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エマ  作者: 藤むらさき
Tempesta……吹き荒れる嵐
20/32

2ー13


 十六年前、アリーチェは父を失った。表向きは事故として処理されたが、本当は違う。叔父が──ベルトランドが殺したのだ。

 葬儀の前夜、母はアリーチェを抱きしめ、話してくれた。


 パパの存在は、おじさんにとって邪魔だったの。

 ねえ、アリーチェ。パパは死んじゃったわ。殺されたのよ、実の弟に。パパがかわいそうでしょう?

 ねえ、アリーチェ……。


 六歳だったアリーチェは、父親を殺した叔父を葬儀の場で責めた。パパを返して! そう叫べば、叔父は辛そうに顔を歪めた。


 ママは泣いていたわ。悲しいからだと思ってた。

 でも違ったの……?


 ソファに押し倒されたアリーチェの視界を埋め尽くすのは、美しい母。

 どこへ行っても、母は注目の的だった。そんな母に似た自分をもまた、注目の的だった。いろんな人が褒めてくれた。

 パパも褒めてくれた。ママにそっくりだね、ママみたいな美人になるよ──。


 アリーチェは愛されていると信じて疑わなかった。パパはいつも優しかったし、ママはちょっとだけ厳しかったけど、それでも愛してる、と言って頭を撫でてくれた──ううん、違う。

 いつからだった? ママが愛してる、って言わなくなったのは。


 ぐるぐると頭の中に浮かぶ疑問が、アリーチェを混乱させる。


「わたしが、嫌い……? 愛してない……?」


 声が震えて、涙が流れ落ちる。


「バカな娘──私の言葉を疑いもしない。そんなバカなところも、あの男にそっくりね。自分は愛されて当然だと思ってるの? そんなわけないでしょう。こんなにも自分勝手で、わがままな女を、誰が愛するっていうのよ? 誰も彼もがお前を甘やかすのは、お前がベルトランドの姪だからよ! 叔父という後ろ盾がなければ、誰もお前のことなんて見やしないわ!!」


 アリーチェは愛されていると信じて疑わなかった。わたしは愛されている、特別だから。愛される価値があるの!


「ま、ママ、わたし……」


 何か言わなきゃ。

 フラヴィアが離れ、ソファの背に力無く体重を預ける。


「わたし、もう勝手なことなんてしないわ。全部、何もかも、ママの言う通りにする!」


「…………手遅れよ」


 覇気のない声。すべてを諦めてしまった人の声だ。


「……! わたしがおじ様にお願いする。この屋敷にいさせて、って。そしたら、どこへも行かなくていいわ。ね、ママ?」


 母が先ほど言っていた。

 私たちは追い出される、ザッフィーロに追いやられる。


 少しでも母の機嫌を取りたい娘の、必死な思いつき。

 それをフラヴィアは、鼻で笑った。


「この状況で、ベルトランドがあなたの頼みを聞くはずないわ。娘のそばにこんな危険物、置いておけないもの」


「そんなことない! おじ様はどんなお願いだって聞いてくれたわ。今回だって、きっと──」


「無理よ。ベルトランドは、十分あなたに尽くしたわ。これ以上、あなたの頼みを聞く義理はない。……何もかもがどうでもいいわ」


 母の青色の瞳に、自分は映っていない。

 そのことアリーチェをこの上なく不安にさせる。


 ママ、何を見てるの?


 アリーチェが見つめる中、フラヴィアはゆっくりと目を閉じた。




 ベルトランドがボスの座を引き継いだのは、ジェレミアとフラヴィアが結婚してすぐのことだった。ジェレミアは心底悔しそうにしていたけれど、ベルトランドが次のボスになることは、発表こそされていなかったものの、誰がみても明らかなことだった。


 新たなボスの誕生は、他のファミリーが攻撃するにはうってつけのタイミングであったが、ベルトランドの手腕は見事なものだった。トラモントはダメージを負うどころか、ゆるやかに、けれども確実にその勢力を広げていった。


 その反面、フラヴィアの結婚生活は悲惨としか言いようがなかった。夫は結婚してからも女遊びをやめず、トラモントの名をかさにきての好き放題。

 一番最悪だったのは、ジェレミアは外に数えきれないほどの女を作っておきながら、フラヴィアのことも求めたのだ。誰とも知れぬ女を触った手で触れられるたび、吐きそうになった。子どもが生まれてもそれは変わらず、フラヴィアは毎日、逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが、ある日、父が失脚したことにより状況は変わった。


 ジェレミアは確かに、フラヴィアの美貌に惚れ込んでいたが、もうひとつ、フラヴィアの実家にも惚れ込んでいたのだ。政界との繋がり、資金援助──フラヴィアの父は協力した。互いの利益のために。


 だがフラヴィアの父が汚職により失脚し政界を追い出されると、ジェレミアはフラヴィアに冷たく当たるようになった。助けを求める義理の父親すら、簡単に見捨てた。

 父はその後逮捕されることになったが、自殺することによってすべての責任から逃れた。


 母はとうに亡くし、実家も失ったフラヴィアにはもう、ジェレミアしか頼る相手がいない。

 フラヴィアは考え抜いた。自分に興味を無くした夫に、どう接するべきなのか。媚びるのは嫌。

 もう二度と、あの男と同じベッドを使いたくない。


 ならば別の方法で、ジェレミアの心を満たすしかなかった。

 フラヴィアは囁き続けた。


 ──トラモントのボスになるべきなのは、あなたよ。

 ──ベルトランドは、あなたのものを奪い取った盗人だわ。


 この状況を変えたかった。誰かに利用される、言いなりの人生なんてごめんよ。

 私は母のような生き方はしない。男に縋ったりなんてしないわ。


 フラヴィアは夫をそそのかし、ベルトランドへの敵意を増幅させた。

 元々、ジェレミアはベルトランドに対してコンプレックスがあったのだ。軽くつつけば、簡単に火がついた。

 金で部下を囲い込み、実の弟を殺すために動く──だが残念なことに、ジェレミアの計画が果たされることはなかった。


 やはりダメな男。

 ベルトランドは、実の兄を殺した。

 ジェレミアが大人しくしていれば、ベルトランドは実の兄を生かし続けただろう。あれはそういう男だ。


 フラヴィアは未亡人となったが、悲しくはなかった。

 そのかわり、今度は娘を使うことに決めた。夫の死を告げられたフラヴィアは、六歳のアリーチェに言い聞かせた。


 ──パパは殺されたの。パパの存在は、おじさんにとって邪魔だったから。


 罪人をすげかえた。

 幼い娘は、母の嘘を信じた。葬儀の日、大勢の弔問客の前で姪に責め立てられたベルトランドは、フラヴィアの嘘を見抜き、受け入れた。

 多少なりとも、アリーチェに対する罪悪感はあったのだと思う。


 哀れな娘よね。

 父親の薄っぺらな愛を信じ、母親からも愛されているのだと、疑いもしなかった哀れで可哀想な娘。


 ──バカな男。私の言葉を信じて、金にしか興味のない人間を集めて、無様に死んでいった。



 きっと今回のアリーチェの考えなしの行動は、ベルトランドの耳に入る。


 フラヴィアはまぶたを持ち上げ、隣で子どもみたいに泣きじゃくる娘を見て顔を歪ませる。


 フラヴィアの脳裏に浮かぶのは、エマ・フォレスティの姿。鮮やかな赤色の髪、どこまでも深く底の知れない緑色の瞳の娘──たった二歳しか違わないのに、私の娘とは全然違う。

 これは父親の問題?

 それとも、母親?


 いいえ、そんなこともうどうでもいいのよ。


 今頃になって酔いが回ってきたのだろうか。すごく眠たい。


「出ていってちょうだい」


「ママ……」


 伸ばされた娘の手を、フラヴィアは容赦なく払い落とした。誰も私に触れないで。

 もうたくさんよ。


 フラヴィアはのろのろと立ち上がり、自分のベッドへ向かう。

 しばらくして、扉が開く音がした。アリーチェが出て行ったのだ。


「疲れたわ……」


 このまま眠ってしまいたい。叶うのならば、永遠に──。



 * * *



 人生とは思い通りにいかないものだ。

 夜中まで市内を歩き回った準構成員アソシエーテたちは、ねぎらいの言葉ももらえぬまま今日の仕事を終えた。ファミリーによってその活動内容は様々だが、トラモントほど大きく力のあるファミリーは、本拠地を置く街の警護を請け負うこともある。警察では対処できない問題にも、ファミリーは対応することができるため、あえて力あるファミリーの庇護下に入る者もいる。

 ロッソに昔からある酒場なんかは、その良い例だ。トラモントの庇護下に入り、守ってもらう見返りに金を払う。


「あー……疲れた」


 屋敷の裏手で、数人の準構成員がタバコを吸っていた。

 その中に、ラウロ・ネスタの姿もある。


 今日から始まった芸術祭に合わせ、ファミリーの下っ端──準構成員は交代で市内を巡回していたが、報告のため屋敷に出向いた。

 もしかしたら幹部に会えるかもしれない、という期待はあったが、会えたのは構成員だけ。報告が済んだら、邪魔とでも言いたげに冷たくあしらわれた。


 ファミリーの上下関係は厳しい。山のようにいる準構成員は、そもそも幹部に会うことすら容易ではない。

 まずは屋敷に来れたことを喜ぶべきなのだが、当然の如く中には入れなかった。


 ラウロはタバコを地面に捨て、苛立ちを晴らすかのように靴底で踏みつける。


「お前、この間中に入った、って言わなかったか?」


「すぐに追い出されたよ」


 ほぼ同時期にトラモントの準構成員となった男が、ラウロに話しかける。

 さっさと帰れば良いものを、彼らが今も屋敷の敷地内にいるのは諦めが悪いから。

 どうにかこうにか、出世のためのチャンスを掴み取ろうと必死なのだ。


「俺も幹部になれたら、住めんのかなぁ?」

「もし住めたらさ、どうする?」

「何が?」

「噂のお嬢様だよ。エマ、とか言ったっけ? 気に入られたら、アンダーボスも夢じゃないかもしれないだろ?」


 エマ、という名前に、ラウロは唇を噛む。

 およそ一月前、決死の思いで忍び込んだ屋敷の玄関ホールで再会したのは、高校時代の同級生クラスメイト、エマ・フォレスティ。

 すぐに屋敷から追い出されたラウロは、リカルド直属の部下から“仕置き”を食らった。


 なんでよりにもよって、あいつがボスの娘なんだよ──!


 素行が悪い自分と、見るからに真面目で優等生なエマ。正反対のふたりの共通点は、片親だったことくらい。

 ラウロは卒業を間近にして高校を退学になり、そのまま裏社会で生きることを決めた。トラモントの準構成員になれたことは幸運ではあったが、二年経っても下っ端のまま。構成員の何人かの使いっ走りをしたりしても、出世は遠い。


 元々、我慢強い性格ではない。思い通りにいかず、ラウロは我慢の限界だった。屋敷に行けば、幹部の誰かしらと会うことができる──屋敷に荷物を運ぶ業者に金を握らせ、屋敷に忍び込むことに成功したが、その結果は散々としか言いようがなかった。

 追い出されないだけマシだったのかもしれないが、そんなことラウロには関係ない。


 エマ・フォレスティ──いつもどこか、違う世界を見ているような女だった。同い年の女子とは、何かが違う。

 ほとんど関わりなどなく、誰もがラウロと距離を取る中、生活指導の教師に「片親だから」、とあからさまに見下されたことがあった。母親しかいない、だからダメなのだ。


 ──じゃあ私も彼と同じですね。


 遠巻きに見る同級生たち、殴りたくなるような教師。

 それとは別の、落ち着いた声音。


 ──教え導くのが教師の役目では? 父親がいないのは、彼のせいじゃないと思いますけど。


 エマの言葉に、赤くなっていく教師。

 一瞬にして、教師はからかいの対象に変わった。


 あの時のことを思い出すと、ラウロはなんとも言えない気持ちになる。

 エマを目で追うことが多くなり、けれども距離を縮めることはできず、結果として彼女は自分の額に傷を残すだけだった。


「そろそろ行くか」


 タバコを吸い終え、同僚たちがのろのろと歩き出す中、ラウロは少し離れた場所に建つセヴェリーニ邸を見つめる。いくつかの窓に灯る明かり。

 あの中のどこかに、エマはいる。トラモントの次のボスとして、きっとお姫様のように大切に扱われていることだろう。


「……!」


 物音がして、ラウロは振り返る。誰も来ないと思っていたのだが、裏庭を照らす足元の照明の向こうに人影が見えた。誰かと目を凝らせば、それは女性だった。薄いピンク色のワンピースを着た、美しい女性。

 ラウロは彼女を知っていた。何度か買い物に連れ出されたことがある。ボスの姪と聞き、意気揚々とお供したが、何時間も買い物に付き合わされたというのに、こちらを見ようともしない。


「あ、アリーチェ様?」


 まるで幽霊のようだ。


 ラウロの中のアリーチェは、こんなんじゃない。彼女はもっと自信たっぷりで、偉そうで、華やかだった。

 だというのに、今のアリーチェは悲しみに沈み込んでいる。


「あー……お出かけ、ですか?」


 どうすれば良いのかわからなくて、ラウロは戸惑う。さすがに見なかったふりはできないし、これはある種のチャンスだ。ボスのわがままな姪、気に入られて損はないはず。


 ラウロがゆっくりとアリーチェに近づけば、アリーチェの頬が濡れていることに気づく。泣いたのか? ペリドット色の瞳を覗き込む。


「……愛してると言って」


 か細い声が聞こえたかと思えば、ラウロの首にアリーチェの腕が回された。


「わたしを愛してるって言ってよ……」


 首に回された腕があまりにも冷たくて、ラウロは身動きができなかった。




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