2ー11
涙が一向に止まらないヴィヴィアナを抱きしめ、オルガは苛立ちを隠そうともしないリカルドを睨む。
「そもそもお嬢様の護衛はトラモントの人間がするもんだ。この子は侍女なんだよ。普通の女の子! 大体お嬢様を見張ることだって、あたしは納得いってなかったっていうのに……」
ヴィヴィアナからエマがいないという話を聞いてすぐ、リカルドは部下に命じて屋敷の中も外も徹底的に調べさせた。セヴェリーニ邸は無駄に広い。本棟に使用人棟、離れや裏庭──だがエマは見つからなかった。
「見張らせておいた結果がこれだ。もし見張りがいなければ、もっと早くにあいつは行方不明になっていただろうな」
その場にいる誰もが、リカルドのあらわな怒りに怯えていた。
普段、幹部相手でも容赦なくお説教するオルガでさえも、今のリカルドの目は見れない。
ここにいるのは、トラモントの幹部、ボスの忠実なる猟犬なのだ。
「もし何かあれば、誰がどう責任を取る? この場にいる全員の首を差し出しても、釣り合いは取れないぞ」
「…………」
オルガはぎゅ、とヴィヴィアナを抱きしめた。
まるで自分を抱きしめるかのように。
「リカルド、報告が入りましたよ」
連絡を受け、出先から戻ってきたアレッシオは髪が乱れ、ジャケットも脱いでいた。彼もまた、焦っている。
「アリーチェ様が連れ出したようです」
「アリーチェが?」
眉間に刻まれる、深いしわ。聞きたくもなかった名前だ。特に今は。
「どこにいる?」
「──報告によれば、アリーチェ様はお嬢様を市内にひとり、置き去りにしたそうです」
アレッシオが耳打ちし、リカルドは焦りの色を強くする。
今はまずい。
芸術祭が始まり、市内には大勢の人間で溢れかえっている。
日頃、トラモントの顔色をうかがい大人しくしている連中は、こういったタイミングでどうにか隙を見つけようと動き出すのだ。
朝からリカルドたちが屋敷を離れていたのは、そういう奴らを取り締まるため。祭りの興を削ぐような事件が起こってはならない。
「今どこにいるのか、わからないのか?」
「街にいるのは確かでしょうが……場所までは」
首を振るアレッシオを前に、リカルドは乱暴に前髪をかきあげる。昼前、部下から市内をうろつく怪しい男たちの報告を何件も受けた。
アレッシオやセルジオも、同じ報告を受けているはずだ。状況は最悪、というしかない。
「セルジオには屋敷に戻らず、市内を探すように伝えました。ですがどこにいるのかがわからなければ……」
闇雲に探して、見つかるのだろうか。
アリーチェは目立つ。ボスの姪であることを知っている者も多い。
だがエマを知る者は、ほとんどいない。アリーチェと離れ、人混みにまぎれてしまったら……。
「──アリーチェを探せ」
そう、アリーチェは目立つのだ。見つけようと思えば、すぐに見つかる。アリーチェを見つけて、それからエマを置き去りにした場所を聞けば、捜索範囲は狭まるはず。
部下はすぐさま動いた。屋敷に配備した部下は、リカルドたちが信頼を置く者ばかり。すべてを語らずとも、リカルドの言いたいことを理解した。
「騒々しいわね」
声が降ってきた。
リカルドは視線を持ち上げ、今まさに階段を下りてくるフラヴィアを睨むように見る。
「聞いたわ、エマがいなくなったのでしょう?」
「アリーチェが連れ出したようだが?」
「私がそそのかしたとでも思っているの? だとしたら見当違いもいいところだわ。私はむしろ、エマに近づくなと言ったんだもの。まあでも、あの子は勝手な子よ。あなたたちもよくわかっているでしょう? 自分の思うように動くわ」
今日のフラヴィアは、髪をおろしている。化粧も服装も控えめで、だからこそその美しさが際立つ。
この美しさに、ベルトランドの兄ジェレミアは心を奪われたのだ。
「もしエマに何かあれば、その責を負うのはアリーチェ──あなたの娘だ」
フラヴィアが何かを言う前に、リカルドは背を向けた。
とうにジャケットは脱ぎ捨て、邪魔だと言わんばかりにネクタイも外している。
こんなことになるとわかっていた、屋敷を出なかった。少しの油断──それが、この結果を招いた。失態だ。まごうことなき失態。ボスに合わせる顔がない──玄関を出ると、ちょうど車からおりてくるセルジオと鉢合わせた。
「セルジオ」
なぜここに、という言葉は飲み込んだ。かわりに、安堵の息が漏れた。
セルジオの後に続き車からおりたのは、エマだった。今朝、会ったときと同じ服装。
いや、頬が赤くなっている。
「じじい……ファヴィオさんが見つけてくれた」
ファヴィオはまだ見て回りたいから、と街に残った。
セルジオの肩を軽く叩き、リカルドは髪をかきあげる。
「あなたたちのそんな顔を見ることになるとは思ってなかったわ」
渦中の人物は、実に落ち着いていた。不思議そうにこちらを見ている。
「そんな顔をしないで。私、ちゃんと戻ってきたでしょう?」
他に行くところなんてないんだし──。
自嘲する笑みを浮かべるエマの頬に、リカルドの骨ばった手が触れる。赤くなった、左の頬。肌が白いが故に、赤みが目立つ。
「少し、疲れました。……部屋へ行きます」
リカルドが何か言う前に、エマが静かに離れた。
「お嬢様!!」
エマが屋敷に入れば、大勢の人間が出迎える。
「アリーチェにぶたれたんだろうが、頑固だ。認めやしない」
車の中で、セルジオは何度もエマに聞いた。
だがエマは、怒らせてしまっただけ──それしか言わなかったのだ。頑固さは両親譲りということ。
「……戻ってきたんだ。今は安心させてくれ」
ふたりの間を吹き抜ける、秋の風。少し肌寒さを感じたリカルドは、自分がジャケットを脱いだことを思い出した。
* * *
食事をする気にはなれなかった。
エマは部屋でひとり、窓際に座り外を眺めていた。遠くに祭りの明かりが見える。
ロッソの芸術祭の最終日には、花火が上がることになっている。
ここからでも見えるだろう。セヴェリーニ邸は、丘の上にあるのだ。遮るものは何もない。
「──どうぞ」
ドアをノックする音が聞こえ、エマは視線を室内に戻す。部屋へ入ってきたのは、リカルドだった。
なんとなく、彼が来る気はしていた。誰も部屋に入れたくない、と扉を強く閉めたけど、鍵はかけていなかった。
「食べていないのか?」
テーブルに置かれた、セサルの料理。
もう冷えてしまっている。
「あなたが出て行ったら食べます」
出て行けと伝えたつもりだったけど、リカルドは出て行かなかった。
「ヴィヴィアナを解雇しないで」
こちらへ近づくリカルドが、足を止めた。
「仕事を怠った」
「私の監視は、侍女の仕事じゃないわ。彼女の制止を聞かず、ひとりで部屋を出たのは私なの。あの子は何も悪くない」
帰ってきたとき、オルガに抱きしめられるヴィヴィアナを見た。泣いているヴィヴィアナを見て、エマは申し訳なく思ってしまった。
「ヴィヴィアナを解雇しないと約束してくれたら、あなたの頼みをひとつ、聞きます。──ボスになること以外で」
今さら、新しい侍女なんていらない。そもそも侍女なんていらなかったけれど、今はあのふたりで落ち着いているのだ。何気ない会話もできるようになってきた。
だから、自分の身勝手さで傷ついてほしくない。
「もちろん、ヴィヴィアナがここを去りたいと言うのなら、その意思を尊重します。けど彼女がまだここに、私を嫌になっていないのであれば、解雇しないで」
リカルドが呆れたようにため息をつく。
「たかが使用人ひとりだ、しかもお前を危険に晒す原因を作った。何をそんなに気にかける必要がある?」
「あの子に罪はないわ、責任を押し付けないで。まだ子どもなの」
カロリーナは高校に行っていなくて──服飾の学校に行くためお金を貯めていると言っていた──、ヴィヴィアナは中退したと聞いている。ふたりとも親元を離れ、単身、ロッソへやって来た。親に頼れない事情があるのだろう。頼る術のない女の子が、ようやく見つけた仕事。
それを奪わないで済むのなら、そうしたい。
ただそれだけのこと。
「子ども、か」
リカルドは笑って、エマの足元に跪いた。
「わかった、解雇はしない」
「侍女から外すのもやめて」
「……わかった」
本来、使用人を解雇する権利などリカルドにはない。屋敷の主人はベルトランドで、メイドをはじめとする女性使用人の人事権は家政婦長であるオルガが持つ。
でも彼らなら、そんな垣根も飛び越え、簡単にヴィヴィアナをクビにするだろう。クビに追い込む、という方が合っているのかもしれないが。
「お前の頼みを聞いた。次は俺の頼みを聞く番だ」
ボスになること以外なら──少しだけ後悔したけれど、もう遅い。
一体、何を言われるのだろうか。銃を持て、なんて言われたら……。身構えるエマの頬に、リカルドが触れた。
まだ少しだけ違和感が残る、アリーチェにぶたれた頬。赤みは引いてきている。
「ぶったのは誰だ?」
予想もしていなかった問いだった。誰にも話すつもりはなかったのに。
「俺はお前の頼みを聞く。そのかわりにお前は、俺の頼みを聞くんだろ?」
答えないという選択肢はない。
エマはリカルドから目が離せなかった。頬をぶったのは誰か。
そんなにも気になることだろうか?
「私が……アリーチェさんを怒らせてしまったから」
仕方のないことだと思った。
時々、思ったことをそのまま言ってしまうことがあった。良くない癖だと思い気をつけるようにしていたのに、最近は少し、この良くない癖がでしゃばってきている。
母は言っていた。
──人が触れてほしくない、見られたくない部分を、あなたは簡単に見抜いてしまうのね。
アリーチェを怒らせてしまったのは、自分のせい。ぶたれたのは、自業自得。
この良くない癖を、治さないといけないわ。
「あれの癇癪はいつものことだ、お前のせいじゃない」
頬に触れる手が思っていたよりもずっと優しくて、エマは不思議な気分だった。
この人、こんなにも綺麗だったのね──。
紫色の瞳に、彼を見つめる自分が映っている。
きっとそれは、リカルドも同じだろう。




