2ー8
2月は毎週火曜日・金曜日・日曜日の18時に投稿します。
秋のお祭りの代表格、芸術祭が始まった。
ジェンマ国はお祭り好きな国として有名で、毎月、少なくともひとつは必ずお祭りがあるのだが、そこに市や町、さらには村などの独自なお祭りまで集めると、もうカレンダーに書ききれないほど。
だがそのおかげ、ジェンマ国には年中、観光客が世界中から集まる。
芸術祭は秋のお祭りで、長い歴史を持つ。
毎年テーマを決めて開催されるのだが、今年のテーマは「花と夢」。開催期間は一週間──毎年、ジャルダンの芸術祭には足を運んでいたが、今年からは無理だ。
というか、芸術祭そのもに行けるかどうかも怪しい。
「シーツの交換が終わりました」
「ありがとう」
窓際に座り、市街の方を眺めていたエマは、仕事を終えたヴィヴィアナに笑顔を向ける。身の回りのことは自分でできるから、侍女なんていらない。
そう思ったけれど、オルガに言われたのだ。
あの子たちは、あの子たちの仕事をしてるんだよ。お嬢様には必要ないかもしれないけど、あの子たちはこれで稼いでるんだ。だから、あの子たちに仕事をさせておくれ。
職に貴賤なし。
どんな仕事であろうとも、何も知らないまま頭ごなしに否定してはダメだ。
オルガの言葉でエマは考えを改め、カロリーナやヴィヴィアナの仕事を奪わないことに決めた。
「芸術祭が始まったけど、ヴィヴィアナたちは行くの?」
「はい、お休みをいただく予定です」
「そう、楽しんできてね」
「お嬢様は行かれないんですか?」
「私は……」
芸術祭に特別思い入れがあるわけじゃないけれど、行ってみたい気持ちはある。
ロッソ市の芸術祭は、どんな感じなんだろうか?
ジャルダンよりも規模が大きいようだし、見たことのないものがたくさん見れるかも。
でもきっと、リカルドたちはいい顔をしないだろうな。
「もし行けるのであれば、ぜひ行ってみてください。ロッソの芸術祭、すごく楽しいですよ。私も初めて行ったとき、驚きました」
「……うん、機会があれば、行ってみるわ」
片付けを始めるヴィヴィアナから、窓の外へと視線を戻す。窓の外、すぐ真下に見えるのは黒いスーツの男たち。
彼らはファミリーの構成員とやらで、屋敷の安全を守るためにいるらしいが、今日はいつもより人数が多い。人数が多い理由は別にあるが、彼らが配備された原因は確実に、屋敷へ戻ってきたエマの伯母と姪──フラヴィアとアリーチェだろう。
最近は屋敷の中を歩き回っているだけなのに、カロリーナとヴィヴィアナのどちらか、もしくは両方が必ずついてくるようにもなった。
そのうち護衛もつけると言っていたので、今以上に窮屈な生活を強いられることが確定している。
「何をしようかな……」
屋敷へ来て一ヶ月も経つと、毎日、することが決まってくる。
朝起きて、着替えて、朝食をとって、リカルドたちのスケジュールを聞かされ、部屋に戻ったら今日の新聞に目を通し、図書室から持ってきた本を読み、昼食、と本当に一日がとてつもなく長く感じてしまう。
働いていた頃は一日が短く感じていたけど、今は真逆。
こんな生活を続けていたら、いつか絶対に我慢の限界がくる。
「お嬢様、どちらへ?」
「ちょっと気分転換でもしようかと思って」
部屋を出て行こうとするエマに、ヴィヴィアナが慌てて取り替えたシーツをワゴンに押し込む。
「すぐに戻るから、急がないで」
「ですがっ」
常にそばにいろ、と言われているのだ。
リカルドたちが何を警戒しているのかはわかっているけれど、屋敷の中でぐらい、自由に歩き回りたい。
「心配しないで」
外へは出ないから──、そう伝えて、エマは部屋の外へ出た。
珍しいことに、今日はリカルドもセルジオも屋敷を出ていて、アレッシオも不在。
だから外の警備がいつにも増して多いのだ。
エマは廊下を歩き、そのまま正面階段へ出た。秋の日差しが差し込む正面玄関には、トラモントを象徴する紋章が飾られている。太陽を飲み込まんとする、有翼の狼──何度見ても、好きにはなれないな。
「あら、わたしの従姉妹じゃない」
声が聞こえて、エマは階下を見る。
玄関ホールには、体のラインがはっきりとわかるタイトなワンピースを着こなすアリーチェがいた。今から出かけるらしい。
「毎日毎日、よく閉じこもっていられるわね。わたしには耐えられないわ」
どこかバカにするような物言いにも、少しずつ慣れてきた。
フラヴィアとアリーチェがこの屋敷に帰ってきたのは、三日前。食事の席ぐらいでしか顔を合わせないけれど、アリーチェが毎日どこかへ出かけていることは知っている。
一日中屋敷から出ないエマもエマだが、毎日そんなにも出かける用事があることが、不思議でならない。
アレッシオから聞いたが、アリーチェは今のエマと同様、無職。
てっきりファミリーの役職にでも就いているのかと思っていたので、意外。
「アリーチェさんは今日も出かけるんですね」
あまり波風は立てたくないけど、無視をするわけにもいかない。
エマは階段を下りながら、アリーチェのそばに控える黒いスーツの男たちを見る。
彼らもトラモント・ファミリーの構成員。
そして、アリーチェの護衛。見目が良い男ばかりなのは、偶然?
「せっかくの芸術祭なのよ? 行かない理由はないでしょ」
その小さいバッグには一体何が入っているのか──芸術祭へ出かけるというアリーチェは、赤いルージュが目を引く唇に、楽しげな笑みを浮かべる。
「──そうだ。あなたも連れてくわ」
「は?」
思いがけないアリーチェの宣言に、素っ頓狂な声が出てしまった。
「アリーチェ様、それは……」
護衛のひとりが止めようとするが、アリーチェは無視。
「わたしたち、従姉妹だっていうのにちっとも話せてないでしょ? いっつも邪魔者がいるから。だからデートしましょ」
「ちょ──」
相手の意見なんてお構いなし。
アリーチェが猫のようななめらかさで、エマと腕を組む。甘い花の香りに、クラクラしてしまいそう。
「さ、行きましょ」
甘えるアリーチェの声音におされ、エマは外で待つ車に半ば強引に乗車させられた。
向かう先はロッソ市──賑やかな秋のお祭り、芸術祭だ。
* * *
「さすがに混んでるわね。車が全然動かないわ」
車の窓から外を見るアリーチェは、不満そうに口を尖らせていた。
アリーチェはエマよりもふたつ年上の二十二歳なのだが、こうして見ると同い年──いや、場合によっては年下に見えてしまうこともある。服装こそ色香を感じる大人のそれだが、無邪気な笑顔や不意に出る子どもっぽい仕草が、彼女を時々、実年齢よりも幼く見せているのかもしれない。
「ロッソに来たことはある?」
「いえ、一度もありません」
後部座席には、エマとアリーチェしかいない。運転席手の隣、助手席にはダニエラが乗っているが、ふたりは見事に存在感を消している。
アリーチェの護衛は、真後ろにピッタリとくっついている別の車に乗っていた。
「そ。──いいとこよ、トラモントの縄張りだから、他のとこよりもずっと治安が良いの」
自信ありげに話すアリーチェは、ずっと窓の外を見ている。
今年のテーマが「花と夢」というだけあって、街は色とりどりの花で溢れかえっている。
「トラモントの大きな力があるから、ちっぽけな連中は悪さできないの」
「そう、ですか」
エマが知らないだけで、きっとジャルダンにもファミリーの影響はあったのだと思う。
けれどここ程ではない。
きっと、市民は知っているのだろう。エマたちが乗る車が、誰の所有物なのかを。
気づいた人のほとんどが、車を避けるように離れていく。中にはお辞儀をする人もいたりしたけど、多くはない。
「ホントに動かないわね。……行くわよ!」
「あ、アリーチェさん?」
ちっとも動かない車に痺れを切らしたアリーチェが、何を思ったのか後部座席のドアを予告も無しに開けた。慌てたのはエマだけじゃない。運転手もダニエラも、驚きで目を見開いている。
「わたしがエスコートしてあげるわよ」
車から降ろされたエマは、アリーチェに手を引かれ、歩道を走る。
あんなにも高いヒールで、こんなにも軽快に走れるものなんだ……。
芸術祭ということもあって、目に映る街の景色に現実感が薄い。
花で飾られた彫刻、路上で絵を描く画家、風船を持って走る子ども、絶え間なく聞こえる音楽や人々のざわめき──静寂が遠くなる。
「こちら、芸術祭限定のデザインでございます」
「この時期にしか発売されない、当店オリジナルの香水なんです」
「この秋の新作なんですよ。今入荷したばかりなんです」
「いただくわ」
エスコートとは名ばかり。
アリーチェは自分が行きたい場所にエマを連れて行き、ひとり楽しく買い物をし始めた。服に靴、コスメや香水──店員がすすめるもののほとんどを、アリーチェは太っ腹に購入した。
そんなに必要ですか? と言いたくなってしまうほど。
「いつもありがとうございます、アリーチェ様」
黒いカードを取り出すアリーチェと、それを受け取る店員。
アリーチェは“上客“なんだろうな。店にとっては、非常にありがたい“上客”。
「持って」
アリーチェが購入した品物は、全て彼女の護衛たちが持つ。
車を飛び降りたふたりを慌てて追いかけてきた護衛たちは現在、立派な荷物持ちになっていた。
「その地味な格好、どうにかしたら?」
別の店で、この秋の新作とやらを試着するアリーチェは、どうやらエマの存在を忘れてはいなかったらしい。
「そんな服、どこで買うのよ」
「どこって……」
グレーのタイトニットも緑チェックのフレアスカートも、三年前、高校生の頃に購入したもの。流行を追いかけていないエマは、自分が気に入ったものを選んで大切に着ている。
そりゃあ、アリーチェの隣に立てば地味に見えるだろうが、流行ってるから、高いから良いというものではないと思う。
大切なのはいつだって、自分の気持ちだ。
「お見立てしましょうか?」
「ああ、その子はいいの。ほっといて」
店員のひとりがエマに話しかけたが、アリーチェのぶっきらぼうな物言いに苦笑いを浮かべ、去っていった。
何軒もの店を回ったが、アリーチェが現れると必ず店の責任者が現れていた。
アリーチェが誰なのか、ちゃんとわかってるんだろうな。
みんな、アリーチェをお姫様のように扱っていた。失礼極まりない態度を取られても、みんな精一杯の笑顔で接客する──接客業の辛いところだ。
「次はどこ行こうかなぁ」
店を出たアリーチェは、また次の店を探す。
はじめてのロッソ市、最初は見るものすべてが新鮮だったけれど、今はもう疲れてしまった。屋敷の静寂さを恋しく思う日が来るなんて……。
「そろそろ屋敷に帰らないと、その」
「リカルドたちに何か言われるの? ねえ、聞きたかったことがあるのよね」
足を止めて、アリーチェが振り返る。
「アレッシオはまあいいとして……リカルドたちをどうやって懐柔したの?」
「懐、柔?」
突拍子もない話に、エマは首を傾げる。懐柔の意味はわかる。わかるけど、使い方を間違っていない?
どこをどう見たら、懐柔しているように見えるのだろう?
「付き合いはわたしの方が絶対長いのに……もしかして──寝た?」
「────は?」
この雑踏の中にうまく溶け込んで、聞こえなければ良かったのに。
アリーチェの失礼としか言えない問いは、しっかりとエマの耳に届いた。