休憩『被害者の会』
「被害者の会」会合の様子です。
個人の視点ではありません。
暴力被害者の描写が出てきます。ご注意ください。
その日、王都商業地域、歓楽街の一角にある『菫亭』には夕暮れ時から気合の入ったご婦人方が続々と集まっていた。
酒と料理とマスターの軽妙なトーク、そして美人ママがいると評判の人気店は、今日は貸切の札が扉に掛けられている。
空が夕暮れから黄昏に変わる頃、店の中では賑々しくグラスが掲げられていた。
「我らが最推しルーカス様の幸せな婚約を祝して乾パーイ!」
「乾パーイ!」
「我ら『被害者の会』宿敵王子二名の王族籍剥奪と王都追放を祝して乾杯っ!」
「乾杯っ!」
声が漏れたらウッカリ不敬罪になりそうな音頭だが、貴族向けではないものの高級店の部類である『菫亭』は店の造りもしっかりしていて防音に問題は無い。
「いやー、ほんっと良かったよねー。ルーカス様が幸せになれるって、もう嬉しくて涙止まらない!」
「ほんとほんと! アンネローゼ様との結婚の時の会合はお通夜みたいだったよね」
「いや、だって不幸確定な結婚だって誰もが思ってたじゃない」
「思ってなかったのルーカス様ご本人だけだったと思う」
「いや、アンネローゼ様もわたくしと結婚できるルーカス様は幸せな人ね、とか本気で思ってたよ」
ご婦人方が一斉に死んだ魚のような目になる。
「サラサさんなら安心よねー。学年で唯一人、努力の天才ルーカス様と首席を競い合って不動の二位。ルーカス様のご実家の資産を当てにする必要のない国内トップの大富豪の跡取り一人娘。この婚約が政略によるものだとしても、ルーカス様が一方的に搾取されるようなことはありませんわ」
「そうね。サラサさんは頭も良いけど気持ちの良い方だったし、とても面倒見の良い方だったわ」
「この『被害者の会』でもサラサさんに救われた人は多いわよね」
店内に少ししんみりした空気が流れる。
「アンネローゼ様の『お願い』を聞いた高い身分の男性達による暴力行為で外出が怖くなって引きこもってしまったご令嬢達に、私費で護衛をつけてくださったり」
「ええ。学院に顔を出す勇気が持てず休学する方達にはリオネル商会の口利きで安く優秀な家庭教師を派遣してくださったり」
「怪我をしたり、心的外傷で眠れない食べられないという方々にはお見舞いを送ってくださったり、カウンセラーの往診もお世話してくれたそうよ」
「それに、何と言っても」
一人のご婦人がグラスを握りしめて力強く発すると、他のご婦人方も力強くウンウンと頷く。
「破談になった婚約の代わりに良いご縁を紹介してくださったり!」
「ええ、ええ、本当に!」
「私、今の夫と結婚できて本当に良かったわ」
「私もよ。気持ちは分かるけれど、傷ついてボロボロ状態の婚約者に『汚い』とか『傷物』だなんて暴言を吐いて捨てるような男、こっちから願い下げだもの」
「ほんと、それよねー。今時、爵位だけでご飯が食べられるかって話よ」
「そうそう。ディライア伯爵家かレトール伯爵家くらい羽振りが良ければ下に見られても耐えなくもないけどね」
「でも、ディライア伯爵家やレトール伯爵家の方達って、そういうことしなそうよね」
全員が高速首振り人形のように激しく頷いている。
「元から人間を大切にして健全な経営を続けていたお家柄の方は、被害に遭った婚約者と寄り添い続けてゴールインしてますものね」
「私達『被害者』をゴミのように捨てたお家って、傾き始めてますもの」
「あのまま結婚していたら、私こんなに幸せな気持ちで生きてはいないわね。きっと今みたいに質の高い物を身に着けることも美味しいものを食べることもできていないわ」
「本当に、サラサさんに足を向けて寝られませんわ」
しみじみと頷き合ったところで、評判の美人ママがメインディッシュを運んできた。
「わぁ! 美味しそう!」
「素敵!」
「ねぇ、ヴィオラもそろそろ座ったら? 貴女だって我が会のメンバーなんだから」
「ふふ。そうね。あなた、いいかしら?」
ゆったりと色気の滲む仕草でカウンターを振り向き、マスターに首を傾げる美しい女性。
にこやかに指でOKサインを作って片目を瞑るマスターに微笑んで椅子に腰を下ろす。
「王族籍を剥奪の上、王都から追放か。驕れる者は久しからず、よね」
「まぁ、いつか問題は表面化すると思っていたわ」
「そうよね。十代の頃にお金で解決した問題もいくつかあったのは知っているけど、王族どころか貴族男性としても、あまりにお粗末だわ」
「ハロルド王子の方は、商売女だと思って関係を持ったら人妻だったとか、誘われたから手を出したら未成年だったとか、ハニートラップに弱すぎてマズ過ぎよ。いつ国際問題を起こすか国民としてヒヤヒヤしてたわ」
「クラウス王子は高級娼館で娼婦への暴力を何度かやって出入り禁止になって、普通の娼館でも暴力沙汰を起こして、陛下から全ての娼館への出入りを禁止されたという噂でしたわ。王子とは思えない所業よね」
「お金で解決したから事実を隠蔽できた、揉み消せたと思っていたみたいだけど」
「人の口に戸は立てられないわよねー」
「悪事千里を走るとも言うわねー」
きゃらきゃらと楽しそうに笑い声を立てるご婦人方をニコニコとカウンターから眺めるマスター。
「そう言えば、ヴィオラ。この前、安全祈願の御守り作ってたけど、誰か遠くへ行く用事でもあったの?」
「ええ。父がしばらく遠方へ出張だと言っていたから」
「遠方? お父様、王宮勤めだったわよね」
「ええ。法務局の文官なのだけど、調査で今までも出張に出ることはあったから」
「あ・・・ごめんなさい・・・」
「やだ! 違うの! 気にしないで。あの事件の時も父が出張で不在だったけど、私はもう完璧に乗り越えたし、それに今、とっても幸せなのよ?」
困ったように眉を下げるヴィオラの肩に、カウンターから出てきたマスターがそっと手を置く。その手を辿るように夫の顔を見上げ、幸せを体現するように微笑むヴィオラ。
「うん。そうよね。良かった、本当に良かったわ。一番被害が酷かった貴女が素晴らしい男性に巡り会えて、幸せでいてくれて、私達本当に嬉しい」
涙ながらに頷き合うご婦人達。
しばし鼻をすする音と目元を押さえる色とりどりのハンカチが場の主役となった。
「でも、これでもう二度と顔を合わせる心配は無いわね」
「ええ。あの時は、・・・あのクソ野郎を殺してやりたいと思ったわ。でも、お見舞いに来てくれたサラサが、ゴミ野郎と同じところに落ちる必要はない、必ずヴィオラは幸せになれる、って言ってくれたの」
「ヴィオラは学院入学前からサラサさんとお友達でしたものね」
「ええ。私の実家の領地にリオネル商会の支店があって、子供の頃そこで支店修行していたサラサとは毎日のように会ってお喋りしていたわ。大好きな幼馴染みで親友よ」
「その親友が『最高にイイ男よ』って太鼓判を押してオススメしてくれたのがマスターなんでしょ?」
からかうように言われて照れ笑いのヴィオラと、微笑ましげに優しく目を細めてそれを見下ろすマスターは、本当に似合いの夫婦だ。
ご婦人方の涙も止まり、愛しい妻が明るく笑って料理を取り分けるのを見守ってから、マスターは「裏から追加のワインを持ってくるよ」と言って側を離れた。
カウンターの中に入り、厨房の奥から裏口を出た路地の闇に、溶け込むかつての同僚が待っていた。
「お嬢から首尾は上々と。義父殿も無事だ。手折られた菫は今日も綺麗に咲いているか気にかけておられる」
「俺が愛を注いでいる菫が再び散ることはない」
「お前、こっちの仕事に戻る気無いならその殺気しまえよ」
「悪い。──当時を思い出した」
黒ずくめの男がマスターに煙草を差し出す。受け取って銜えると、男は自分も銜えて互いの煙草に火を点けた。
「ありゃあ、やるせねぇ事件だったよな。父親が地方出張で不在、母親は病気療養で領地、兄は他国に留学。王都のタウンハウスに頼れる家族が誰もいない、そんな時に学院の帰り道で馬車に引きずり込まれて、だもんな」
「俺が、あの日非番でなければ──」
「お嬢がこっそり親友に付けてた影ん中で一番の手練れ、だもんな。けど、あの頃お前の非番が増やされてたのは仕方ねぇだろ。影から守る護衛対象を、しかも婚約者がいる貴族令嬢を、愛しちまった野郎を側に付けておけるかよ」
沈黙の中を紫煙がゆっくり昇っていく。
「連絡も無く学院を休んだ親友を心配して見舞いに行ったお嬢の表に出さねぇブチ切れ様は、今でも夢に見るぐれぇ恐ろしかったぜ。あの日のお嬢の護衛は俺だったんだ。だから──ボロボロの菫を俺も見た。アレ見たのお前だったら、速攻王族暗殺仕掛けに行っただろうな」
「──だから、俺は国外の買付け護衛を命じられてたんだろ。お嬢が、最悪の事態を想定して」
「だろうな。医者に診せて『未挿入なら強姦として立件できない』なんて言われたの聞いてたら、お前医者までブチ殺しそうだもんな。妙な法だよな。ソレだけやんなきゃ、服斬り裂かれて全身打撲で顔ボコボコに腫れて血塗れで髪引っこ抜かれててても、『強姦罪』になんねぇんだもんな」
短くなってきた煙草の最後の一服を深く肺まで入れて溜め息のように吐き出し、陰惨な獣のような眼光を今の日常に適った明るい光を湛えるお茶目な目付きに整えて、マスターは木箱から赤ワインの瓶を何本か取り出した。
「復讐は義父殿に任せるさ。──あの事件で亡くなったのは、彼の妻だ」
「だな。発作的に自我も無いまま自殺を繰り返す菫は、お嬢がずっと保護していた。その時、口止めを忘れていたことで使用人から菫の身に起きたことを知った母親は、弱っていた身体に耐え切れないショックでそのまま儚くなった。砦送りになった第三王子は普通に殺してもらえねぇだろう」
「当然だ」
「ん。物騒な台詞を口にしても殺気は出なくなったな。もう戻っても大丈夫じゃねぇか?」
以前よりも食えなくなった同僚に苦笑を洩らし片手を上げると、マスターは賑やかな店内に戻った。
「年代別に何本か見繕ってみたよ。お好みは?」
「わぁ、これベリア地方の当たり年のじゃない!」
「え、すごい! 今もう手に入らないって聞いたわよ」
「さすがね、『菫亭』は」
「妻の喜ぶものを仕入れると、お客様のウケもいいんですよ」
にっこりと惚気るマスターに、夫婦を冷やかす歓声が上がる。
照れながらも嬉しそうに夫に寄り添う美しい妻の頬に、間接照明の淡い光が化粧の下の傷を薄っすらと浮かび上がらせた。
だがそれがヴィオラの美しさを損なうことはなく、憂いなど何一つ無いと愛する夫と視線を交わす大人の女の余裕は、同性の旧友達をも魅了するのだ。
加害者側は「大したことしてない」と記憶改竄する典型のようなクラウス元王子。
「被害者の会」のメンバーは、休学分遅れのあった人もいましたが全員無事に学院を卒業し、元の恋人や婚約者と破局や破談になったお嬢さんも、むしろもっと将来性の高い男性と縁を結べたりして、結婚の意思があった女性は現在皆さん人妻です。
ヴィオラはリオネル商会の一人娘の親友ゆえにこっそり護衛が付いていましたが、見守る内に対象に惚れてしまった一番腕の立つ影を非番で頭を冷やさせてる間に被害に遭いました。
婚約破談になったヴィオラを表の職に就いて妻にしたいと主に願い出た影は、ヴィオラの療養が終わるまでに表での地位を確立したらチャンスをやると言われ、『菫亭』をオープンから一年未満で王都の人気有名店として成功させて引き合わせてもらいました。
砦に監視官の長として「出張」していたのはヴィオラの父親です。
ヴィオラは過去を乗り越えられましたが、父親は未だ深く病んでいます。回復は難しいでしょう。
マスターの過去や本性をヴィオラは知りません。