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エマ  作者: 小さな月
Tempesta……吹き荒れる嵐
10/32

2-3


 食事の席に、メンバーが一人増えた。

 ────アレッシオ・マルキーナ。トラモント・ファミリーの弁護士兼顧問コンシリエーレ──エマには顧問がなんなのか、よくわからないけれど──だという男は、リカルドやセルジオよりもずっとずっと、雰囲気が柔らかい。口調も丁寧で穏やか。


 どうしてこんな人が、ファミリーなんてものに身を置いているのかしら?


 それだけがどうしてもわからない。


「私の顔に、何かついていますか?」


「え」


「何やら視線を感じるので」


「あ、ごめんなさい……」


 アレッシオがセヴェリーニ邸へ戻ってきた翌日の朝食の席。

 エマは自身も気づかぬうちに、アレッシオを凝視していたらしい。慌てて視線を外し、謝罪の言葉を口にする。


「謝るほどのことではありませんよ。気になることがあれば、なんでもおっしゃってください。我々は知り合って日が浅い。会話を重ね、親交を深めねば。──君達も、そう思いますよね?」


 アレッシオが同意を求めたのは、終始無言のリカルドとセルジオ。

 エマは盗み見るように、何の反応も示そうとしないセルジオを見る。

 昨日、エマが出て行こうとしたとき、セルジオは止めなかった。つかみどころのない笑みを浮かべるこの男は、今もこうして屋敷に残る自分のことをどう思っているのだろう?


 正直、今朝は会いたくなかったな。

 あんな啖呵を切ったくせに、今日もこうして朝食をとっている自分が、情けなくて仕方がない。


「そうだ。お嬢様はコーヒーと紅茶、どちらがお好きですか?」


「どちらも好きですけど、強いて言うなら紅茶、だと思います」


 今聞くべきことだろうか?

 怪訝そうにアレッシオを見れば、彼は嬉しそうに微笑んでいた。


「紅茶派とは嬉しいですね。では良い茶葉を用意させますので、お茶をご一緒にいかがですか?」


「お茶、ですか?」


「はい。今日はいい天気ですからね。庭でお茶でも、と思いまして。お渡ししたいものもあるので」


「庭で? でも……」


 エマは思わず、リカルドを見てしまった。

 てっきりダメだと言われると思ったのに、リカルドは無言のまま。決して納得している風には見えないが、何も言わないということは、庭に出てもいいということ?


「誰の顔色をうかがう必要もありません。ここは貴女の家で、貴女は自由なんですから」


 決定権はエマ自身にある。


 自分の考えを見透かされた気分だが、庭とはいえ外へ出れるのだ。

 エマは頷き、アレッシオの誘いを受けることに決めた。


「話は終わったのかい?」


 清々しい朝に相応しい、快活なオルガの声。


「お嬢様。今日はお嬢様に紹介したい者がいるので、連れてきましたよ」


「紹介?」


 見ればオルガの背後に、二人の女中メイドがいた。

 どちらも若い。恐らく十代だろう。茶髪の気の強そうな女の子と、黒髪の真面目そうな女の子。


「本日よりお嬢様のお世話を担当させていただきます。カロリーナと申します」


「ヴィヴィアナと申します」


 二人揃ってのお辞儀カーテシーに、エマはすぐに反応できなかった。


「わ、私の世話……?」


 そんなもの必要ない。自分のことは自分でできる。

 そう言おうと思ったのだが、厳しい声に先手を取られた。


「何度も言わせるな。お前は使う側の人間だ」


 無言を貫いていたリカルドは、エマを見もせずに言う。


「まずは使用人の使い方から学べ。部下の扱い方は、それからだ」


「使い方って……」


 あんまりな物言いだと思ったが、残念なことにこの場でリカルドの言動を注意する者はいないようだ。

 アレッシオもオルガも黙っている。


「何なりとお申し付けくださいませ」


「誠心誠意、お仕え致します」


「よ、よろしくお願いします……」


 迷うように口を開けば、リカルドの呆れたため息が聞こえた。



 * * *



 カロリーナはかねてより、侍女になりたいと思っていた。理由は単純。メイドは下級使用人だけど、侍女は上級使用人。出世に興味はないけれど、侍女になればお給料が上がる。お金を貯めるためセヴェリーニ邸の使用人として働いているのだから、今回のオルガの提案を、カロリーナは即答で引き受けた。


 ただ仕事仲間であり友人でもあるヴィヴィアナは、ちょっとだけ腑に落ちない。

 というのもカロリーナは以前、侍女になれたかもしれなかったのに、その話を蹴ったのだ。


「それってアリーチェ様の侍女を、って話?」


 仕事用のワゴンに必要なものを次から次へと積み込みながら、カロリーナは同僚を横目で見る。おしゃべりしていても、仕事の手は止めない。


「他にいるなら教えてもらいたいわ。なんでアリーチェ様の話は断って、今回は引き受けたの? 侍女になるなら、どっちでも同じだと思うけど」


 二人はリネン室から出ると、真っ直ぐにエマの部屋へ向かう。

 侍女としての最初の仕事は、部屋の掃除とベッドメイキングだ。


「同じ? それ、本気で言ってんの? 全然違うわよ」


 心底呆れる、といった様子のカロリーナ。


「そうなの?」


「そうよ。だってお嬢様は旦那様の娘なのよ? アリーチェ様がどんなに旦那様に大事にされてても、実の娘には勝てないし、お嬢様は次のトラモントのボス。仕えるなら絶対、お嬢様の方がいいでしょ?」


 カロリーナとヴィヴィアナはほぼ同時期に働き始めたが、当然の如く、ふたりはトラモント・ファミリーの一員ではない。メイドはあくまでも、ここセヴェリーニ邸で働く使用人。ファミリーとは関係がない。

 とはいえ、ファミリーの問題が一切影響を与えない、というわけでもない。


 この屋敷で働く以上、ファミリーの話題は付いて回る。


「ボスの話、決定なの? オルガさんから聞いたけど、お嬢様は嫌みたいよ」


「そこら辺の真偽はどうだっていいの。重要なのは、お嬢様が旦那様の実の娘、ってことだけ」


「ふぅん。でもお嬢様が出て行ったら、侍女からメイドに逆戻りするだけでしょ? なら、アリーチェ様の侍女の方が良かったんじゃない? あの方は出て行かないだろうし」


 ワゴンを押しながら、ヴィヴィアナは小声で話す。


 セヴェリーニ邸には多くの使用人が働いているが、母屋に出入りできる使用人は限られている。

 カロリーナとヴィヴィアナはその限られた使用人のうちのふたりではあるが、屋敷の住人になるべく会わないように行動してきた。使用人とは本来、そういうものだ。


 なのでふたりとも、ファミリーの顧問と幹部をあんなにも至近距離で見たのは初めてだった。


「その理屈はわかるよ。わかるけど……」


「わかるけど?」


 ピタッと足を止めたカロリーナが軽やかに振り返ると、黒いメイド服の裾がふんわりと広がった。


「アリーチェ様の侍女はイヤ。絶対に、イヤ。──あたしの気持ち、わかるでしょ?」


「……うん、そうね。良くわかる」


 ヴィヴィアナが頷くと、カロリーナもうんうん、と頷く。


「カロリーナ嫌いだものね、アリーチェ様のこと」


「あんたもでしょ。──でも意外だったと思わない?」


「何が?」


「お嬢様のことよ」


 ふたりのおしゃべりは止まる気配がない。


「イメージしてたのと全然違った」


「どんなのをイメージしてたの?」


「もっとこう…………偉そうな人かなあ、とか」


「ああ、そういうことね。もしかして、アリーチェ様みたいなのをイメージしてた?」


「かもしれない。全然、そっちの世界の人には見えないよね」


「それは当然でしょ。ここにくるまで普通に働いてたらしいし、父親が生きてたことすらも知らなかったんだよ? いきなり偉そうにふんぞり返って命令されるよりも、好感が持てると思わない?」


「それはそうかもね。────あ、お嬢様! お出かけですか?」


 エマの部屋に到着するのと同時に、部屋のドアが開いた。部屋から出てきたエマはグレーのカーディガンを羽織っており、シーツや掃除用具を持ったカロリーナとヴィヴィアナを見て、申し訳なさそうに微笑んだ。


「庭に行くだけなので、すぐ戻ります。えっと、じゃあ、よろしくお願いします」


 ふたりに会釈して、エマは庭へと向かう。

 その背を見送ってから、カロリーナとヴィヴィアナは部屋へ入った。


「ほんとにそっちの世界の人に見えないよね。あれでボスになれるのかなぁ?」


 掃除用具を床に置きながら、カロリーナは先ほどエマが出て行ったばかりの扉を見つめる。


「私たちは旦那様に雇われてる使用人、部下じゃないのよ。ファミリーの将来とか、気にすることじゃないと思うけど?」


「ファミリーのことは気にしてない。あまりにもお嬢様が浮いてたから、ちょっと気になっただけ」


 今朝の食堂で目にした光景は、今も鮮明に思い出せる。お給料が上がる喜びに浮かれていたけれど、自分は今朝、トラモント・ファミリーの顧問と幹部を間近に見たのだ。

 いつも遠くから見ていた、別世界の人たち。

 そんな彼らに混じり、一人居心地悪そうに旦那様の椅子に座っていたのは、お嬢様エマ

 あの光景を思い出すと、カロリーナの胸に“心配”、という感情が湧き上がってくる。


 あたしと一歳しか違わない、普通の女の子。

 なのにファミリーのボスになるんだ……。


「アリーチェ様のことはちっとも気にかけないのに」


「あの人は大嫌いなの。あたしとは徹底的に合わない!」 


 きっぱりと断言して、カロリーナは掃除に集中する。


 とは言え、掃除やベッドメイキングはすぐに終わるだろう。

 何せこの部屋はちっとも汚れていないのだ。脱ぎ散らかされた服もないし、お菓子の食べこぼしもなければ、香水のビンがひっくり返ってもいない。

 掃除をする側としては、この上なく楽だ。


「アリーチェ様とは真逆よね、何もかもが」


「言えてる。……そういえばもうすぐ帰って来るんでしょ?」


 滞りなく仕事を終えた二人は、この屋敷に住むもう一人のお嬢様のことを考え、ため息をつく。


「…………あの人って、嵐みたいよね」


「同感。今ってもしかして、束の間の平穏ってやつ?」


「かもね。……待って。アリーチェ様が帰って来るってことは────」


 二人は顔を見合わせ、


「フラヴィア様も帰って来るってことだ!」

「フラヴィア様も帰って来るってことよ!」


 もう一人の“嵐”に、顔をしかめることしかできなかった。




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