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エマ  作者: 小さな月
Tramonto……沈む太陽
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1-4


 ラウロ・ネスタの左の目じりの下には、小さな傷跡がある。

 それは三年前の暑い夏の夜、エマがつけた傷だ。

 その傷は今も、ラウロ・ネスタの目じりの下に居座り続けている。忘れるな、忘れさせない、と言わんばかりに。



 * * *



「まさかこんなとこでお前に会うとはな」


 ラウロが笑えばエマは眉をひそめ、ラウロが一歩前へ踏み出せば、エマは一歩後ろへ下がる。


 正直に言おう。

 エマはラウロ・ネスタが大嫌いだ。

 高校時代、素行が悪く教師に目を付けられていたラウロと、常に成績上位をキープし真面目に高校に通っていたエマの接点は、そう多くない。

 なんならエマは、ラウロのようなタイプの人間を避けるような人生を送ってきた。


 そんな二人がトラモント・ファミリーの屋敷で再会してしまったのは、偶然なのか必然なのか。

 どちらにしろ、エマには最悪でしかない。


「うちの構成員に、ってのはありえねぇか。オレらみたいな人種、毛嫌いしてたもんな。じゃあ……あれだ。金に困って働きに来た。だろ?」


 何が「だろ?」、だ。

 顔を見るのも嫌、声を聞くのも嫌。


 エマはラウロのすべてを無視して、中央階段を駆け下り、正面玄関へ一直線に向かう。

 あの扉を抜ければ、もう外だ。外に出てしまえば、勝ったも同然。あとは駅に向かってひたすら歩けばいい。ジャルダン県行きの列車がなかったとしても、スメラルド州行きの最終列車がなかったとしても、ルビーノ州から出られるのであれば、どこ行きの列車だって構わない。


 だというのに、ラウロがエマの目の前に立ちふさがった。相変わらず、趣味の悪い香水を愛用しているようだ。


「どいてください」


 視界に入れるのも嫌で、エマの視線は明後日の方向に向けられている。


「すました顔は変わらず、ってわけだ。素直に認めろよ。金に困ってんだろ? じゃなきゃココにいるはずがない」


「あなたには関係ありません」


 抑揚のない声で突き放し、エマはラウロを避ける──が、ラウロがまた、エマの前に立ちふさがる。

 なんて邪魔なのかしら!

 今すぐにでも、目の前の男の足を踏んづけてやりたい。

 でも決行に移さないのは、そんなことする時間が無駄だから。

 私はさっさと、この屋敷を出て行きたいのよ。だから邪魔しないで!


「──待てよ」


 ラウロを押しのけようとすれば、逆に手をつかまれた。


「離してっ」


 反射的にエマは、ラウロを見た。黄色にも見える金髪と、黒に近い茶色の瞳、それから目じりの下にある小さな傷跡──記憶の中のラウロ・ネスタは、三年の月日を経て、それなりの容姿に成長したらしい。


 私にはどうでもいいことだけど。


「お前さ、もうちょっと可愛げってもんを覚えたほうがいいぞ。顔が良くても、その性格じゃあ男は寄り付かねぇよ」


 そんなこと、心底どうでもいい。

 エマの優先すべきことはいつだって、色恋じゃなくお金と母親のことだったのだ。


「どうせ今もフリーなんだろ? そうだ。男、紹介してやろうか? それとも実入りの良い働き口の方がいいかもな。オレの気が向いたら、相手してやってもいいし────」


 瞬間、玄関ホールに響いたのは頬を打つ音。

 ぶったのはエマで、ぶたれたのはラウロだ。


 ラウロは何が起きたのかすぐには理解できないようだったが、ぶたれた頬の痛みに気づくと、一瞬にして茶色い瞳に怒りの炎が宿る。


「この────」


 だがひどい言葉を吐き出す前に、ラウロの動きがピタリと止まる。


「その口を今すぐ閉じなさい。耳障りよ」


 エマの鮮やかな緑色の瞳は、ゾッとするくらいにどこまでも冷えている。

 ラウロはその瞳の冷ややかさに怖気づきそうになったが、女に、しかもあのエマ・フォレスティにぶたれたという事実が、彼を大人しく引き下がらせてはくれなかったようだ。


「偉そうに……!」


 やられたのなら、やり返す。

 相手が女であろうと、関係ない。

 ラウロが手を上げ、そして────、


「何をしている」


 玄関ホールに響いたのは、頬をぶつ音ではなく、低い男の声。

 エマとラウロ、二人そろって声のする方、正面玄関を見れば、そこにはたった今帰って来たばかりのリカルドが立っていた。



 * * *



「何をしている」


 リカルドは同じ言葉を、また言った。

 それに反応したのは、エマではなくラウロ。


「リカルドさん、これは──」


「何故ここにいる? セルジオはどうした?」


 リカルドは眉をひそめたまま、ラウロを無視してエマに話しかけている。


「まったく……来い」


 信頼できるが信用はできない、ということか。

 リカルドは苦々しく思いながら、当たり前のようにエマの手を取る。


「は、離して……」


「面倒をかけさせるな」


「────っ」


 リカルドが苛立ちを隠さず、エマを睨みつける。

 ラウロの時には感じなかった恐怖が、心の片隅に顔を出す。

 そのせいでエマは、抵抗するタイミングを逃してしまった。


「リカルドさん!」


 エマの手を引き、中央階段を今まさに上がろうとするリカルドに、ラウロが「オレもいる!」と言わんばかりの声でリカルドの名を呼んだ。


「なんでリカルドさんが、そいつを連れて行くんですか?」


 本来、ラウロのような準構成員アソシエーテは、リカルドをはじめとした幹部カポ・レジームに気安く声をかけられる立場にはない。幹部の機嫌が極端に悪ければ、話しかけた瞬間、銃口が火を噴く、なんて事件もあったほど。

 それを知っていたのに忘れてしまったのか、それともはじめから知らなかったのか。


 まあなんにせよ、リカルドにはどうでもいい。


「口を閉じろ。耳障りだ」


 抑揚のない声に、冷えた紫の瞳、それから、どこかで聞いたようなセリフ。驚きに目を見開いたのは、ラウロだけじゃなくエマもだった。




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