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エマ  作者: 藤むらさき
Tramonto……沈む太陽
4/32

1-3


 リカルド・ダヴィアの役目は、ふたつ。

 エマ・フォレスティの世話と護衛。厄介な仕事を押し付けられたと思ったが、敬愛するボス直々に頼まれてしまったら、断れるはずもない。


 だがボスは本当に、あんな小娘にトラモントを任せる気でいるのだろうか?


 古く歴史のあるファミリーほど血統を重要視するが、だからといって二十年間、普通の生活を送ってきた人間がいきなりファミリーに加わっても、馴染めるはずがない。浮くだけだ。


 それでもボスは、エマ・フォレスティにトラモントのすべてを譲る気でいる。幹部どころか、構成員すらも納得していないことを承知の上で。


「…………チッ」


 空の箱をぐしゃりと潰す。

 苛立ちからか、ここ最近、タバコを吸う量が格段に増えている。体に悪いとわかっていつつも、どうにもこればっかりはやめられない。


「お姫さんはあの部屋、気に入ったか?」


 中央階段を降りて玄関ホールに戻れば、セルジオはまだ、そこにいた。手には郵便物がある。


「部屋どころじゃなさそうだ」


 脳裏に浮かぶのは、部屋に残してきたボスの娘の顔。

 二十年間、自分の父親が誰なのかも知らずに生きてきた彼女にとって、父親の正体は想像を絶するものだっただろう。容易く受け入れられるはずもない。

 その点は同情の余地あり──だが、時間的余裕は残念ながらないに等しい。受け入れらずとも、理解できなくとも、もう逃げ道は強制的に断たれてしまったのだから。


「どっか行くのか?」


「タバコを買いに、ちょっと出てくる。──頼んでもいいか?」


 この屋敷には現在、ほぼ住人がいない。幹部カポ・レジームのセルジオと、信頼できる構成員が数名、それから長年屋敷で働いている古参の使用人が幾人か。

 余計な騒ぎを回避するため、エマを連れてくるには最適と思い、わざわざこの日を選んだ。


「逃げると思ってるのか?」


「……どうだろうな」


 喚き散らしたりはしなかったが、追い込まれた人間は予想外の行動を取りかねない。用心するに越したことはないだろう。納得してはいないが、ボスに頼まれた仕事だ。手抜きなどしない。


「ま、気にかけとくさ」


 飄々としてつかみどころのない男だが、信頼はできる。

 エマのことをセルジオに頼み、リカルドは屋敷の外へ出た。



 * * *



 エマは疲れていた。無理もない。八時間の列車移動と、予想を裏切る父親の正体。肉体的にも精神的にも疲れていて、今すぐにでも休みたいくらい。

 でも悠長に休んでいられる時間はない。脳裏によみがえるのは、リカルドの無慈悲な言葉。


 ──帰る場所なんて、どこにもない。お前の家は、今日からここだ。あのアパートメントは今頃、アレッシオが引き払ってる。


 あんまりよ。勝手すぎる。

 この屋敷と比べれば、そりゃあ粗末な部屋に見えるでしょうけど、私にとっては唯一の帰る場所なの!


 それをあの男達は、無情にも奪おうとしている。


 こんなことになるとわかっていたら、来なかったのに!


「……帰らなきゃ」


 そうよ、帰らなきゃ。

 エマは押し寄せる疲れを無視して、立ち上がる。世界は夕暮れの赤に染まっているが、まだ夜じゃない。最終便にさえ間に合えば、あの退屈でつまらない、けれど愛すべきいつもの日々に戻ることができる。


 だがエマが部屋の扉を開けるよりも先に、誰かが扉を開けた。


 リカルド? それともセルジオ?

 誰が来たとしても構わない。──私は帰るの。誰に何を言われても、この気持ちは変わらない。


 そう強く意気込んだのだが、現れたのはリカルドでもセルジオでもなく、ふくよかな体系の女性だった。女性は使い込まれたエプロンを身に着けていて、雑に結われた髪は濃い茶色。年齢は六十代くらいだろうか。外見だけで判断するなれば、現れた女性はファミリーの一員ではなく、酒場や宿屋を取り仕切る女主人のように見える。


「あんたがブランカの娘かい?」


 動けずに立ち尽くすエマを上から下までチェックした女性は、さも当然のように母の名を口にした。


「なるほどね、あの子の若い頃に似てるよ。髪と目の色を除けばね」


「……母を知ってるんですか?」


 エマの返事を待たず、ひとり勝手に納得した女性は、遠慮のない足取りで部屋の奥へ足を進める。


「知ってるよ。今のあんたと同じくらい美人で、可哀想で、────人の忠告を聞かない馬鹿な子だった」


 母を語る女性の瞳は、涙こそ流れていないが悲しみであふれている。

 それがどうしてなのか、エマにはわからない。

 でも何か言ったほうが良い。空気があまりにも重すぎるから。


「あ、あの────」


「余計なことを言ったね、忘れてちょうだい。──あたしはオルガ。この屋敷の家政婦長を任されてる。ここに来たのは、今夜のディナーについて聞くためさ。嫌いな食べ物はあるかい? 料理長のセサルは腕はいいんだけど、愛想がなくてね。かわりにあたしが聞きに来たんだよ。ああ、それと部屋は気に入ったかい? 家具なんかはすべて、旦那様自ら選んだんだよ。趣味がいいとあたしは思うんだけど、どうだい?」


 オルガは早口だったが、エマはなんとか話の内容を理解することができた。


「……部屋はとても素晴らしいと思いますけど……ディナーは結構です、いりません。私は帰るので」


「帰る?」


 エマの返答に、オルガの目が見開かれる。


「帰るって、どこへ帰るんだい?」


「ジャルダンです、スメラルド州の」


「…………リカルドが許したのかい?」


「いいえ」


「じゃあ誰が許可を?」


「私です。私が決めました」


 オルガは部屋に来た時と同じようにエマを上から下まで見て、それから呆れたように息を吐いた。


「帰るのは無理だよ、諦めな」


 軽く手を振り、オルガはエマの荷物──と言ってもカバンがひとつだけなのだが──に手を伸ばす。

 それを慌てて、エマが阻止する。


「私は帰りたいんですっ」


 オルガと距離を取り、エマは懇願するように彼女を見つめた。

 リカルドよりも、オルガの方が話は通じるのではないか。必死に頼み込めば、自分に同情して帰してくれるかもしれない。

 そう思ったのだが、オルガもリカルドと同じだった。


「あんたの家は、今日からココなんだよ」


「…………」


 そんな言葉が欲しかったんじゃない。

 エマが泣きそうな顔をすれば、オルガは困ったように肩をすくめた。


「あんたの境遇に同情しなくもないけどね、ボスが白と言えば、黒も白にかわる。ボスがあんたをココに住まわせると決めた時点で、誰も逆らえやしない。ココはそういう場所なのさ。だから素直に諦めな」


 内容はともかくとして、オルガの声音は優しかった。

 けどエマは納得できない。できるはずがない。


「この家の人はみんな、勝手だわ」


 父親に会うと決めたのは、他ならぬ自分自身。

 だけどすべてをゆだねたつもりはない。自分のことは自分で決める。今までずっと、そうしてきたんだから。


「私、帰ります」


「ちょ、お待ち!!」


 オルガの呼び止める声を無視して、エマは部屋を飛び出す。


 ファミリーのボスが父親だなんて、冗談じゃない。

 そんな父親なら、いない方がよっぽど良い。


 エマは来た道を迷いのない足取りで進む。昔から、記憶力は良いほうだ。

 その証拠に、中央階段まですぐにたどり着いた。

 けれどエマの足は、階段を降りる前に止まってしまう。


「まさか、お前…………エマ・フォレスティ……?」


 玄関ホール、エマの存在に気づいた青年が、こちらを見た瞬間、目を見張る。

 お互いに、この再会は予想外だ。

 エマの表情が険しくなり、そして吐き出すように青年の名を呼ぶ。



「────ラウロ・ネスタ」



 それはもう二度と、口にしたくなかった名前だ。


 

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