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エマ  作者: 小さな月
Tramonto……沈む太陽
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1-2


「──エマ」


「は、はい」


 思い出せそうなのに思い出せないのは気持ちが悪い。

 どうにか思い出そうと静かに奮起していたエマではあったが、話が一段落したリカルドに名を呼ばれ、強制的に思考を切り替える。


「部屋へ案内する」


「部屋……」


 セルジオに見送られ、エマは中央階段を上り、二階へ。

 この屋敷に今、エマの父親はいないらしい。近日中には戻るとのことだが、エマとしては少し安心してしまった。父親に会うと決めたが、やはりいざ会うのかと思うと、どうしようもなく緊張してしまう。


 いっそこのまま、会わずに帰ってしまおうか。

 そんな思いが湧き上がってきた。


「ここがお前の部屋だ」


 いつの間にやら。

 エマは滞在期間中、自分が寝泊まりする部屋へ到着してしまった。

 リカルドが扉を開け、エマは部屋の中を覗き込む。


「嘘でしょ……」


 覗き込んだ部屋は、今まで見たどんな部屋よりも素晴らしい部屋だった。

 エマが亡き母と住んでいるアパートメントが窮屈に思えてしまうような広さで、天蓋付きの大きなベッドが目を引く。家具は白を基調としており、壁紙は落ち着きのある紺色。床には足音を吸収する絨毯が隙間なく敷き詰められていて、高級感であふれている。


「好きに使え。必要なものがあれば、用意する」


「いえ、そこまでしていただかなくても……」


 お姫様が使うみたいな部屋で十分。

 むしろ申し訳ないくらい。

 だから必要なものがあれば、自分で買いに行くと申し出たのだが、


「ダメだ。屋敷からは出るな」


 なんてことを言われた。


「屋敷から出るなって……」


 何かの冗談かと思ったが、リカルドは真顔。

 つまりは冗談ではないということだ。


「どうして出ちゃいけないんです?」


「外は危険だからな」


「危険って……」


 確かにここは、ジェンマ国でも危険度が高いと言われているルビーノ州だが、だからといって屋敷から出るな、というのは過保護が過ぎる。


 そう思ったエマは、あることを思い出してしまった。


 どうして思い出してしまったのだろう。思い出さずにいれば、知らないままでいられたのに。

 でも思い出してしまったのだから、声に出さずにはいられない。


「────トラモント」


 正面玄関で異質な存在感を放っていたあの紋章──世界を光で満たす太陽を飲み込み、世界を闇に染める有翼の銀狼──あれはトラモント・ファミリーが掲げるシンボルマークだ。

 ファミリーについて詳しくないエマでも、トラモントくらい知ってる。

 とても、とても古いファミリーだから。


 エマが扉の前に立つリカルドを見れば、リカルドは何も言わず無表情で腕を組み、こちらを見ていた。

 エマの出方をうかがっているようにも見える。


「私の父────ベルトランド・セヴェリーニが誰なのか、教えてください」


 リカルドを見据え、エマは愚問と知りつつ、わかりきった答えを求める。心の奥底で、違ってほしい、そうじゃない、と淡い希望を抱きながら。


 ……キンッ。


 エマの問いに答える気がないのか、リカルドは無言のまま銀色のオイルライターを取り出し、タバコの先に火をつけ、煙を吸い込み、吐き出す。

 それを二回繰り返して、ようやくエマを見た。


「お前の父親はずっと、独りだった。ブランカに別れを告げられてから二十年──独りだったんだ。代々のセヴェリーニが築き上げてきたものを、独りで背負ってきた。今度はそれを、お前が背負うことになる」


 リカルドの答えは、遠回しで、明確じゃなかった。


 でもエマには、それだけで十分。十分すぎた。



 ──ベルトランド・セヴェリーニは、私の父は、トラモント・ファミリーのボスなのだ。



「────帰ります」


 真実を知って、思うことはひとつだけ。

 来たのは間違いだった。


 エマは自分のために用意された部屋を出るべく、扉へと足を向ける。


 しかしすんなりと外へ出ることは出来なかった。

 リカルドが扉の前に立ち、動こうとしないのだ。間違いなく、行く手を遮られている。


「どいてください」


 あえてリカルドを見なかった。

 それでも視界の端に黒のスーツが入り込むし、間近にタバコの香りを感じてしまう。


「父親に会いに来たんだろ? 顔も見ずに帰るのか?」


 頭上から降ってくるリカルドの声は、どこまでも冷静だ。

 それがなんだか気に食わなくて、エマは睨むようにリカルドを見上げる。


「私は父親に会いに来たの。ファミリーのボスに会いに来たんじゃない!」


 リカルドの紫の瞳と、エマの緑の瞳がぶつかる。

 母が父について語ろうとしない理由が、今になってわかった。父親がファミリーのボスだなんて、冗談でも口にできない。

 かたくなに語ろうとしなかった母の選択は、何よりも正しかったのだ。


「帰ります」


 ここは自分がいるべき場所じゃない。来るべきではなかった。自分がいるべき場所は、一つだけ。──二十年間、母と二人住み続けたアパートメント。

 この屋敷よりも遥かに狭くておんぼろだけど、思い出がたくさん詰まった大切な場所。

 あの部屋に、今は帰りたくてたまらない。


「ジャルダンのアパートメント、か」


「そうです。だから──」


「帰る場所なんて、どこにもない。お前の家は、今日からここだ。あのアパートメントは今頃、アレッシオが引き払ってる」


「……どういうこと?」


 一瞬、何を言われたのか、理解できなかった。

 アパートメントを引き払ってる?

 それはつまり、帰る場所がなくなってしまう、ってこと?


「なんでそんなこと……」


「ボスはお前に、跡を継がせる気でいる。……誰も納得しちゃいないがな」


 最後の一言は、リカルドの本音なのだろう。一瞬、軽蔑とまではいかなくとも、不服そうに無表情を崩したから。


「勝手すぎる……」


「そうか? よく考えてみろ。お前はトラモントのすべてを手に入れることができるんだぞ? 普通の人間が一生かかっても手にできない金と力が手に入る。何もかもが思い通りだ」


 リカルドがエマの手をつかみ二人の距離がぐっ、と近づくと、間近に迫るのは紫水晶アメジストの瞳。

 その瞳に宿る冷たさを感じ取った瞬間、エマは「ああ、そうか」、と自分でも驚くほどの速さで納得してしまった。


 この人に、自分の戸惑いや不安がわかるはずもない。

 だって見ている景色どころか、住んでいる世界すら違うのだ。理解しろ、という方が無理。


 エマが目を伏せ己の決断を悔いれば、それを了承とでも受け取ったのか、リカルドがつかんだ手を離す。


「お前がボスの娘だと、同業者に知れ渡ってる。誰が漏らしたのか現在調査中だが……、何を言いたいか、わかるだろ? 外は危険だが、この屋敷は今、世界中のどこよりも安全だ」


「………………」


 無言を貫くのは、せめてもの抵抗だ。子どもみたいな抵抗だとわかっているが、素直に従うのは癪に障る。

 そんなエマをどう思ったのか、リカルドの骨ばった手が、目を伏せたまま一言も発そうとしないエマの顎を無遠慮に持ち上げ、強制的に顔を上げさせる。


「ガキみたいな意地を張るのは結構だが、自分の身が大事だと思うのなら、大人しくここにいろ。──いいな?」


 エマの抵抗など、リカルドにとっては取るに足らない。

 何事もなかったかのようにエマから離れ、タバコの香りだけを残して部屋を出て行く。一人残されたエマは、急激な疲労感が押し寄せてきて、その場に座り込んでしまった。


「…………ママ……」


 目の前に広がるのは、一人で使うにはあまりにも広すぎる部屋。大きな窓から差し込む夕暮れの赤がまぶしくて、エマは現実から逃げるように目を伏せた。


 そういえばこの屋敷は、随分と静かだ。喧騒が遠くて、すべてが夢なんじゃないかと錯覚してしまいそうになる。



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