公爵令息ヒューイット
公爵令息ヒューイット視点です。
かなりキモいセクハラ発言があります。ご注意ください。
どうにも気が乗らず久々の参加となった夜会で、俺は居心地の悪い思いをしていた。
潜めた声で社交界に流れる噂のせいだ。
学院卒業まで可愛がっていた一つ歳下の侯爵令嬢アンネローゼが、ディライア伯爵家三男の婿と離縁して入っていた修道院から第二王子、第三王子の手引で脱走。
その責を負って、俺も懇意にしていた第二王子と第三王子が王族籍を剥奪されて王都から追放された。
俺は卒業後はアンネローゼと関わっていなかったし、世間知らずの王子達とは違い、アンネローゼに可愛くお願いされても後々問題になるほどの嫌がらせをルーカスに近付く女生徒らにはしなかった。
王子達に脅されて女生徒を辱めて来いと言われた奴らが、怖気付いて実際は触れることなく「辱められたという噂だけ流させてくれ」と彼女らに頼み込んでいたのを知っていたからな。
本当に手なんか出していたら、女生徒の親からの賠償金請求だけで家が潰れる。
冷静に考えればすぐに分かるようなものだが、頭の足りないアンネローゼも世間知らずの第二王子も下半身に脳みそが吸収されてそうな第三王子も間が抜けている。
もっとも、噂だけでも破談になった婚約はかなりあって、噂を流した男子生徒どもは、それぞれ親から叱責程度はされたようだ。
娼婦でもない、侯爵家のまっさらな未婚の令嬢が、服の上からならどこでも触らせてくれるとか、唇以外ならどこでも舐めてもキスしても「友達の挨拶」だと思ってるとか、頭が足りなすぎて不安になるほどだったが、当時の俺達にとっては貴重な存在だった。
最後までできなくても裸に剥けなくても、商売女や中古な未亡人とは満足度が違うのだ。
高貴な血筋の処女が、婚約者もいるのに俺達に身を任せている。滾るじゃないか。
だから、俺自身の身を滅ぼさない範囲でなら「お願い」を聞いてやった。
我が公爵家を大幅に超えていない程度の財力の爵位の低い貴族の息子達を青褪めさせるのは愉快だったからな。
ルーカスに近付いた女生徒本人への攻撃は王子達に任せて、俺は女生徒の兄弟を追い落として「君のせいでお兄さん(弟)大変だね」とやってやったのだ。
攻撃する相手の家は慎重に選んだ俺に抜かりは無い。
俺は、国内貴族最高の財力を誇るディライア伯爵家に目を付けられるような間抜けな真似はしていない。
その筈、なんだが。
どうにも今日の夜会は居心地が悪い。
噂のせいだけではない。過去の夜会で慣れた風景を思い起こすと、何か違和感を覚えるのだ。
人集りの向こうで歓声が上がる。
多くの貴族に媚びるように囲まれているのは、近年頭角を現したレトール伯爵家の新当主だ。
レトール家は海辺の領地を細々と運営する冴えない伯爵家だったが、今の当主が親から研究を引き継いだ真珠の養殖業を成功させ、海を超えた大陸の強国、嶺雲帝国と交流を持つようになった。
そして帝国の商船団に同乗して来た第七皇女の珠禮姫に見初められ、熱烈なアプローチを受けて結婚した。
国内では伯爵位ながら、海の向こうの大陸の強国の姫を輿入れさせたことで、血筋を尊ぶ建国以来の国内高位貴族らからも一目を置かれ、交流を持ちたがる家は跡を絶たない。
何重にもなった人波の隙間から、地味な容姿の若きレトール伯爵が見える。
その隣には、一目で異国人と分かる色合いの絶世の美女。輝く純白の髪に大きな黄金の瞳、大柄で妖艶な体つきを露出度の高い異国のドレスに包み、装飾品はどれも見事な真珠。
──俺も、ああいう妻が欲しかった。
妻は俺と同じ公爵家の生まれで血筋は確かだが、帝国の姫君とは比べるべくもない。
取り立てて欠点も無いが、突出した美点も無い。
国内の貴族令嬢の中では三本の指に入る美人と言われていたが、絶世の美女というわけではない。
無難に常識が身に付いているから、初夜まではエスコートとダンス以外で指一本俺にさえ触れさせなかった。
性欲の旺盛な思春期の男に無謀な忍耐を強いる融通の利かなさが可愛くない女だと思っていた。
アンネローゼは頭が足りない分、素直で可愛かった。アレを正妻になど絶対に御免だが。
ぼんやりと見つめた先に居た異国の絶世の美女が段々と大きくなってくる。
いや、馬鹿な。大きくなるわけがない。こちらに向かって近づいてきているだけだ。
「ご機嫌いかが?」
「天上の至宝と見紛う麗しき美姫と声を交わせる幸運に舞い上がっておりますよ。お手を取らせていただいても? マダム」
「どうぞ」
ふっくらした唇から流れるように発せられる声も官能的で男を酔わせる。
手を取り指先に口付けを落とす挨拶をすれば、この国では滅多に手に入らない最高級の香料、麝香の匂いがした。
「私、主人から貴方のお話を聞いて、是非個人的にお礼が申し上げたくて今日の夜会に来ましたの」
お礼? 何のことだか分からんが、運が向いてきた。
黄金の瞳には誘うような熱が籠もっている。地味なレトール伯爵は向こうで有象無象の貴族らに囲まれている。
これは、好機だろう。
「おや、心当たりはありませんが、嶺雲帝国のお話を伺いたいと前々から願っていたのですよ。どうです? ゆっくりお話できるところへ」
意味ありげな視線で誘いかけると紅を濃く塗った唇が蠱惑的に吊り上がった。
エスコートしろと片手を差し出される。
成功だ。
珠禮の手を取り、広間を出て休憩室に向かう途中、すれ違いざまに妻が広げた扇の影から「またですの?」などとほざいて来たが黙殺した。
妻がいつも以上につまらない女に見えた。
空いている休憩室の一つに珠禮と二人きりで入り鍵をかける。
部屋に用意されているグラスに強めの酒を選んで注ぎ、隣り合って長椅子に腰を下ろした珠禮に一つ渡した。
「素晴らしい夜の出逢いに乾杯」
俺が先にグラスに口をつけてみると、さして警戒した風もなく珠禮も口をつけた。
「この国の言葉にマだ慣れてなイのです。聞き苦しいデしょう。ごめんなサい」
「大丈夫。どうぞ俺の前ではリラックスしてください」
「マぁ嬉しイ」
余裕のある態度を見せてやれば邪気の無い笑顔を向けられる。
これは、もらったな。
「俺のことはご存知のようですが」
一応人違いだったと逃げられないために、まだ名乗りはしない。
「ええ。ヒューイット様とお呼ビしテも?」
人違いではなかった。よし!
「勿論。では貴女は俺の夜の女神とでも?」
「マぁ、そンな。どうか荊月と。本当の私ヲ知る者だけが呼ブ名デす」
「ケイゲツ、ですか」
嶺雲帝国の言葉は難解で、確か独特の文字一文字ごとに意味があると言うが。
「マぁ、お上手」
意味は分からんが、喜ばれているなら間違いではないのだろう。
「ケイゲツ」
良い雰囲気だと感じ、親しみを込めて名を呼び肩を抱き寄せると下半身に冷たい感触。
「きゃあ、ごめんなサい」
どうやら急に抱き寄せられて驚いてグラスを傾けてしまったらしい。
取り出した最高級品であろうハンカチで溢した酒を拭おうとした手を握り、俺は甘く囁いた。
「どうせだから脱いでしまおう。それから拭いてくれ」
迷う隙を与えないように手を握ったまま一緒に立ち上がらせて、そのまま手を引き寝台へ向かった。
休憩室の用途など、第一はこれなんだ。二人きりで休憩室へ連れ込まれて「その気は無かった」は通じない。
俺が寝台の上で下を脱いで目線で促すと、ケイゲツは恥ずかしそうに目を逸らしながらハンカチを俺の下半身に当てた。
ああ、いいな。久しぶりに滾る。
「ツッ」
「え? あ、ごめんなサい」
目を逸らしながら拭いていたことで、ケイゲツの整えられ綺麗に彩られた長い爪が太腿の柔らかい部分の皮膚に擦ったようだ。
「いや、構わないよ。でも、ここからは恥ずかしがらずによく見て拭いてくれ」
「はイ。デも、拭いテいたラ間に合わナくなりマすヨ」
「は?」
間に合わなくなる? 酒を溢したシミのことだろうか。そんなもの使用人の仕事なのだから考える必要は無いだろうに。
「構わない。続けてくれ」
「マぁ、豪胆な方」
服のシミくらい、落ちなくても新しいものを買えばいいんだ。
この程度で豪胆などと、レトール伯爵はケチなのかもしれないな。真珠の養殖業に成功するまで大したことのない領地だったのだ。金の使い方も知らないのかもしれない。
「デすが、簡単に死なれテも面白くナいのデ、解毒薬は差シ上げマすね」
──は?
今、何と言った? 解毒薬? 簡単に死なれても・・・?
「俺に毒を盛ったのか⁉」
飛び起きてケイゲツから距離を取ると、熱の籠もった黄金の瞳を愉しげに細めて肯定された。
「私、お礼に来タと言っタ。お前、私の最愛の将来ヲ過去に潰しタ。だから私と結婚デきタ」
将来を潰した? どれだ? どれのことだ?
学院時代、面白半分でアンネローゼに請われるままに女生徒の兄弟に脅しをかけたり足を引っ張る真似は確かにやっていた。
我が家の権力は王宮内では有効だから、採用が決まっていた文官を何人か不採用にさせたことはある。騎士団の採用にも口を挟んだり危険な地方に飛ばすように指示を出したりもしたが、レトール伯爵の体格を見れば志望は文官だろう。
卒業直前で採用を覆された男子生徒の何人かは婚約を破棄されたという噂は聞こえていた。
だが、それがどうした。その程度で将来を潰したとは大袈裟だ。
それに今は大成功を収めているというのに毒など盛られる意味がわからない。
「誤解しナいデ。復讐ジャなイ。お礼。私、善意シか無イ」
「毒を盛っておいて何を!」
「そノ毒、放置スれば穴とイう穴カら血ヲ噴イて悶え苦しンで死ぬ。デも、解毒スれば人間ニは知り得なイ神の快楽ヲ体験デきる」
何だ、その奇天烈な毒は。聞いたこともない。どうせ脅しだろうが。
「信じナいなら頭の天辺かラ血ヲ噴き始めルだけ。この国に無イ毒ダから、解毒薬コレだケ」
「寄越せ!」
「イいケど、飲んデも効かナいヨ。ソレしか無イかラ無駄にスると死ぬヨ」
今まさに蓋を開けて中身を飲もうとしていた小瓶を慌てて戻す。
「ソレ、直腸かラじゃなイと吸収しナい」
この俺に、公爵家嫡男であるこの俺に、尻から薬を入れろと言うのか⁉
「吸収でキるの、直腸の奥かラだけ。精液と混ぜナいト効果無イ」
「はあっ⁉」
何を言っているんだこの女は⁉
直腸の奥に精液と混ぜて入れろだと⁉
正気か⁉
嘘だ。嘘に決まっている!
そんな巫山戯た毒があってたまるか!
「信ジる信ジない自由。解毒、間に合わナい、死ヌだけ」
タラリと顔を何かが流れる。無意識に拭った手を見てギョッとした。
「血っ⁉」
「始マったネ」
「お前、帝国の姫じゃないのか⁉ 何者だ⁉」
「私、嶺雲帝国第七皇女珠禮。皇族の内、家族ヲ守る力ヲ鍛えタ者は『荊』の字ヲ、殺人許可ヲ持つ者は『月』の字ヲ隠名とシて皇帝ヨり与えらレる。私は『荊月』ト名乗っタ。警戒しナい貴様が間抜ケ」
巫山戯るなと怒鳴りつけたい。だが頭の天辺から始まった出血は、俺の精神を甚振るかのようにゆっくりと下に範囲を広げて来ている。
「モう、用、済んダ。私、戻ル」
小瓶を手に逡巡している俺に黄金の瞳から熱を消して踵を返し、出ていく扉の手前で女は振り返った。
「あ、精液は人間ジャなくテも良いヨ。空気に触レると効果無イけド」
何だその情報。俺にどうしろって言うんだ。
女は扉の外へ消えた。
寝台の上、焦るが決心がつかない俺。
どうしたらいいんだ。どうしたら。
俺、死ぬのか?
俺、殺されるような悪事を働いたことなんか無いよな?
な?
自分では大きな悪事と感じなくても、権力者が面白半分で他人の人生に干渉すれば後々大事になることもあるでしょう。
ヒューイットは誰も殺しても傷つけてもいないのに何故、と思っていますが、王宮文官のような狭き門のエリート職を努力と実力で勝ち取った青年を就職直前で無職に追い落として婚約者も失わせることは、相当に悪質で残酷です。
王宮騎士団の採用取り消しも同様だし、面白半分で適性も調べず危険な任務地に飛ばすのは殺人行為に等しいかと。