一話 開幕の兆しは六面の賽に
本日は三話投稿させて頂きます。
ぜひともご一読よろしくお願いします。
……
カツン、カツン。ジメジメとした岩肌に周りを囲まれた迷宮の中には、ただ五つ、靴の鋲だけが音をかき鳴らしている。
まるで全てが消え去ってしまったようだ。──そう思わせるほどの不気味な静けさがここを支配していた。
一寸先も見通せない暗闇の中、ほうっと、一つの松明が灯る。
たっぷりと樹脂を携えたマツの枝から、暖かい橙色の光が溶けだしていく。鈍く煌めく炎の欠片は、凍っている闇を割いて進み、行くべき道先を指し示す。
外套を被った娘が掲げているのは、市街の夜守が使うものより質が落ちた、安物の松明──それでも十分に火を保ち続ける、頼もしき探索者の友──。
先端が焼け焦げ炭化した松明が打ち捨ててあるのを、誰かが踏みしめた。
光の外へとはぐれぬように、しかし、窮屈にならぬように。五人の探索者達は、一定の間隔を保って進んでいく。
左手に見えるのは、所々に留められている燃え尽きた煤。かつては迷宮を光で満たそうとした人類の遺産だ。
しかし結果として、錆びた金具に積もった埃が、その失敗を物語っている。
そうやって人間の領域と切り離されているのが迷宮だ。かつては多くの探索者達が未開領域を切り開いていき、その大半が死んでいった。
危険なのは暗闇だけではない。探索者の死因の多くが、迷宮を彷徨く怪物共に由来している。
奴らは夜目が効き、より遠くの音を感じ取る。だから、常に奇襲を警戒しなくてはいけない。
円盾、革鎧、各々《おのおの》の武器、それに小物を詰めた背嚢を背負っただけの戦士達。
通路を行く彼らもまた、その何倍もの荷物を身に纏っているかのような重圧感すら感じていることだろう。
彼らが重い体を引きずりつつも、それでも速度を落とさぬようにと進み続けていた時だった。
連続した鋲の音が響き渡る。怪物のものではない、人の足音。──音はちょうど彼らの前方から、こちらへと向かってきているようだ。
同じ探索者だとしても必ずしも味方であるとは限らない。追い剥ぎなどの犯罪者共だってうろついている。迷宮の中では人と巡り会う事でさえ、十分危険だから。
松明に照らされて、足音の主の姿が浮かび上がっていった。応じて、一党の中に殺気立った空気が流れ出す。
幸いにも、一党の前に立っていたのは、先行偵察に向かった斥候のシドだった。
役立つ情報を掴んだのかどうかはさて置き、ひとまず無事に帰還してくれた事を喜ぼう。
シドはニヤリと笑ってみせ、それから押し殺した声──しかしそれでも興奮を隠せていない声──で成果を報告していく。
「この先に玄室を見つけたぞ。偵察してみたら…… なんと、怪物共が三体いやがった! どうするよケイン、やるか!?」
玄室……!その言葉を聞いた時、ケインの胸は一段と高まった。
玄室には宝箱が必ずある。その中には宝が入っている事もあれば、他の探索者に奪われている事もあるだろう。
だが玄室に敵が居るという事はつまり、まだ他の探索者に宝物を漁られていないという事だ。沢山とは言わないまでも、確実に戦利品が手に入る。
そして敵の数も良い。まだ身体が強化されていなくても、十分対処できる数だ。
「こちらの前衛は戦士が三、敵も三。俺は行きたいと思っている。皆はどうだ?」
皆の目には確かな闘志が宿っている。敵を滅ぼし財を得んとする、欲望と野心に満ちた眼差し。
言葉で聞かなくとも答えは分かった。
「シド、そこまで案内してくれ」
シドは「任せておけ」と己の胸を張った。
「俺がまず先頭の奴に一撃当てる。前衛の二人は、その後に続いてほしい」
二人の戦士、エイベルとマルコは無言で頷いた。
「後衛はできるだけ呪術を温存して、ここぞという時に出してくれ」
医術師のアンネと導師のシエラは、それぞれ異なった声色でもって返答した。
一党はシドの案内に従って、玄室へと向かっていく。
通路の中、松明の炎がユラユラとはためいている。光を受けて、ケインの短槍が鈍く輝いた。
これから行うのは押し込み強盗。怪物を殺して、財宝を得る。当然、やり返されて死んでしまう可能性だって、ない訳ではない。
これから行う戦闘で彼らが倒れれば、次の探索者達が開ける宝箱には、焦げた松明や薄汚れた短槍やらが収められる事となるだろう。
そう考えると、ケインは何か冷たいものが背中を伝っているように感じた。
……それでも、こちらは体力の消耗無く、頭数も優っている。だから、きっと勝てるはずだ。いや、必ず勝てる。だから迷う必要なんてない。
ケインはそう考える事にした。その方が楽だ。悲惨な結末を想像するよりは、幾分とマシであるだろうから。
「おう旦那、そんなにビビってると本当におっ死んじまうぞ。もっと肩の力ァ抜いたらどうよ?」
肩先から囁きかけてきたのはシドだった。突然話しかけられたケインは、体を少し跳ねさせる。
強く力を入れていたのが途端に途切れたので、少しだけ緊張が和らいだように思えた。
「なあシド、こうして緊張を解してくれたのはありがたいが。だがそうも近くからいきなり囁かれたら驚いてしまうよ」
「ハハ! ケイン、そこは時期に慣れるってもんさ」
と話していると、シドが歩みを止めた。シドの視線を追いかけていけば、その先にあったのは備え付けられた扉。
「着いたぞ。奴らまだ俺達には気づいてない」
扉を慎重に開ける。
ケインは、心臓の鼓動がうるさくなっている事に気づいた。いつの間にか、息も荒くなっている。
……この音は敵に聞こえないだろうか?滑って攻撃が失敗しないだろうか?瞬時に囲まれて袋叩きにされるのではないだろうか?
再び暗い妄想が頭の中を占めていく。
うるさい。
息をゆっくり吸って、ゆっくり吐く。何も考えるな。ただ、敵を殺すことだけを意識しろ。
……良し。
前屈体勢でいる今、気づかれてしまえば命は無いだろう。一撃でも、死ぬ時は死ぬ。気づかれないよう静かに、ゆっくりと、にじり寄っていく。
凹凸の無さを見れば、三匹ともがこちらを向いていないと分かる。向いていたならば、奇襲などできなかっただろうが。
闇でぼやけた敵の輪郭を見据え、機会を待つ。本当は今でも十分なのだろうけれど、ケインの頭は今ではない、と引き止めていたから。
足音すら止み、静寂が世界を支配していた。
音も無い暗闇の中でじっと待っていると恐ろしささえ感じてくるだろうに。それでもケインは、ただ好機を待ち続ける。
欠伸、バラけた配置、不安定な体勢。
今だな、と。
足をバネのように縮ませ、それから全力で突撃する。靴の鋲が岩肌を削って進んだ。怪物共がこちらを振り向く。
ようやくケインに気づいたようだが、もう遅い。突撃の勢いをそのままに、力強く踏み込む。敵の芯に向かって、短槍を突き出した。
──心臓が大きく跳ねて、血液を送り出す。
まだ槍は届いていないけれども、ケインはこれが上手くいくことを悟った。
そして槍は貫く。
ズプリ。命を奪った音が聞こえた。
短槍はしっかりと敵を捉え、肉を裂き、反対側までその刃を届かせている。致命の一撃だ。
息絶えた怪物の身体が呪詛へと分解されていき、後には硬貨が数枚残る。
「識別できました。大コウモリが一つ、大ミミズが一つです! 大ミミズの吐く消化液に気をつけて」
アンネの解析。朧気だった敵の姿も、今でははっきりと見えるようになっている。
幸い、残りの二体は雑魚だったようだ。とは言っても、それは他の怪物と比べればの話だが。どちらも到底、侮る事ができる存在では無い。
大コウモリが仕返しと言わんばかりに突進して来る。
その身は子供の半身ほどに肥大した巨体。並のコウモリの突進ならばともかく、その質量から放たれる一撃は、当然重い。
「エイベル!」
ケインが呼びかけると、エイベルは前に飛び出して大盾を構えた。
それぞれがぶつかり合い、生物の突進が生み出したとは思えない音が生まれる。まともに受ければ、ひとたまりもない。
だが、エイベルは戦士だ。大盾で受けるのなら、どんな攻撃だろうと防ぐことができる。
木を少量の鉄で補強した大盾は突進を受け止めた事で、ギシギシと音を立てて木屑を零す。それでも、持ち主に傷を付けること無く守り抜いた。
「ウォォオオォッ!」
突進を終えて無防備になったコウモリを叩き潰さんとして、エイベルは大剣を振りかぶる。
その光景を見て、コウモリの目に浮かび上がったのは多分、恐怖だ。
しかしコウモリは動けなかった。
強力過ぎる突進、その代償。コウモリは、その場に頼りなく浮かび上がる事で精一杯となっていた。そんな体では回避するなど当然、不可能だろう。
一拍経った後に、肉と骨とが潰れる音が響く。快い打撃音とは裏腹に、エイベルは手から伝わる感覚に苛立っているようだ。
……当たったのは良いが、少しズレたな。
その痛恨の一撃にも関わらず、コウモリはまだ呪詛に分解されていない。致命打を与えられなかったのだ。
エイベルは軽く舌打ちをした。
もう一人の戦士、マルコの方は短刀で大ミミズの体を抉る。しかし大した傷にはなっていない。
「クソ! 全然刃が通らない」
「マルコ、俺は迷宮の前で、急所を狙えって言ったはずなんだがなぁ?」
その酷い太刀筋を見て、戦いのさなかにも関わらずシドはからかいたい気持ちが抑えられなかったらしい。
「うるさいぞ、シド! そうそう、うまく行かないんだよッ」
もう一度振り下ろした短刀は、先ほどのものよりもブレが酷い。少しだけ肉を削いで、脂で滑っていった。
とはいっても傷は傷。大ミミズはそれなりに痛かったようで、暴れながら消化液を吐き出してくる。
狙いもへったくれも無い無差別な攻撃は、偶然にも、ケインに牙を向けてきた。
「なんでこっちにッ」
ケインは体をずらし回避を試みる。
しかし消化液は、予想していた以上に速かった。油断していたケインには、完全には避けきる事ができない。
消化液の一部がケインの右腕に掛かってしまう。液は革鎧を伝い、皮と肉に滴り落ちた。
「ガ、アァッ!」
蜘蛛の巣のように広がっていく痛み。それと共に音を出し、蒸気を出しながら、右腕が爛れていく。腫れ上がっていく。
それでも幸いな事に、痛みはそれほど長く続かなかった。
傷を負ったケインを見て自分の役目を果たす時が来たと気づいたのだろう。アンネが癒しの奇跡を行使する。
【軽癒】
呪いによる世界改変の術は、暖かな白光と共にケインの右腕を包み込む。その光はゆっくりと付着した酸をかき消し、融解した皮膚と腫れ上がった肉を元あった姿へと巻き戻していく。
……もう動かせる、凄まじい効果だ。
「安心してください。怪我をしてもすぐに治してあげますから!」
傷を負っても呪術で治せるというのは分かっていた事だが、実際に見るとやはり気分がよくなるらしい。前衛達の心の中に、少し余裕が生まれた。
──そして今度は、こちらがあちらに恨みを晴らす番。
「おい、エイベル。そいつを伸してくれ」
「ああ、分かったよっ!」
大剣はすばしっこい大コウモリには当てづらい。先ほどまでならともかく、今では恐らくかすりもしない。
だから面で叩く。大盾ならば当てるのは容易だ。
エイベルは、先ほどの鬱憤を晴らすかのように、瀕死の大コウモリを大盾で殴打し、気絶させ足止めした。
それで終わったら良かったのだけれども、やはりコウモリは生き残っている。
「後は頼むぞ」
「ああ、任された!」
だから、それにマルコが合わせて斬りつける。
大ミミズとは違って大コウモリの弱点は至って簡単だ。その身の中央に眠る心臓を引き裂けば良い。いや、弱点を狙わずとも、その小さな体を両断するだけで事足りうる。
大コウモリは気絶して地面に倒れ伏せている。ならば渾身の一撃を加えてやろう、と。マルコは短刀を両手に構え、大上段に振り上げる。
その動作はまるで薪割りのように、大コウモリの体は当然の結果として真二つに分かたれる事となった。
そういう訳で、残りは大ミミズのみとなった。三対一だ。既に勝利は確定している。
大なるという冠詞が付いていようとも、残っているのは所詮ミミズだけ。
三人で囲んで攻撃し、その体が呪詛へと還元されるまで攻撃し続け、そうして戦闘は終了した。
そうやって最後の敵を倒して、他に敵が居ない事も確認し終わると、皆も緊張が解けてへたれこんでしまう。
戦闘による張り詰めた緊張感は、どうやら思った以上に一党を蝕んでいたらしい。
早く慣れるならいいのだが、とケインはこの惨状に苦笑いした。
「あの、だ、大丈夫ですか? 右腕、ちゃんと治しきれていましたか?」
アンネがケインに話しかける。その瞳の中に、戸惑いと心配を携えて。
……随分と優しい奴だ。普通なら治して終わりだろうに。
「いや、大丈夫だ。お前の【軽癒】は完璧だった。予想以上の良い腕だよ」
ケインは右腕を軽く動かしてみせながら、そう答えた。それを聞いたアンネは、ほっと息をついて、それから花を開かせたように笑ってみせる。
「良かった…… 上手くいってたんですね」
朗らかな彼女の微笑みに誘われて、一党の中にも微かな笑い声が広がっていく。
「おいおい若い衆、乳繰り合うのも構わないが、とっとと漁っちまわねぇか?俺ァお宝が見たくて堪らねぇよ」
早く宝箱を開けたいシドは、そうやって言って二人の間を遮る。
「ほらよ、どけどけ!」
シドが二人を小突いてやると、ケインとアンナの顔が、少しだけ赤く染まった。
ケインはシドに睨んでみせるが、シドはそれを笑ってごまかす。
「シド、そう茶化してやるなよ。それに若い衆って言ったって俺らと二つから四つほどしか変わらないだろ?」
まったくアイツは、とため息を着きながら、マルコはシドに軽く釘を刺した。しかし、シドはそれに耳を貸さずに宝箱を探しに行ってしまう。
マルコはしばらく放心した後、呆れたと言わんばかりに肩を竦めた。
「……すまんな、アイツは昔からこうなんだよ。悪気は無いんだ。」
マルコの顔には、それでも憎めないヤツなんだ、と書かれているのが目に見える。ケインもシドを許してやる事にした。
「いや、大丈夫。確かに、じっくりと話し合うは迷宮を出てからでもいいからな」
とりあえず、今はシドの言う通り戦利品に集中しよう、という事になった。
玄室で戦闘したとしても、宝箱を見つけられなければその恩恵は受けられない。
今の状態で宝箱を開けずに出る選択肢は無いと言える。罠に対処できないほど弱っている訳でもないのだから。
しばらくしないうちに宝箱は見つかった。見つけたのはシド。さすがは斥候と言えるだろう。
「良い知らせだ、宝箱を見つけたんだ! ボロっちいし、変な感じのだけどなぁ」
ボロっちいってなんだ?と皆で考えつつ、とにかくシドの知らせに、その場所へと集まっていった。
どうやら宝箱はそれほど気付かれにくい所には無かったらしい。運良く早めに見つける事ができたようだ。
「こっちも落ちてた金貨は回収し終わったぞ。これだけあった」
ついでにと、ケインは持っていた戦利品を手の中に広げる。
見つけた硬貨は合計で、金貨が五枚。
……松明で照らしながらとはいえ、薄暗い床に落ちた硬貨を一枚一枚拾い上げるのは中々に疲れるものだったよ。
と前衛達から愚痴が零れた。
とにかく、次は宝箱だ。
「お待ちかねの、宝箱を見てみよう!」
シドに案内されて、少しだけ離れた場所に着く。
──そこにあったのは、血やらなんやらが少しばかりこびり付いている薄汚れた木箱だった。
ただでさえ小汚い印象を受ける外見。それに加えて、剣や槍やらで叩けばすんなりと壊せてしまう位にはボロボロになっている。
しかも、そんな風貌だと言うのに錠前だけは小綺麗だ。ちょっとやそっとでは開かないと直感できる、異質な精巧ささえ感じられるほどには。
そのなんとも言えない不釣り合いな姿は確かに『ボロっちくって変な感じ』としか表しようが無い。
「うわぁ…… 汚ったない箱。こんなのにお宝なんて入ってるの?」
シエラは顔をしかめながら、それでも宝箱から視線を外さない。
彼女の好奇心は、期待外れなその風貌に少し削がれつつも、未だ中身に注がれていた。
「そりゃ、一層で手に入るお宝なんてたかが知れてるさ。だが、少しばかりの金貨や銀貨、それと諸々《もろもろ》。どんだけ少なくても、空っぽだってのは他の探索者が略奪した後に来る、運の悪い奴以外にはねぇ。」
「へぇ、そう。ま、迷宮なんてそんなもんよね」
マルコのくれた答えに対してがっかりする事もなく、シエラは次の言葉を紡ごうとする。
「それにしても、こんなにボロっちい箱なら……」
が、途中でシドが口を挟んだ。
「間違っても叩き壊そうとか言うなよな。中の物が傷んじまうし、何より罠で全員吹っ飛んじまうかもしれねぇ。【火葬】とかが仕掛けられてたらどうするってんだよ」
「……」
シドは軽口を叩きながらも慎重に、錠前の状態や罠の有無を調べている。口には笑みを絶やさぬものの、目は真っ直ぐ宝箱のみを見据えていた。
一方シエラは、言いたい事を邪魔されたせいか、何か言いたそうな目でシドを見つめ続ける。
それに加えて、彼女の頬は少し火照っていた。悔しいのだ。
「まぁ、なんだ。気にしない方がいいさ。時期にどうでもよく思えるようになる」
マルコはシドと出会った時の事を思い出しながら言った。マルコも最初はいちいちシドの言動を気にして疲れていたが、すぐに慣れてしまったらしい。
「おいおいマルコ、そりゃひでぇよ」
口ではそういうものの、ニヤニヤと笑う口元からは、とても傷つけられているようには思えない。
実際、シドはすんなりと罠の報告に切り替えた。
「ケイン、分かったぜ。この宝箱には弩の罠が仕掛けられてる。お前ら、今から開けるから宝箱の前には立つなよ?」
そう言って彼は非常に小さな刃物を取り出し鍵穴の中に差し込んで、それから掻き回す。しばらくすると、何だか張り切った糸が弾けるような音がした。
それを聞いたシドは刃物を抜いて、また別の道具に切り替え、鍵穴に差し込んだ。今度は糸を切る時よりも格段に速い時間でカチャリと音を立てて、そうして錠前が破られる。
「よっしゃ!」
皆の前に出される喜びの拳。思わず他の者も、軽く拳に力がこもった。
ギィ、と重い音を立てて、宝箱がゆっくりと開いていく。
中には金貨四枚と銀貨十八枚、それと巻物が一つ。
巻物には様々な呪術が封じ込められている。良い呪術が刻まれている物なら、かなりの値で売れる。
一層では高い巻物なんて中々出てこないが、それでも、一党で使う分にはしっかりと心強い武器になる。
一回の戦闘で一人あたり金貨金貨一枚と銀貨八枚分。かなり良い稼ぎだ。とは言っても、装備の手入れや修繕費を引けばギリギリ宿に泊まる事ができるくらいでしかない。
あくまで掛けた時間に対して割が良いというだけで、日当で見れば少ない稼ぎではある。
このまま探索をするべきか、それとも今日はもう切り上げてしまうべきか。ケインは迷っている。
「アンネ、【軽癒】は後何回使える?」
「今日は後一度だけですね。一日二回までなので」
大きな傷もたちまち治してしまう奇跡が一日二回使えるというのは素晴らしい事だ。だがしかし、裏を返せば二回しか使えないという事でもある。
怪物共との戦いで重傷を負う可能性は十分に高いだろう。それでも傷は後一度しか直せない。
帰りに傷を受けた時の為にも【軽癒】は温存しておいて、今日はもう帰還すべきだろう。初めての探索なのだから、宿代を稼げただけでも十分だ。ケインはそう考えた。
「今日はもうこれで帰還しよう。初めての迷宮探索で負荷も掛かってる。これで切り上げた方が良いと思うんだが」
「あっ!」
シエラが声を上げる。そしてワナワナと震え上がり、ケインを見上げ、食ってかかった。
「アタシ、一度も呪術使って無いんだけど!」
「例え呪術を使わなくても、戦闘をしたのだかは確実に強くなれる。心配する必要は無い」
「私は実践系の導師だからそんな甘えた強さには頼りたくないのよ!」
エイベルの少し的外れた返答も気にせずに、シエラは座り込んで足をバタバタとさせている。
……実際は、そんなのどうでも良いのだけれど、何でも良いから呪術を使ってみたい!
そんな幼稚な目論見も、子供をあやすように宥められてしまった。
「まあまあ、シエラさんの呪術は私達の生命線なんですから、そうワガママを言わずに」
「ちぇーっ」
生命線。そう言われると誇らしい気がしてくる。それでもなぜだか、言いくるめられているようで気に食わない。シエラは顔を思いっきり膨らませる事にした。
その光景をシドが笑ったのを皮切りに、場に笑いが立ち込める。
「さあ、いつ怪物が来るかも分からないんだ、早く行くぞ。とっとと街に戻って飯でも食おうじゃねぇか」
帰り道には、シドがまたシエラをからかって、シエラがそれに噛み付いて。その場違いな雰囲気に釣られて、一党の心持ちは戦闘の後とは思えない程賑やかなものとなっていた。
帰り道も後半分、ケインはふと気になって松明の残りを見てみる。五本持ってきた松明は既に二本と半分になっていた。 それを見ると、そこそこの時間が経っていたと感じられる。
風が音を立てて通り過ぎ、松明の炎が幾分か千切れて小さくなっていった。火は燻りかけて、それからまたジワジワと燃え出していく。
今、何か聞こえたような。風の音で上手く聞き取れなかった。後ろへ振り返り気配の持ち主を探してみる。
しかし、迷宮がケインに差し出してくれた応えは、いつもと変わらない暗闇だけだった。
──カラン、カラン。誰もが知らないどこかの場所で、二振りの賽子が振るわれた。
……
『玄室』
迷宮に点々と設置された大部屋の事。元々は棺を収める部屋という意味。
中には大抵怪物の群れがおり、宝箱がある可能性は高い。
宝箱は棺であり、その中には探索者の魂が収められている。
だからこそ、そこは玄室と呼ばれていた。
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