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応仁の乱は幾多の争いを経て激化の一途を辿り、京都はどんどん荒れていった。将軍である義政や天皇・上皇等も拡大を続ける争いを諌めようとしたが、収めるには至らなかった。
「クックック、少年よ。この乱の馬鹿らしいところが2つあってな。1つは次代の将軍の座を巡って争いを始めたにも関わらず、先代の将軍が将軍職を譲って引退しても争いを辞めなかったことだ」
応仁の乱の最中に義政は争いを諌めるのも政治参加も嫌になり、息子である義尚に突然将軍職を譲って引退した。自身の後継を巡って続く争いと、全国各地で起こる一揆。この時代の朝廷・幕府はとても貧乏で、義政一代でも徳政令が13回も発令されている。嫌になるのも無理はない。
「ちなみに、徳政令はわかるな?」
「さすがにそれ位は・・・・・・・期間内での売買や貸し借りの契約を無効にするってやつですよね?今では考えられない力技での救済です」
「徳政令を要求する一揆が全国各地で起こっていた。そのせいで乱発するしかなかったのだろうな。戦が多すぎて働き手は減る一方なのに、税は上がり続けたからな」
「借金を踏み倒された方はたまったものじゃなかったでしょうけど」
鞘火が仁の目の前に指を2本立てて続ける。
「2つ目はな、両軍の総大将が病死しても大名は兵を撤退させなかったんだ。総大将が死んだ時点で、両軍撤退すればよかったのだろうが、引くに引けなかったかのだろうな」
しかし、両軍の意地の張り合いは、意地を張りすぎた故にお互いの屋台骨を揺るがし始めた。戦は武力による直接対決だけではない。政治力による寝返り工作、情報操作による後方撹乱。この後方攪乱は戦が長引けば長引くほど効いてきた。主戦場は京都であったが、争いは地方にも拡大し始めたのだ。応仁の乱の終期では一揆や下克上等がそれぞれの地元で頻発し始める。
「兵を退かせる事になったのは、主戦派であった大名が京都から離れて違う戦に行ったのを皮切りにそれぞれが散らばった・・・・・・と云われているが、本当の所は余りの長い戦争に耐え切れなくなった地元がヤバくなったからだ」
西軍に関しては、各大名の解散が一日で終わったと伝えられる程である。一刻も早く地元に戻りたかったのだろう。
結果、応仁の乱は首都・京都を焦土としただけで何ら勝敗を決することなく終結した。だが、この乱をきっかけにした戦闘は応仁の乱終結後も地方でそれぞれ別の戦いへと発展していった。そして、そのまま戦国時代に突入していくのだ。
「というのが、よく分かる鞘火さんの応仁の乱講座だ。本当なら武将の名前とかも解説できるが、どうせ覚えきれないだろうから割愛しよう。せめて将軍の名前だけでも覚えておくのだな。どうだ、少年よ。勉強になっただろうが」
一通り説明を終えた鞘火は、腕を組んで偉そうにふんぞり返った。
「はぁ~、本当に鞘火さんも頭いいんですね。すごく分かりやすかったです。ありがとうございます」
仁は偉そうにしている鞘火に対して素直に頭を下げた。鞘火も仁の謝罪に満足そうにしている。そんな2人の様子を見て、鍔木が続けた。
「さて、これで鞘火さんも満足したでしょう。ここからは最初の話に戻させていただきます」
「ご主人様ってやつですか?」
「そうです。長々と説明させていただいたのはどうしてもこの乱を説明する必要があったからです」
「応仁の乱の最中に吉田兼倶によってこの刀は作られたんじゃよ、仁様」
今度は、水緒が口を挟んできた。
「ホホホ、今度は水緒が説明させていただきましょうかのう。ええじゃろ、鍔木」
「・・・・・・では、お願いします」
鍔木の了承を得た水緒は、機嫌良さげに仁にお茶のお代わりを注ぎながら続ける。




