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エマ  作者: 小さな月
Tempesta……吹き荒れる嵐
14/32

2ー7


「礼を言う」


 中止されてしまった特別な夕食──メイン料理すら食べずに部屋へ戻ってきたエマの背後に立つのは、リカルドだった。黒いスーツはいつものことだが、一応、今夜の席に合わせて良いものを選んだらしい。普段着ているスーツとは、明らかに生地が違う。


 それでも無愛想は標準装備のようで、そんな無愛想を貼り付けた顔から、まさかお礼なんて言葉が出てくるとは予想もしていなかった。


「なんだ、その顔は」


 あからさまに驚いたエマに、リカルドは眉間にしわを寄せる。


「いえ、あまりにも意外だったので……」


 ベッドのそばに立つエマは、少し前、食堂でのことを思い返す。


 伯母と従姉妹を、完全に敵に回してしまった……。


 エマは今だって、ボスになる気はさらさらない。

 それは紛れもない本心だ。欲しいというのなら、あげても構わない。


 でもちょっと考えればわかることだ。ボスになれる条件を持つ人間がもうひとりいて、その当人にはなる気がある。

 なのに、後継者に指名されたのは二十年間、普通の世界で生きてきた別の人間。


 アリーチェがボスに相応しくないと判断したのか、それともただ単純に個人的にボスへ据えたくないと思ったからなのか……その真偽はわからないし、知りたくもないけれど、アリーチェがボスになることを望んでいない人間が多いのは隠しようもない事実。


 リカルドたちがエマ側に立っているのは、そういうことだ。条件が違えば、立ち位置は容易く変わる。


「でも私は、本当にボスになる気はないんです。父に会ったら、ここを去ります」


 当初の目的は、見失っていない。

 ここまで来たのだ、せめて顔くらいは見ておかないと。


「頑なだな」


「誰にでも譲れないものはあります」


 トラモント・ファミリーのボスの座を喜んで受け入れる人間もいるだろうが、やはりエマには受け入れることはできない。二十年という歳月を、普通の子として生きてきたのだ。

 この平凡だけれど穏やかな日々を手放したくはない。母もきっと、それを望んでいるだろうし。


「うっ……取れない」


 もう必要ないから、とネックレスを外そうと思ったのだが、いかんせん不慣れ。

 日頃からアクセサリーなんてつけてこなかったエマにとって、これは中々に難しい。カロリーナかヴィヴィアナを呼んで、手伝ってもらわないと……。


 そう思ったのだが、自分ではない別の手──リカルドの手が首筋に触れた。


 思えば、リカルドもセルジオも、あまり足音がしない。気配を感じないこともある。

 だから近づいたことに気づかなかったのかも……。


「あ、の……」


「動くな、取りづらい」


「……はい」


 至近距離に男性がいることに、エマはいつまで経っても慣れない。


 エマは二十歳だが、恋人がいたことは一度もない。十七歳の頃、一度だけ同級生とデートをしたことがあるけれど、感想は「疲れた」、だけ。恋には発展しなかった。


 母に負担をかけたくないと、奨学金を勝ち取るため、ほとんどの時間を勉強に費やし、高校卒業後は進学せずに就職する道を迷うことなく選んだ。

 少しでもいいから、母に楽をさせてあげたかった。恋に割く時間──いや、そもそも頭の片隅にさえ浮かびもしなかった。誰かを愛するなんて。


「……ひとつ、忠告しておく」


 リカルドがネックレスを外しすと、首筋をチェーンがかすめてくすぐったかった。


「寝室に男を容易く招き入れるな」


 首筋に触れたのは、リカルドの骨ばった手──だと思う。

 そのことに気づいた瞬間、エマはどうしてだか、首筋に全身の感覚が集中していくようだった。


「特に夜は。──いいな?」


 外したネックレスは、リカルドがベッドサイドテーブルに置いてくれた。


「おやすみ、エマ」


「……おやすみなさい」


 静かに部屋を出て行くリカルドを見送り、エマは自分の頬に触れてみた。


 なんだかすごく、熱かったのだ。



 * * *



 フラヴィアは自身の娘を見つめ、美しく育ったわ、と感心していた。娘は若い頃の自分に良く似ている。

 いや、美しさだけで言えば、娘の方が上かもしれない。


 幼い頃のアリーチェは、花開く前のつぼみのような愛らしさを周囲に振り撒き、それはもう可愛がられた。


 そして今、二十二歳となったアリーチェは、見事に花開いた。


 フラヴィアの最高傑作──そう言いたかったけれど、世の中に完璧なものは少ない。

 これ以上ないほどに美しく育った娘ではあるが、少々性格に難がある。幼い頃から甘やかされて育ったせいだろう。思い通りにならないことはない、欲しいと言えば手に入る──見事なわがまま娘になってしまった。


 この責任は、確かに母であるフラヴィアにある。


 フラヴィアは娘を、トラモントのボスに相応しい人間に育てるつもりだった。誰が見ても、認めざるを得ない後継者──。


 だというのに、育児とは本当に難しい。思った通りにはいかないものだ。美貌は母親譲り、尊大で自己中心的な性格は父親に似てしまった。

 これでは後継者に指名されないわ……。


 ソファに腰掛け、フラヴィアはドレスを脱ぎ捨てる娘を観察する。スタイルは文句ない。本人も太った自分は見たくないというくらいだ。

 常日頃、体型維持のための努力を怠らない。

 この美貌とスタイルがあれば、大抵の男はどうとでもなる。


 しかしファミリーのボスというものは、美しさやスタイルの良さで務まるものではない。必要なのは、絶対的な忠誠心だ。

 それを得ることができれば、多少の無理は通る。


「どこで失敗したのかしら……」


 父親と同じ轍は踏ませない。

 そう決心して、娘の教育に全神経を集中させてきたというのに……。


「あのエマって女、ホントにボスになる気がないと思う?」


 下着姿で堂々と歩き回るアリーチェは、ご立腹だ。

 夕食の席でのエマの態度が、気に食わなかったのだろう。


「なる気はないわ。それは本当よ」


 目を見ればわかる。

 エマは嘘を言ってはいなかった。ボスの座になど、微塵も興味がないのだろう。


 私たち──私がずっと追い求めているものをいとも容易く手にできるというのに、それを簡単にいらないと言う。腹立たしいけれど、先ほどのエマの物言いには、素直に感服した。


 ──私はここにいなくてもいい。後継者は既にいるから。じゃあなぜ、私はここにいるの?


 そうね、そう思うわよね。

 この世界のなんたるかも知らない人間をボスに据えるよりも、この世界で生まれ育った人間を選ぶ方がずっと自然。


 でもベルトランドは、その道を選ばなかった。

 フラヴィアの気持ちを知りながら、ベルトランドは見せつけるように後継者を指名し、わざわざ屋敷にまで連れてきた。抗議はした、幾度も。


 だがフラヴィアが何を言おうとも、ベルトランドの決定が覆ることはなかった。頑固な男だと知ってはいたが、これほどまでとは……。


「じゃあ次のボスはわたしってことよね?」


 寝間着に着替え終わったアリーチェが、フラヴィアの向かいにあるひとりがけの椅子に腰を下ろす。


「どうしてそう思うの?」


「だって他に後継者はわたししかいないもの」


「…………そうね」


 フラヴィアは何を言うべきか考え、そしてやめた。


 この子はわかってない。夕食の席でエマが放った言葉の意味を。


 アリーチェは美しく育った。

 そう、間違いなく美しく育った。

 けど確実に足りないものがある。


 それさえあれば、この子はきっと後継者に指名されたはず。


「アリーチェ、よく聞きなさい。確かに、エマはボスになる気がない。けどね、あの子がなる気がないと言っても、ボスが後継者に指名したのは間違いなくエマ・フォレスティなの。ボスが頑固なのは、良く知っているでしょう? あの人は黒も白に変える男よ」


「そうだけど……。じゃあ、わたしがおじ様に話してみるわ。それならどう?」


「無駄よ。こればっかりは、誰にもどうすることはできない」


 アリーチェは信じて疑わない。叔父は自分の頼みを断ったりしない、と。いつだって自分に甘く、優しい人だから──それはアリーチェに対して、罪悪感があるから。


 フラヴィアは娘にそう教え込んだ。

 その方が都合が良かったから。

 ベルトランドはフラヴィアの思惑に気づいていただろうが、姪にはなんの罪もない。フラヴィアの思惑を知った上で、ベルトランドは姪のわがままを受け入れた。

 それは今も続いているが、そろそろ終わりが来る──そんな気がする。


 ベルトランドは文字通り、すべてをエマに継がせるのだ。

 トラモントの力、富、歴史、そのすべてを二十歳の娘が背負うことになる。


 ──いいえ、ダメよ。そんなこと、絶対に許さない。


 フラヴィアは白くなるほど強く、拳を握りしめる。


 あの日からずっと、フラヴィアの人生設計は狂いっぱなし。

 これ以上は、我慢できない。自分は、こんなところで終わる人間じゃない。誰よりも高みを目指すのよ──母のようにはならない。なりたくない!


「アリーチェ、ボスの決定が覆ることはないわ。けれどいくらボスだって、部下が声をそろえてお前を後継者に推薦すれば、考えを改めるかもしれない」


 どんな国も、国民がいなければ国としての形を維持することはできない。ファミリーとて、それは変わらない。


「……つまり?」


「幹部の信頼を勝ち取りなさい。──エマよりも先に」


 既にエマは、リードしている。

 今夜の席で、確実にエマは幹部たちの歓心を得た。

 あの忠実なる猟犬ハウンドですら、心を動かされたに違いない。


「アリーチェ、ボスになるのはお前よ。お前じゃなきゃいけないの。だって──」


「それがパパの望みだものね」


 ……ええ、そうよ。

 幼い娘に、何度も繰り返し言い続けてきた。


 アリーチェは母の言葉を疑いもせずに信じている。


 もしこの子が真実を知ったら、怒るかしら? 恨むかしら?


 どっちだって良いわ。

 だってそんなこと、今の私には瑣末なことだもの。




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