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エマ  作者: 藤むらさき
Tramonto……沈む太陽
2/32

1-1


 父の話をすると、母はいつも悲しそうに笑った。

 生まれた時から父親がいなくて、それが当たり前だったけど、周りの子は違う。

 どうして私には、パパがいないんだろう?

 それは羨望ではなく、どこまでも純粋な疑問だった。


 ──私のパパは、どんな人?

 ──パパがいないのは、どうして?


 子どもだったから、大人の事情なんてわからなかった。

 だからこそ聞けたのだ。

 そんな娘に、母は悲しそうに笑って答えてくれた。


 ──パパは厳しくて怖い人よ。けど情に厚い人だった。

 ──パパがいないのはね、ママのせいなの。ママは弱いから……逃げちゃったの。


 そう答える母の微笑みがあまりにも悲しそうだったから、エマは父の話をしなくなった。誰しも、触れてほしくないものがある。

 たとえ家族であっても、守るべき一線はあるはず。

 だからエマは、勝手に憶測を立てて、結論付けた。


 ──ママとパパには、結婚できない理由があったの。

 ──子どもが嫌いだったのかも。……家庭があったのかも。…………もしかしたらもう、この世にはいないのかも。


 そうして自分を無理矢理に納得させて、十年余り。

 まさか父親に会える日が来るとは思っていなかった。



 * * *



 リカルドとアレッシオに出会って二日後、エマはルビーノ州サングエ県に来ていた。仕事先に一週間の休暇届を出し──無理を承知で出した休暇届が受理されたのは、奇跡に近い! ──、生まれ育った小さな町を出て、今は運転手付きの黒い高級車の中。窓の外に広がるのは、見慣れた景色ではなく、夕暮れに染まる都会の街並み。


 エマがよく知るスメラルド州も、州都であるスペランツァ県に足を運べば、負けず劣らずの都会なのだが、ルビーノ州は雰囲気がそもそも、他の州とは明らかに異なる。


 ここルビーノ州はジェンマ国の南部に位置しており、煌めくラクリマ海に接しているため、昔から漁業が盛んで、内陸部では敬遠されがちな生魚を食べる習慣もある。


 ただそれらは、ルビーノ州の一部でしかない。ルビーノ州を語るうえで、絶対に外せないことと言えば────一家ファミリーと呼ばれる組織集団の存在。大小様々なファミリーが生まれては消えていくジェンマ国において、古く歴史のあるファミリーの“権力”は、政府や警察よりも強いと言われている。


 ──こんな場所に、住んでるのね。


 ルビーノ州を悪く言うつもりはないが、やはり治安面では不安が残る。

 もしも父親が弁護士だとしたら、ここに住む理由もわからなくはないが……、怖いものは怖い。

 ついさっきも銃声らしき音が聞こえたし、あまり長居はしたくないな。


 そう思ったエマは、視線を車内へ戻す。車内には車に乗って以来、一度も言葉を交わしていない同乗者リカルドがいる。

 アレッシオは用事があるとかでスメラルド州に残ったので、案内役は強制的に愛想の欠片もないリカルドになってしまった。

 リカルドはエマの真向かいに座り腕を組み、出会ったときと同じ黒いスーツ着ていて、足元もやっぱり、黒い靴。黒が好きなのかしら? 他の色も似合うだろうに。


「なんだ?」


 エマの視線に気づいたリカルドは、こちらを一瞥することもせず、スーツの内ポケットからオイルライターと赤いタバコの箱を取り出すと、断りの言葉もなく口にくわえたタバコの先に火をつけた。


「……いえ、別に」


 車内に広がるタバコの香りは甘く爽やかだ。

 エマは嫌煙家ではないが、好きでもない。

 そういえば学生時代、大人の真似をするかのように同級生の男子が背伸びしてタバコを吸っていた。

 ただ煙たいだけで、ちっともかっこいいなんて思えなかったけど、今目の前でタバコを吸うリカルドは、さまになっているな、と思った。


 リカルドは目つきの悪さと愛想のなさを引けば、とても魅力的な容姿の持ち主だ。年は離れているが、エマの周りにいる“おじさん”とは明らかに違う。近寄りがたい雰囲気はあるものの、そこらの若者には出せない色香と存在感がある。


 でも独身フリー

 エマは純粋な好奇心を抑えきれず見てみたが、リカルドの左手の薬指は空いている。

 たまたま今日はつけていないだけかもしれないし、断言はできないけど。


「……言いたいことがあるなら言え」


「別に何も──」


「なら見るな。気が散る」


「………………すみません」


 随分と横柄な物言いだこと。

 けど無遠慮に見ていたのは事実。

 エマは不承不承といった様子で、小さな謝罪の言葉を口にし、視線を窓の外へ向ける。


 どうやら車は、気づかぬうちに市街地を抜けたらしい。景色が変わっていた。


「──もうすぐ着く」


「もうすぐ……」


 思っている以上に、自分は緊張しているようだ。

 でもそれは、当然のこと。

 だって父親に会うのだ。はじめて、父親に会う。


 そんなことを思っていると、リカルドの宣言通り、車が速度を落とした。──到着したのだ。

 エマは車が止まると、外に出るためドアを開けようとしたが、


「待っていろ」


 リカルドに言われ、ドアに伸ばした手を引っ込める。

 するとすぐに、運転手がドアを開けてくれた。


「どうぞ」


「……ありがとうございます」


 運転手の手を借り、エマは車を降りる。

 まるでお嬢様みたいな扱いに、落ち着かない。荒れた自分の手を隠してしまいたい、そんな衝動に駆られてしまう。


「ここがセヴェリーニ邸だ」


 エマの後に車を降りたリカルドは、くわえていたタバコを携帯灰皿に押し込み、背筋を伸ばす。

 その視線の先には、夕暮れの赤を背景に豪奢な屋敷がある。


「ここに、父が……」


 屋敷は大きくて、ともすれば城のようにも見える、というのは大袈裟な表現かもしれないが、それほどに目の前の屋敷は立派だった。

 けれど立派なのは外観だけじゃない。


 リカルドに続き、エマは屋敷へと続くアプローチを歩く。豪奢な屋敷に相応しいアプローチの左右には、広々とした庭。全面を緑色の芝生が覆っており、立派な噴水が誇らしげに鎮座している。


「遅れるな」


「は、はい……!」


 庭の豪華さに目を奪われたエマではあったが、屋敷の内装は庭の比ではなかった。

 エマはその豪華さに驚き、言葉が出てこない。


 エマを出迎えたのは、傷一つない大理石の床と、見上げるほどに高い吹き抜けの天井。壁にかかった絵は有名な画家のもので、真っ赤な薔薇を活けた花瓶は、見るからに高級そう。

 この屋敷の何もかもが、自分が今まで住んできた世界とはまるきり違っていて、庭を見たとき以上に落ち着かなくなる。


「おや、思っていたよりも早かったな」


 完全に委縮してしまったエマの耳に届いたのは、柔らかな男の低音。

 エマとリカルドが同時に声のする方、中央階段に目を向ければ、そこにはラフな出で立ちの男がこちらを見下ろしていた。


「セルジオか」


「説得は難儀すると思っていたんだがね。──はじめまして、お嬢さん。セルジオ・ガランツェだ」


「……はじめまして、エマ・フォレスティです」


 階段を降りエマの目の前に立ったセルジオは、リカルドと同い年くらいだろうか? つかみどころのない笑顔を浮かべているが、目は笑っていない。

 それがちょっと、気にかかる。


「へぇ、髪や目の色はボスとまんま同じなんだな。けど顔立ちがブランカさんそっくりだ」


 セルジオの値踏みするような視線に、エマは眉根を寄せる。

 あまりにも失礼だわ。文句を言ってやろうか、と思ったが、セルジオはすぐにエマへの興味を失ってしまったらしい。

 エマを視界から追い出すと、リカルドと何やら話をし始めた。


「生憎だが、ボスはまだ戻ってない」


「予定ではもう戻ってるはずだろ?」


「言ったろ。説得は難儀すると思ってた、って」


 リカルドとセルジオは、エマの存在を忘れてしまったみたいに話し込んでいる。

 エマは手持ち無沙汰を誤魔化すように、玄関ホールを観察することにした。


 屋敷の内装はどれもこれも素晴らしいの一言に尽きる。豪華だがまとまりがあり、決してけばけばしさはない。屋敷の主人の趣味が良いのだろう。


「…………狼……?」


 その中で特に存在感を放っているのが、太陽と翼を持つ狼の紋章。家紋、だろうか?

 エマはジッと、中央階段の正面に堂々と飾られた紋章を見つめる。

 この紋章を、自分はどこかで見たことがあるような気がするのだが……どこで見たのだろう?


 そんなに昔のことじゃない。

 きっとつい最近のこと。

 なのに思い出せない。

 あとちょっとで、思い出せそうなのに。



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