので、あのアンネローゼでさえ呼べませんでした。


ちなみに、王族の真名を許されずに呼べば問答無用で物理的に首が飛ぶ世界です。


ここまでで、ルーカスとサラサが婚約した後の裏話は終わりです。

お付き合いありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言]  おー初っ端から頭フラワーパークでかなりアクセル踏んでるなーと思ってたけど夫婦揃って脳内芥子畑だったのか‥‥‥  畑と種がこれなら育つ苗もああなるのも宜なるかな。    全話楽しく読ませて頂…
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