【短編版】悪役令嬢はネガティブに生きる
ノックの音がした。
「失礼します」
入ってきたのは、2年生の相沢由香だ。
ここは都内の某高校の保健室で、私は養護教諭として働いている。
2年生の相沢さんは1年生の時にいじめを受けて、一時期登校拒否になっていた。最近ようやく学校に来られるようになったが、やはり教室にいると辛い記憶が甦るらしく、毎日のように保健室にやって来る。
私自身、中学生の頃酷いいじめを受けた経験があるので、彼女の気持ちは痛いほどわかる。生涯に渡って、傷が完全に癒えることはない、と思う。
彼女は保健室が一番ホッとすると言っていたので、せめて保健室にいる間はリラックスできる空間を作りたいと思った。
校長も『彼女のためなら多少の便宜を図ってくれて構わない』と。
なので、彼女が来るといそいそとお茶を入れて、美味しいスイーツを食べながらお喋りすることが日課となっている。
相沢さんも私と話す時は楽しそうで、好きな小説や乙女ゲームの話をよくしてくれた。彼女が最近ハマっているゲームは『ラブ☆キューピッド』(略して『ラブキュー』)で、攻略対象だの、ヒロインだの、悪役令嬢だの、乙女ゲームを全くしたことがない私でも知識だけはしっかり身についた。
そんなある日、相沢さんがクラスで乙ゲー仲間が出来たと嬉しそうに報告してくれた。
初めて彼女の照れくさそうな、でも朗らかな笑顔が見られて、私まで嬉しくなった。
*****
もう私の役割は終わりかな……。
仕事が終わり、帰宅途中にふとそんなことを考える。
相沢さんは世話になったと物凄く感謝してくれた。私が何かしたわけじゃない。相沢さんが頑張ったから友達ができたんだよね。本当に良かった。
まぁ、私なんかがいつまでも彼女の傍にいて、いいことなんてない。必要なくなったら私はすぐに消えるから……って、彼女に気を遣わせずに伝える言い方はあるかしら?
彼女は真面目な子だから、私に対して罪悪感を覚えてしまうかもしれない。
私のことなんて全然気にする必要ないのに。
……なんてことをぼーっと考えていて、注意力が散漫になっていたんだと思う。歩道にトラックが突っ込んできたことにまったく気づかず、私はそのまま轢かれて死んでしまった。
私なんかを轢いたせいで罪に問われるなんて、トラックのドライバーさんが可哀想……。
それが最後の記憶だった。
*****
目が覚めた時、目に飛び込んできたのは超絶美形男女の満面の笑顔だった。
「ああ、ソフィアが目を開けたわ!なんて愛らしいのかしら! 貴方そっくりの緑色の瞳がとても綺麗……」
「真っ白なプラチナブロンドは君譲りだよ。将来、物凄い美女になるだろうな。可愛いソフィア……」
私は自分が前世の記憶を持ったまま、どこかの異世界の貴族令嬢に転生したことを理解した。
相沢さんから異世界転生系ラノベの話も沢山聞いていたおかげで、大きく混乱することもなく現実を受け入れることができた。
まぁ、こんなこともあるよね。でも、私なんかを娘に持ってこの美形夫婦は気の毒に……。
体は赤ん坊でも意識は前世のアラサーのままだったので、私は周囲を観察し、自分が置かれている環境を把握するように努めた。
その結果分かったのは自分がソフィア・ブロンテ公爵令嬢だということ。
両親は社会的地位が非常に高く、更に裕福で仲睦まじく、大変恵まれた家庭に生まれた、ということである。兄弟姉妹はいないらしい。
前世との落差が凄まじいなぁ~。
私の前世の家族は、お世辞にも良い人達とは言えなかった。
でも、おかげで(?)現実に過大な期待を抱かないことや、最悪の事態が起こっても当然という心構えができたと思う。
ソフィアとしての人生は順調過ぎて、強い不安に陥ることがあった。
話がうますぎる。
これは詐欺ではないのか?
朝から綺麗な服を着て、「おはよう。愛してる」なんてチュッとおでこにキスされて、アツアツホカホカの美味しい朝食がテーブルに並んでいて、家族全員で食事をするのだ。
こんなの現実ではありえない。
もしかしたら、私は夢を見ているのではないか?騙されているのではないか?としょっちゅう疑っていた。
私なんかにこんなに幸せな人生がもたらされることがあるだろうか?
いや、ない……はずだ。
私の専属侍女はマリアと言って、若いがしっかり者でとても大切に扱ってくれる。
誰も私に嫌がらせしないし、家族だけでなく屋敷の使用人もみんなとても親切にしてくれる。
こういうのは自惚れが過ぎるし、口にするのも非常に気が引けるが……もしかしたら、私は周囲の人々から好かれているのかもしれない、と思うことすらある。
こんな私が今まで人から好かれることがあったろうか?
いや、ない。
だから、勘違いだと思う……のだが、その勘違いを正してもらう機会もないまま、私は健やかに成長していった。
*****
私が10歳になった時、お父さまは笑顔で言った。
「明日は一緒に王宮に行ってみよう」
声を掛けられて、私は意味が良く分からないながらもコクリと頷いた。
王宮って、王様が住んでいるところよね?
「王太子殿下はソフィアと同じ年なんだ。生まれた時期も近くてね。良い友達になれるんじゃないかって、国王陛下が仰って下さったんだよ」
この国のアビントン国王は、いかにも武人といういかつい顔をしている。国王の絵姿は屋敷にも飾ってあるので、私も知っている。国王は10年前に前の正妃を産褥で亡くした。気の毒に王太子を産んですぐに亡くなったそうだ。
その後、側妃が正妃になったそうだが、彼女にも第二王子となる息子がいて、自分の子供を王太子にするために謀を画策しているという噂だ。王宮は王太子派と王妃・第二王子派に分断されている状況だという。
私は本棚からアビントン王族関連の文献を取り出してページを捲り始めた。王太子の絵姿のページでふと手を止める。
黒い髪に黒い瞳。いつ描かれたのか分からないが、まだ5歳くらいの時の絵姿じゃないかな? 顔立ちは端整で可愛らしいのに、とても痩せていて……こう言っちゃなんだけど、風でも吹いたらポキリと折れてしまいそうだ。もっと天真爛漫でいるべき年齢なのに……。絵姿でも昏い表情が伝わって来る。
王太子の名前はレオポルド・アビントンと書いてある。
名前を聞いて『あれ?』と思った。どこかで確かに聞いたことがある。
そう言えば、自分のソフィア・ブロンテという名前にも聞き覚えがあったんだよな。
……絶対に知っている名前のはずだ。
うんうん唸ること数十分。私はついに思い出した。
ここは相沢さんが好きだった乙女ゲーム『ラブ☆キューピッド』(略して『ラブキュー』)の世界だ。
レオポルド・アビントン王太子は当然攻略対象で、魔法学院に入学すると同時にヒロインとドラマチックに出会う予定だ。そう、この世界では15歳になったら魔法を学ぶための学校に通うことになる。
そして、嫉妬に狂いヒロインに犯罪まがいの嫌がらせをして、最後は断罪され処刑される王太子の婚約者、悪役令嬢は……ソフィア・ブロンテだった。
……ああ、やっぱりな。そんなうまい話がある訳ないと思ったんだ。
妙に納得してしまった。安堵と言い換えても良い。そうだよ。私なんかにハッピーエンドがおとずれるわけないじゃないか。
でも、私はもうお父さまやお母さま、屋敷の使用人のみんなが大好きになっていた。彼らに累が及ぶのは避けたい。
相沢さんから教えてもらった悪役令嬢モノの小説の知識によると、悪役令嬢の転生者が、例えば攻略対象との婚約を避けようとしても、ゲームの強制力なるものが働き、結局婚約してしまうことが多いという。
……うむ。なるほど。
もしかしたら、明日王宮に行くというのも、婚約の下準備みたいなものなのだろうか? 下見というか、値踏みされるのかもしれない。
国王や王太子が私を見てがっかりして、婚約回避というパターンもあるはずだよね。だって私が気に入られる訳ないし。
あるいは、政略的にどうしても婚約が避けられなかったとしても、入学前に婚約破棄して修道院に入ってしまえば、ヒロインに嫌がらせなんてできっこないと釈明が可能なはず。
ゲームの強制力があっても、悪役令嬢が生き残るラノベは数多くあると相沢さんが言っていた。多分、家族や使用人に迷惑を掛けないような生き方はどこかにあるはずだ。
私は世界の片隅(修道院)でひっそりと生きていられたら御の字だもの。
よし、取りあえず、明日王宮に行ってから考えよう。私は腹をくくった。
*****
王宮で紹介された王太子は、絵姿よりもずっと貧相に見えた。ガリガリの体で背も低い。表情は暗く、視線は常にオドオドと怯えているようだ。僅かに片足を引きずっているようにも見える。
国王は私と両親には笑顔で挨拶してくれたけど、自分の息子である王太子に対しては態度が冷たいような気がする。
更に冷たい態度があからさまなのは、国王の隣にいる王妃だ。憎悪の籠った蔑むような眼差しを王太子に向けている。
いくら継子だからと言って……。私は内心腹が立って仕方がなかった。
私も前世でこんな風に扱われたことがある。だから、それがどれだけ人間の心に癒えない傷をつけるのか、よく分かっている。
私は乙女ゲームのことなどすっかり忘れて、ただ、王太子の気持ちを考えて胸が痛んだ。
******
挨拶の後は中庭のオープンスペースで王太子と二人きりでお茶をすることになったが、彼は私の正面に座り黙って俯いている。
私が「良い天気ですね」とか「ご趣味は?」とか当たり障りのない話題を振っても、彼は何も答えず、ただ俯いているだけだった。
手持ち無沙汰の私は目の前の焼き菓子を頬張った。さすがに王宮。美味しい!
「殿下。美味しいですよ。殿下も召し上がったらいかがですか?」
試しに声を掛けてみると、途端に真っ蒼な顔になった。
「……あっ……いや、僕は……いらない」
明らかに栄養失調なのに、なんで食べないんだろう?
「でも、何か召し上がった方が宜しいですよ。お腹空いていらっしゃるんじゃありませんか?」
「い、いや……あ……いやお腹は空いていない」
そう言った瞬間に、彼のお腹がぐぐぅ~と鳴った。王太子の顔が真っ赤に染まる。
ほら、やっぱりお腹空いているのに。なんで食べないんだろう?
「……毒が……入っているかもしれないから……」
消え入るような小さな声で呟いた王太子は、顔を赤くしたまま深く項垂れた。
毒!?
驚いたが、王妃が王太子を排除しようと企んでいる噂は聞いたことがある。まさか子供相手に毒まで使うとは思っていなかったが……。
もしかしたら、こんなに痩せているのは毒が怖くて王宮で食事が出来ないから?!
そう考えたら猛烈に腹が立ってきた。
「……安全な食べ物が分からないから……毒で何度も死にそうになった。苦しくて……怖くて……」
小さな声でボソボソ話す王太子が可哀想でならなかった。
私は近くにあった焼き菓子を半分に割って、片方をむしゃむしゃと食べた。
「殿下、これは大丈夫そうですよ。もう片方をお召し上がりください」
差し出すと、王太子の目がまん丸に見開かれた。
彼は震える指で半分になった焼き菓子を受け取ると貪るように食べる。
良かった、食べてくれた。
話を聞くと、王妃は毒見役や王太子の侍従も追い出して、彼を孤立させているという。国王は多忙で王宮を留守にすることが多く、王子たちの処遇は完全に王妃に任されているらしい。
さすがに公爵令嬢を招いたお茶会で毒を入れることはないだろう、と思いつつも、残りのお菓子も全部半分に割って、一緒に食べた。王太子の瞳に微かに光が戻ってきたような気がする。
そうだよね。空腹はとにかく辛い。
王太子の食事には頻繁に毒が入っているので、毒を覚悟して食べるか、食べずに飢え死にするかしかない状態まで切羽詰まっているという。
「殿下、国王陛下に毒のことをお伝えした方が宜しいと思いますが……」
しかし、王太子は必死で首を横に振った。頼むから誰にも言わないで欲しいと懇願されて、私は戸惑った。
どうやら国王は強い息子が欲しかったらしく、王太子は父親が自分に失望していることを深く気に病んでいた。国王は王妃のことをまるで疑っていないし、毒のことも神経質だと一喝されるのが関の山だとブルブル震えているのを見て、強制することは出来ない。
「殿下、私は自邸で料理をすることが多いのです。私が作ったお料理なら毒の心配はありません。宜しければ、明日から毎日お食事をお届けしましょうか? 私が全部作って、お届けするのも責任をもって行いますから、毒の心配はありません」
余計なお世話とは思ったけど、まだ10歳の子供がこんな状況にあるのは許せない。
王太子は私の言葉を聞いて、心底驚いたようだった。
「なん……で、そんなことまでしてくれるの?」
「だって! 殿下はこのままだと死んでしまいます。そんな殿下を放っておけるわけないじゃありませんか!」
王太子の切れ長の瞳から涙がポロポロと溢れる。
「……あ、ありがとう……」
そう言いながら泣く王太子が気の毒で思わず椅子から立ち上がり、彼に近づいた。
驚いたのか、王太子が体の向きを変えた時に彼が痛そうに表情を歪めたことに気がついた。
「殿下……どこかお怪我なさっているのではありませんか?」
王太子の顔を覗き込むと、彼は瞬き一つせずに私の顔を見つめている。
「殿下……?」
「い、いや……すまない。つい……見惚れて……」
「はい?」
「なななんでもない!」
「それより殿下。どこか痛むところはおありではないですか?」
重ねて尋ねると、王太子は渋々ながら、足が痛むとズボンを捲って見せてくれた。足の脛とふくらはぎに大きな赤黒い痣が出来ている。誰かに暴行されているんだ……。子供相手になんてひどい。王宮の侍医も王妃に脅されて王太子の怪我の治療はしてくれないそうだ。
「殿下。少しじっとしていて下さいね」
幼い頃から治癒魔法を練習してきた。魔法の中でも一番役に立ちそうだったので、お父さまに頼んで治癒魔法の家庭教師をお願いしたこともある。おかげで、屋敷の使用人が怪我をした時には私が治癒魔法で直すのが習慣になっている。
私が手をかざすと、手から発せられる青白い光の粒子が怪我をしている部分に吸い込まれていく。ひんやりしてとても気持ちいいとマリアが言っていたけど、王太子はどうだろう?
痣はみるみる治り、王太子は驚きで声も出ないようだった。
「君は……すごいね……」
「殿下! それより、殿下には護衛騎士が必要です! 王太子殿下にこのような狼藉を働く者がこの王宮にいるなんて信じられません! どうか国王陛下にお話しになって下さい!」
私の剣幕に恐れ慄いた王太子から事情を聞くと、なんと彼に乱暴しているのは第二王子だという。異母兄弟の弟だが、体が大きくて粗暴らしい。だから、目撃者がいても誰も助けてくれない。国王は『自分の身は自分で守れるくらい強くなれ』というのが口癖だから、護衛騎士をつけて欲しいなどと言ったら、益々失望させてしまう。
「……情けないよね。弱虫だし、きっと君も僕に失望しただろう。こんな僕には生きる価値がないし、誰からも嫌われる邪魔者だから消えてしまいたいと思うこともあるんだ」
ああ、この子は相沢さんと一緒だ。自分には価値がないと思い込んでいる。絶対にそんなことないのに。子供にこんな台詞を言わせちゃいけない。
「殿下。国王陛下にお話しになる時に、護衛ではなくて、剣術を教えてくれる騎士をつけて欲しいと仰って下さい。常に一緒に行動して、騎士のように強くなりたいと仰れば、国王陛下も喜んで騎士をつけてくださるのではないでしょうか?」
王太子は私の言葉を聞いて、考え込んだ。
「それから、王太子殿下はとても勇敢でご立派な方だと思います。こんな過酷な状況でよく頑張ってこられました。無抵抗な人間に乱暴を働くのは、絶対に悪いことです。殿下には何一つ非はありません。乱暴する方が100%悪いんです。ですから、ご自身を卑下する必要などありません。それから、命の危険を感じたらまず逃げて下さい。逃げることは弱いことでも卑怯な行為でもありません。生存本能に忠実に、危機が迫った時に適切に逃げることは勇敢な行為です。できることがあれば、私もお手伝いいたします。ですから、危険が迫った時に逃げることを躊躇しないで下さい」
「逃げることが……勇敢? ……立派?」
王太子は私の言葉を熟考しているようだった。
私は自分の椅子に戻り、冷たくなった紅茶を一口飲んだ。彼は黙って考え込んでいる。
あれ……言い過ぎちゃったかな?
気まずいな、と思っていたら、王太子が私の方を見て微笑んだ。
うぉ! 元々美形だけに笑顔が眩しい。
初めて見る明るい表情に私も嬉しくて笑顔になった。
何故か顔を赤らめた王太子が私を熱心に見つめる。
「あの……君の名前はソフィア・ブロンテ公爵令嬢だよね? ソフィアって呼んでいい? 僕のことはレオって呼んでくれる?殿下って堅苦しいからさ」
「はい!」
私は大きく頷いた。
「それで、明日から毎日食事を届けてくれるんだよね? ソフィアが王宮に自由に出入りできるように父上にお願いしておくから。本当に大丈夫?」
ああ、そうだ。食事ね。私は前世でも料理は好きだったし、今世でも屋敷の厨房で料理人たちと一緒に料理をするのが趣味だ。
「喜んで!」
張り切って返事をすると、レオが楽しそうに笑い声をたてた。
*****
私は両親と一緒に王宮に来たけれど、彼らはまだ用事があるとかで、私は一人で自邸に戻った。勿論、護衛騎士は一緒だけど。
公爵令嬢の私にも護衛騎士は常に付いている。レオとお茶している時もちゃんと遠巻きに護衛してくれていた。王太子が護衛騎士もなく放置されて、栄養失調になるまで追い込まれたり、身体的に怪我を負わされたりしているなんて誰が想像できるだろうか?
確か、ゲームではそんな過酷な状況で育ってきた王太子レオの心の傷をヒロインが癒すという展開だった記憶がある。もしかしたらヒロインの邪魔をしてしまうのかもしれないが、あんな状態じゃあと5年なんて持たないよ。
ゲームの展開的に私がレオと婚約する可能性があるのかもしれないけど、話し合いで穏やかに解決することができるかもしれない。レオは話が分かりそうな人だったし。うん。
お父さまとお母さまは王宮から戻って来ると、私を抱き上げて嬉しそうにはしゃいでいた。
どうやら私が毎日王宮に通うことがレオから国王に伝えられ、それが何か誤解を招いたらしい。
……うーむ。やはりこれは婚約路線かな~。
でも、レオときちんとコミュニケーションを取っておけば、たとえ婚約したとしても断罪・処刑ルートは避けられる……と信じよう。私はいつでも婚約破棄を喜んで受け入れる、と強調しなくては。うん。
私は早速厨房に入り、料理長と一緒にレオの食事を話し合う。
両親には詳しいことは伝えず、私の手料理に興味があると言って貰えたので、食事をお届けすることになった、と言うに留めておいた。
料理長にはもう少し詳しい事情を説明した。彼は正義感が強く、子供も二人いる。10歳の王太子が毒殺されかかっていて、碌な食事も出来ていないことを伝えると、わなわなと怒りに身を震わせていた。
絶対に美味しいものをレオに食べさせて、肥えさせよう!という私達の情熱が一致した。
*****
翌日王宮のレオを訪ねると、彼の顔は傷だらけだった。
「レオ!? 何があったの? 大丈夫?」
驚いて駆け寄ると、何故か彼は得意気にニヤッと笑った。
話を聞くと、剣術を学ぶために騎士をつけて欲しいとお願いしたら、国王は大層喜んで早速若い騎士をつけてくれたらしい。
昨日からさんざんしごかれて傷だらけだ、という彼の表情は言葉と裏腹に生き生きとしている。
「治癒魔法かける?」
おそるおそる尋ねると、レオは悪戯っぽく笑った。
「頼む。実はそれを期待していた」
ようやく年相応の子供の顔つきになっている。
傷を治した後、用意してきた食事を出すとレオの目がキラキラと輝いた。
こってりした食事は栄養失調の体には辛いだろうから、消化が良くアッサリした食事を用意した。
根菜たっぷりのスープに焼きたてのパンを添えただけのシンプルなものだが、レオはあっという間に完食して目に涙をにじませた。
「こんなに美味しい食事は生まれて初めてだ」
「大袈裟ね」
私が笑うと真剣な顔で首を振る。
「いや、本当だ。ソフィアが作ったのか?」
「料理長にメニューの相談はしたけど、作ったのは全部私よ。だから、毒の心配は必要ないからね」
「あ、ありがとう……。こんなに親切にしてもらったのは初めてだ」
やっぱり大袈裟だなぁ。
「……ところで、あそこに立っている騎士が剣術の先生?」
私達は今日も中庭でお茶を飲んでいる。
少し離れたところに私の護衛騎士が立っているが、反対側にも若い騎士が立っていた。
私の視線を感じたのか、その若い騎士が近づいてきた。軽そうなイケメンだ。
「ブロンテ公爵令嬢のソフィア様ですか? どうも~、初めまして。俺は王太子殿下の剣技指導を拝命しましたノア・ブラウンと言います。いや~、噂通りの超絶美少女っすね。殿下のやる気が出たのもよく分かりますよ~!」
あ! ノア・ブラウン! 彼も攻略対象だ。
ヘーゼルアイに茶色の長髪。ちょっと軽いけど、国で最強と呼ばれる近衛騎士団の団長だ。
この頃はまだ団長にはなっていないのだろう。15~16歳……くらいかな?
確か、ソフィアが彼に殺されるルートがあったような気がする……。
ゾッとして顔を強張らせていると、レオが苛立ったように大声を出した。
「ノア! 余計なことを言うな! ソフィアに近づくな! 怯えているだろう!」
ノアは「お~、怖」と言いながら、元の場所に戻るとニヤニヤしながら私に向かってウインクした。
「あいつは……剣術の指導をしてくれて。確かに凄いんだ。強いし、逞しいし、顔も良いから、簡単に女性に近づくし……その……モテるんだ。ソフィアは……どう思った?」
「……私はあまりお近づきになりたくありません」
そう本音を言うと、レオの眉が意外そうに上がった。
「本当に!? ソフィアは変わっているなぁ」
「そうでしょうか?」
私は首を傾げた。
「僕が知る限り、みんなあいつと仲良くなりたがるんだ。あいつは人気者で、社交的だし、友達も多いから。それに比べて、僕は友達もいないし、つまらないし……」
「レオ。そんなこと気にする必要ありません。彼は『陽キャ』と呼ばれる種族です。社交的なリア充です」
「は!? ようきゃ……?」
「彼らは社交的で楽しそうに毎日過ごしています。それに対して私は典型的な『陰キャ』です。友達もいませんし、非社交的で人を楽しませるような会話も出来ません。しかし、だからと言って『陰キャ』が劣っているという訳ではないのです!単に属性が違うというだけです。優劣の問題ではありません。明るければいいのか? 友達が多ければいいのか? いいえ、そんなことはありません。私達には表層的ではない深い洞察力があるのです。人それぞれの個性を大切にすることができます。そして、人間関係以外で価値のあるものを見つけられるのです!」
「……え、えーと?」
「それなのにいかにも『陽キャ』の方がエライというような言動をする人がいます。『陰キャ』のことを暗いとかネガティブだとか社会性がないとか勝手なことを言う人がいるのです! その場の一時的な雰囲気で盛り上がるだけで『陽キャ』と呼ばれることができます。でも、敢えてそれをしない道を選んだんです!」
私は気がついたら両拳を握り締めて力説していたらしい。
いけない……つい前世からの想いが迸ってしまった。
私は前世ではずっと『陰キャ』の烙印を押されていた(涙)。確かに私はネガティブ思考だし、自己評価も低く、後ろ向きな人間だと思う。でも、それも個性だ。その個性を私は大切にしたい。
だから、レオにはノアに対して変な劣等感を抱いて欲しくなかった。
しかし、こんなおかしな言動をしてしまって呆れられたかも……。
恐る恐るレオを見ると、彼は何故か溢れんばかりの笑顔を浮かべている。
「ソフィア……。僕はソフィアと同じ『いんきゃ』ということなんだね?」
……失礼だったかしら?
曖昧に頷くと、レオは更に嬉しそうに私の手を握った。
「僕はノアと一緒よりも、ソフィアと一緒の方が嬉しい!」
「う、うん。ごめんなさい……変な話をしちゃって……」
「いや、僕は楽しいよ。もっとソフィアの話を聞きたい」
……レオは変わってるなぁ、と思いながらも、私達はその日も長い間話し込んだのだった。
*****
その後、ノアの厳しい指導のおかげで、レオは体力がつきメキメキと強くなっていった。更に、レオの食事に毒が頻繁に入っていることや、毒見役がいないことをノアが国王に報告してくれたらしく、ちゃんとした毒見役がつくようになった。
おかげでレオは王宮での食事がちゃんと摂れるようになった。
「じゃあ、もう私の食事は必要ないわね」
食後のデザートを差し出しながらレオに言うと、プリンを見て輝いていた彼の顔が目に見えて落胆に変わった。
「いや、僕はまだ続けて欲しいな。やっぱりソフィアの料理が一番美味しい。王宮の食事は何だか味気ないよ。毎日だと負担が大き過ぎるなら、せめて週に3-4日くらい来てくれたら嬉しい。その……ソフィアに会いたいし」
しょんぼりしたレオを見て、否と言える訳もない。それに私の料理が一番と言われて、嬉しくないはずがない。更に私は友達が一人もいない暇人だ。少しは他人のために働けと自分でも思う。
その後も週に3-4日は王宮に通いレオと一緒に過ごすうちに、気がついたら彼が受ける家庭教師からの講義も一緒に受けるようになっていた。レオが私と一緒に勉強したいと言うし、私も講義の内容に興味があり、王宮での時間はとても有意義なものになった。
レオと私はとても仲良くなり、彼は私といる時間が一番楽しいと言ってくれる。これはもしかしたら『親友』なんて呼んでもいいんじゃないか、なんて思う時もあった。
勿論、すぐに『そんな莫迦な。調子に乗っちゃいけない』と自分を戒めたけれど。
レオはあっという間に背が伸びて、私より頭一つ分くらい大きくなった。頑張って鍛えているので、肩幅の広いがっしりとした筋肉質の体になり、美少年然とした顔立ちも成長するにつれて、精悍で凛々しいと評されるのに相応しいものになった。
イケメンに成長したレオは、はっきり言って物凄くモテる。
ノアの話だと縁談も降るように集まってくるらしいが、レオは誰にも関心を示さないという。
*****
そうして私達は14歳になった。
レオとは相変わらず仲良しで、私は毎日のように王宮に通っている。
私(+私の護衛)がレオに引っ付いているし、ノアも一緒に居ることが多いので、レオが王妃に狙われて襲われることや、第二王子に虐待を受けることはほとんどなくなったそうだ。
レオがしみじみと呟いた。
「全部ソフィアとの出会いから始まったんだよな~」
今日はレオの部屋のソファに隣同士で座りながらお茶を頂いている。
「何が?」
「俺の生活は惨めなものだった。襲われても、毒を盛られても誰も助けてくれない。毎日お腹が空いて、怖くて、痛くて、辛くて、寂しくて……。でも、今は違う。強くなれたし、助けてくれる人も増えた。昔とは雲泥の差だ。全部ソフィアのおかげだ」
「それは違うよ。全部レオの努力の賜物なんだよ」
私達は最初の頃より気さくに喋れるようになって、レオは成長するにつれて『僕』が『俺』に変わった。『僕』呼び、可愛かったのにな~(しみじみ)。
「違う! ソフィアはいつもそうやって……褒めても、何を言っても、全然本気にしてくれないな」
「そうかな?」
「そうだよ! それにソフィアは俺との婚約も嫌がってるじゃないか!」
実は公爵家には何度かレオとの婚約の話が持ち込まれたことがある。
私を溺愛している両親は、私が嫌がる縁談は絶対に受けない。
将来捨てられるだけなら問題ないが、断罪・処刑の可能性がある道筋は家族のためにも選びたくない。なので、やんわりと気が進まない旨を伝えてきた。
でも、もしかしたらそれがレオには不服だったのだろうか?
レオが現時点で私に好意を持ってくれていたとしても、それは雛鳥が初めて親鳥を見た時の感覚と同じだと思う。刷り込みというか。
だから、将来本当に恋に落ちた時に、レオはきっと後悔すると思うのだ。
私達の間で婚約の話題が出たことはこれまで無かった。
ここはちゃんと説明しなくてはいけない。私はレオが嫌で婚約を断っているのではなく、レオがもっと素敵な女の子と恋に落ちる未来のために遠慮しているのだ。
レオの幸せを誰よりも願っているのは私だという自負はある。だから、きっと彼は分かってくれると思ったんだ。
しかし、レオは私の話を聞いて、顔面蒼白になって絶句した。なんだか頭を抱えている。
「……ソフィアは俺が将来お前以外の女に惚れると、そう思っているんだな?」
私は元気よく首を縦に振った。
「そうよ! そもそもレオの周りには年相応の令嬢方が少なすぎるのよ。私を見た後だったら、どんな令嬢でも魅力的に映るかもしれないけど、できるだけ大勢の令嬢を見て、その中で一番素敵な方を選んで欲しい!」
レオはまだ頭を抱えている。
「大勢の令嬢を見た後で、やっぱりソフィアがいい、となったら?」
「魅力的な令嬢方を見た後に、私なんかが良いと思うはずがありません! 大丈夫です!」
私が元気よく宣言すると、突然レオがガバっと起き上がって、私の手首を掴んだ。
「気に入らない!」
私はレオの言葉の意味が分からなかった。
「へ!? 何が?」
「『私なんか』って、しょっちゅう言うよな? 俺はそれが大嫌いだ。ソフィアは『私なんか』じゃない! もっと自分の価値を分かれよ! ソフィアを大事だと思ってるのは俺だけじゃない! そんな風に自分を卑下するな! 俺達が大切に思っているお前を侮辱しないでくれよ!」
レオの真剣な言葉を聞いて、私は天と地がひっくり返るかと思うくらいの衝撃を受けた。
自分を卑下することは、私を想ってくれている人達の気持ちを侮辱することなのか?
そう考えたら、レオの怒りもすんなり理解できた。
そしてレオが私を大切にしてくれていることも。
理解できたから、心から反省して自分が恥ずかしくなった。
あれ……? どうしよう。
自分の瞳に涙の膜が張るのを止められない。私の半べそ顔を見てレオが怯んだ。
ダメだ。泣いたら泣き落としみたいになっちゃう。
私は手の甲で両目をごしごしと擦った。
「は……あ、うん。そう……だね。レオの言う通りだ。ごめん。ごめんね」
レオが焦りまくっているのが感じられたが、涙を止めるのはとても難しかった。
その時いきなりレオが私を強く抱きしめた。
彼の胸の厚みと背中に回った腕の感触が心地よい。
「いいから。泣けよ。俺以外の男の前で泣くんじゃないなら……いつでも泣いていいから」
いつの間にか低くなったレオの声が耳に直接流し込まれる。
泣いていいんだ?
前世からずっと泣くのを我慢していた自分に気がついて、私は初めて自分の心を解放した。
レオにしがみついて号泣している間、彼はずっと優しく私の頭を撫でてくれた。
しばらく経って、ようやく私が落ち着くとレオは私の頬を両手で挟んで涙が乾いているのを確認した。
「ごめんね。取り乱して泣いちゃって……」
「いいよ。泣いているソフィアも可愛い。俺はソフィアの色んな表情が見たいから」
私を見つめるレオの表情がただただ優しくて、私はどんな顔をしていいのか分からなかった。
彼は手を叩いて侍女を呼ぶと、お茶を入れ替えるようお願いした。
熱いお茶を口に含んで、美味しい焼き菓子を食べると少し気持ちが落ち着く。ふぅ。
「レオ。ありがとう。レオは私にとって家族と同じくらい大切な人だよ。だから、レオの一番の幸せを願っているの。それは分かってくれる?」
「……それくらい大事な俺とどうして婚約したくないわけ?」
「えっと……だから、その、レオが私以外の女の子に恋した時に、それに耐えられそうにないの」
思わず、ずっと心の底に隠していた本音が零れてしまった。
そうだった。捨てられるのは大丈夫、なんて偉そうなことを言っていたが、実はそれが一番堪えられない……という事実からずっと目を背けていた。
私にはレオしかいない。レオと婚約した後に、彼が他の女の子(=ヒロイン)に心を移してしまったら、私はまた独りぼっちだ。
一度温もりを知ってしまった後の孤独に耐えられる自信が私にはなかった。だったら、最初から独りの方がいい。そうすれば、レオの友達としてのポジションはずっと維持できるだろう。
ああ、打算的だな……。自己嫌悪で地中に埋まりたくなる。
結局自分のことしか考えていないんだ。
ずーんと落ち込んでいると、レオは何故か嬉しそうに私の頭を撫でた。少し顔が赤らんでいる。
「……それってさ。結構熱烈な愛の告白じゃね?」
その言葉の意味を理解して顔が猛烈に熱くなった。
「あ、いや、その……」
口籠る私を見て、レオが楽しそうにクスクス笑った。
なんか……余裕綽々という感じで面白くない。
「でもさ、ソフィア。何か隠してるだろ? どうして将来俺が他の女に惚れるって思いこんでるわけ? 何か根拠があるんじゃないか?」
やっぱりレオに隠し事はできない。
「信じてもらえないかもしれないけど……」
私は前世の話から乙女ゲーム『ラブキュー』の話を全て打ち明けた。
レオは目をまん丸にしながら話を聞いていたが、私が話し終わると腕を組んで何かを考え込んでいる。
しばらくその姿勢のままだったが、ようやく顔を上げると真剣な表情で訊ねた。
「俺はソフィアの話を信じるよ。でも、俺がそのヒロインに惹かれるようになるとか、あり得ないんだけど。それでも、俺との婚約は嫌か?」
「……やっぱり、怖い……かも」
何しろ乙女ゲームの世界だ。何が起こるか分からない。
「そのヒロインとかって名前は分かるのか? この国の貴族令嬢なんだろう?」
レオの問いには簡単に答えられる。
『ラブキュー』の世界だと分かった時から、記憶の糸を手繰り相沢さんに教えてもらった知識をノートに記録するようにしていたから。
「ミア・ジョーンズ子爵令嬢……です」
「子爵令嬢ね……」
しばらく熟考した後、レオはあることを提案した。
*****
国王陛下主催の大舞踏会が開催されることになった。
アビントン王国の貴族は全員招待される大がかりな舞踏会で、レオポルド王太子が結婚相手と学友を探すための場になるという。
そのためデビュー前の子女も参加できる。当然ながらジョーンズ子爵家にも招待状は届けられ、特にご息女のミア嬢には是非参加して頂きたいという添え書きも付けたそうだ。
レオ曰く
「俺がヒロインを含む令嬢全員に会って、それでもソフィアと婚約したいと思ったら、それで安心できないか? 俺とヒロインは魔法学院に入学して運命的な出会いを果たすんだろう? その筋書きが狂ったらソフィアは安心できるんじゃないか?」
ということらしい。
確かにゲームの中でレオがミアに出会うのは魔法学院に入学した後だ。私達が魔法学院に入学するまでにはまだ1年ある。
今出会ってしまえば、入学後に運命的な出会いは難しくなるのかもしれない。
でも、私のためにそんな大掛かりな舞踏会を開いてもらうなんて……申し訳ない。
「それから……」
レオは大きく息を吸い込んだ。
「入学前に結婚しよう。そうすれば確実じゃないか? 王族は基本的に離婚が許されない。婚約とは重みが違う」
「え……?!」
私は言葉を失った。
「俺は本気だ。ソフィアがそれで安心するなら喜んで結婚する。とうにその覚悟はできてるよ。ソフィアのご両親は俺が説得する。だから、学院に入学する前に結婚しよう!」
「え……? だって、あと1年しかないのに……」
王族の結婚式には多くの準備が必要だ。何年も前から準備する場合もある。
「だから、結婚式の準備はすぐに始めたい。舞踏会で選んだ令嬢と入学前に結婚したいと言ったら、父上は了承してくれた。……ソフィアのことだと察していると思うけど」
レオは早口で捲し立てた。
「え!?私……のためにそんなこと。大変なご迷惑を王家にかけてしまうなんて」
『私なんか』と言いそうになって、慌てて言葉に気をつける。
「迷惑なんかじゃない。俺が! そうしたいんだ。ソフィアは? どうなんだ? 俺と結婚したくないのか? 俺のことが嫌いか?」
レオの切なそうな眼差しを目の当たりにして胸が疼いた。素直に気持ちを伝えよう。
「レオのことが好き……です。結婚したいです」
その時のレオの大きな笑顔は子供のように開けっぴろげで、喜びに満ちていた。
レオは私の頬に手を当てて、そっと親指で撫でる。
「俺もソフィアが好きだ。結婚して欲しい」
「私……でいいの?」
いけない、いけない。また『私なんか』と言いそうになった。
「ソフィアしか欲しくない。他の誰もいらない」
そう言いながら、レオは私を強く抱きしめた。
*****
国王主催の舞踏会は煌びやか過ぎて、地味な私は怖気づいてしまい会場に入るのも躊躇われた。
令嬢達の気合バッチリの豪華なドレスや孔雀の羽根のような髪飾りを見るだけで、物怖じしてしまう。
令嬢だけでなく、貴族の令息の方々も気合の入ったタキシードでキメている。
王太子のご学友も選ばれるというような謳い文句だったからなぁ。
要するに、アビントン王国内の若い貴族が一堂に会する大舞踏会なのである。知り合いも多いらしく、あちこちに輪が出来て、オホホ、ウフフなどという社交が繰り広げられている。
今日はお父さまにエスコートしてもらっている。さすがにレオにエスコートしてもらう訳にはいかない。
経験豊富なお父さまと一緒なので安心できるが、一応公爵なので声を掛けてくる人が多い。そして、当然私もちゃんと挨拶をしないといけない。
はぁぁ。社交が苦手のコミュ障なので、どう頑張っても挙動不審になってしまいそうで緊張する。
その時、お父さまが誰かに呼ばれた。何か緊急の仕事の話があるらしい。
お父さまは心配そうに私を見たけれど「大丈夫よ」と笑顔を見せると安心したように、私から離れていった。
しかし、お父さまが離れた途端、私は知らない男性たちに囲まれてしまった。
「ブロンテ公爵令嬢でいらっしゃいますね? 良かったら、あちらでお飲み物でもご一緒に……」
「今晩は私にエスコートさせて下さい」
「噂はかねがね伺っていましたが、想像よりずっと美しい」
いきなり色々なことを言われて、私は混乱した。
すみません! 一度に言われても分かりません! 一人ずつ話して下さい!
内心そう言って悲鳴をあげたくなるが、言葉が出てこない。もう逃げたい……。
そう思った時に、男性たちの間をスルリと抜けて私の隣に立ったのはノアだった。
「ソフィア、待たせてごめんね。皆さん、今夜は私が彼女をエスコートする役目を仰せつかっておりますので」
いつもの軽薄な印象はどこへやら、有無を言わさぬ強気な態度で周囲の男性陣を威圧すると、ノアは私の手を引いて、さりげなく人の少ない場所に連れていってくれた。
そうか、ノアは騎士として働いているけど、確か伯爵令息だった。やっぱりこういう場に来ると貴族としての振舞いは完璧だ。
「大丈夫? レオからソフィアを守るように言われて来たんだ。本当はレオ本人が来たかったんだろうけど、今彼は動けないからさ」
ノアの視線の方角を見ると、国王と王妃の隣にレオが立っていた。心配そうにこちらを見ている。ノアが軽く手を挙げると、レオは少し頷いて安堵したように微笑んだ。
レオが微笑むと近くにいた令嬢方からキャーと黄色い声があがる。
やっぱり、カッコいいな。令嬢はみんなレオに熱い視線を注いでいる。みんなの憧れの存在だ。
「妬ける? レオがモテるから?」
ノアに尋ねられて、正直にコクリと頷いた。思わず頬が熱くなる。
「……あ~、くそ!やっぱ可愛いな!」
ノアが意味不明な言葉と共に何か悶えている。
「ノア、口が悪いわよ。せっかくの美形が台無しよ」
「お!? 美形と思ってくれるの?」
「美形か美形じゃないかで言うと美形よね」
なんて話をしていたら、音楽が始まった。
ダンスが始まる。王太子は誰を最初のダンスに誘うのか?
舞踏会の全員の視線がレオに集まっていたと言っても過言ではない。
私もレオを見つめて、彼は誰を誘うのかなと考えていた。
綺麗な令嬢が集まっているし選り取り見取りだねと思った時、胸がチクンと痛んだ。
するとレオは早足でズンズン歩きだした。その歩みに迷いはまったく感じられない。
何処に行くんだろう?と思っていたら、レオは真っ直ぐ私のところに歩いてくる。
驚きで固まっている私の目の前で立ち止まると、レオは跪いて私の手を取った。
「ソフィア・ブロンテ公爵令嬢。私と最初のダンスを踊って頂けますか?」
「は、はははい」
予想外の出来事に私はガチガチに緊張していたが、貴族令嬢としてダンスは幼い頃から叩き込まれているし、レオとダンスの練習をしたこともある。
私達は滑らかに音楽に乗って踊りだした。
それに続いて多くの人々がダンスに参加し、色鮮やかなドレスが翻る舞踏会は益々華やかさを増した。
レオは眩しそうに私を見つめている。
「ソフィア、いつも可愛いけど、今日は一段と綺麗だ。ドレスも良く似合っている」
「嬉しい。レオにそう思われたくて今日は頑張った。レオもカッコいいよ。いつもカッコいいけど」
レオは嬉しそうにクスクス笑った。
「……それにしても、令嬢たちに取り囲まれるのは覚悟してたんだが、よく分からん貴族の息子たちまで俺の周囲に群がってくるんだ。ご学友候補とやらを狙っているようだが……。父上は俺に同性の友人が必要だと考えているらしい。だから、今回の舞踏会で友人を見つけるように言われているんだが……。令嬢たちのようにガツガツ来られると正直……怖い」
恨めしそうなレオの言葉に私は頷いた。
「よく分かるよ。友達を作るのは難しいよね。私も友達を作るのが苦手。恥ずかしながら……レオ以外には友達がいないの。」
「それを言ったら、俺も似たようなものだ。ソフィアと……せいぜいノアくらいかな」
「でも、レオは将来のことを考えると、立場上やっぱり友人はいた方がいいわよね。沢山は必要ないと思うの。ただ、レオが困った時に逃げないでちゃんと助けてくれるような人を選んでね」
「それが難しいんだよなぁ。みんな、俺に忠誠を誓うみたいな感じのことは言うんだけど、いざという時が来ないとそれが本当かどうか分からないじゃん?」
「そうね。じゃあ損得勘定でレオの近くにいると得しそうだから、という理由で近づいてくる人を振るい落とそう!」
「どうやって?」
「例えば、王太子の立場は狙われやすいから、一緒に居ると襲撃や毒殺に巻き込まれることがあるかもしれないとか、こっそり言ってみたら? あと王妃にものすごーく嫌われていることとか」
「まぁ、それは事実だけど……。それで振るい落とせるのか?」
キョトンとするレオ。可愛い。
「何か都合が悪いことがあるとすぐに離れていく友達っていうのは、その人にとって何か得があるから近づいてくるの。例えば、金とか名誉とか地位とか。そういう人は得することがなくなったり、もしかしたら損するかもしれないなぁ、って思ったら、すぐ離れていくわよ。本当の友達って、何の得もないのに困ったら助け合える人のことでしょ? 王太子としてのレオじゃなくて、レオそのものを見て友達になれる人がいいわよね」
それを聞いて、レオは何故か得意気な顔になった。
「それはソフィアのことだな。初めて会った時の俺は、近づいても何の得もなかった。むしろ、損しかなかったのに、ソフィアは俺を助けてくれたんだ」
ぎゅっと手を強く握られて、レオから蕩けそうな甘い眼差しで見つめられると、どうしても顔が熱くなるのを止められない。
俯くと胸元まで真っ赤になっているのが分かった。きっと首や耳まで赤いだろう。目まで潤んできたようだ。
レオはコホンと咳払いした。
「……可愛いけど、あんまりそういう顔を他の男に見せるなよ」
低い声で私の耳元で囁く。
「これはレオのせいだからね!」
囁き返すと、レオは腰に回した手に力を入れて、踊りながら私を抱き寄せた。
****
最初の曲を私と踊った後、レオはノアに声をかけた。
「おい、ノア。ソフィアの隣にいてくれ! 虫よけだ」
そう指示を出すと他の令嬢たちと踊りだした。
私はノアの隣で、レオが踊る姿をぼーっと眺めていた。
令嬢は皆、憧れの籠ったキラキラした瞳でレオを一心に見つめている。
レオは無表情だが、やはり彼が他の女性の手を取っているのを見ると心穏やかではいられない。
ああ……自分がこんなに嫉妬深いなんて知らなかったな。
そして、レオが次にダンスを申し込んだ女性を見て、ノアが私に耳打ちした。
「ソフィア、あれがミア・ジョーンズ子爵令嬢だ」
彼はある程度事情を理解している。
全身に緊張が走った。
ミア・ジョーンズ子爵令嬢はフワフワしたレースが沢山ついた黄色いドレスを着ていた。私のシンプルなドレスとは大違いだ。
薄茶色の髪に茶色い瞳。小動物系のとても可愛らしい令嬢だ。さすがヒロイン。笑顔も眩しい。
これは……レオも心惹かれてしまうかもしれない。
そう思ったら、思わず指が震えてしまった。ノアが心配そうに私を見る。
二人がダンスをしている時間が異常に長く感じられた。
この間に二人が惹かれ合ってしまったらどうしよう?
不安な気持ちで二人を見つめていたら、不意にレオが破顔した。顔も少し上気したように赤くなっている。レオがあんなに優しい笑顔を見せるなんて……。
今まで私以外の令嬢にあんな表情を見せることは決してなかった。
やっぱり、レオはヒロインに惹かれてしまったんだ。運命の糸は壊せない。
不安で胸が押しつぶされそうだった。考えれば考えるほど、彼女が選ばれる気がしてしまう。
ああ、どうしよう……こんなに好きになってしまってから、レオを失うなんて……。
膝もガクガク震えだした。
私の異変に気が付いたノアが外に連れ出して、椅子に座らせてくれる。
「ソフィア。大丈夫だよ。レオは別な女の子に心を動かされたりしないから」
ノアの言葉を聞いても、私の不安は拭い去れなかった。
「ノア。気分が悪くなったから、家に戻りたいの。お父さまを探してきてくれる?」
ノアは何も言わず、お父さまを呼んできてくれた。
*****
私はレオに会うことなく、お父さまに連れられて屋敷に戻り、そのまま部屋に閉じこもってしまった。
レオに会うのが堪らなく怖かった。
私のことが好きだと言った同じ口から別れの言葉が出てくるかもしれない。
王宮から使者が来ていたらしいが、私は体調不良を口実に部屋から出て行かなかった。
お父さまもお母さまも私の様子をとても心配しているのが分かったし、迷惑ばかり掛けて申し訳ない。
でも……どうしても怖いの。現実を受け止めるのが怖くて体が動かないというのは初めての経験だった。
そして、舞踏会の日から数日後、お母さまが私の部屋の扉をノックした。
「ソフィア。開けてくれる? 王太子殿下がいらしたのよ」
ああ、レオに自ら訪問させてしまうなんて……。
これ以上好きな人に迷惑を掛けたくない。
自分が振られることなんて最初から分かっていたじゃないか。
笑って彼を祝福してあげよう。
そして、私は俗世を捨てて修道女になる。
うん。大丈夫。
いつもそうだった。これまで何か望んで手に入ったことはない。今回も大丈夫。
何度も自分にそう言い聞かせた。心は痛くて辛かったけど、レオの幸せを望んでいる気持ちに嘘はなかったから、覚悟ができた。
そっとドアを開けてレオが入ってくる。
深刻そうな表情を見て、私の不安が確信に変わる。
「ソフィア……ごめん。こんなに泣きはらして……」
そう言いながらレオが私の頬に手を当てた。
「や、やめて……。私を捨てるならそんな風に優しくしないで……」
また涙がポロポロ溢れてきて、私は持っていたハンカチで涙を拭いた。
「す、捨てる? ソフィアを? 何を言ってるんだ? 俺達は結婚するんだろう?」
「……け……結婚?」
「そういう話をしていたよな? 俺、夢を見てたんじゃないよな?」
焦ったようにレオが私の手を握った。
「レオはあの……ミアさんが好きになったんじゃないの?」
「は!? なんでそういう話になるわけ? ノアが言ってた通りだ。ソフィアは何か誤解しているからちゃんと話し合った方がいいって言われて来たんだよ!」
……ミアさんを好きになったんじゃない?
本当に?
これまで何度も期待しては裏切られてきた人生だったから(前世含)、俄かには信じがたい……。
呆然とレオの顔を見上げると、彼が私の頭を抱えて額にちゅっとキスをした。
柔らかい感触を額に感じて、涙が引っ込んだ代わりに全身が熱くなる。
「あの……その……ミアさんは?」
「は!? 知らないよ。彼女には全く興味ないし、彼女も俺には興味ないって言ってた。容姿は多少可愛いのかもしれないけど、俺は全くこれっぽっちも心を動かされなかった!」
「で、でも、笑ってたよ! レオがあんな風に彼女に笑いかけるから、私はつい……」
私が言い募ると、レオが首を傾げた。
「俺が? 笑った? いつ?」
「踊っている最中によ!すごくすごく優しそうな笑顔だった。愛おしいっていう感じの!」
「あ……それは……」
レオが真っ赤になって手で口元を覆った。
「その、あのミア嬢からソフィアの話をされたんだよ。すごくお似合いですねって。あとなんか訳の分からないことを言ってた。早口でよく分からないことを喋る様子がソフィアに似ていたっていうか、ソフィアのことを考えていたから思わず笑ってしまったのかもしれない」
「私みたいに早口でよく分からないことを喋る? ……なんて言ってたか覚えてる?」
「うーん……俺達の邪魔はしないとか……。興味があるのは別ルートとか……よく分からん」
おお! これはヒロインも転生者パターンですか!
王太子ルートに興味のない転生者ヒロイン。それは……私にとっては僥倖だ。
うん、私も決してあなたのお邪魔はいたしません。
胸にモヤモヤしていた暗雲は完全に払拭された。
「なんだ、晴れやかな顔をして……俺の方を見ろよ」
そう言ってレオは私の顎を持ち上げると、わざと音を立てるようにチュッとくちづけをした。
唇の柔らかい感触に気が動転して、頭がパニックになる。
・・・・・・・・!?!?!?
「は、初めてなんですけど……(前世含)」
「当たり前だ。お前の初めては全部もらう」
そういってレオはニヤッと笑った。
「俺達は結婚するぞ! いいな?」
強く言われて、私はコクコクと頷くしかなかった。
結婚……。まるで実感が湧かないけど……。
レオは私の話を信じてくれた。
そして私を安心させるために一生懸命頑張ってくれた。
この人なら信頼しても大丈夫。きっとハッピーエンドになれるんじゃないかな。
ネガティブな私が初めてポジティブに思えた瞬間だった。
*この物語の続編を始めました。興味のある方は下記URLをご覧下さい(#^^#)。読んで頂けたら嬉しいです<m(__)m>
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